七海のグラデーション

七海 司

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ルール・レール・ロール

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 カタン、カタンカタン。
 
 僕は敷かれたレールの上を歩く。
 
 カタン、カタンカタン。
 
 この音は僕が社会のレールから外れていないことを証明してくれる。
 この音が聞こえている間は、大丈夫。
 この音が聞こえている限り、僕は私じゃない。
 この音は僕を社会のルールで縛る鉄鎖の音。


 夏休みの酷暑に抗うため、ガンガンに冷房が効いた電車内。電光掲示板を確認するために視線をスマホから外すと綺麗な人がいた。
 けれどそこには違和感があった。どう見ても女性、しかし直感が告げる。女性ではないと。
 女性よりも女性らしい優雅な立姿の男性。
 羨ましいと思ってしまった。
 女性になりたい訳ではない。昔から女の子のファッションに興味があったんだ。カワイイ服を可愛く着ることができる女の子を羨ましいと思っていた。
 そのことに気づいたときには、すでにレールの上を走っていた。もう、路線の変更はできない。代替行為として着せ替え人形を欲しいと親にねだったこともあったもあったが、男の子なんだからと一蹴された。
 
 カタン、カタンカタン。
 レールの上を走る音が現実を突きつける。
 君には、女性の服は似合わないよ。男性が女の子の格好をするのは変なことだよ。
 カタン、カタンカタン。
 男の子はかくあるべしというラベリングは剥がせない。
「そうだよね」
 誰にも聞こえないように呟き、自分自身にその時は同意した。

 
 あの日から電車に乗るたびに彼女を探してしまう。
 彼女のように座席に座ると意識的に足を閉じて揃えてしまう。このくらいの仕草なら良い気がしたのだ。揃えた足を斜め倒していないから、まだ大丈夫。
 カタン、カタンカタン。
 ほら、大丈夫。
 電車から降りるとレールの上に戻る。学校ではずっと続けてきた男性らしいラベリングされた仕草に、バカ話、恋人にするならならだれがいいなど男社会のルールに則って、学友から見た自分を演じていけるロールしていける
 きっと、友人たちも学級や部活、委員会などでそれぞれの立場で社会から求められる役割を演じているロールプレイングしているのだろう。
 

 自室の机の前で、手鏡にはやってしまったと後悔している顔が映っている。
 髪を切るついでに、眉カットで「細く、眉山をなだらかにして、アーチ形にして欲しい」と注文してしまった。言外の要望まで汲み取ってくれた美容師さんがにこやかな笑顔で腕を振るってくれた結果がこれだ。
 女性らしらのある、やわらかく細い眉。見る人が見たら僕の願望を見透かされるのではないだろうかと不安になる。
 けれども、鏡越しに眉毛を見れば見るほどバレないのではないかという期待もあった。それだけ美容師さんが絶妙なラインで調整してくれていた。
 感謝しなきゃ。
 その日、音が聞こえなかったことに気づくことはなかった。


 その日は、放課後補習があり、家に帰るのがいつもよりも遅くなってしまった。眉毛のことを指摘されないかという不安が一日中付きまとっていて、心労が溜まっていたのか、電車がレールの上を走る振動が僕を夢と現の境界線へ運んでいく。
「もし良かったら、お話ししない?」
 隣に座り話しかけてくれたのは、いつも目で追っていたあの人だった。
「えっと」
 まだ夢の世界で停車している脳は、活動していない。
「ごめんなさい。急に話しかけてびっくりしちゃたよね。ここ最近の眉毛とかの変化が気になっていたから、話しかけちゃった」
 そう言いながら、彼女がカードサイズの厚紙を渡してくれた。
 
 女装サロン luna
 オーナー 能登 雅
 
 名刺だ。女装サロンというものがなんだかは知らないけれども、その響きに惹かれて二つ返事で承諾してしまった。
 鉄と鉄が擦れ合う甲高いキーっというブレーキ音が、レールから外れるぞと思い止まれと警告してくる。
 カタン、カタンカタン。男性なら女性からのナンパに答えて当たり前。そんな風にまだレールの上だと自分に言い聞かせる。
 勢いで承諾したためか、遅れて不安が到着した。本当に大丈夫なのか。怪しい人なのではないか。
 

