15 / 1,212
漆黒の人(香港マフィア頭領次男坊編)
15
しおりを挟む
一方の冰にもまた、テーラーに入るなり驚かされる出来事が待ち受けていた。
そもそも何故この店に連れて来られたのかということさえ分からないままだ。周は今後の仕事内容の説明がてらと言っていたから、先ずは社内を案内されるか、もしくは支社のようなものがあってそちらから見学させてもらえるのだろうかなど、漠然と思いながら言われるままについて来たというだけなのだ。
「では早速採寸から始めさせていただきます」
またしてもビシッとしたスーツで決めた初老の男が丁寧な態度で一礼する。見たところ彼がこの店の担当者なのだろう。周や劉とはよくよくの顔見知りのようで、阿吽の呼吸だ。
そんな男が自分の前に来て『失礼いたします』と言い、メジャーを当て始める。
「あの、周さん……? 採寸って、俺の……ですか?」
冰はワケが分からず周を見上げてしまった。
「そうだ。お前さん、荷物は殆ど香港で処分してきちまったんだろう? 先ずは勤めるに当たっていろいろ必要だろうが」
引っ越しも済んでいないまま香港を離れ、この日本の地で暮らそうと思ってやって来たのなら、大した荷物も持って来ていないのだろう。周はそう察したようだった。
確かに日常の必需品は日本で新しく揃えればいいと思って、必要最低限のものしか持って来なかった。就職するに当たってのスーツは確かに必要だし、面接の際にも入り用かと思って二着ほどは持参してきた。あとは追々揃えていけばいいと思っていたのだが、周の行動の速さには驚かされるばかりだ。
「もしかして……制服とかがあるんですか?」
周の会社では制服まで支給されるのだろうかと思ったわけだ。そういえば、先程の受付嬢らも揃いの制服姿だったことを思い出し、冰はとっさにそう訊いたのだった。
すると周はまたしても可笑しそうに瞳をゆるめてみせた。
「制服――ね。まあそんなところだ」
「はぁ、それは助かります」
まさに素直な感想だった。制服があるなら今後のコーディネートに悩むこともないので有り難い限りだが、それにしても一目で高級店だと分かるこんなテーラーで揃えるだなんて、いったい周の会社というのはどれほど儲かっているのだろうと目を丸くしてしまう。冰にとってはまさに夢幻の如くだった。
だがまあ、実際にはすべての社員に制服をあつらえているわけではない。受付嬢など制服を支給する部署もあるにはあるが、男性社員は基本的に自由としている。つまりは自前のスーツということだ。
だが周は、この日本の地で一からスタートをしようとしている冰に必需品を揃えてやりたいと思い、馴染みのテーラーへ連れて来たというわけだ。それに、こうして冰に質のいいスーツを与えるのにはもうひとつ理由があった。まだ冰には告げてはいないが、周は彼を自らの秘書として勤めさせる心づもりでいたからだった。
そもそも何故この店に連れて来られたのかということさえ分からないままだ。周は今後の仕事内容の説明がてらと言っていたから、先ずは社内を案内されるか、もしくは支社のようなものがあってそちらから見学させてもらえるのだろうかなど、漠然と思いながら言われるままについて来たというだけなのだ。
「では早速採寸から始めさせていただきます」
またしてもビシッとしたスーツで決めた初老の男が丁寧な態度で一礼する。見たところ彼がこの店の担当者なのだろう。周や劉とはよくよくの顔見知りのようで、阿吽の呼吸だ。
そんな男が自分の前に来て『失礼いたします』と言い、メジャーを当て始める。
「あの、周さん……? 採寸って、俺の……ですか?」
冰はワケが分からず周を見上げてしまった。
「そうだ。お前さん、荷物は殆ど香港で処分してきちまったんだろう? 先ずは勤めるに当たっていろいろ必要だろうが」
引っ越しも済んでいないまま香港を離れ、この日本の地で暮らそうと思ってやって来たのなら、大した荷物も持って来ていないのだろう。周はそう察したようだった。
確かに日常の必需品は日本で新しく揃えればいいと思って、必要最低限のものしか持って来なかった。就職するに当たってのスーツは確かに必要だし、面接の際にも入り用かと思って二着ほどは持参してきた。あとは追々揃えていけばいいと思っていたのだが、周の行動の速さには驚かされるばかりだ。
「もしかして……制服とかがあるんですか?」
周の会社では制服まで支給されるのだろうかと思ったわけだ。そういえば、先程の受付嬢らも揃いの制服姿だったことを思い出し、冰はとっさにそう訊いたのだった。
すると周はまたしても可笑しそうに瞳をゆるめてみせた。
「制服――ね。まあそんなところだ」
「はぁ、それは助かります」
まさに素直な感想だった。制服があるなら今後のコーディネートに悩むこともないので有り難い限りだが、それにしても一目で高級店だと分かるこんなテーラーで揃えるだなんて、いったい周の会社というのはどれほど儲かっているのだろうと目を丸くしてしまう。冰にとってはまさに夢幻の如くだった。
だがまあ、実際にはすべての社員に制服をあつらえているわけではない。受付嬢など制服を支給する部署もあるにはあるが、男性社員は基本的に自由としている。つまりは自前のスーツということだ。
だが周は、この日本の地で一からスタートをしようとしている冰に必需品を揃えてやりたいと思い、馴染みのテーラーへ連れて来たというわけだ。それに、こうして冰に質のいいスーツを与えるのにはもうひとつ理由があった。まだ冰には告げてはいないが、周は彼を自らの秘書として勤めさせる心づもりでいたからだった。
39
あなたにおすすめの小説
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる