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第四章 対 決
因縁の再会
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「お客様、こちらへどうぞ」
さちによって、九桜院家の客間へとぬらりひょんは通された。洋式の大きな椅子が向かい合わせに置かれた客間は、九桜院家が大切な来客をもてなすための部屋だ。
蓉子によって再び人形とされたさちは、ぬらりひょんに対してよそよそしい態度をとっている。まともに考えることもできず、ぬらりひょんを蓉子の客としか思ってないのだろう。
「どうぞこちらにおかけなって、蓉子様をお待ちください。ただいまお茶をおもち致します」
冷ややかな表情のまま、ぺこりと頭を下げたさちは、ぜんまい仕掛けのからくり人形のようだ。
「茶をいれてくれるならば、ほうじ茶をお願いしたい」
黙って下がろうとしたさちに、ぬらりひょんはさらりと告げた。
「え?」
驚いたさちが顔を向けると、ぬらりひょんは温かい微笑みを浮かべていた。さちを気遣うような優しい表情だった。
「さちのいれるほうじ茶が、わしは好きなのだ。だから、ほうじ茶を頼む」
「は、はい……」
わけもわからず、返事だけした。さちのいれるほうじ茶をなぜ望むのか理解できなかったが、不思議と断る気にはなれなかった。
「少々お待ちくださいませ」
「うむ」
さちが客間を出ていくと、入れ替わりで、蓉子が客間にやってきた。先ほどの着物とは違う、あでやかな洋装を着ている。わざわざ着替えてきたのだろう。蓉子の華やかな容姿に、血のように赤い洋装がよく似合っていた。
「お待たせしました。あなた様のためにドレスを着てきましたのよ。どうです? きれいでしょう?」
自らの美しさを見せびらかしたいのか、蓉子はくるりと回ってみせた。無邪気な少女のような様子に、ぬらりひょんは少々困惑したが、あえて無愛想に伝えた。
「おお、美しいのぅ。その赤いドレスとやらがな」
むろん、嫌味のつもりだ。諸悪の根源が蓉子なのだと気づいている以上、口が裂けても蓉子本人を美しいというつもりはない。
「あら……。ではその美しいドレスを着こなしているわたくしも美しい、ということですわね。そう受け止めておきましょう」
わずかに眉をひそめた蓉子だったが、表情を崩すことなく、余裕の微笑みを浮かべる。
「ようやく再会できたのですもの。あなた様をもてなすためのドレスとお思い下さいませ」
「そうか。気遣い痛み入ると言いたいところだが、わしには不要のものだ。さっさと本題に入ろうではないか」
そこで言葉を止めると、ぬらりひょんは蓉子をぎろりとにらみつけた。
「のぅ、九尾よ」
蓉子の目がきらりと光る。ややあって、満足そうににたりと笑った。
「ああら、やはりわたくしの正体に気づいてましたのね。でもひとつだけ教えて下さいませ。この九桜院蓉子がなぜ、九尾の狐だとお知りになりましたの? この通りわたくしは、人間の美しい女人でしかありませんのに」
正体を悟られていたことに慌てる様子もなく、蓉子はおどけた表情を見せる。
「おまえの匂いだ。九尾よ、おまえの体から獣の匂いがぷんぷんしておるぞ」
蓉子の顔から笑みが消えた。匂うと言われて、さすがに不愉快だったようだ。
「失礼な。わたくしを獣よばわりするとは」
目をつりあげ、蓉子はぬらりひょんをねめつける。
しかしぬらりひょんは気にする様子もなく、さらに話しを続ける。
「おお、ようやく下品な笑みが消えたな。お香や西洋の香水で人間の鼻はごまかせても、あやかしである、わしの鼻はだませぬ。ましてや、おまえには一度会ったことがあるのだからのぅ」
ぬらりひょんはかつて、九尾の狐に一度だけ会ったことがあったのだ。
それは幕末動乱の頃のこと。混乱に乗じて、日本に入り込むあやかしがいた。
とある夜、ぬらりひょんは茶をすすりながら、今後の日本と人とあやかしの関係について考えていた。
『日本は今後変わっていくだろうのぅ……。あやかしはこの変化に対応できるとは思えん。ううむ……』
夜風がしゅるりと流れこんできたとき、強い獣の匂いをぬらりひょんは感じた。
『だれだ。わしの屋敷に入り込んできたのは』
音も気配も感じさせず、ぬらりひょんの屋敷に侵入できるのは、あやかししかいない。
『こんばんは、ぬらりひょんさん。お話がありますの』
ぬらりひょんの背後に立っていたのは、白い耳と七つの尾をもつ、女人の姿をしたあやかしだった。初めて会うあやかしだったが、強い力を感じる。ぬらりひょんは嫌な予感がした。
『わしはおぬしを知らん。だが噂は聞いたことがある。大陸から日本に入ってきた、狐のあやかしがいると。尾が九つあり、強い妖力をもっているとな』
九つの尾をもつあやかしはにたりと笑った。
『まぁ、光栄ですわ。わたくしのことをすでにご存じとは。その通り、わたくしは海を越えた向こうの地から参りました。人々はわたくしを、『九尾の狐』と呼びますわね』
ぬらりひょんは湯のみをおいて腕を組み、九尾の狐を見つめた。
『大陸から来たとは、遠路はるばるご苦労なことだ。それでわしに何の用だ』
九尾の狐は妖しく微笑み、ぬらりひょんに許可を求めることなく、静かに腰を下ろした。
『あなたに御相談があります。わたくしと共に、この国を乗っ取り、支配しませんか? あなたとわたくしの力があれば、たやすいことだと思いますの。今この国は変わろうとしていますものね』
ぬらりひょんが感じていたように、九尾の狐も時代の流れをいち早く察知していたのだ。
『なるほど、だから日本に来たということか』
「ええ、その通りです。あやかしの総大将といわれるぬらりひょんさんとわたくし。良い関係を築けると思いませんか? 同じあやかしとして、そして男と女としても……』
九尾の狐は音もなく、ぬらりひょんの傍へ体を寄せた。紅でべっとりと濡れた赤いくちびるを開き、ぬらりひょんの耳元にささやく。
『わたくし、あなたを一目見て、気に入ってしまいました。ぬらりひょんさんはわたくしと同じぐらい強い力をおもちなのに、それを巧みに隠していらっしゃる。おまけにいくつもの顔があって、そのすべてを知る者は誰もいないとか。なんて魅力的なのでしょう。わたくしは強くて魅力的な男が大好き。だからあなたと深い関係になってもよろしいのですよ……』
九尾の狐はぬらりひょんを誘惑していた。
うっとりした表情でぬらりひょんを見つめ、体をぴったりと密着させてくる。あえて開いているのか、白くて豊かな胸元が見え隠れしており、かぐわしい香りを漂わせている。手慣れた仕草に、これまでどれほど多くの男たちをその色香で陥落させてきたのか想像できる気がした。
ぬらりひょんは軽く微笑み、九尾の狐のなめらかな頬に手を伸ばした。たっぷりの白粉と紅がぬり込まれ、本当の顔は見えないが、魅惑的な美貌だった。
ぬらりひょんの指先が頬にふれると、九尾の狐は満足そうに微笑み、ゆっくりと目を閉じた。ぬらりひょんもまた、九尾の狐の蠱惑的な魅力に落ちた……と思ったのだろう。
『おぬし、匂うぞ。不快だから寄るな』
九尾の狐の頬をわしづかみにしたぬらりひょんは、やや乱暴に押しのけた。
わずかな間だけ呆けた表情を見せた九尾の狐だったが、すぐに正気を取り戻し、ぬらりひょんから体を離した。
『匂う? このわたくしが匂うですって? 失礼な』
『獣の匂いを香でごまかそうとしているだろう? おぬしはうまく隠しているつもりらしいが、わしには効かん。それに会ったばかりで体を密着させてくるとは、とんだ無礼者だの』
ぬらりひょんには、九尾の狐の色香はまったく通用しなかった。それどころか、あからさまに不愉快そうな表情をしている。
誘惑をあっさり断られたうえに、『匂う』とまで言われた九尾の狐は屈辱に震えている。だがすぐに平静を取り戻し、優雅な笑みを見せる。
『わたくしと男女の関係になれば、いろいろと優遇してさしあげましたのに。まぁ、よろしいですわ。でもわたくしと共にこの国を支配するという誘いまでは断りませんわよね? そうすれば日本に暮らすあやかしたちも、人間に追い出されることなく生きていけますわ。なんなら人間を、あやかしの奴隷にしてもよろしくてよ。我らあやかしから見れば、人間は短い人生を必死に生きる醜い生き物ですものね』
月明かりを背に、九尾の狐は妖しく微笑む。自信満々な様子に、ぬらりひょんが断るはずはないと思っているのだろう。
