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最終章 あおとみずいろと、あかいろと
君をひとりで泣かせないように
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翌週の土曜日、私はひとりで電車に乗っていた。目的地は祖父が入所している介護施設だ。
おじさんには行き先だけ簡単に伝えただけだ。
「気をつけて行っておいで」
おじさんは軽く微笑み、それ以上何も言わなかった。
おじいちゃんの面会には、いつもおじさんと二人で出かけていたのに。おじさんは私についていくとは言わなかったし、私もおじさんについてきて、とは伝えなかった。
おじさんにべったり甘えていた私からしたら、青天の霹靂と言ってもいいぐらいの出来事だ。
「これからは何でもひとりでやれるようにしていかないと、ね」
おじさんと距離をおこうと思ったわけではない。今は私ひとりで、自分の気持ちに向き合わなくてはいけないと思ったのだ。
なにより、これ以上おじさんの負担になりたくなかった。
先日聞いたおじさんと父の話から、青葉おじさんは父に頼まれて私を養育することになったと知った。父に捨てられた私を哀れに思ったのではなく、弟に頭を下げられたから赤ん坊だった私をひきとったのだ。
結婚はもちろん恋愛すらもせず、おじさんは私を大切に育ててくれた。二十歳以上の自由時間を姪っ子である私にすべて捧げたと言ってもいい。児童養護施設に私を預けたとしても、誰も文句は言わなかっただろうに。
「そんなこと、朱里が気にしなくてもいいんだよ」
おじさんは笑って答えるだろう。
けれど私は、おじさんに申し訳ないとさえ思い始めていた。
「いつまでもおじさんに甘えていたらダメだもん。自立できる道を、早く探していかないとね」
自分に言い聞かせるように、こっそり呟いた。
「でも、自立するって具体的にどうすればいいんだろう……?」
ふと疑問に思い、首をかしげた時だった。
「ぷぷっ」
耳に響いたのは、小さな笑い声。
んん? だれかが私のこと、せせら笑ってる……?
周囲の人に気づかれないように、そっと呟いたつもりだったけど、誰かに聞かれてしまったらしい。私の言葉が耳に入ったとしても、隠れて人のこと笑うなんて、ちょっと失礼じゃない? いったい誰よ。私のことを笑うやつは。
慎重深く周辺の人々を見回すと、斜め向かいの席、ジーパンを着た男性と目が合った。気まずそうに目をそらし、被っていた帽子を深くかぶり、私に背を向けた。
あいつだ。私のこと笑っていたやつは。どんなやつなのか、じっくり見てやる。
ジーパンの男をじろじろと観察していると、あることに気づいた。
背中に見覚えがあったのだ。かぶっている帽子も見た記憶がある。
おもむろに立ち上がると、帽子をかぶったジーパンの男の前まで歩いていった。
「こんなところで、なにやってるのよ、海斗!」
かぶっていた帽子をやや乱暴にはぎ取ると、そこに現れたのは佐々木 海斗だった。私の彼氏になったばかりの少年。
「や、やぁ。朱里……」
ばつが悪そうに、海斗は私のことを上目遣いで見てくる。
「なによ、私の後をつけてきたってわけ?」
今日おじいちゃんに会いにいくことは、海斗に話してあった。「そっか」とだけ答えたので、私もそれ以上は何もいわなかったのだ。
「いや、その、朱里のことが心配で……」
「心配してくれるのはありがたいけど。それならそれで、『一緒に行くよ』って言えばよかったじゃない。何も言わなかったくせに、こっそり後だけつけるって、どうなの?」
「後で話を聞いてやるつもりだったのに、だんだんと朱里のことが気になって気になって……。おまえの家の近くまで来たら、ちょうど朱里がでかけるところだったから、つい後を。すまん、悪かったと思ってる」
海斗は叱られた子犬のように肩を落としている。しおらしい姿を見ていたら、なんだか怒る気が失せてしまった。
「もう、しょうがないなぁ」
海斗が私のことを心配してくれたのは、ひとりじゃないって思えて嬉しかった。
尾行されていたことは、嫌だけどね。せめて声をかけてほしかったよ。
「ほら、ちょっと席つめて。隣に座るから」
「お、おぅ」
海斗の隣の席に腰を下ろすと、彼を横目でにらんでやった。
「ちょっとおじいちゃんに会ってくるだけなのに、私の彼氏殿は心配性ですねぇ」
「だってよぉ。朱里のことだから、電車を乗り違えたり寝過ごしたりするかもなって心配になって」
「こーら。彼女をこども扱いするんじゃないの」
「おじいさんに会って話を聞いたら、朱里はまた泣いちゃうんじゃないかって思ってさ。これ以上朱里を、ひとりで泣かせたくなかったんだ……」
君をひとりで泣かせたくなかった、か。
海斗ってば、さらりと女心をくすぐることを言うんだから。
顔が熱くなるのをごまかそうと、私はにっこりと笑ってやった。
「ありがと。どんな話になるかわからないから、ちょっとだけ不安だったんだ」
「おぅ。泣くんなら、ハンカチ貸してやるぜ」
「ハンカチぃ? どうせなら、『オレの胸で泣けよ……』ぐらい、カッコよく言いなよ」
「おーい。公衆の面前で、はしたないことを言うんじゃありません」
「ただのハグだよ。何を勘違いしてるの?」
「ええっ、そうなの?」
海斗と私は目線を合わせ、どちらからともなく笑い出した。
海斗が今ここにいてくれることが嬉しかった。
ほんのすこし前まで、ひとりで何でもできるようにならないとって思っていたのに。私はやっぱりどうしようもない甘えん坊らしい。
これからは少しずつ自立していけるように頑張るから、今だけはちょっぴり甘えさせてね、海斗。
