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13章 ー アン ー

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ディークが憎いだろう、ロベルト。俺と組まないか?




「リトルシャドウ! お前の挑発に乗るつもりはない」



時間が遡る。

イベリスがハルたちと出会う前。
ロベルトが、激闘の末に、リックを拘束した後のことだ。

彼は、浜辺で倒れていたイベリスの存在に意識が向いていなかった。

完全な油断だった。

リトルシャドウは、ロベルトに拘束される直前に、リックからイベリスへ憑依の対象を移していた。

その時点で、ロベルトは、一度憑依を解かれた人間が再び憑依されることを想定できていなかったのだ。

イベリスは倒れている。ゆえにそちらへ意識を向けなくても良い。

これが安易な判断だった。

少し考えればロベルトも対応できていたことだったが、目の前のリックを拘束することに集中していたため、気が回らなかった。

作戦指揮官を任されているロベルトにとって、完全な個人戦を行うことはここ数年なかったことだ。

実力はあったが、勘が鈍っていた。

イベリスに憑依したリトルシャドウは、ロベルトに『マリオネット』を仕掛けた。

マリオネットに掛かったロベルトは、意識が飛び、操られる。通常であれば、術中に意識が復活することはない。

だが、ロベルトは魔術師として、そういった意識操作の類いは研究し尽くしていた。

マリオネットは強力なユニークスキルだ。個人の持つオリジナルの先天的なスキルは、後天的に習得できる通常の術に比べ何倍もの効力を発揮する。

だが、ロベルトはそのスキルを打ち破って意識を復活させた。

それを感じ取ったリトルシャドウは、ロベルトに対し、交渉を持ちかける。

憑依というのは、ただ身体を乗っ取るだけでなく、その本人の意識をコントロールする必要があるのだ。

特に、負の感情に訴えかけ、恨みや妬みを引き出し、その解決に力を貸すと交渉する。
これは、負の感情に対し、人が感情的になることを彼らは知っているからだ。

マリオネットを打ち破ったロベルトが、憑依を自力で解く可能性は充分にある。
ならば、そうなる前に、交渉し、彼の心を取り込む必要がある。

人は怒りの感情に支配されている時、外部から操作されていても気が付かない。

人間の行動を制限し、コントロールするのに、その個人のトラウマの記憶は非常に役に立つ。
闇魔法の根本は、負の感情なのだ。

実験体として強化されたリトルシャドウにとって、憑依の対象からトラウマを引き出すことは容易たやすかった。

『ロベルト、俺と組め。ディークの失態を咎める権利が、お前にはあるのだ』


「それ以上、僕の記憶を探るな」



◇ ◇ ◇



7年前。フォースインゴットの最北端。

ロベルトが25歳だった頃、彼は戦士として、隣国との戦争に参加していた。

ロベルトには大切な人がいた。補給班の中で、戦士の救護を行っている『アン』という女性だった。

アンと知り合ったのは、ロベルトが戦場で腕を負傷し、治療するために入ったテントの中だ。

当時ロベルトは非常にストイックで、自分にも他人にも厳しく、誰一人として信用せず、あてにしてはいなかった。

しかし、腕の負傷に関しては、自分で治癒するには時間が掛かると判断し、仕方なくテントへ赴いた。

当時アンは、19歳。栗色の長髪を後ろで綺麗に束ねた、利発そうな顔をした女性だった。

学校での成績は上位で、優等生だったアンは、早い段階で現場での補給班へ投入された。補給班の人員は救護も兼ねている。アンのような優秀な生徒は、現場の経験を経て救護の指揮を任されることも多い。

