121 / 204
第二章
41.淡い希望と咎人の烙印
しおりを挟む
風は刃となり、大気を切り裂きながら、女性の悲鳴にも似た咆哮をあげて雷を呼び寄せた。大粒の雨が窓を叩く。
空を覆う暗雲は、幾度となく白い光を放った。時折、建物を揺らす程の雷鳴の轟きと共に、その白く鋭い切先が大地を穿つ。
雷光が室内を白く染めるたび、ルイスの顔にいくつもの感情が過ぎる。それは亡き父に向けたものなのか、無知で無力だったルイス自身へか、それとも彼に何一つ真実を告げる事なく、なのに何一つ守る事ができなかった役立たずのアリシティアにか。
アリシティアの視界の中で、ルイスはゆっくりと息を吐き出し、顔に当てた手を離した。手のひらをきつく握りしめる。激情と葛藤を覆い隠すように、彼はその美しい青紫の瞳を閉じた。
再び暗雲が白い光に切り裂かれ、大地を抉る衝撃に窓ガラスが共鳴する。
「ごめんなさい…」
ともすれば、聞き逃してしまうような声で、アリシティアは謝罪の言葉を口にした。
幼い日のアリシティアは、自分にも事件を阻止する為に何かできると思っていた。
けれど、その慢心があの嵐の中のローヴェル邸での悲劇を招いた。
まるであの日を再現したような嵐の中。アリシティアはギリギリと喉を締め付けられるような息苦しさと、心臓に剣を突き刺されたような痛みを自覚する。
彼女の中に感情が荒れ狂う。
『ごめんなさい』『ゆるして』とどれだけ言えば、許しは与えられるのか。
だが、もはや誰に何を許されたいのかすらも、今のアリシティアには分からなかった。それ以前に、アリシティアが許しを乞うなど、とてつもなく強欲で罪深い行為だと思えた。
何度となく考えた。
小説の中のルイスは、彼の父親が彼に似た子供を陵辱している所を母親に目撃され殺された事しか知らなかった。
それだけでもそれをルイスは自身の罪だと思い込んでしまった。
アリシティアがルイスに両親の惨劇の現場を見せなかったから、なんだというのだろう。アリシティアの行動は、より残酷な真実を、ルイスが知らなくても良かった真実を知るきっかけを作ってしまった。
アリシティアさえ何もしなければ。アリシティアが関わらなければ。
何かを望めば、その代償が必要になる。
あの頃のアリシティアは、代償を支払う必要性など考える事さえせずに、ただ運命を変えられると思っていた。思い上がった、あまりにも無知な子供。
アリシティアは抜けない棘のように、心に刺さったままの言葉を思い出した。
────── なんの役にも立たない、出来損ないの人形……
その通りだと彼女は思った。
アリシティアさえ何もしなければ、双子はあの場所に今もいたかもしれない。
前ラローヴェル侯爵夫妻のすべての罪をもみ消されたルイスが、数え切れない犠牲の上で、呪縛のような罪悪感に絡めとられながら、生きる事もなかった。
何も知らない子供だったルイスに、罪などありはしないのに。
がらんどうの人形が、運命を変えようなどと思う事自体、おこがましいのかもしれない。それでも…。
アリシティアは心の中で自嘲し、気持ちを切り替えるように、深く息を吐いた。
「…前侯爵とあの男達の関係性まではわかりません。けれど、今の彼らは襲撃や誘拐を専門にしていて、昔と同じように、高位貴族の顧客を抱えている事だけはわかりました」
「それで、あの2人の今の雇い主が、さっき言ってたリスティアード子爵って訳なの?」
ベアトリーチェの問いに、アリシティアは頷く。
「ええ。そうみたい。多くの貴族は、多かれ少なかれ、闇社会の人間との繋がりを持っているの。こういう事は犯罪を実行する側と依頼者側、双方の信頼が必要で、一度信頼関係が成立すると、同じ人を使う。その辺のゴロツキに依頼する方が安いけど、高位の貴族はそんなことはしない。だから彼らを探ると令嬢誘拐事件に関わった人間がわかるはずなの」
だが、それだけではない。それはアリシティアが、ようやく探し当てた、過去のリーベンデイルの生きた人形への手掛かりだ。小さな小さな、とても淡く儚い、それでも消えた双子につながる唯一の希望。
わずかに目を眇めたベアトリーチェはソファーの肘置きに腕を置き、頬杖をついた。
「…ねぇ。今更なんだけどさぁ。その話、私が聞いてもいいのかしら? 私、知ってはいけない秘密を知ったとか言われて、陛下や王太子殿下に暗殺されるのは嫌よ?」
「大丈夫よ、あの温厚な陛下やお優しい王太子殿下が、暗殺なんてする訳無いじゃない。やるとしたら王弟殿下ね」
「お優しい…ねぇ。何にせよ、王弟殿下に狙われた時点で、大丈夫な要素が全くないんじゃない?」
ベアトリーチェは秀麗な顔に苦笑を浮かべ、肩を竦める。
そんなベアトリーチェを見て、アリシティアは困ったように微笑んだ。
空を覆う暗雲は、幾度となく白い光を放った。時折、建物を揺らす程の雷鳴の轟きと共に、その白く鋭い切先が大地を穿つ。
雷光が室内を白く染めるたび、ルイスの顔にいくつもの感情が過ぎる。それは亡き父に向けたものなのか、無知で無力だったルイス自身へか、それとも彼に何一つ真実を告げる事なく、なのに何一つ守る事ができなかった役立たずのアリシティアにか。
アリシティアの視界の中で、ルイスはゆっくりと息を吐き出し、顔に当てた手を離した。手のひらをきつく握りしめる。激情と葛藤を覆い隠すように、彼はその美しい青紫の瞳を閉じた。
再び暗雲が白い光に切り裂かれ、大地を抉る衝撃に窓ガラスが共鳴する。
「ごめんなさい…」
ともすれば、聞き逃してしまうような声で、アリシティアは謝罪の言葉を口にした。
幼い日のアリシティアは、自分にも事件を阻止する為に何かできると思っていた。
けれど、その慢心があの嵐の中のローヴェル邸での悲劇を招いた。
まるであの日を再現したような嵐の中。アリシティアはギリギリと喉を締め付けられるような息苦しさと、心臓に剣を突き刺されたような痛みを自覚する。
彼女の中に感情が荒れ狂う。
『ごめんなさい』『ゆるして』とどれだけ言えば、許しは与えられるのか。
だが、もはや誰に何を許されたいのかすらも、今のアリシティアには分からなかった。それ以前に、アリシティアが許しを乞うなど、とてつもなく強欲で罪深い行為だと思えた。
何度となく考えた。
小説の中のルイスは、彼の父親が彼に似た子供を陵辱している所を母親に目撃され殺された事しか知らなかった。
それだけでもそれをルイスは自身の罪だと思い込んでしまった。
アリシティアがルイスに両親の惨劇の現場を見せなかったから、なんだというのだろう。アリシティアの行動は、より残酷な真実を、ルイスが知らなくても良かった真実を知るきっかけを作ってしまった。
アリシティアさえ何もしなければ。アリシティアが関わらなければ。
何かを望めば、その代償が必要になる。
あの頃のアリシティアは、代償を支払う必要性など考える事さえせずに、ただ運命を変えられると思っていた。思い上がった、あまりにも無知な子供。
アリシティアは抜けない棘のように、心に刺さったままの言葉を思い出した。
────── なんの役にも立たない、出来損ないの人形……
その通りだと彼女は思った。
アリシティアさえ何もしなければ、双子はあの場所に今もいたかもしれない。
前ラローヴェル侯爵夫妻のすべての罪をもみ消されたルイスが、数え切れない犠牲の上で、呪縛のような罪悪感に絡めとられながら、生きる事もなかった。
何も知らない子供だったルイスに、罪などありはしないのに。
がらんどうの人形が、運命を変えようなどと思う事自体、おこがましいのかもしれない。それでも…。
アリシティアは心の中で自嘲し、気持ちを切り替えるように、深く息を吐いた。
「…前侯爵とあの男達の関係性まではわかりません。けれど、今の彼らは襲撃や誘拐を専門にしていて、昔と同じように、高位貴族の顧客を抱えている事だけはわかりました」
「それで、あの2人の今の雇い主が、さっき言ってたリスティアード子爵って訳なの?」
ベアトリーチェの問いに、アリシティアは頷く。
「ええ。そうみたい。多くの貴族は、多かれ少なかれ、闇社会の人間との繋がりを持っているの。こういう事は犯罪を実行する側と依頼者側、双方の信頼が必要で、一度信頼関係が成立すると、同じ人を使う。その辺のゴロツキに依頼する方が安いけど、高位の貴族はそんなことはしない。だから彼らを探ると令嬢誘拐事件に関わった人間がわかるはずなの」
だが、それだけではない。それはアリシティアが、ようやく探し当てた、過去のリーベンデイルの生きた人形への手掛かりだ。小さな小さな、とても淡く儚い、それでも消えた双子につながる唯一の希望。
わずかに目を眇めたベアトリーチェはソファーの肘置きに腕を置き、頬杖をついた。
「…ねぇ。今更なんだけどさぁ。その話、私が聞いてもいいのかしら? 私、知ってはいけない秘密を知ったとか言われて、陛下や王太子殿下に暗殺されるのは嫌よ?」
「大丈夫よ、あの温厚な陛下やお優しい王太子殿下が、暗殺なんてする訳無いじゃない。やるとしたら王弟殿下ね」
「お優しい…ねぇ。何にせよ、王弟殿下に狙われた時点で、大丈夫な要素が全くないんじゃない?」
ベアトリーチェは秀麗な顔に苦笑を浮かべ、肩を竦める。
そんなベアトリーチェを見て、アリシティアは困ったように微笑んだ。
29
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。
Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。
そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。
そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。
これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。