極道恋事情

一園木蓮

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春遠からじ

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「ああ、すまん。大丈夫か?」
「ん……平気……ゴホ……」
 冰の背中をトントンと叩いてやりながら、周は案外真面目な顔で続けた。
「そういや――どこで聞いた話だったか忘れたが――墨ってのはいい香りがするだろう? あれはな、牡鹿のフェロモンが練り込んであるからなんだそうだぞ」
「牡鹿?」
「雄の鹿のことだ」
「そ、そうなの? そう言われてみれば確かにいい匂いがするよね。墨って書道の……あの墨のことでしょ?」
 何と言おうか安らげる香りというか、ふんわりと落ち着けるというか、心地好い香りなのは確かだ。
「あいつに言い寄ってくるのは厄介な女が多いってのは事実だ。まあ、フェロモンってのは冗談だが――カネのヤツにそういうのを引き寄せちまう何かがあるのは確かだろうな」
「で、でもさ。じゃあ鐘崎さんの周りにはそういう女の人しかいないのかっていったら、そういうわけでもないじゃない? 例えば里恵子ママさんとか銀座のクラブのホステスさんたちとかとは普通に仲がいいじゃない? それについこの前も鐘崎さんを陥れようとしたエージェントの女の人がいたけど、結果的には反省してくれて、今では鐘崎組とも良好な関係が築けてるっていうしさ」
「ああ、メビィとかいう女エージェントか。あの女の場合はカネに気があったというよりは鐘崎組と強い繋がりを持ちたいが為の単なる工作の一環だったようだからな。今じゃ後腐れなく裏の世界の同胞としていい関係でいるみてえだが――。つまり相手がまともな女なら――というよりも色恋が絡まなければカネも気張らずにいられるということか」
 だが、確かに今のままでは彼が人間不信に陥ってしまわないか心配である。
「何かいい方法はないかなぁ……。世の中にはそんなヘンな人ばっかりじゃないって鐘崎さんが思えるような……っていうか、警戒心は確かに必要だけど、人が変わっちゃうほど悩まなくていいように少しでも気持ちを楽にしてあげられるようなっていうのかな」
「――そうだな。このままじゃヤツ自身もしんどいだろうしな」
「多分……側で見てる紫月さんも辛いと思うんだよね。鐘崎さんはきっと自分を責めてて、必要以上に自分を戒めてるっていうのかな……。例えば二人のどちらかが勝手なことをしちゃったとかでそうなってるなら仕方ないかもだけど、鐘崎さんも紫月さんもお互いを何より大切にしてるんだし、悪いことなんて何もしてないのに……」
 それではあまりに気の毒ではないかと思えるのだ。
「まあな。仮にカネが浮気でもしてギクシャクしてるってんなら自業自得ということになるんだろうが――」
「ねえ白龍、うちでお茶会みたいなのってどう? 紫月さんに喜んでもらえるようなケーキとか買ってきて息抜きしてもらうの」
「ああ、いいかもな。案外特別なことをするより気兼ねない俺たちとたわいのない話をするってのも気晴らしになるかも知れん」
 せっかくならシェフに言って二人を象徴する椿のケーキでも作ってもらったらいいのでは――ということになり、茶会でもしようと決まったわけだった。
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