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あおの章 青葉
最後の願い
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水樹から桃子が入院したと聞かされたのは、桃子の出産が近づいてきた頃のことだった。
『桃子の体調があんまり良くないんだ……。食欲もないし顔色も悪くて。出産まで病院に入院してないとダメなんだってさ』
受話器から聞こえる水樹の声は元気がない。桃子とお腹の子が心配でたまらないのだろう。
『そうか……。でも病院にいるなら安心だろ? 何かあってもすぐに診てもらえるわけだし。おまえがあんまり心配すると、桃子が気に病むぞ。きっと大丈夫だ。心配するな』
『青葉は桃子と同じことを言うんだな。でも青葉の言う通りだ。できるだけ笑顔で桃子に接するよ』
『お見舞いに行ってもいいかい?』
『桃子が喜ぶよ。病院だと寝てばかりでつまんない、って文句言ってたから』
数日後、桃子が入院している病院にお見舞いに行った。
「青葉、来てくれたんだ。ありがとう」
点滴に打たれながら、顔色の悪さをごまかすように、精一杯笑顔を見せる桃子が少し痛々しかった。
大きなお腹を支えながら体を起こそうとする桃子を制し、そのまま横になっているように伝えると、「ごめんねぇ」とはにかむように笑った。
「体調はどう? 水樹から食欲がないって聞かされたけど」
「大丈夫よ、入院してからは体調も落ち着いてるの。頑張って食べてるし心配しないで」
「心配してないよ。桃子なら大丈夫だ」
とは言ったものの、桃子の体調は確かにあまり良くなさそうだった。大きなお腹が辛いのか、苦しげな呼吸を繰り返している。
「水樹がオロオロしちゃってさ。私の前ではニタニタ笑ってるけど、本当は心配でたまらないみたい」
「あいつらしいな」
「ねぇ、青葉。悪いけど、水樹のこと頼むわね。なんだかんだ言っても、水樹は青葉のことを一番信頼してるから」
「僕にできることならね」
「うふふ。とかいって、青葉も水樹のこと心配なくせに。二人とも素直じゃないんだから」
「桃子は何でもお見通しだな」
桃子は楽しそうに笑いながら、僕の顔をじっと見つめてきた。
「お腹の子の名前ね、もう決めてあるんだ」
「なんて名前?」
「朱里って言うの。ほら、私達の名前って、ちょうど色を表してるでしょ。だから色にちなんだ名前にしたくて。桃子の娘だから、似た系統の色で。そして周囲の人を『あかり』で照らしてほしい。だから朱里」
「朱里……うん、女の子らしくていい名前だ」
「でしょ? 青葉ならそう言ってくれると思った」
桃子は幸せそうに微笑み、僕の目を見つめ続ける。
「私ね、水樹と青葉に出会えて本当に良かったって思うの。私の人生で一番幸せなことって、ふたりに出会えたことだわ。だからね、お願い。青葉と水樹はいつまでも仲の良い兄弟でいてね」
「わかったよ。水樹とはできるだけケンカしないようにしておくから。さぁ、もう休みなよ」
「ありがとう、青葉」
温かくて、切ない微笑みだった。桃子のその笑顔を、僕は決して忘れないだろう。
そしてそれは、僕が見た、桃子の最後の姿となったのだった。
*
「青葉、どうしよう。桃子が、桃子が。赤ん坊を、朱里を産んだ桃子が」
「水樹、どうしたんだ? 赤ん坊は無事に産まれたのか? 桃子がどうしたって?」
真夜中の突然の電話だった。
電話で支離滅裂な言葉を繰り返す、水樹の様子がおかしい。慌てて桃子が入院する病院へ走った。
病院に到着すると、静まり返った病院のソファーに、水樹がぽつんと座っていた。何をするでもなく、呆然と空中を眺めている。
「水樹……?」
そっと声をかけると、水樹はまるで人形のように、僕のほうにゆっくり顔を向ける。
「青葉……桃子がおかしいんだ。動かないんだよ、あいつ。いくら声をかけても返事がないんだ。病院の奴らも変だよ。『ご臨終です』って言うんだけど、ゴリンジュウって、なんて意味だっけ?」
