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2章 粛清と祭
第59話 夏の終わりと春祭
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僕の過去についてマリンに話す前に、思い出しておきたい事がいくつかある。
それは、この聖天使女学院に転入が決まって、初日の挨拶を行った日のことだ。
僕が転入する際に、牧野院長に質問された内容で、予想していなかった内容があった。
それは、僕の精力の強さ、つまり、何回くらいアレを発射出来るのかについて聞かれたのだ。
一応、答えた回数は5~10回ほど。
正直、かなりの絶倫だというのは、自分でもそれなりに自覚はあった。
この学院が、院内で、見習いサキュバス学院と呼ばれている事を知ったのは、そのすぐ後のことだ。
内情が分かって驚きはしたものの、実はこの転入に関して、僕のこの性質も関連している。
一応、両親の仕事の都合で転入が決まった事に変わりは無いが、当然ながら、周辺で別の学校を探す事は可能だった。
だが、僕が過去に、性的な事情でカウンセリングを受けていた事が転入に関わっている。
そう、この転入はカウンセリング先からの紹介なのだ。
この学院の生徒の半数以上が、特殊なルートでの紹介を受けて受験していると聞いている。
もちろん、誰でも入学可能なレベルでは無く、試験の難易度は低くは無い。
ただ、ギリギリで編入試験を突破した僕はともかく、女の子達は優秀な子が多いことは事実だ。
特に、ゆかやあやか、アカリ、写真部副部長のまふゆなどは、前の学校でトップクラスの成績だったと聞いている。
そんな子が、事情はどうであれ入学しているという事は、それなりに学院の質の高さが担保されていることになる。
確かに、学舎は綺麗だし、院内のルールは緩い割にトラブルもほとんど聞かない。
僕が個人的に月富ラナに蹴り飛ばされたくらいだろう。
これは報告してないので、学院のトラブルとしてはまだ件数にカウントされていない。
まぁ、これについては、僕が男子生徒だった事が原因なので、学院の治安とは関係ないかもしれない。
……要するに、学院としての格は高い部類ではあるわけだ。
世間でそれほど目立っていないのは、都心部から大きく離れて、しかも山の上にあると言う立地の悪さや、そもそも女学院なので男子生徒が居ないことが原因とも言われてる。
しかし、実態は不明だ。
まだ何か秘密はあるはずだが、もしかすると、入学の面接で、サキュバス化の危険が無い時点で大半が弾かれている可能性もある。
まぁ、委員長のあやかはオールグリーンだったのだが……。
さて、そんなわけで、僕がなぜ絶倫になったのかの話に戻ろう。
ここには、僕としては恥ずかしくも苦い思い出がある。
本音を言えば、誰にも話したくないし、実際、この学院に入らなかったら話す事はなかった。
これはマリンという特殊な女の子だからこそ話せる事と言える。
……それは、僕がまだ13歳。中学生の時期のことだ。
僕には、春祭心という友人が居た。
心と書いて、シン、と読ませる。
入学式が終わった後、たまたまクラスで席が前後になり、後ろの席が彼だった。
名簿を見て、春祭と言う苗字を聞いた事が無かったので、珍しいねと僕から声を掛けたのが始まりだった。
彼は初対面での僕の質問に苦笑していた。
たぶん過去に何度も聞かれ過ぎて飽き飽きしていたんだろう。
今なら分かる。
彼は空手教室に小学生の頃から通っていた。僕に正拳突きや足払いの基本を教えてくれたのも、もちろん彼だ。
シンが、学校の大会でどこまで行ったかは覚えてないが、2年生で空手部の主将になり、黒帯では無かったが、その前の茶帯を締めていた記憶はある。かなり強かった。実力者だ。
ちなみに、空手をやっているからと言って、身体が特別大きいと言うわけでもなく、当時の13歳の平均身長と体重くらいだったと記憶している。
シンは、特にアイドルのようなイケメンという訳では無いが、顔立ちの雰囲気がスッキリとしていて、格闘家と言うよりはむしろ知的な印象の男だった。
実際、優等生だった。
いつも短髪のスポーツ刈りだったので、当時の流行りとは真逆のヘアスタイルだったが、そこには関係なくモテていた。
ただ、恋愛については無頓着で、告白されても断っていたようだ。
確か、『俺には、遊んでいる時間なんて無いんだ』と言って、女の子を泣かせていた気がする。
凄い男だ。
遊びの事ばかり考えていた僕とは大違いだ。
シンは文武両道で、何でも出来るヤツだった。
器用で、運動が出来る他、テストも全教科常にほぼ満点。
学校のイベントでキャンプに行った時も、包丁の使い方が巧みで、料理が上手かった。
当然、クラスの人気者なわけで、僕としては劣等感を通り越して、羨望の眼差ししか無かった。
よく3年間も僕と友人だったなぁと、改めて思う。
彼は空手や勉強だけでは無く、思想にもこだわりがあり、色んな考え方を僕に説いてくれた。
彼は偉人の本を好んで読み、科学や文学にも同様に興味を持っていた。
