半妖のいもうと

蒼真まこ

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2巻 あやかしの妹におともだちができました

2-1

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   第一章 初めての保育園は大変です


「ん~今日もいい天気!」

 お日様の優しい温もりをたっぷりと感じられる縁側で床の雑巾がけをしていたら、柱の低い位置に印された黒い線が目に入った。

「あれ、これなんだろう……」

 柱にうすく残る何本かの黒い横線。目印のように刻まれたそれが何をあらわしているのか、ようやく思い出すことができた。

「これって、私の成長記録じゃない? わぁ、懐かしい!」

 私、野々宮杏菜ののみやあんなの身長が伸びるたび、お父さんとお母さんがこの柱に黒いペンで印をつけてくれたのだ。

「お母さん、私の身長が少しでも伸びてると、すごく喜んでくれたっけ……」

 今は天国にいる、大好きな私のお母さん。小学生の時にお母さんが病気で亡くなり、それ以来、この柱の黒い線を見ないようにしていたのかもしれない。今はもういないお母さんのことを思い出し、泣いてしまうから……

「見るのが辛くて、記憶から消し去ってしまったのかもね。大切な思い出なのに、ごめんね、お母さん」

 黒い線を指でなぞりながら、しばしお母さんとの思い出にひたる。心の奥底に大切に抱えた、宝石箱みたいな記憶だ。
 今になって思い出すことができたのは、お母さんのことを思い出しても泣かなくなったからかもしれない。それはお母さんのことを忘れたからじゃない。お母さんの愛情に感謝しつつ、未来に向かって歩んでいけるようになったからだ。

「お母さん、私の成長を喜んでくれて、ありがとう」

 柱に向かってささやくと、空を飛んでいる鳥が心地よい声で鳴いた。天国にいるお母さんが応えこたてくれたかのように。

「お母さんのおかげで、私は家族と仲良く暮らせているのよ……そうだ! ここに、くり子の成長記録もつけたらどうかな?」

 ある日突然我が家にやってきた、妹のくり子。
 家族の一員として記録をつけていけば、天国のお母さんも喜んでくれる気がした。
 雑巾を置いて手を洗うと、くり子とお父さんを大声で呼ぶ。

「くり子、お父さん! ちょっとこっちに来て!」

 私の声が家の中に響くと、しばらくして幼い妹の軽やかな足音が聞こえてきた。

「おねいちゃん? なぁにぃ?」

 私に呼ばれたのが嬉しいのか、くり子はご機嫌な様子で駆け寄ってくる。

「杏菜、何かあったのかぁ?」

 次いでどすどすと響く足音。お父さんのお出ましだ。

「お父さん、くり子。これ、見てくれる?」

 お父さんとくり子が、柱をじぃっと見つめる。

「お? こ、これは杏菜の成長の印じゃないか! 懐かしいなぁ」

 柱の線を見たお父さんは、すぐに思い出したようだ。良かった、覚えていてくれたみたい。
 くり子は、不思議そうに顔をかたむけている。

「黒いのが、ちょん、ちょんって書いてあるねぇ。これ、なぁに?」
「これはね、小さい頃の私の成長の記録だよ。私の身長が伸びるたびに、黒い線で印を残してくれていたの」
「おねいちゃん、ちっちゃかった時があるのぉ? おねいちゃんはくり子よりずっと大きいって思ってた!」

 私の小さい頃のことを知らないくり子は、昔も今も、私がずっと同じ姿だと思っていたらしい。

「おねいちゃんにもな、くり子ぐらい小さい時があったんだぞ。くり子も可愛いが、杏菜の小さい頃もそりゃあ可愛かったんだぞ」
「おねいちゃんも、くり子とおなじぐらいちっちゃかったのぉ?」
「そうだな。でもこれを見ると、小さい頃の杏菜のほうが今のくり子より少し大きかったみたいだな」

 お父さんの何気ない発言に、くり子はしょぼんと肩を落としてしまった。

「くり子、おねいちゃんよりおチビなの……」

 わわっ、くり子、落ち込んじゃった。

「あのね、くり子。ここにくり子の身長も記録していったらいいと思って呼んだのよ。そしたらおねいちゃんとお揃いだよ」
「おねいちゃんと、おそろい……くり子、やるぅ!」

 顔をあげた妹は、すぐに笑顔を見せてくれた。私とお揃いなのが、そんなにも嬉しいのかな。

「じゃあね、くり子、ここに立ってくれる?」

 柱に背中を向けて、ぴたりと体を沿わせた。

「くり子は赤いペンで印をつけようね。くり子の身長は……あれ? 思ったより大きいような?」

 不思議に思ってくり子を見ると、妹の体がぷるぷると震えている。あれれ……?

「おい、杏菜」

 小声で私を呼んだお父さんが、くり子の足元を指さす。なんとくり子は、つま先立ちをして、少しでも身長を高く見せようとしていたのだ。
 だから体がぷるぷると震えていたのね。健気な努力が可愛らしいけど、これだと嘘の身長になってしまう。

「くり子、つま先立ちはやめて、かかとを下ろそうか?」
「だってぇ、くり子、おチビはやだもん」

 ぷぅっと口をとがらせたくり子に、思わず笑ってしまう。

「そんなことしなくても、くり子はすぐに大きくなるよ」
「そうだぞ。くり子はすぐにでかくなる。おとーしゃんが保証する」

 お父さんと一緒になだめたら、妹はようやくかかとを床に下ろした。

「くり子、早く大きくなりたいよぅ。おねいちゃんみたいに」

 くり子はちょっぴり不満そうだ。

「ごはんをたーくさん食べたら、すぐに大きくなるさ。なぁ、杏菜」
「うん、そうだね。くり子は手足もすらっとしてるし、すぐに私の身長を追い越しそうよ」

 今はまだ私よりずっと小さい妹だけど、あっという間に大きくなりそうな気がした。私の身長を追い越すと思うと、ちょっと悔しい気もするけれど。

「これからは、くり子の成長の記録をここに残していこうね。そうしたら、どれだけ大きくなったか、よくわかるから」
「でかくなったら、おとーしゃんが印をつけてやるからな」

 くり子は体をくるりと反転させると、私とお父さんを見上げて、にこっと笑った。

「うん! くり子、おっきくなるね! ごはん、たーくさん食べるぅ」

 くり子は元気いっぱいに叫んだ。ああ、可愛いなって思う。私の大切な妹だ。
 天国にいるお母さんとお父さんの一人娘として生まれ育ってきた私に、まさか幼い妹ができるとは想像もしていなかった。けれど今では、くり子がいない生活なんて考えられない。
 ごく普通の人間である私のお父さんと、鬼であった野分のわきさんとの間に生まれた女の子、それがくり子だ。私にとっては半分血の繋がった妹になる。
 ある日突然父が『この子はおまえの妹なんだ』と幼い女の子を連れてきた時は、それはもう驚いたものだ。
 だってくり子には、銀色の角と牙があったのだから。
 頭に角がある半妖の幼女、しかも私の妹だと言われ、すぐには受け入れられなかった。なんで私がこの子の面倒をみないといけないの? って思ったし。
 けれど私を姉としたう幼い妹はとても健気で可愛くて、いつしかくり子は野々宮家の一員となっていた。
 半妖の妹を家族として迎え入れるということは、とても大変で覚悟のいることだった。様々な困難を共に乗り越え、私とくり子、お父さんは本当の家族になれたのだ。くり子の母である野分さんや私のお母さん、野分さんの妹の小夜さよさん、そして銀の鬼の里の皆さんのおかげでもある。多くの人が支えてくれるからこそ、私たち家族は仲良く平和に暮らせているのだ。
 ねぇ、お母さん。
 くり子やお父さんと一緒に、これからも明るく元気に生きていくからね。天国から、私たちを見守ってくれたら嬉しいな。
 柱に残された私の成長の記録を眺めながら、天国の母にそっと語りかけた。


     †


「おねいちゃん、保育園、あしたはあるぅ?」

 土曜日の夕食時、くり子は三色そぼろ丼を食べながら笑顔で聞いてきた。ぷにぷにのほっぺたには、ほくろのようにちょんと鶏そぼろがくっついている。食べることが好きなあまり、くり子はかきこむように食べてしまうことが多い。だから頬に食べ物やソースがよくついてしまうのだ。

