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あおの章 青葉
過去との決別
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「おーい、水樹。ここの荷物は全部引っ越しトラックに乗せてもいいのか?」
「ああ、頼む!」
高校卒業後の三月、桃子のアパートで一緒に暮らすことを決めていた水樹は、今日引っ越していく。
長く共に暮らしてきた兄弟とも、これからは離れて暮らすことになる。
引っ越し費用を節約するため、トラック一台だけ出してもらって、あとは僕と水樹、桃子の3人で引っ越し作業をすることになっていた。
「じゃあ、僕はあとで追いかけてくからな、水樹」
「悪いな、青葉。助かるよ」
荷物を乗せた引っ越しトラックと水樹を見送った。予め作っておいた塩を効かせたおにぎりを包むと、家の戸締りをして、二人が暮らす予定のアパートへ向かった。
「ごめんね、青葉。手伝ってもらって」
出迎えてくれた桃子が、申し訳なさそうに微笑んだ。長く伸びた少し茶色い髪をまとめ、きれいに結い上げている。
「僕から言い出したことだからいいんだよ。少しでも節約したほうがいいからね」
「しっかり者の青葉らしいね。私と水樹よりも、うちの家計のこと心配してくれてる」
はにかむように微笑む桃子は、見るからに幸せそうだった。水樹との生活を楽しみにしていることが感じられた。そんな桃子に安堵しながら、リュックから祝儀袋と風呂敷包みを取り出した。
「これ、父さんから預かった引っ越し祝い金。少ないけど僕からも。あと塩むすび。塩をよく効かせておいたから、疲れた体にいいと思って」
「わぁ、助かる。お昼用意してる余裕なかったから」
「水樹は? 先に到着してるはずだよね?」
「写真家の先生にちょっと呼ばれてね。1時間程度で済む用事らしいから、それまで私が荷物を片付けることになってるの」
「僕も手伝うよ。すぐに始めよう」
桃子と二人で手早く荷物を片付けていく。水樹が帰ってきた頃には、「俺、もうやることないんだけど」とぼやきそうになるほど、みるみる荷物が片付けられていった。
「青葉、ちょっと休憩しましょう。スポーツドリンクを冷やしておいたから、どうぞ」
乾いた喉のどによく冷えたスポーツドリンクは心地良くて、一気に飲み干してしまった。
桃子と僕はテーブルをはさんで向かい合って座っている。思えば、桃子とこうして向き合うのは久しぶりだ。
「水樹から聞いたけど、青葉は大学に進学するんでしょ?」
「そうだよ。卒業後は公務員になろうと思ってる」
「わぁ、青葉にぴったり」
「僕は水樹みたいに、特別な才能ないからね」
「しっかりしていて真面目で、周囲に気を配れるのだって立派な才能よ。誰にでもできることじゃないわ。水樹も言ってるもの。『俺は青葉にだけはどうしたって勝てない』って」
「水樹のやつ、そんなこと言ってるのか。僕のほうこそ、水樹の才能がうらやましいぐらいなのに」
「ふふ、不思議な兄弟よね。お互いのことを、それぞれうらやましがってるんだもの。それでいて、お互いをすごく大事に思っていて、強い絆で結ばれている」
昔と変わらない笑顔で、桃子は楽しそうに笑っている。この笑顔に、どれだけ励まされただろう。
「私ね、水樹と青葉が並んで、楽しそうに笑ってる姿を見るのが大好きなの。青葉と水樹にはずっと仲良しでいてほしい」
「兄弟だからね、困ったときは助けるよ」
「いいなぁ、そういう関係。憧れる……」
悲しげに笑う桃子の顔が切なかった。桃子には兄妹がいない。だからこそ父親との絆を大切にしていたのに、その父から捨てられたようなものだから。
彼女をなぐさめる言葉を伝えたほうがいいのだろうか。いや、その役目は僕ではないし。などと考えていると、桃子がぽつりと言った。
「あのね、ちょっとだけ告白してもいい? もう昔のことだけれど」
「告白」という言葉にどきりとした。
黙ってうなずくと、桃子は軽く微笑み、ゆっくり語り始めた。
「今だから言うけど。私ね、青葉のこと、好きだった」
晴れやかな笑顔だった。その表情から、彼女の中でとっくに終わっている感情なのだと気づく。
桃子が告白してくれたのなら、僕も応えよう。
「僕も桃子のことが、好きだったよ。昔の話だけどね」
桃子は懐かしそうに微笑み、僕も微笑んだ。僕たちは知っている。この思いは過去の話なのだと。
そしてこの告白は、過去と決別するためのものなのだ。
