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謀反
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その夜、汐留のダイニングにて周はいつものように夕卓についた。目の前には相変わらずに何かと気遣って世話を焼いてくれる冰がいる。調味料を取ってくれたり、茶を注ぎ足してくれたりとよく気が回る。
「冰君、今日は楽しかった。久しぶりで外に出たが、たまにはいいもんだな。ケーキも美味かったしな」
「そうですね! 俺も嬉しかったです。また行きましょう」
「ああ。それで……俺も週明けから仕事に復帰したいと思ってな。身体の方は何ともないんだし、家でゴロゴロしているだけじゃしょうもねえし。まあ仕事の内容は冰君たちに教えてもらいながらになると思うから、結局世話を掛けちまうのはすまないと思うが」
冰は驚いた。ついこの間までは呆然としていて、ろくに会話もままならなかった周がそんなことを言い出すとは思ってもみなかったからだ。だが、確かに一人邸にこもっていても、かえって滅入ってしまうこともあるかも知れない。通勤時間も掛からないわけだし、周がそうしたいと言うならそれもいいだろう。そう思った冰は賛成することにした。
「周さんが復帰してくだされば俺たちも助かります! 李さんと劉さんも喜ぶでしょうし。ただ無理はしないでくださいね。少しでも疲れたり頭が痛くなったりしたら、我慢せずにすぐに言ってください」
「ああ、そうさせてもらう。世話を掛けるがよろしく頼むな」
「こちらこそです! 嬉しいなぁ。周さんと一緒にお仕事できるなんて今から楽しみです!」
言葉通り本当に嬉しそうに笑顔を見せてくれるその表情を見ているだけで、周もまたホッとあたたかい気持ちになるのだった。
◇ ◇ ◇
そうして半月が過ぎた。
社の代表としての仕事を完璧にとまではいかずとも、李や冰のサポートもあってか、周が勘を取り戻すのは早かった。もちろん、記憶は相変わらずに戻らないままだから、接待などに顔を出すことは控えていたものの、それ以外の業務はほぼほぼ差し障りなくこなせるようになり、李らも明るい兆しに期待を馳せる。
また、社の仕事に復帰してからというもの、身の回りのことも徐々に自らで行えるようになっていった。これまでは一から十まで冰の手を借りていた食事や風呂なども、一人で進んで行えるまでに快復をみせていく。
週末には鐘崎と紫月が汐留を訪れたり、逆に鐘崎らの家へ遊びに行ったりして、少しずつだが以前と変わらぬ日々が戻りつつあった。
そんな中で周が気に掛かることといえば、やはり自分が結婚していたという相手のことだった。記憶を失くしてから、かれこれもうひと月にもなるというのにその相手はただの一度たりと連絡をしてこない。会いにすら来ないのだ。周にはそれだけが不思議でならなかった。
周りの人間は皆口を揃えて『いい人だ。あなたのことをこの世の誰よりも大切に想っている』と言う。医師の鄧から聞いた話では、社の方を切り盛りしてくれているとのことだったが、仕事に復帰した今も会った試しはない。支社や系列会社を見てくれているとしても、一生懸命に社の存続の為に動いてくれているというのであれば、そんな人物が亭主の緊急時に知らんふりでいるというのも腑に落ちない。
友の鐘崎や紫月、側近だという李や劉、家令の真田に運転手の宋、それに秘書の冰。彼らと過ごす日々は実に心地好いのは事実だ。記憶はなくとも、すっかり皆とも馴染んで、特に不満などもない。過去のことは思い出せずともこのまま新たに皆との絆を深めていけばそれでいいような気にさえなってくる。
周にとっての悩みは、未だ会えない伴侶のことと、日に日に募る冰への想いの狭間で揺れ動く感情だけであった。
「冰君、今日は楽しかった。久しぶりで外に出たが、たまにはいいもんだな。ケーキも美味かったしな」
「そうですね! 俺も嬉しかったです。また行きましょう」
「ああ。それで……俺も週明けから仕事に復帰したいと思ってな。身体の方は何ともないんだし、家でゴロゴロしているだけじゃしょうもねえし。まあ仕事の内容は冰君たちに教えてもらいながらになると思うから、結局世話を掛けちまうのはすまないと思うが」
冰は驚いた。ついこの間までは呆然としていて、ろくに会話もままならなかった周がそんなことを言い出すとは思ってもみなかったからだ。だが、確かに一人邸にこもっていても、かえって滅入ってしまうこともあるかも知れない。通勤時間も掛からないわけだし、周がそうしたいと言うならそれもいいだろう。そう思った冰は賛成することにした。
「周さんが復帰してくだされば俺たちも助かります! 李さんと劉さんも喜ぶでしょうし。ただ無理はしないでくださいね。少しでも疲れたり頭が痛くなったりしたら、我慢せずにすぐに言ってください」
「ああ、そうさせてもらう。世話を掛けるがよろしく頼むな」
「こちらこそです! 嬉しいなぁ。周さんと一緒にお仕事できるなんて今から楽しみです!」
言葉通り本当に嬉しそうに笑顔を見せてくれるその表情を見ているだけで、周もまたホッとあたたかい気持ちになるのだった。
◇ ◇ ◇
そうして半月が過ぎた。
社の代表としての仕事を完璧にとまではいかずとも、李や冰のサポートもあってか、周が勘を取り戻すのは早かった。もちろん、記憶は相変わらずに戻らないままだから、接待などに顔を出すことは控えていたものの、それ以外の業務はほぼほぼ差し障りなくこなせるようになり、李らも明るい兆しに期待を馳せる。
また、社の仕事に復帰してからというもの、身の回りのことも徐々に自らで行えるようになっていった。これまでは一から十まで冰の手を借りていた食事や風呂なども、一人で進んで行えるまでに快復をみせていく。
週末には鐘崎と紫月が汐留を訪れたり、逆に鐘崎らの家へ遊びに行ったりして、少しずつだが以前と変わらぬ日々が戻りつつあった。
そんな中で周が気に掛かることといえば、やはり自分が結婚していたという相手のことだった。記憶を失くしてから、かれこれもうひと月にもなるというのにその相手はただの一度たりと連絡をしてこない。会いにすら来ないのだ。周にはそれだけが不思議でならなかった。
周りの人間は皆口を揃えて『いい人だ。あなたのことをこの世の誰よりも大切に想っている』と言う。医師の鄧から聞いた話では、社の方を切り盛りしてくれているとのことだったが、仕事に復帰した今も会った試しはない。支社や系列会社を見てくれているとしても、一生懸命に社の存続の為に動いてくれているというのであれば、そんな人物が亭主の緊急時に知らんふりでいるというのも腑に落ちない。
友の鐘崎や紫月、側近だという李や劉、家令の真田に運転手の宋、それに秘書の冰。彼らと過ごす日々は実に心地好いのは事実だ。記憶はなくとも、すっかり皆とも馴染んで、特に不満などもない。過去のことは思い出せずともこのまま新たに皆との絆を深めていけばそれでいいような気にさえなってくる。
周にとっての悩みは、未だ会えない伴侶のことと、日に日に募る冰への想いの狭間で揺れ動く感情だけであった。
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