『断る。わしはこの国を、日本を支配する気などない』
ぬらりひょんの返答は、九尾の狐の予想を大きく裏切るものだった。
よほど驚いたのか、九尾の狐の表情は凍りつき、能面のような顔だ。信じられないと言いたげに顔をふりながら、ぬらりひょんに語りかける。
『どうして、なぜ断るのです? 日本はいずれ、人間どもによって、あやかしが住める国ではなくなるでしょう。我らあやかしが人間に住処を追いやられるのですよ? 悔しいとは思いませんの? あんな醜い生き物なんて、さっさと支配してしまえば良いのです』
衣擦れの音をたてながら、ぬらりひょんがゆっくりと立ち上がった。
『日本のあやかしは、人間に追い出されるのではない。自らの意志で生きる場所を変えていくだけのこと。われらはおぬしが思うよりもずっとしたたかで、たくましい生き物なのだ。住処が変わっても楽しく生きていけよう。あやかしを甘く見るでない』
九尾の狐にきっぱりと告げながら、ぬらりひょんの心も決まった。
変わりぬく日本から、あやかしを幽世へと移住させる手助けをしていこうと。それがあやかしの総大将と呼ばれる者の務め。人間とは共存できなくなるが、それもまた時代の流れ。人間が時と共に変わっていくように、あやかしも変化を受け入れねばならない。
皮肉にも九尾の狐の誘惑によって、ぬらりひょんは迷いをきっぱりと捨てることができた。
『九尾よ。わしの屋敷から、いや、日本から出ていくがいい。この国に、おぬしが生きられる場所はない。さっさとうせよ!』
女人の姿をした九尾の狐の細い肩が、わなわなと震えている。
『おのれ……わたくしの誘いをすべて拒絶するとは、なんたる無礼。この屈辱、忘れぬ。わすれはせぬぞぉぉ~!!』
捨て台詞を吐きながら、九尾の狐は夜風と共に消えていった。
気配が完全に消え去ると、ぬらりひょんは静かに腰を下ろした。
『無礼はどっちだ。土足で人の屋敷に入り込みおって。おおかた故郷の国で人間に退治されそうになり、日本に逃げてきたのだろう。人間を恨んでいるのかもしれんが、それを日本に向けられては迷惑だ』
ぬらりひょんは不愉快そうに冷めた茶をすすり、すっかり渋くなった茶に顔をしかめた。
ぬらりひょんと九尾の狐。
たった一度会っただけだったが、それがすべての始まりとなったのだ。
さちによって、九桜院家の客間へとぬらりひょんは通された。洋式の大きな椅子が向かい合わせに置かれた客間は、九桜院家が大切な来客をもてなすための部屋だ。
蓉子によって再び人形とされたさちは、ぬらりひょんに対してよそよそしい態度をとっている。まともに考えることもできず、ぬらりひょんを蓉子の客としか思ってないのだろう。
「どうぞこちらにおかけなって、蓉子様をお待ちください。ただいまお茶をおもち致します」
冷ややかな表情のまま、ぺこりと頭を下げたさちは、ぜんまい仕掛けのからくり人形のようだ。
「茶をいれてくれるならば、ほうじ茶をお願いしたい」
黙って下がろうとしたさちに、ぬらりひょんはさらりと告げた。
「え?」
驚いたさちが顔を向けると、ぬらりひょんは温かい微笑みを浮かべていた。さちを気遣うような優しい表情だった。
「さちのいれるほうじ茶が、わしは好きなのだ。だから、ほうじ茶を頼む」
「は、はい……」
わけもわからず、返事だけした。さちのいれるほうじ茶をなぜ望むのか理解できなかったが、不思議と断る気にはなれなかった。
「少々お待ちくださいませ」
「うむ」
さちが客間を出ていくと、入れ替わりで、蓉子が客間にやってきた。先ほどの着物とは違う、あでやかな洋装を着ている。わざわざ着替えてきたのだろう。蓉子の華やかな容姿に、血のように赤い洋装がよく似合っていた。
「お待たせしました。あなた様のためにドレスを着てきましたのよ。どうです? きれいでしょう?」
自らの美しさを見せびらかしたいのか、蓉子はくるりと回ってみせた。無邪気な少女のような様子に、ぬらりひょんは少々困惑したが、あえて無愛想に伝えた。
「おお、美しいのぅ。その赤いドレスとやらがな」
むろん、嫌味のつもりだ。諸悪の根源が蓉子なのだと気づいている以上、口が裂けても蓉子本人を美しいというつもりはない。
