余命一年の転生モブ令嬢のはずが、美貌の侯爵様の執愛に捕らわれています

つゆり 花燈

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第二章

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 思いっきりのけ反ったアリシティアは、 勢い余って窓に頭をぶつけそうになった。咄嗟にルイスの手が伸びて来る。

「大人しくしてね」

 ルイスは呆れたようにアリシティアの腰を再び抱き寄せた。

 理由はわからないが本能的に危険を察知したアリシティアは、全身の毛を逆立てた子猫のように、ルイスを警戒してみせた。


 そんなアリシティアの目の前で、彼女の最悪の婚約者は、ずっと笑顔を浮かべている。ただその笑顔には、とてつもない仄暗さを感じた。

「ねぇ、アリス」

「……はい」

 アリシティアは警戒しつつも返事をする。だが、続いた言葉は可能性すら考えていないものだった。

「僕と一緒にシャワーを浴びて?」

「はあ?」

 あまりにも有り得ないルイスの言葉に、アリシティアの出した声が思わず低くなってしまったのは仕方のないことかもしれない。

 だが、そんなアリシティアの様子を気にすることも無く、ルイスは先ほどまでと全く変わりない笑みで言葉を続ける。

「もうね、近くで息もしたくないし、君と話すのも嫌になる位、君から不愉快な匂いがするんだよね」

「えっ?」

 アリシティアは思わず目を見開いた。
そして、言葉の意味を改めて理解し、じわじわと羞恥にさいなまれつつも、そっと自分の腕や肩の匂いを嗅ぐ。

淑女としては如何なものかと言われるような行動だが、確かめずにはいられなかった。


 匂いを嗅いでみて微かに感じたのは、リカルドがつけていた、前世でフゼアノートと呼ばれていた物に近い、甘さの少ないキリッとした香水の移り香だけだった。
 本当にごくわずかではあるが、ラストノートと思われるムスクに何かをあわせたような香りがする。
だが、これは別に不快になるようなものではない。


 ということは自分では気づかない、アリシティア自身の匂いなのかと思い至った。

「……申し訳ありません。向かいの席に移ります」

 普段はルイスに叱られても滅多に口にしない謝罪が、アリシティアの口からするりと出た。返事を待たずに腰を浮かそうとすると、強く引き戻される。

「だめ」

「だめって…。でも私の匂いが不快なんでしょう?」

「うん。君からする香りが、ものすっごく不愉快」

「だったら…」

「だめ、ここにいて」

 そっと距離を取ろうとしてみたが、ルイスの腕の力が緩むことはなく、離れようとすればするほど腰に回された手の力は強くなる気がした。
 生理的に不快な匂いなら、頼むから隅にいかせてくれと思うが、何故かそれは許されないようだった。仕方なくアリシティアは黙り込んだ。



 やたらと沈黙が続くと、無駄にどうでもよいことを考えてしまう。

 もしかしたら、チューダー伯爵がアリシティアに必要以上に近寄らなかったのは、チューダー伯爵がイケオジ紳士だからではなく、アリシティアが臭かったからだろうか。
 それなら申し訳ない事をしてしまった。……などと、自分を闇オークションで落札しようとした前科持ちの男の心配までし始めていた。


 そんなアリシティアの隣ではルイスの纏う空気がどんどん冷めていく。
とはいえ、そのことについて深く考えるとホラー小説を読んだ後のように、余計に恐ろしく感じる。




 どれ程沈黙が続いたかはわからない。
先に根を上げたのはアリシティアだった。彼女は限界とばかりに顔を背けたまま、口を開く。

「あの、本当にお願いですから、離れさせてもらえませんか?」

 ひたすら沈黙を守っていたのに、唐突に話し始めたアリシティアに、ルイスは冷めた視線を向けた。

「どうして?」

「どうしても何も、私の体臭が不快なんでしょう?」

「……そんな事一言も言ってないけど」

「は?」

 背けていた顔を勢いよくルイスの方にむけるが、思い出したように口を手のひらで塞いだ。

「ねえ、その手は何?」

普段よりもかなり低い声に、アリシティアはわずかに身震いした。

「これは私にとって必要な措置です。そんな事よりも、さっき確かに言いましたよね? 私のことくさいって」

「言ってない」

「言いました」

「僕が言ったのは君からする香りが不愉快だって言っただけで、君がくさいなんて一言も言ってない」

「はあ?同じ意味じゃないですか」

 アリシティアの反論に、ルイスはゆっくりと深呼吸するように息を吸ってから吐き出した。

「はぁ。ぜんぜん違うから。せっかく必死に我慢してたのに。君が言い出したんだからね」

 怒りを押し殺したような声とともに、突如アリシティアの体がルイスの腕の中に引き寄せられる。なんとか保っていた距離が一瞬にして0になった。

「ちょっと!!」

 思わず逃げ出そうともがくが、しっかりと抱き込まれて、首筋に顔を埋められる。

「ねえ、君は香水はつけないよね。香りって意外と記憶に残るものだから、香油なんかも極力香りが抑えられてて、たとえ香りがしてもすぐに消えるものを使ってるよね」

「ええ、そう習いましたから。それより離してください」

 もがきながらも答えると、更にきつく抱きしめられた。

「じゃあ、この不愉快な香りは何? ムスクに…シダーウッド?」

ルイスの言葉に思わず息を呑んだ。


──────普段香水なんて使わないくせに、なんでそんな事にまで詳しいの?!


 アリシティアは夜会での自分の言葉を思い出す。
大丈夫、心配ない、安心してと、リカルドに何度も言った気がする。けれど、もしかするとあんまり大丈夫ではなかったかもしれない。




 ルイスが移り香に怒っている理由に、ほんの僅かだが心当たりはあった。

 そこまで考えたアリシティアは、彼女の屑な友人一号にルイスの怒りのとばっちりがいかないように、なんとか誤魔化そうと心に誓うのだった。

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