ただ、実戦での救護は初めてだったため、終始落ち着きがなく、運ばれてくる戦士への対応も緊張で震えていた。

補給班には救護に関してベテランの女性も多い。対応が遅いと悪目立ちする。新人は先輩たちからは疎まれる存在だった。
運ばれてくる戦士も、声を荒げてアンに要求した。

時には、アンに対し心無い発言をする者もいた。現場の人間は慣れているが、アンにとっては初めての経験だ。

その日も、救護班のテントは忙しかった。

戦士の救護にあたるアン。比較的軽めの患者だったが、道具が足りず、治療が遅れたため、患者を怒らせてしまった。

「さっさと治療してくれよ。遅いんだよお前。戦場じゃ若いなんて言い訳にならねーよ。ったく、なんで俺がこんな目に遭わないといけないんだ。お前みたいな女は良いよな! 安全なとこで、守られて。どうせ俺らが死んでも、危なくなったら撤退して次の現場に行けばいいだけだもんな。同情してるんだろ、弱い男だってな。みんな裏で陰口言いあってるってこと知ってんだぜ俺は。ひでーよな、俺らは頑張ってんのによ。こんな国、滅びればいいんだ」

アンのプライドは深く傷ついた。

アンは学生時代、フォースインゴットがいかに素晴らしい国であるかを授業で習った。強く慈悲深い、正義の国。そんな国に攻め込むような悪の組織に対しては、鉄槌を下す必要がある。そういった内容だ。

素晴らしい国の素晴らしい戦士へ支援をする、補給班。そして、救護。まさに愛と正義の象徴だと教師は語った。
第一線で戦う者こそ、最も誇り高き人間であり、その支援を行えることほど幸せなことはない。

優等生だったアンは、戦場以外で、色んな怪我人の救護にあたった。それも、現場の訓練としての一環だった。アンは感謝され、自信を付けた。周りの評価も上々、それどころか、学生の身でありながら最も多くの怪我人を治療したということで、表彰されたりもした。

教師たちは手を叩いて称賛し、親は親戚や友人に自慢して回った。
アンの多くの友人たちの一人が言った。

「アンといるだけで、傷が治りそう。何もしなくても、アンは最高の友達だよ!」


戦場。


目の前の戦士が吐き捨てるようにアンに言った。

「名札見せろよ! アン? へぇー、覚えておこう。戦場で一番役立たずで無能な小娘がいたって。名前、広めておいてやるよ。当然文句は言えないよな。だってお前らもやってることだもんな。お前に治療されると悪化しそうだ。ベテランを呼んできてくれ、それがお前のできる唯一の治療法だ。……あ? 何とか言えよ。救護班だろ?」


アンは震えながらその現場を去ろうとして、人にぶつかった。


ロベルトだった。


「す、すいません」
震えた声で離れようとしたが、制止する。

「申し訳ありません。腕に怪我をしているんですが、治してもらえませんか? これでは術が使えないんです」

「あ、あの、私、ぜんぜんダメな救護員なんで、私なんかが治療したら、怪我を悪くさせてしまうので……」

涙声だった。

ロベルトはその時は全くアンに同情もしていなかった。ただ、早く腕を治したいだけだった。

「そんなわけないでしょう。新人ですか? その『救護班の腕章』をつけて仕事をしている人が、ダメな人間のはずがないでしょう。つまらないことを言ってないで治してください。軽傷なので、他の救護員に声を掛けるのは気が引けていたんです。ちょうど良いです。お願いします」

「は、はい、すぐ治療にあたりますので、こちらへ」

アンは気を取り直し、軽傷治療のためのテントへ誘導しようとする。

さっきアンに声を荒げていた戦士が声を掛ける。

「おい待て、ベテランを呼ぶ仕事が残ってるだろ! おい、女!」

アンは恐怖を感じた。

ロベルトが代わりに答える。

「うるさいですね。あなたも大した怪我ではないでしょう。ベテランの方は重症になる可能性の高い患者を、優先的に治療しています。そこの呼び鈴を使いなさい。勘違いなさっているかもしれませんが、あなたの怒鳴り声よりも、よほど役に立ってくれますよ」