「あら……。ではその美しいドレスを着こなしているわたくしも美しい、ということですわね。そう受け止めておきましょう」
わずかに眉をひそめた蓉子だったが、表情を崩すことなく、余裕の微笑みを浮かべる。
「ようやく再会できたのですもの。あなた様をもてなすためのドレスとお思い下さいませ」
「そうか。気遣い痛み入ると言いたいところだが、わしには不要のものだ。さっさと本題に入ろうではないか」
そこで言葉を止めると、ぬらりひょんは蓉子をぎろりとにらみつけた。
「のぅ、九尾よ」
蓉子の目がきらりと光る。ややあって、満足そうににたりと笑った。
「ああら、やはりわたくしの正体に気づいてましたのね。でもひとつだけ教えて下さいませ。この九桜院蓉子がなぜ、九尾の狐だとお知りになりましたの? この通りわたくしは、人間の美しい女人でしかありませんのに」
正体を悟られていたことに慌てる様子もなく、蓉子はおどけた表情を見せる。
「おまえの匂いだ。九尾よ、おまえの体から獣の匂いがぷんぷんしておるぞ」
蓉子の顔から笑みが消えた。匂うと言われて、さすがに不愉快だったようだ。
「失礼な。わたくしを獣よばわりするとは」
目をつりあげ、蓉子はぬらりひょんをねめつける。
しかしぬらりひょんは気にする様子もなく、さらに話しを続ける。
「おお、ようやく下品な笑みが消えたな。お香や西洋の香水で人間の鼻はごまかせても、あやかしである、わしの鼻はだませぬ。ましてや、おまえには一度会ったことがあるのだからのぅ」
ぬらりひょんはかつて、九尾の狐に一度だけ会ったことがあったのだ。
それは幕末動乱の頃のこと。混乱に乗じて、日本に入り込むあやかしがいた。
とある夜、ぬらりひょんは茶をすすりながら、今後の日本と人とあやかしの関係について考えていた。
『日本は今後変わっていくだろうのぅ……。あやかしはこの変化に対応できるとは思えん。ううむ……』
夜風がしゅるりと流れこんできたとき、強い獣の匂いをぬらりひょんは感じた。
『だれだ。わしの屋敷に入り込んできたのは』
音も気配も感じさせず、ぬらりひょんの屋敷に侵入できるのは、あやかししかいない。
『こんばんは、ぬらりひょんさん。お話がありますの』
ぬらりひょんの背後に立っていたのは、白い耳と七つの尾をもつ、女人の姿をしたあやかしだった。初めて会うあやかしだったが、強い力を感じる。ぬらりひょんは嫌な予感がした。
『わしはおぬしを知らん。だが噂は聞いたことがある。大陸から日本に入ってきた、狐のあやかしがいると。尾が九つあり、強い妖力をもっているとな』
九つの尾をもつあやかしはにたりと笑った。
『まぁ、光栄ですわ。わたくしのことをすでにご存じとは。その通り、わたくしは海を越えた向こうの地から参りました。人々はわたくしを、『九尾の狐』と呼びますわね』
ぬらりひょんは湯のみをおいて腕を組み、九尾の狐を見つめた。
『大陸から来たとは、遠路はるばるご苦労なことだ。それでわしに何の用だ』
九尾の狐は妖しく微笑み、ぬらりひょんに許可を求めることなく、静かに腰を下ろした。
『あなたに御相談があります。わたくしと共に、この国を乗っ取り、支配しませんか? あなたとわたくしの力があれば、たやすいことだと思いますの。今この国は変わろうとしていますものね』
ぬらりひょんが感じていたように、九尾の狐も時代の流れをいち早く察知していたのだ。
『なるほど、だから日本に来たということか』
「ええ、その通りです。あやかしの総大将といわれるぬらりひょんさんとわたくし。良い関係を築けると思いませんか? 同じあやかしとして、そして男と女としても……』
九尾の狐は音もなく、ぬらりひょんの傍へ体を寄せた。紅でべっとりと濡れた赤いくちびるを開き、ぬらりひょんの耳元にささやく。
『わたくし、あなたを一目見て、気に入ってしまいました。ぬらりひょんさんはわたくしと同じぐらい強い力をおもちなのに、それを巧みに隠していらっしゃる。おまけにいくつもの顔があって、そのすべてを知る者は誰もいないとか。なんて魅力的なのでしょう。わたくしは強くて魅力的な男が大好き。だからあなたと深い関係になってもよろしいのですよ……』
九尾の狐はぬらりひょんを誘惑していた。