不思議そうに笑う水樹の目から、とめどなく涙があふれている。
あまりに残酷な現実を受け止めきれない水樹の身体は小刻みに震え、意味もなく笑い、涙を流し続けていた。
『桃子の体調があんまり良くないんだ……。食欲もないし顔色も悪くて。出産まで病院に入院してないとダメなんだってさ』
受話器から聞こえる水樹の声は元気がない。桃子とお腹の子が心配でたまらないのだろう。
『そうか……。でも病院にいるなら安心だろ? 何かあってもすぐに診てもらえるわけだし。おまえがあんまり心配すると、桃子が気に病むぞ。きっと大丈夫だ。心配するな』
『青葉は桃子と同じことを言うんだな。でも青葉の言う通りだ。できるだけ笑顔で桃子に接するよ』
『お見舞いに行ってもいいかい?』
『桃子が喜ぶよ。病院だと寝てばかりでつまんない、って文句言ってたから』
数日後、桃子が入院している病院にお見舞いに行った。
「青葉、来てくれたんだ。ありがとう」
点滴に打たれながら、顔色の悪さをごまかすように、精一杯笑顔を見せる桃子が少し痛々しかった。
大きなお腹を支えながら体を起こそうとする桃子を制し、そのまま横になっているように伝えると、「ごめんねぇ」とはにかむように笑った。
「体調はどう? 水樹から食欲がないって聞かされたけど」
「大丈夫よ、入院してからは体調も落ち着いてるの。頑張って食べてるし心配しないで」
「心配してないよ。桃子なら大丈夫だ」
とは言ったものの、桃子の体調は確かにあまり良くなさそうだった。大きなお腹が辛いのか、苦しげな呼吸を繰り返している。
「水樹がオロオロしちゃってさ。私の前ではニタニタ笑ってるけど、本当は心配でたまらないみたい」
「あいつらしいな」
「ねぇ、青葉。悪いけど、水樹のこと頼むわね。なんだかんだ言っても、水樹は青葉のことを一番信頼してるから」
「僕にできることならね」
「うふふ。とかいって、青葉も水樹のこと心配なくせに。二人とも素直じゃないんだから」
「桃子は何でもお見通しだな」
桃子は楽しそうに笑いながら、僕の顔をじっと見つめてきた。
「お腹の子の名前ね、もう決めてあるんだ」
「なんて名前?」
「朱里って言うの。ほら、私達の名前って、ちょうど色を表してるでしょ。だから色にちなんだ名前にしたくて。桃子の娘だから、似た系統の色で。そして周囲の人を『あかり』で照らしてほしい。だから朱里」
「朱里……うん、女の子らしくていい名前だ」
「でしょ? 青葉ならそう言ってくれると思った」
桃子は幸せそうに微笑み、僕の目を見つめ続ける。
「私ね、水樹と青葉に出会えて本当に良かったって思うの。私の人生で一番幸せなことって、ふたりに出会えたことだわ。だからね、お願い。青葉と水樹はいつまでも仲の良い兄弟でいてね」
「わかったよ。水樹とはできるだけケンカしないようにしておくから。さぁ、もう休みなよ」
「ありがとう、青葉」
温かくて、切ない微笑みだった。桃子のその笑顔を、僕は決して忘れないだろう。
そしてそれは、僕が見た、桃子の最後の姿となったのだった。
*
「青葉、どうしよう。桃子が、桃子が。赤ん坊を、朱里を産んだ桃子が」
「水樹、どうしたんだ? 赤ん坊は無事に産まれたのか? 桃子がどうしたって?」
真夜中の突然の電話だった。
電話で支離滅裂な言葉を繰り返す、水樹の様子がおかしい。慌てて桃子が入院する病院へ走った。
病院に到着すると、静まり返った病院のソファーに、水樹がぽつんと座っていた。何をするでもなく、呆然と空中を眺めている。
「水樹……?」
そっと声をかけると、水樹はまるで人形のように、僕のほうにゆっくり顔を向ける。
「青葉……桃子がおかしいんだ。動かないんだよ、あいつ。いくら声をかけても返事がないんだ。病院の奴らも変だよ。『ご臨終です』って言うんだけど、ゴリンジュウって、なんて意味だっけ?」
不思議そうに笑う水樹の目から、とめどなく涙があふれている。
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