「でも今は水樹のことが誰より好き。あのひとのまっすぐな愛情が、すごく嬉しいの」
「桃子は今、幸せなんだね」
「うん、すごく!」
「のろけちゃって」
「のろけますよぅ。だって本当に幸せなんだもん。私は自分で水樹を選んだの。青葉のことが本気で好きだったら、まっすぐあなたにぶつかってたよ」
「僕もたぶんそうだったと思う」
桃子はにっこりと笑い、腕をうーんと伸ばした。
「ああ、言えてすっきりした! 心の奥底で、もやもやさせたままだと何か嫌で。ごめんね、今更になってこんなこと言って。でもおかげでまっすぐ前を向けるわ。安心してね、青葉。私が水樹を支えるから」
「言われなくてもわかってるよ。桃子のほうが水樹よりしっかりしてるから」
「水樹は時に不安定だったりもするけど、誰より繊細な感受性をもってるの。私は水樹が撮る写真が大好き。優しくて温かいもの。彼はきっと一人前の写真家になれるわ」
頬を赤く染めながら、嬉しそうに水樹のことを語る桃子の表情は、眩しいほど輝かがやいていた。
「桃子、幸せになれ」
数回まばたきをした桃子は、静かに微笑んだ。
「ありがとう、青葉。ひとつだけわがままを言うとね、私、早くお母さんになりたいの。そして水樹と一緒に温かい家庭を作るの」
温かい家庭は、彼女にとってきっと夢だったのだろう。だから水樹と共に生きる道を選んだのだ。
「桃子なら、きっといいお母さんになるよ」
「うん! 私もそう思う」
「自分で言うなよ」
桃子が満面の笑顔を浮かべた瞬間、扉が音を立てて開き、水樹が帰ってきた。
「うわぉ、俺が何もしないうちに片付いてる。さすがは青葉」
「私もいるんですけど? 水樹」
腰に手を当て、ぷぅっと頬を膨らませる桃子に、僕と水樹は顔を見合わせて笑った。
「もちろん桃子もいるよ。ありがとな」
「わかればよろしい。で、先生、なんだったの?」
「それがさ、雑用をちょっと手伝ったら、先生まで引っ越し祝いくれたんだ。お返しはいらないからって」
「本当?」
「先生も素直じゃないよな~」
桃子と水樹は楽しそうに笑っている。
どうかこの二人が、いつまでも笑顔でありますように。
水樹と桃子が幸せであることが、何よりの望みなのだから──。
水樹と桃子は、お互いを支え合いながら働き、二十歳になると籍を入れた。結婚式はせず、入籍だけで済ませるという。
ほどなくして桃子が妊娠したと水樹から告げられた。桃子は念願だった母となるのだ。
「ああ、頼む!」
高校卒業後の三月、桃子のアパートで一緒に暮らすことを決めていた水樹は、今日引っ越していく。
長く共に暮らしてきた兄弟とも、これからは離れて暮らすことになる。
引っ越し費用を節約するため、トラック一台だけ出してもらって、あとは僕と水樹、桃子の3人で引っ越し作業をすることになっていた。
「じゃあ、僕はあとで追いかけてくからな、水樹」
「悪いな、青葉。助かるよ」
荷物を乗せた引っ越しトラックと水樹を見送った。予め作っておいた塩を効かせたおにぎりを包むと、家の戸締りをして、二人が暮らす予定のアパートへ向かった。
「ごめんね、青葉。手伝ってもらって」
出迎えてくれた桃子が、申し訳なさそうに微笑んだ。長く伸びた少し茶色い髪をまとめ、きれいに結い上げている。
「僕から言い出したことだからいいんだよ。少しでも節約したほうがいいからね」
「しっかり者の青葉らしいね。私と水樹よりも、うちの家計のこと心配してくれてる」
はにかむように微笑む桃子は、見るからに幸せそうだった。水樹との生活を楽しみにしていることが感じられた。そんな桃子に安堵しながら、リュックから祝儀袋と風呂敷包みを取り出した。
「これ、父さんから預かった引っ越し祝い金。少ないけど僕からも。あと塩むすび。塩をよく効かせておいたから、疲れた体にいいと思って」
「わぁ、助かる。お昼用意してる余裕なかったから」
「水樹は? 先に到着してるはずだよね?」
「写真家の先生にちょっと呼ばれてね。1時間程度で済む用事らしいから、それまで私が荷物を片付けることになってるの」
「僕も手伝うよ。すぐに始めよう」
桃子と二人で手早く荷物を片付けていく。水樹が帰ってきた頃には、「俺、もうやることないんだけど」とぼやきそうになるほど、みるみる荷物が片付けられていった。
「青葉、ちょっと休憩しましょう。スポーツドリンクを冷やしておいたから、どうぞ」
乾いた喉のどによく冷えたスポーツドリンクは心地良くて、一気に飲み干してしまった。
桃子と僕はテーブルをはさんで向かい合って座っている。思えば、桃子とこうして向き合うのは久しぶりだ。