「明日は日曜日だから保育園はお休みだよ。明後日あさっての月曜日からまた通うの」

 ほっぺたの鶏そぼろを布巾で拭きとってあげながら、妹の質問に答えた。

「おやすみ……そっかぁ」

 くり子は食事の手をぴたりと止め、残念そうに肩を落とした。
 保育園に通い始めたばかりの妹は、明日も保育園があると思っていたらしい。

「くり子、保育園は好きか?」

 お父さんが、くり子に優しく声をかける。

「うん! くり子、保育園しゅき。いっぱい遊べるもん。絵本もたくさんあるし」

 くり子が保育園に登園し始めて二週間が経った。最初は泣いてしまう子も多いと聞くし、とても心配したのだけれど、くり子は意外なほど楽しそうに通っている。家とは違い、遊具やおもちゃ、絵本がたくさんあるから好き、というのがくり子らしくて、ちょっと笑ってしまうけど。

「そうか、くり子は保育園が好きか。それは良かった。まぁ、おとーしゃんにはわかっていたけどな。くり子は保育園が好きになるって。なんてったって俺の娘だから、おとーしゃんが一番よくわかってる」

 保育園に馴染なじんだ幼い娘が誇らしいのか、お父さんはドヤ顔でうんうんと頷いている。

「よく言うよ、お父さん。くり子が保育園で楽しく過ごせるかどうか心配で心配で、前の日は眠れなかったって言ってたのに」

 娘のことは誰より理解しています、という様子のお父さんがおかしくて、つい突っ込んでしまった。

「それは杏菜も同じだろ。くり子を心配しすぎて授業中もうわの空で、先生に名前を呼ばれても気づかなかったって話していたくせに」

 言い返されてしまったので、私もすかさず応戦する。

「そ、それは数日だけのことだもん。私だってくり子はちゃんとできる子ってわかってたし。なんてったって、私の妹ですから」

 お父さんの指摘どおり、くり子が保育園で大丈夫かどうか私もちょっとだけ――正直に言えば、かなり心配だった。くり子が半妖の子で、普通の幼児とは少し違うからだ。
 くり子のお母さんがその命を捧げて娘の願いを叶えてくれたおかげで、くり子の銀色の角と牙は消えた。だから見た目は人間の幼女と同じだけれど、あやかしの子だという事実までは変えられない。強い力を有していたという銀の鬼の力が目覚めてしまう可能性が、くり子にはあるのだ。角や牙がなくなっても、くり子の体に眠る銀の鬼の力が完全に消えたわけではないと思うから。
 以前くり子は、一度だけ本物の鬼のような、恐ろしい姿に変わってしまったことがある。くり子を捕まえようと鬼が突然我が家にやってきた時のことだ。青い鬼に首を絞められていた私を救うため、くり子が銀の鬼と化してしまったのだ。あの時の光景は今も決して忘れることができない。可愛い妹を、二度とあんな恐ろしい姿にさせたくない。
 だからこそ半妖の妹が保育園で問題なく過ごせるかどうか気になってしまうのだ。
 けれど、むやみやたらに心配すればいいという話ではないと思う。

「お父さんね、くり子が心配だからって仕事の合間にこっそり保育園をのぞきに行くのはやめてよ。保育園の先生から言われて、顔から火が出るくらい恥ずかしかったんだから」

 半妖の幼い娘の様子が気になって、父は保育園をこっそり陰から眺めていたらしい。気持ちはわからないわけではないけれど、恥ずかしいから絶対にやめてほしい。

「仕事で外に出る時間があったから、ちょっと見に行っただけだよ。いいじゃねぇか。親なんだから我が子の姿を見るぐらい」
「あのね、いい歳したおじさんが、こっそり保育園をのぞいていたら、他の子どもや周囲の人からは不審者に見えるの。今は怖い事件も多いから、みんな用心してるし。今後は絶対にやめてよ、お父さん」
「お、おとーしゃんは不審者じゃないぞ! 杏菜がお父さんを不審者扱いするつもりなら、俺だってバラしちゃうぞ。保育園に通い始めたばかりの数日間、保育園に向かう俺とくり子のあとを、こっそりつけていただろ? 途中で引き返して学校に向かったみたいだけどな。心配だからって父親と妹を尾行していたら、周囲からは立派な不審者に見えるぞ」