テントを去るロベルトとアン。


戦士が、呼び鈴を手にした。直接呼んだ方が良いと思っていたため、使ったことはなかった。

チリーン、と、何とも静けさの残る音が鳴った。

すると、10秒も立たないうちに救護員が駆け付けた。

「はい! お呼びですね。すぐ人を送ります」

戦士は呼び鈴を見つめた。


「なるほど」









「すいません、気が回らなくて」

「いえ、構いません。僕の治療を優先していただいて感謝いたします」

「はい」

軽傷者のためのテントで、アンは、ロベルトの腕に治療の魔法を掛けながら、消毒し、包帯を巻いていた。癒しの魔法や術というのは、包帯や、装備品に魔力を含ませることでその効力を持続できる。直接治療すると魔力を余分に消費してしまうが、包帯を使うと消費も少なくて済む。外気にさらされることもないので効果的だ。

ロベルトは、完治するまでの時間を頭の中で計算しつつ、この現場がいつまで持つかを考えていた。

おそらく、長くは持たないだろう。

「あの、ロベルトさん」

アンは、テントに入る際に渡される患者用の名札を見て言った。

「なんでしょう」

「ロベルトさんは、怖くないんですか?」

「何がですか?」

「戦場です」

「戦場が怖いかどうかですか?」

「え、ええ」

「それほど怖くはないです」

「そんな人、本当にいるんですね」

「アンさん、でしたか?」

「はい、アンです」

アンは嬉しそうに自分の名札をロベルトに見せた。この時、すでにアンはロベルトに好意を持っていた。

「あなたは、なぜ戦場が怖いと感じると思いますか?」

「えっと、それは、死ぬかもしれないから、ですか?」

「そうですか、では、アンさんにとって、戦場が怖い理由は、死ぬかもしれないから、ということですね」

アンはロベルトの言っている意味が分からないと思った。

「死ぬことが、怖くない人もいるということですか?」

「そういう方も中にはいらっしゃるでしょうね」

「ロベルトさんも、怖くないのですか?」

「怖いですよ。僕は死にたくはありません」

アンは少し安心した。

「そうですよね。それが普通ですよね」

「僕が尋ねたのは、戦場が怖いかどうかであって、死ではありません。死は通常、怖いものです。しかし、死を怖がらない人間も稀にいます」

「それはどんな人を言うんですか?」

「順を追って説明しましょう。戦場を怖く感じない人間というのは、2種類存在します」

「どういうことですか?」

「一つは、戦場での死を受け入れた人間。もう一つは、戦場に対し、明確な目的を持った人間です」

「受け入れた人というのは、分かる気がします。覚悟がある人ということですね」

「覚悟? それはどうでしょうね。どうにも手段が思いつかず、生きることを諦めた人間に、覚悟という言葉が似合うと思いますか? テロを企て、自らを武器として敵陣へ突っ込むことも、諦めた人間と言えます」

「テロ、ですか、それは明確な目的ではないのですか?」

「国や、誰か個人を守るという目的で死を選ぶのは、『死を受け入れている』と僕は判断しています。死を受け入れるための目的というのは、『本人』にとって価値はありません。死を評価する人間が外部にいる場合のみです。僕は、個人の死に対して、価値を付けることが、昔から受け入れられないのです」

「誰かのために死ぬことは、いけないことなんですか?」

「いけません。どうしてもそれが、自分のためだというのであれば、否定しませんが。その『誰か』が、あなたへ感謝してくれる。そういう願望を叶えるためであれば、それも良いでしょう。しかし、それを死後どうやって確かめるというのです? できませんよね。おそらく、戦場で死ぬつもりだった戦士が、偶然生還して、普通の生活を送ることが出来始めたら、こう思うでしょう。どうして戦場なんかでがむしゃらに戦っていたんだと。国のためというのは、死を受け入れるための口実に過ぎませんから」