「水樹から聞いたけど、青葉は大学に進学するんでしょ?」
「そうだよ。卒業後は公務員になろうと思ってる」
「わぁ、青葉にぴったり」
「僕は水樹みたいに、特別な才能ないからね」
「しっかりしていて真面目で、周囲に気を配れるのだって立派な才能よ。誰にでもできることじゃないわ。水樹も言ってるもの。『俺は青葉にだけはどうしたって勝てない』って」
「水樹のやつ、そんなこと言ってるのか。僕のほうこそ、水樹の才能がうらやましいぐらいなのに」
「ふふ、不思議な兄弟よね。お互いのことを、それぞれうらやましがってるんだもの。それでいて、お互いをすごく大事に思っていて、強い絆で結ばれている」
昔と変わらない笑顔で、桃子は楽しそうに笑っている。この笑顔に、どれだけ励まされただろう。
「私ね、水樹と青葉が並んで、楽しそうに笑ってる姿を見るのが大好きなの。青葉と水樹にはずっと仲良しでいてほしい」
「兄弟だからね、困ったときは助けるよ」
「いいなぁ、そういう関係。憧れる……」
悲しげに笑う桃子の顔が切なかった。桃子には兄妹がいない。だからこそ父親との絆を大切にしていたのに、その父から捨てられたようなものだから。
彼女をなぐさめる言葉を伝えたほうがいいのだろうか。いや、その役目は僕ではないし。などと考えていると、桃子がぽつりと言った。
「あのね、ちょっとだけ告白してもいい? もう昔のことだけれど」
「告白」という言葉にどきりとした。
黙ってうなずくと、桃子は軽く微笑み、ゆっくり語り始めた。
「今だから言うけど。私ね、青葉のこと、好きだった」
晴れやかな笑顔だった。その表情から、彼女の中でとっくに終わっている感情なのだと気づく。
桃子が告白してくれたのなら、僕も応えよう。
「僕も桃子のことが、好きだったよ。昔の話だけどね」
桃子は懐かしそうに微笑み、僕も微笑んだ。僕たちは知っている。この思いは過去の話なのだと。
そしてこの告白は、過去と決別するためのものなのだ。
「でも今は水樹のことが誰より好き。あのひとのまっすぐな愛情が、すごく嬉しいの」
「桃子は今、幸せなんだね」
「うん、すごく!」
「のろけちゃって」
「のろけますよぅ。だって本当に幸せなんだもん。私は自分で水樹を選んだの。青葉のことが本気で好きだったら、まっすぐあなたにぶつかってたよ」
「僕もたぶんそうだったと思う」
桃子はにっこりと笑い、腕をうーんと伸ばした。
「ああ、言えてすっきりした! 心の奥底で、もやもやさせたままだと何か嫌で。ごめんね、今更になってこんなこと言って。でもおかげでまっすぐ前を向けるわ。安心してね、青葉。私が水樹を支えるから」
「言われなくてもわかってるよ。桃子のほうが水樹よりしっかりしてるから」
「水樹は時に不安定だったりもするけど、誰より繊細な感受性をもってるの。私は水樹が撮る写真が大好き。優しくて温かいもの。彼はきっと一人前の写真家になれるわ」
頬を赤く染めながら、嬉しそうに水樹のことを語る桃子の表情は、眩しいほど輝かがやいていた。
「桃子、幸せになれ」
数回まばたきをした桃子は、静かに微笑んだ。
「ありがとう、青葉。ひとつだけわがままを言うとね、私、早くお母さんになりたいの。そして水樹と一緒に温かい家庭を作るの」
温かい家庭は、彼女にとってきっと夢だったのだろう。だから水樹と共に生きる道を選んだのだ。
「桃子なら、きっといいお母さんになるよ」
「うん! 私もそう思う」
「自分で言うなよ」
桃子が満面の笑顔を浮かべた瞬間、扉が音を立てて開き、水樹が帰ってきた。
「うわぉ、俺が何もしないうちに片付いてる。さすがは青葉」
「私もいるんですけど? 水樹」
腰に手を当て、ぷぅっと頬を膨らませる桃子に、僕と水樹は顔を見合わせて笑った。
「もちろん桃子もいるよ。ありがとな」
「わかればよろしい。で、先生、なんだったの?」
「それがさ、雑用をちょっと手伝ったら、先生まで引っ越し祝いくれたんだ。お返しはいらないからって」
「本当?」
「先生も素直じゃないよな~」
桃子と水樹は楽しそうに笑っている。
どうかこの二人が、いつまでも笑顔でありますように。
水樹と桃子が幸せであることが、何よりの望みなのだから──。
水樹と桃子は、お互いを支え合いながら働き、二十歳になると籍を入れた。結婚式はせず、入籍だけで済ませるという。
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