 彼女に案内されたのは、線路沿いに建てられたマンションの一室だった。ドアプレートにはレースの刺繍を思わせるような字体でlunaと書かれていた。
 きっとここのドアを潜ったら、男社会のレールから脱線してしまう。踏み込んだら、戻れないのではないか。そう思うと、自然と口内に唾液が溜まってくる。緊張しているのだ。生まれて初めてレールから外れるリスクが不安なのだ。それ以上に冒険心がくすぐられる。潜ったらどうなってしまうのか。邪な期待が心臓を速く動かしていく。
 意を決してlunaの敷居を跨ぎ中に入ると、そこはいたって普通の2Kのマンションだった。別世界へ飛び込むつもりでいたためか、些かがっかりした自分に気づいてしまう。
「奥の部屋のテーブルに座って待っていてね。紅茶を淹れるから」
 雅さんに促され、2人がけ用の小さなテーブルに席に着いた。所在なさげに室内に目をやる。
 左手側には大きなメイク台とその後方には、撮影スタジオを思わせる背景布とライティング用の機材が設置されていた。本当に撮影スタジオなのかもしれない。
 右手側には、多種多様なお洋服がハンガーに吊るされていた。メイド服やセーラー服などの定番のコスプレ衣装から、カジュアルな服までありとあらゆるジャンルのお洋服があった。
「あのブラウス、可愛い」
 丸襟がチャームポイントで洗練されたデザインのお洋服を見て思わず声が漏れてしまう。
「気に入ったお洋服はあったかしら?」
「あのブラウスが可愛いなと」
 雅さんが置いてくれたティーカップがかちゃんと控えめな音を立てる。
「そのお洋服、着てみない? だって女の子の格好に興味あるでしょ?」
 魅了的な提案と核心をつく一言が、レールの走行音をかき消していく。
 雅さんの仕事を知り、lundのドアを潜った時からレールの音は聞こえていなかった。
「君なら、お金は取らないから安心して。その代わり、A面の写真をサイトに載せたいの」
 A面とは、女の子になった姿のことらしい。あとで聞いた話だが、男性の姿はB面と呼ぶそうだ。
 言葉の意味を飲み込めずにいる僕に、雅さんは説明を続けていく。
「ここは完全予約制のプライベートサロンだから、他のお客様に会うこともないわ。なりたい女の子像を一緒に考えて、服も下着もウィッグも全部揃えてメイクするの」
 女の子の服を着れるという話は抗えないほどに魅力的な誘いだった。ティーカップに入っていた紅茶を一口のみ、気持ちを落ち着けるも、紅茶の味も香りも良くわからなかった。
「最後は写真撮影してメイクオフして終わり」
 要するにモデルをしてほしいということのようだ。バイト代は女の子の時間。
 気持ちが揺れる。やってみたいという気持ちとレールから外れたくないという気持ち。二律背反に耐えられなくなった僕の口は、反射的に「考えさせてください」とレールの上に踏みとどまろうとする意志を伝えてしまった。
 
 男はスカートを履いてはいけないという暗黙のルール。
 男は男らしく、女は女らしくという社会が求める役割《ロール》。
 ルールとロールという名前の2本で1つのレール。このレールの上を歩いていれば、ずっと間違いはない。正しいことから外れるのはやはり、怖いことだ。
 レールの上を歩く音が夕闇から反響して聞こえてくる。
 カタン、カタン。社会のレールから外れていないから大丈夫。
 寂しさがあるのはなぜ?
 カタン、カタン。社会が求める役割《ロール》から外れていないから平気。
 僕は私を拒否したのに?
 後悔の音がガランドウな僕の中にこだまする。
「そっか。着たくなったらいつでも教えてね」