アンは、ロベルトの言葉を聞き、さっきの戦士が口にしていた怒りを少し理解できた気がした。

「じゃあ、もう一つの、明確な目的の、目的っていうのは、どういう意味なんですか?」

「実績を上げるために戦場へ向かうということです。手段の一つですね。それが僕自身のケースです」

「目的のために、戦場へ行くのですか? 殺されるかもしれないのに」

「では、アンさんに質問です。食料を得るために動物を狩ることをどう思いますか?」

「普通だと思います」

「その動物に殺される可能性があっても普通だと思いますか?」

「……そういうことですか」

アンは気付いた。ロベルトの『戦場』というものに対しての考え方に。

「ロベルトさん、あなたは、戦場をただの狩りの場だとお考えなのですか? 実績をあげるための」

「ご名答。分かっていただけて光栄です」

「自信が、お有りなんですね」

「いえいえ、自信がないので、僕は数々の魔術を研究し、習得しました。大きな獲物を狩る時は、準備が必要です。ここの戦士は、みなさん準備不足なだけです。丸腰でドラゴンを仕留められると思っていては、成果はあげられませんからね。ドラゴンだって、殺されたくはありません。全力で立ち向かってくるでしょう」

「ありがとうございます。ロベルトさん」

ロベルトはアンの目をじっと見つめる。さっきの動揺した様子は微塵もなくなっていた。そこには、意志の強い、救護班としての使命を感じている女性の姿があった。

「私も、準備不足でした。ロベルトさんと一緒に、ドラゴンを倒します!」

「君は補給班でしょう。援護をしっかり頼みますよ」

「はい! 任せてください。私、学校で表彰されるくらい、優等生だったんですよ!」

「突然自慢ですか?」

「そうですが、いけませんか?」

「いけないことはないですが、まぁ、良いでしょう」

ロベルトの腕の怪我がほぼ完治した。アンの実力は大したものだとロベルトは感心した。
椅子から立ち上がり、テントを出ようとした時にアンが声を掛ける。

「あ、あの、ロベルトさん!」

振り返るロベルト。

「なんです? 次の患者のところへ早く行ってあげた方が良いですよ。あなたは腕が良いんですから」

「ロベルトさんは、今夜、ここへ戻ってきますか?」

ロベルトは一瞬考える。

「そう、ですね、土か、闇の刻の時間には、一度戻るとは思いますが。何か?」

「ロベルトさんさえ、嫌じゃなければ、あの、一緒にご飯とか、どうでしょう?」

恐る恐る声を掛けるアン。

「ご飯?」

ロベルトは、全く予想していない言葉に戸惑った。

アンが取り乱す。

「いえあの、えっとですね、嫌だったら全然大丈夫です、私って、ドジだし、ぜんぜん魅力とかないし、胸もないし、すいません! 私、なにいってんだろ」

さすがのロベルトも、アンの好意は伝わった。しかし、ロベルトが戻るかどうかは、戦場の状況次第だった。とはいえ、これだけあからさまに言われると、無碍むげにもできないと思った。

「そうですか。わかりました。では、闇の刻までにはこちらへ戻りましょう。しかし、患者を優先してくださいね。僕は簡単には死にませんので、いつでも会えます。それでは」

ロベルトはテントを出た。

アンは、仕事のことが完全に頭から抜け、喜んだ。

夜、たくさんロベルトに話を聞いてもらおうと思った。そして、たくさん褒めてもらおう。
この救護班に入ってから、自信を喪失していたアンにとって、ロベルトは唯一の自分の居場所のような気がした。
できる限り、彼と一緒に居たいと思った。


「毎日は、さすがに迷惑よね」


呼び鈴の音が鳴った。軽傷患者のテントからなので、自分の担当だった。

仕事をしていたことを思い出し、現場へ向かう。アンは満面の笑みだった。

しかし、ある疑問が湧いてきて、一瞬にしてその表情は曇った。



「……ロベルトさんって、彼女とかいるのかな」



軽傷の患者と向き合った時のアンの顔は、嫉妬心で溢れ、鬼のように険しかった。

患者はその般若のような顔を見ながらつぶやいた。


「おれの怪我、そんなに深刻なのか」



アンが調べると、ただの捻挫ねんざだった。






 
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