元奴隷の半吸血鬼少女はのんびり旅をしたい

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初めての人里

ヴォーパル・ガール

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 ――高原の街、エイスワンド。

 地方の街としては比較的大きなこの街は、魔族領との最接近領であったこの『ロートシルト共和国』からは山脈に隔たれた向こう側、隣国『レオヘイム聖王国』に続く峠を越える拠点として発達した街だ。

 一方で、高原地帯ということもあり、見晴らしの良い景観と夏でも涼しく過ごしやすい気候から、避暑地として別荘を構えている資産家なども多い。

 街の周囲では畜産が盛んなため、肉料理……特に、冬越しのために発達した燻製や塩漬けなどの保存技術を用いた、肉の加工品が美味い事でも有名だ。

「……というのが、この街の特徴だ」

 衛兵を撒き、路地裏に身を潜めつつフィアにこの街の特徴を説明していたアッシュが、そう締めくくる。

「肉料理……っ!」
「はいはい、落ち着いたら食いに連れて行ってやるよ」

 目を期待にキラキラと輝かせ、よだれを垂らさんばかりに喰いついてきたフィアに苦笑しながら、頭の中にある寄らないといけない場所に、よく行く飯処を追記する。
 しかし、今は……ひとまず静かになったと判断し、潜んでいた路地裏から周囲を確認する。

「どうやら衛兵は撒いたみたいだが……よし、フィア、出てきていいぞ」

 手で合図し、フィアを呼んで歩き出す。
 すぐに追いついたフィアは、アッシュの袖をくいくいと引いて首を傾げた。

「なぁ、おっさん。逃げなくても、事情を説明すれば良かったんじゃないのか?」
「おっさん言うな……どうかな、それだとお前について詳しく調べられると面倒だ」
「あ、そっか……ごめん」

 最悪、捕まってしまう可能性がある。勿論アッシュではなく、半吸血鬼であるフィアがだ。
 その言葉にしょげてしまった少女に、アッシュは外套のフードの上からポンと手を乗せる。

「気にすんな、それに関しては俺がやろうとすれば話は付けられる筈で、それをしないのは俺の事情なんだよ。衛兵に……領主とかに話が行きかねないあの連中に色々と聞かれるのは避けたい」
「……?」
「こっちの話だよ。それよりも……」

 アッシュが、立ち止まり周囲を警戒する。それに合わせてフィアも、そんなアッシュの背中を守ろうとするかのように移動していた。

「……尾けられているな」
「ん、分かってる……さっきからずっと、嫌な臭いがしてた」
「悪い。どうやら俺が、逃げ込む場所を間違えたみたいだ」

 どうやら、衛兵を撒こうとして治安が悪い場所へと踏み込んでいたらしい。
 すぐに周囲から、鋲を打ったジャケットを着込んだ者、身体のあちこちに刺青を入れた者、ナイフをチラつかせる者……様々な、しかし揃って真っ当な者には見えない者達がゾロゾロと姿を現わす。

「何だ、こいつら?」
「うーん……何て言えばいいかな。大体どの街にも一定数居るんだよ、ルールに縛られない俺カッコいい、みたいな理由で人から奪う事を肯定する連中が……」

 だが、その手の連中は主に迷い込んだ観光客などを狙い、冒険者などの戦闘の心得がある者に突っかかって来る事はほとんどない。苦労に対し割が合わないからだ。
 しかし……今は、そんな冒険者である自分と事を構えてでも狙って来るだけの美味しそうな獲物フィアが、アッシュのすぐ後ろに居るのだ。

「ああ、師匠から聞いたことあるぞ。『チンピラ』っていう奴だな!」
「お前さん、本当に身も蓋もない事を言うね……」

 純粋さというのは、時に鋭い刃となる。
 そんな無邪気極まりないストレートさで、男たちの自尊心を無自覚に抉るフィア。
 その言葉に、周囲の者達の額に揃って青筋が浮かび、殺気が高まるのをアッシュは感じた。

 もっとも、この程度で怯むような素人ではないつもりだが……今は後ろにフィアが居る。
 元闘技奴隷だというし、幼少時から生き残っているのだから修羅場は潜り抜けているはずだが、生憎といまのその姿はまだ幼気いたいけな少女だ。

