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漆黒の人(香港マフィア頭領次男坊編)
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「なんだ、お前さん。まだまるっきり白紙というわけか。ホテル代だってバカにならねえだろうが」
「ええ、まあ……。でもじいちゃんが貯蓄を残してくれたんで、当座の生活費は何とかなります。とにかくどんな仕事でもいいんで、職を探そうと思ってます」
と、ここで金の話が出たことで、冰は思い出したように周を見つめた。
「そういえば大事なことを忘れてました……! あの、これを……」
冰は抱えていた鞄から通帳を取り出すと、周の前へとそれを差し出した。
「――これは?」
「じいちゃんから預かった通帳と印鑑です。周さんがずっと援助してくださっていたお金と聞きました」
むろんのこと、周には身に覚えのある話だ。冰の養育費として、黄老人の口座へ欠かすことなく振り込んできたものだからだ。
「あの……じいちゃんはこのお金には手をつけていないと言っていました。それで、これを周さんにお返ししようと思って、俺……」
冰が丁寧に両手で通帳の向きを周の方へと向けて差し出す。まるで茶道を嗜んだ者のように流麗な仕草が美しい。
「周さんのご厚情は忘れません。本当に今まで……こんなに気に掛けてくださっていたなんて、俺は何も知らないで……。本当にありがとうございます」
「――おい」
深々と頭を下げる冰に、周はわずかに眉根を寄せてみせた。
「お前、これを返すってのか?」
「……は、いえ、あの、周さんにはお世話になって……心から感謝でいっぱいです。ですが、こんな大金、俺にはどうしていいか……。やはりお返しするべきかと思いまして……」
だが、周の表情は先程までの親しげな感じとはわずかながら違っている。気分を害したというわけでもなさそうだが、やわらかな笑みは消えていて固い無表情なのだ。冰はまたしてもハッとしたように硬直してしまった。周が厚意で支援してくれていたものを返すと言えば、それはそれで失礼だったろうかと思い至ったからだ。むろん、冰に悪気はこれっぽっちもなかったのだが、周の立場で考えるならば、やはり失礼に当たるのかも知れない。
冰は今更ながら焦ってしまい、それこそどうしていいやら目の前が真っ白になってしまいそうだった。
「も、申し訳ありません……! ご気分を害されてしまったなら謝ります……。ですが、その……俺は」
しどろもどろで言葉にならない。全身は冷や汗でびっしょりといった具合のまま、冰は垂れた頭を上げることさえできなかった。
「――ふ、正直なヤツだな」
見ずともそれが決して機嫌の悪い声音でないことが分かった。周の低めの声が笑みを帯びているように感じられたからだ。
「いいから頭を上げろ。怒っちゃいねえよ」
「周……さん」
ようやくと冰は顔を上げ、おそるおそるといった調子で対面の周を見上げた。
「ええ、まあ……。でもじいちゃんが貯蓄を残してくれたんで、当座の生活費は何とかなります。とにかくどんな仕事でもいいんで、職を探そうと思ってます」
と、ここで金の話が出たことで、冰は思い出したように周を見つめた。
「そういえば大事なことを忘れてました……! あの、これを……」
冰は抱えていた鞄から通帳を取り出すと、周の前へとそれを差し出した。
「――これは?」
「じいちゃんから預かった通帳と印鑑です。周さんがずっと援助してくださっていたお金と聞きました」
むろんのこと、周には身に覚えのある話だ。冰の養育費として、黄老人の口座へ欠かすことなく振り込んできたものだからだ。
「あの……じいちゃんはこのお金には手をつけていないと言っていました。それで、これを周さんにお返ししようと思って、俺……」
冰が丁寧に両手で通帳の向きを周の方へと向けて差し出す。まるで茶道を嗜んだ者のように流麗な仕草が美しい。
「周さんのご厚情は忘れません。本当に今まで……こんなに気に掛けてくださっていたなんて、俺は何も知らないで……。本当にありがとうございます」
「――おい」
深々と頭を下げる冰に、周はわずかに眉根を寄せてみせた。
「お前、これを返すってのか?」
「……は、いえ、あの、周さんにはお世話になって……心から感謝でいっぱいです。ですが、こんな大金、俺にはどうしていいか……。やはりお返しするべきかと思いまして……」
だが、周の表情は先程までの親しげな感じとはわずかながら違っている。気分を害したというわけでもなさそうだが、やわらかな笑みは消えていて固い無表情なのだ。冰はまたしてもハッとしたように硬直してしまった。周が厚意で支援してくれていたものを返すと言えば、それはそれで失礼だったろうかと思い至ったからだ。むろん、冰に悪気はこれっぽっちもなかったのだが、周の立場で考えるならば、やはり失礼に当たるのかも知れない。
冰は今更ながら焦ってしまい、それこそどうしていいやら目の前が真っ白になってしまいそうだった。
「も、申し訳ありません……! ご気分を害されてしまったなら謝ります……。ですが、その……俺は」
しどろもどろで言葉にならない。全身は冷や汗でびっしょりといった具合のまま、冰は垂れた頭を上げることさえできなかった。
「――ふ、正直なヤツだな」
見ずともそれが決して機嫌の悪い声音でないことが分かった。周の低めの声が笑みを帯びているように感じられたからだ。
「いいから頭を上げろ。怒っちゃいねえよ」
「周……さん」
ようやくと冰は顔を上げ、おそるおそるといった調子で対面の周を見上げた。
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