 お父さんの行いを注意したら、またしても言い返されてしまった。

「尾行なんてしてないよ! ただその、ちょっとだけ心配だったのよ。お父さんがちゃんと保育園に連れていけるかなって。私がいないからって、くり子が泣いたりしないか少しだけ気になったっていうか」
「なるほど。親子揃って、くり子の心配をしていたわけだな」
「そうやってなんでもお父さんといっしょにしないでくれる?」
「親子なんだから似るのは当然だよ。事実なんだから照れるな」
「照れてないし! 父親が不審者にならないように注意してるだけだし」
「だから俺は不審者じゃねぇっての」

 すると、私とお父さんの間で会話を聞いていたくり子が、突然くふふと笑い始めた。

「おとーしゃんとおねいちゃん、面白ーい。くり子の心配ばっかりしてるぅ。くり子はだいじょーぶだよ。だっておとーしゃんの娘で、おねいちゃんの妹だもん!」

 無邪気に笑ってる幼い妹の姿を見たら、お父さんと子どもっぽい言い合いをしていたことが恥ずかしくなってしまった。それはお父さんも同じだったようで、苦笑いを浮かべている。
 口喧嘩ってほどではないけれど、私とお父さんの間で言い合いになってしまうことがたまにある。お父さんに対しては、私もついムキになってしまうみたい。
 そんな時、くり子の笑顔が私とお父さんの心を落ち着かせてくれる。

「月曜日の朝、おとーしゃんとまた保育園に行こうな」

 お父さんがくり子に声をかけると、くり子はお父さんを見て、元気良く返事をした。

「うん! おとーしゃん」
「お迎えはおねいちゃんが行くからね」

 私からも伝えると、くり子は私のほうに顔を向け、にこっと笑った。

「うん! おねいちゃんがおむかえ来てくれるの、くり子、すっごくうれしい!」

 くり子の笑顔を見てると、なんでもしてあげたくなるから不思議。この子の笑顔を守るために頑張らないとねって思う。

「お父さんな、最近、くり子の笑顔を見ていると元気が出るし、杏菜と話していると娘も頑張っているから俺も頑張るぞ! って思うんだ。きっと杏菜もくり子もすごく可愛いからだな。いつもありがとう、杏菜。感謝してる」

 私とくり子を交互に見つめながら、お父さんが満足そうに笑った。面と向かって父親から感謝の言葉を伝えられると、ちょっと照れくさい気がする。悪い気はしないんだけどね。

「くり子も、いう! おとーしゃん、おねいちゃん、いつもありがと! くり子はね、おとーしゃん、だいすき! おねいちゃんも、だいすき!」

 私とお父さんへの愛情をはっきりと告げると、くり子は今度はおねいちゃんの番だよ? と言わんばかりに私のほうへ顔を向ける。くり子のキラキラの眼差しには、ちょっと抵抗できない力がある。気づけばお父さんまで、期待に満ちた眼差しで私を見ている。
 こうなったら、私も伝えるしかないじゃない?

「私だって、お父さんにはいつも感謝してるよ。だってお父さんが毎日働いてくれるから、私とくり子は暮らしていけるんだもの。くり子も笑顔で私やお父さんをいやしてくれるしね。だ、だから」

 顔が熱くなってくるのを感じながら、言葉を選びつつ懸命に伝える。

「私も、くり子とお父さんが、す、好きだし、ありがとうって思ってるよ」

 うう、くり子への愛情はともかく、父親への感謝の思いを面と向かって伝えるのって恥ずかしい。

「そうか、そうか。くり子も杏菜もお父さんのことが好きか。その言葉でおとーしゃんはいくらでもパワーアップできるからな!」

 満面の笑みになったお父さんは、とても機嫌が良さそうだ。娘ふたりから好きと言われて、嬉しくてたまらないみたい。
 家族であっても、時に感謝の思いを言葉にして伝えることって大切なんだな。家族のために、仕事や家事をするのはあたりまえと思われるのは、少し悲しい気がする。私だって、高校に通いながら毎日家事をするのは大変だ。だから、それを「感謝してる、ありがとう」って言われたら、やっぱり嬉しい。明日も家族のために、早く起きて頑張ろうって思えるもの。
 きっとそれはお父さんも同じなのだと思う。会社で働くということは、きっと高校生の私には想像できない苦労があるだろうから。
 毎日元気に働けるように、これからは感謝の言葉をお父さんに伝えていけたらいいな。
 だけどやっぱり面と向かって言うのは、照れてしまうかも……などと思っていると、くり子が元気良く声を発した。


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