「フィア、お前は捕まらないように逃げ回るだけでいい、あまり無理はするな」
「ん、おれなら大丈夫、この身体も……もう慣れた」
「いや、慣れたっても、お前……」

 アッシュはそう言い掛けて……しかし次の瞬間、背筋にぞわりとした物を感じ、息を飲む。
 眼前の敵ではない。この威圧感の発生源は、背後……同行者の少女のものだ。誘惑に負け、ちらっと背後を盗み見る。

 ……おいおい、なんて気の練り方をしやがる。

 まるで、無風の湖面のように凪いだ、しかし恐ろしい程の密度に圧縮されたが、フィアの全身を包んでいるのを感じる。

 ……美しい。

 その様子を見たアッシュの、それが素直な感想だった。そして、そんなフィアがどのような戦い方をするのかという興味がムクムクと湧き上がる。

「あれ、別におれが倒してしまってもいいんだよな?」
「……ああ、無理しない範囲……いや、出来れば殺さない範囲でな」
「わかった、善処してみる」

 腰を軽く落として拳を軽く握り、左手を前に突き出し、右腕は胸のあたりに構えたフィア。不思議なのは、重心がやけに後ろにある事だが……しかし、その構えは何故か堂に入っているように見える。

 そんな少女の動きを子供のお遊戯と侮ったのか、囲んでいる男の一人がニヤニヤと締まりない顔で飛び掛かり、フィアを捕まえようと両手を伸ばして来る……が、それは紙一重、半歩ほど下がったフィアの鼻先を掠めて空振った。

 ――違う、フィアがギリギリを見極めて退いたんだ。

 そう思った次の瞬間、その退いた動作をも反動として、鋭くその懐に飛び込んだフィアの拳が、まるで引き絞られた弓から放たれる矢のように襲いかかった。

「おっ……ぐ、っ……」

 派手な音も悲鳴もなく、身体を「く」の字に折った男が、顔面から地面に崩れ落ちる。すでに、ピクリとも動く様子を見せなかった。

「……あれ?」

 皆が黙りこむ中、そんな少女の呆けたような声だけが、やけに大きく聞こえた。
 どうやら、一撃で仕留められると思っていなかったらしい。それは、「あれ、この程度?」という少女の心情を、素直に表現していた。



 そんなフィアの方に、アッシュが気を取られていると。

「余所見してんじゃねぇぞこのオッサンがぁ!!」

 背後からそんな怒声と共に、アッシュの側にいたチンピラの一人が、腰だめにナイフを構え、身体ごと突進してきていた。

「はぁ……あのなぁ、不意打ちに掛け声だすとかさぁ」

 呆れつつも半歩身体をずらして、男の突進を避ける。同時に片足をその場に残しておくと、見事に足が引っかかった男がたたらを踏む。

「ぅお!? とっ、とっ……あがっ!?」

 その無防備な首筋に手刀をトンと振り下ろし意識を刈り取りながら……アッシュの目は、フィアの方から全く外されていなかった。
 正直、この程度の相手なら目を瞑っていても対処できる自信がアッシュにはある。それよりも……フィアの戦い方の方がずっと、興味深かった。



 そんなフィアは、カウンターの構えを止め、どうやら自分から打って出る事にしたらしい。
 低身長を生かし、地を這うような低姿勢で男たちに飛びかかるフィア。

 不幸にも次にその目に留まってしまったらしいのは、もっとも近くにいた、鋲打ちのレザーを裸の上半身に羽織り、刃物を手にした男だった。
 目線、重心、数度のステップ。一瞬で行われたフェイントは、アッシュが見えただけでも五回。果たして、男は何回認識できていたか。

 反応できていない男の横をすり抜け、飛び上がって身体を独楽のように回転させ放たれた、体重と速度が載った延髄斬りが悲鳴すら上げさせずに男の首を刈り取る。

「こっ、このガキ……ぃ!?」

 白目を剥き、泡を口から吐いて倒れる男を尻目に、二人が瞬く間にやられた事で恐慌に陥りかけながらも殴り掛かってきた男の拳を、着地に合わせ既に動き始めていたフィアの手が、いっそ優しいくらいのタッチで包み込む。