 始業式後の教室清掃。教室の埃というものは、夏休みの間に溜め込まれていくものらしい。床を箒で掃くたびに思わぬ量の塵が集まってくる。
「それ、代わるよ。箒をお願い」
 クラスメイトの女子が重そうに運んでいた教卓を一声かけてから、箒と教卓を交換する。
「ありがとう。重くてどうしようかと思ってたの。流石男子!」
「これくらい軽い軽い」
 力持ちな男子を演じているロールしている自分は、今どんな顔をしているだろうか。ちゃんといつも通りだろうか。
「珍しいな。声を掛けてまで仕事を代わるなんて。夏休みで成長したね。感心感心」
 先生が褒めてくれる。誇らしく思いながら、そういえば1学期はこんなことをしなかったことに気づいた。
 それから滞りなく、2学期がスタートしたある日の退屈な英語の授業中。
 先生のブラウス、サロンのに似てるなぁ。あのブラウスも可愛かったな。紺のスカートを合わせたら、可愛いかな。スカートはロング、プリーツ、どれがいいかな。そういえば、あれ以来電車で雅さんと会わなくなったな。
 気づいたら、恋しくなってしまった。
 思考の海を漂いながら、手癖でペンを回していると、かちゃんとプラスチックの軽い音を立てて、シャーペンが机にぶつかった。その後、シャーペンは両太ももの上に乗ってしまった。
 いつもなら開いた足の間をするりと抜けて、床に落ちるのに。今日は閉じていた太ももの上だ。
 どっと冷や汗がでる。いつの間にか電車内だけと決めていた仕草を学校でもしてしまっていた。僕は少しづつ、敷かれたレールから外れているようだ。
 
 レールを走る音は聞こえない。
 脱線したら、もうレールの音は聞こえない。


 自室の机で、英語の宿題に取り掛かるが、中々進まない。先生のブラウスが想起され、サロンのことが連想されるのだ。その度に引き出しの中の名刺を出したり仕舞ったりをくり返してしまう。
「予約、してみようかな」
 呟きながら、名刺を引き出しの奥へと押しやる。一歩が踏み出せない。行動に移せないように無意識が自衛している。 
 それでもやっぱり、気になる。
 迷っていたらダメだ。何も変わらない。
 スマホを取り出し、一気に予約フォームを入力していく。が、お名前(女性名)の欄で躓いてしまった。
「名前か・・・・・・可憐なお洋服が好きだから、花蓮・・・・・・。安直すぎるな」
 ああでもない、しっくりこないと10分ほど知恵を絞ったが、候補らしい候補が出てこなかった。仕方ないので、そのまま花蓮と入力して送信ボタンを押そうとしたが、押せない。この後に及んでまだ、躊躇っているのだ。名前で一呼吸おいたのがいけなかったらしい。
 深く、息を吸う。気持ちを落ち着けて入力内容を確認して、記憶する。誰にもバレないようにするためには、スクショなんてもってのほかだ。誰も覗けない記憶の中にだけ押し留める。
 

 
 今私は、レースの刺繍を思わせる書体で書かれたドアプレートの前にいる。
 呼吸を一つ。今ならまだ引き返せる。やっぱり、怖いからやめますと引き返せばいい。きっと雅さんは分かってくれる。
 
 エレベーターに向かって一歩を踏み出す。それに合わせてふわりとスカートが前後に揺れる。
 今は、気持ちが華やいでいる。憧れだったかわいいブラウスを着ていることで気分があがっている。お洋服を雅さんと選ぶのは楽しかった。メイクが進むたびに、僕のロールから私のロールへと変わっていく期待感でとくんとくんと心臓もいつもよりも早く脈打つ。
 怖さよりも高揚感が勝っている。
 別な不安も鎌首をもたげてくる。やっぱり私は変じゃない?
 雅さんを鏡越しに目が会うたびに、「最っ高に可愛いから安心して」と言ってくれる。
 眉山を意図的になくして、女性のように整えた眉を見て少し、気持ちが落ち着いた。すでに私は、僕の時にレールの外へ一歩踏み出していたんだ。
 カタン、タンタン。
 思わず、軽やかなステップでヒールの音をエレベーターホールに響かせる。

 エレベーターを降りて、エントランスを出るとカナカナとヒグラシが鳴いていた。
 夏に蝉が鳴くことが当たり前のように、社会のルールも変わらない。
 脱線した電車はレールには戻れない。

 それでも、夏の熱でレールの音が夕暮れの空に溶けていく。

 ウィッグの髪を秋の匂いがする風がそっと揺らした。指先には雅さんが淹れてくれた紅茶の熱がまだ残っている。
 大丈夫。僕のロールは、いつでも切り替えられる。
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