海斗の温もりを感じながら、たわいないおしゃべりを続けた。
目的地には、まもなく到着だ。
おじさんには行き先だけ簡単に伝えただけだ。
「気をつけて行っておいで」
おじさんは軽く微笑み、それ以上何も言わなかった。
おじいちゃんの面会には、いつもおじさんと二人で出かけていたのに。おじさんは私についていくとは言わなかったし、私もおじさんについてきて、とは伝えなかった。
おじさんにべったり甘えていた私からしたら、青天の霹靂と言ってもいいぐらいの出来事だ。
「これからは何でもひとりでやれるようにしていかないと、ね」
おじさんと距離をおこうと思ったわけではない。今は私ひとりで、自分の気持ちに向き合わなくてはいけないと思ったのだ。
なにより、これ以上おじさんの負担になりたくなかった。
先日聞いたおじさんと父の話から、青葉おじさんは父に頼まれて私を養育することになったと知った。父に捨てられた私を哀れに思ったのではなく、弟に頭を下げられたから赤ん坊だった私をひきとったのだ。
結婚はもちろん恋愛すらもせず、おじさんは私を大切に育ててくれた。二十歳以上の自由時間を姪っ子である私にすべて捧げたと言ってもいい。児童養護施設に私を預けたとしても、誰も文句は言わなかっただろうに。
「そんなこと、朱里が気にしなくてもいいんだよ」
おじさんは笑って答えるだろう。
けれど私は、おじさんに申し訳ないとさえ思い始めていた。
「いつまでもおじさんに甘えていたらダメだもん。自立できる道を、早く探していかないとね」
自分に言い聞かせるように、こっそり呟いた。
「でも、自立するって具体的にどうすればいいんだろう……?」
ふと疑問に思い、首をかしげた時だった。
「ぷぷっ」
耳に響いたのは、小さな笑い声。
んん? だれかが私のこと、せせら笑ってる……?
周囲の人に気づかれないように、そっと呟いたつもりだったけど、誰かに聞かれてしまったらしい。私の言葉が耳に入ったとしても、隠れて人のこと笑うなんて、ちょっと失礼じゃない? いったい誰よ。私のことを笑うやつは。
慎重深く周辺の人々を見回すと、斜め向かいの席、ジーパンを着た男性と目が合った。気まずそうに目をそらし、被っていた帽子を深くかぶり、私に背を向けた。
あいつだ。私のこと笑っていたやつは。どんなやつなのか、じっくり見てやる。
ジーパンの男をじろじろと観察していると、あることに気づいた。
背中に見覚えがあったのだ。かぶっている帽子も見た記憶がある。
おもむろに立ち上がると、帽子をかぶったジーパンの男の前まで歩いていった。
「こんなところで、なにやってるのよ、海斗!」
かぶっていた帽子をやや乱暴にはぎ取ると、そこに現れたのは佐々木 海斗だった。私の彼氏になったばかりの少年。
「や、やぁ。朱里……」
ばつが悪そうに、海斗は私のことを上目遣いで見てくる。
「なによ、私の後をつけてきたってわけ?」
今日おじいちゃんに会いにいくことは、海斗に話してあった。「そっか」とだけ答えたので、私もそれ以上は何もいわなかったのだ。
「いや、その、朱里のことが心配で……」
「心配してくれるのはありがたいけど。それならそれで、『一緒に行くよ』って言えばよかったじゃない。何も言わなかったくせに、こっそり後だけつけるって、どうなの?」
「後で話を聞いてやるつもりだったのに、だんだんと朱里のことが気になって気になって……。おまえの家の近くまで来たら、ちょうど朱里がでかけるところだったから、つい後を。すまん、悪かったと思ってる」
海斗は叱られた子犬のように肩を落としている。しおらしい姿を見ていたら、なんだか怒る気が失せてしまった。
「もう、しょうがないなぁ」
海斗が私のことを心配してくれたのは、ひとりじゃないって思えて嬉しかった。
尾行されていたことは、嫌だけどね。せめて声をかけてほしかったよ。
「ほら、ちょっと席つめて。隣に座るから」
「お、おぅ」
海斗の隣の席に腰を下ろすと、彼を横目でにらんでやった。
「ちょっとおじいちゃんに会ってくるだけなのに、私の彼氏殿は心配性ですねぇ」
「だってよぉ。朱里のことだから、電車を乗り違えたり寝過ごしたりするかもなって心配になって」
「こーら。彼女をこども扱いするんじゃないの」
「おじいさんに会って話を聞いたら、朱里はまた泣いちゃうんじゃないかって思ってさ。これ以上朱里を、ひとりで泣かせたくなかったんだ……」
君をひとりで泣かせたくなかった、か。
海斗ってば、さらりと女心をくすぐることを言うんだから。
顔が熱くなるのをごまかそうと、私はにっこりと笑ってやった。
「ありがと。どんな話になるかわからないから、ちょっとだけ不安だったんだ」
「おぅ。泣くんなら、ハンカチ貸してやるぜ」
「ハンカチぃ? どうせなら、『オレの胸で泣けよ……』ぐらい、カッコよく言いなよ」
「おーい。公衆の面前で、はしたないことを言うんじゃありません」
「ただのハグだよ。何を勘違いしてるの?」
「ええっ、そうなの?」
海斗と私は目線を合わせ、どちらからともなく笑い出した。
海斗が今ここにいてくれることが嬉しかった。
ほんのすこし前まで、ひとりで何でもできるようにならないとって思っていたのに。私はやっぱりどうしようもない甘えん坊らしい。
これからは少しずつ自立していけるように頑張るから、今だけはちょっぴり甘えさせてね、海斗。
海斗の温もりを感じながら、たわいないおしゃべりを続けた。
目的地には、まもなく到着だ。
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