 ――次の瞬間、フィアよりもずっと大きいはずの男の体が、冗談のように宙を回転した。

 男のパンチの勢いを利用し、足を引っ掛けて体勢を崩し投げたのだとわかった時には……既に掴んでいた男の手を離している。
 支えを失った体は、このまま放っておけば頭から大地に突っ込む事になる……というよりも、むしろそれを積極的に狙った、相手を再起不能にするつもりとしか思えない危険極まりない投げ技。
 しかしそれに飽き足らず、サマーソルトの要領で男とは垂直方向に回転をつけたフィアの踵が、断頭台のように男の腹へと吸い込まれた。

 男は地面に叩きつけられ、腹を踏み付けられ、さらに落下の衝撃に後頭部を地面に叩きつけられ……先の男と同じく、泡を吹いて倒れている。

 その様子に、あちゃあ、とアッシェが顔を覆う。
 言うまでもないが、喧嘩としてはやりすぎだ。死んでいてもおかしくない。

「……いや、あいつにとって戦いってのは、それが普通なのか?」

 その攻撃には、一切の躊躇いも容赦も見当たらない。あれは、生きるか死ぬかの戦いにずっと身を投じてきた者の戦い方だ。

 ……それにしても、強すぎる。

 フィアの体は、決して強くない。身体能力的には、全く鍛えていない女児よりも少しはマシ、という程度のはずだ。

 にもかかわらず、ここまで一方的に男たちを叩きのめしているのは……先程見た、極限まで練り上げられた気による身体能力の底上げ、そして、フィア自身の技量の産物だ。

 ここまでの攻撃は、相手の力を利用したものと、遠心力を最大限活用したもの。



 ――自分よりも大きく、力の強い相手との戦い方を、熟知してやがる。



 いまの少女の身体でこれならば、一体元の姿、男の身体であったらどれだけの強さだったのか。

 ……そうならなければ生き残れなかった環境が、いかばかりのものだったのか。

「もういい、それ以上は必要ない」
「……おっさん?」

 気がついたら、更に次の相手に飛びかかろうとしていたフィアの腕を、掴んで止めていた。
 その拳は……少女の薄い手の皮膚は無事ではなく、擦れ、皮が破れて痛々しい様相になっている。その傷ついた小さな拳をそっと手で包んで、首を振る。

「目の前の敵を全部倒す必要なんて、こちらには無いんだ。こいつらは、とっくに戦意を失っている。そうだな?」

 完全に竦み上がっている男達に話を振ると、彼らはガクガクと頭を縦に振り、皆我先にと逃げていった。
 一人を残虐に始末する事で残る者たちの戦意を削ぐ戦術があるが……フィアの容赦のなさは、どうやらそういった効果をもたらしたらしい。

「……おれ、何かまずい事をしたのか?」

 不安に揺れるフィアの目。どうやら、色々と教えないといけない事がありそうだと思いつつも、今は……

「いや、お前は自分の身を守るために戦っただけ、正当防衛さ。ただ、後で色々と学ばないとな」
「……うん」
「よし、それじゃ俺は倒れている連中の後始末してくるから、お前は表で待ってろ、いいな?」
「やっ……やーめーろー! 撫でるな馬鹿ー!」

 握っていた白く小さなを離し、頷くフィアの頭を撫でてやると、いつも通りむずがって逃げていく。

 その背を見送ると、さて、と数人の男達が倒れ伏している路地へと向き直る。

「……ま、この連中もだいぶ懲りただろうし、あいつを殺人鬼にする訳にもいかねぇよな」

 そう言って、そんな凄惨な路地に向かい、腕を掲げるアッシュ。すると――……










 ――そのすぐ後、普段は衛兵の頭を悩ませていたゴロツキの何人かが、路地裏で放心状態で座り込んでいるという住人からの通報が衛兵屯所に入った。

 駆けつけた衛兵によって、連行されていった彼らは……皆でありながらも何かに怯えており……取り調べでも、白い女の子がと譫言のように言うだけで、更に衛兵たちを悩ませるのだった。



 ――そして、この日を境に街に「首狩り白兎」の噂が流れ、都市伝説となっていくのだが……それはまた、別の話。
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