うっとりした表情でぬらりひょんを見つめ、体をぴったりと密着させてくる。あえて開いているのか、白くて豊かな胸元が見え隠れしており、かぐわしい香りを漂わせている。手慣れた仕草に、これまでどれほど多くの男たちをその色香で陥落させてきたのか想像できる気がした。
ぬらりひょんは軽く微笑み、九尾の狐のなめらかな頬に手を伸ばした。たっぷりの白粉と紅がぬり込まれ、本当の顔は見えないが、魅惑的な美貌だった。
ぬらりひょんの指先が頬にふれると、九尾の狐は満足そうに微笑み、ゆっくりと目を閉じた。ぬらりひょんもまた、九尾の狐の蠱惑的な魅力に落ちた……と思ったのだろう。
『おぬし、匂うぞ。不快だから寄るな』
九尾の狐の頬をわしづかみにしたぬらりひょんは、やや乱暴に押しのけた。
わずかな間だけ呆けた表情を見せた九尾の狐だったが、すぐに正気を取り戻し、ぬらりひょんから体を離した。
『匂う? このわたくしが匂うですって? 失礼な』
『獣の匂いを香でごまかそうとしているだろう? おぬしはうまく隠しているつもりらしいが、わしには効かん。それに会ったばかりで体を密着させてくるとは、とんだ無礼者だの』
ぬらりひょんには、九尾の狐の色香はまったく通用しなかった。それどころか、あからさまに不愉快そうな表情をしている。
誘惑をあっさり断られたうえに、『匂う』とまで言われた九尾の狐は屈辱に震えている。だがすぐに平静を取り戻し、優雅な笑みを見せる。
『わたくしと男女の関係になれば、いろいろと優遇してさしあげましたのに。まぁ、よろしいですわ。でもわたくしと共にこの国を支配するという誘いまでは断りませんわよね? そうすれば日本に暮らすあやかしたちも、人間に追い出されることなく生きていけますわ。なんなら人間を、あやかしの奴隷にしてもよろしくてよ。我らあやかしから見れば、人間は短い人生を必死に生きる醜い生き物ですものね』
月明かりを背に、九尾の狐は妖しく微笑む。自信満々な様子に、ぬらりひょんが断るはずはないと思っているのだろう。
『断る。わしはこの国を、日本を支配する気などない』
ぬらりひょんの返答は、九尾の狐の予想を大きく裏切るものだった。
よほど驚いたのか、九尾の狐の表情は凍りつき、能面のような顔だ。信じられないと言いたげに顔をふりながら、ぬらりひょんに語りかける。
『どうして、なぜ断るのです? 日本はいずれ、人間どもによって、あやかしが住める国ではなくなるでしょう。我らあやかしが人間に住処を追いやられるのですよ? 悔しいとは思いませんの? あんな醜い生き物なんて、さっさと支配してしまえば良いのです』
衣擦れの音をたてながら、ぬらりひょんがゆっくりと立ち上がった。
『日本のあやかしは、人間に追い出されるのではない。自らの意志で生きる場所を変えていくだけのこと。われらはおぬしが思うよりもずっとしたたかで、たくましい生き物なのだ。住処が変わっても楽しく生きていけよう。あやかしを甘く見るでない』
九尾の狐にきっぱりと告げながら、ぬらりひょんの心も決まった。
変わりぬく日本から、あやかしを幽世へと移住させる手助けをしていこうと。それがあやかしの総大将と呼ばれる者の務め。人間とは共存できなくなるが、それもまた時代の流れ。人間が時と共に変わっていくように、あやかしも変化を受け入れねばならない。
皮肉にも九尾の狐の誘惑によって、ぬらりひょんは迷いをきっぱりと捨てることができた。
『九尾よ。わしの屋敷から、いや、日本から出ていくがいい。この国に、おぬしが生きられる場所はない。さっさとうせよ!』
女人の姿をした九尾の狐の細い肩が、わなわなと震えている。
『おのれ……わたくしの誘いをすべて拒絶するとは、なんたる無礼。この屈辱、忘れぬ。わすれはせぬぞぉぉ~!!』
捨て台詞を吐きながら、九尾の狐は夜風と共に消えていった。
気配が完全に消え去ると、ぬらりひょんは静かに腰を下ろした。
『無礼はどっちだ。土足で人の屋敷に入り込みおって。おおかた故郷の国で人間に退治されそうになり、日本に逃げてきたのだろう。人間を恨んでいるのかもしれんが、それを日本に向けられては迷惑だ』
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