色んな本を読んでいたので、僕も把握は仕切れていないが、確か、シェイクスピアやゲーテ、ニーチェ、ソクラテスの弁明など、名著を読んでいた。
読み終わると、僕に感想を聞かせてくれていた。
他にも、夏目漱石や芥川、坂口安吾、川端康成のような日本文学も好きだったようだ。
一時期、アインシュタインにハマっていた彼は、こんな話をした。
「玉元、俺はね、世の中の全ての事象は、相対性によって決定付けされると思っているんだ」
「それって、シンが前に読んでた、相対性理論の話?」
「それもあるけど、俺の中の相対性ってのは、玉元と俺の違いの事なんだ」
「……どういう話?」
「前置きで説明すると、君が過ごす時間には相対性というものが存在している」
「ちゃんと僕にも分かるように教えてよ」
「んー、例えば、玉元が1時間、数学の授業を聞いているとしよう」
「ふむふむ」
「そして、その公式は君にとって難解なものだった」
「それで?」
「そうなると、君の授業時間は極めて長いものになるだろう?」
「…………なるね」
「しかしだ」
「なに?」
「それが短くなる条件がある」
「なになに?それは助かる」
「君が今、片思いしている森乃さんが右斜め上の席に居たとしたら?」
「………それは」
当時、僕は委員長の森乃さんという女の子に恋していた。
それはもうガチガチのガチ恋だ。
セミロングの黒髪で、透き通る肌、目が大きくて、笑顔が優しいパーフェクトな容姿だった。
シンはニヤニヤとしながら僕に言う。
「な?……キミの時間は短くなっただろう?」
「たしかに、……なったな」
「それが相対性だ」
「へぇー、なるほどねぇ。……だけど、あんまり大きな声で言わないでよ、本人が居たらどうするんだ?」
「さっき森乃さんは皆んなの国語のノートを回収して職員室へ向かったから大丈夫だ」
「……だけど、他のメンツにバレるだろ」
「安心しろ」
「なんでさ」
「他のメンツはみんな知っている」
「知ってるのかよ」
「君が森乃さんを好きだということを知らないのは、森乃さん本人だけだ」
「……もう、分かったよ。それで、それを説明して何になるんだよ」
「皆んな勘違いをしているんだが、まず、確実に言える事は、俺の見える世界と、玉元の見える世界は違うってことだ。なぜだと思う?」
「えっと、なんだろう?……立ってる位置が違うから、とか?」
「まさか、空間座標の話をしているのか?着眼点はナイスだが、少しズレている」
「ごめん」
「良いとも、実際、俺とキミの座標もズレているのだから着眼点がズレるのも自然なことかもしれないね」
ややこしいな。シンは。
「それは良いからさ、ちゃんと説明してよ」
「分かった分かった。俺らの世界の認識はあくまで俺らの脳によるモノだ。俺にとっての世界は俺の脳が俺のために見せているモノだし、玉元の脳も玉元に見せるために世界を形造っている。君の脳こそが、君の世界の創造主というわけさ。それは分かるだろ?」
「言いたい事はわかるけどさ、混乱しそうだよ」
「まぁ聞けよ、そんなに難しい話ではない。つまり、俺は玉元とは違う世界で生きているから、玉元の世界を知るためには、玉元に話を聞くしか無い、そう言う事だ」
「僕が話さないと、世界の姿が分からないってこと?」
「それは客観的に見てって意味にはなるけどね。工夫して、別の主観を取り入れる事で、自分の世界は拡大されていくのだよ。そして、拡大されなければ、互いに分かり合うことは決してない。俺らはこうして、話し合う事でしか、共通の世界を認識できないってことさ」
「なんだか、急に難しいね、僕に理解できるのかな」
「できるさ。だって、俺と玉元は、こうして相対できる関係にある。相対できると言うのは、互いの存在を確認できると言う事なんだ。これは素晴らしい事なんだよ」
「そうなの?」
「あぁ、相対できるからこそ、互いに存在を確認し合う事ができるし、データの照合だって可能だ。俺たちがそれぞれの世界を開示し合うことで、新しい世界を脳内に構築できる。こうして初めて、俺たちは生きている事を実感できるんだ。だからこそ、対話が必要なんだよ」
「対話……、それがないと、なんで相手の世界が分からないんだろう」
「無知の知、という言葉がある」
「無知の?……血?知らないことが、痛いって事?」
「まさかブラッドの方の血を言ってるのか?俺が言っているのソフィアのことだよ、知識、知恵の知のことだ」
「あ、……あー、そ、そんなの分かってたよ、アレだよね、アリストテレスだっけ?」
「ソクラテスだ」
「あ、そうそう、ソクラテスだったね、ごめん」
「確かに、天才アリストテレスも、『友人は2番目の自己である』という名言を残しているくらい、対話への理解は深かったけどね。実際、彼はプラトンの弟子だしな」
「事故?友達が事故を起こすの?」
「なんでアクシデントの方の事故がここで出てくるんだ、ここで言ってるのは、アイデンティティの方だよ。セルフサービスとかの、セルフと言った方が分かりやすいか」
「へー。アイデンティティって?」
「自己同一性のことだ、自我同一性とも言うね」
「じこどういつせい?なにそれ」
「そうだね、簡単に言えば、キミがキミである社会的証明だ」
「僕は僕だよ」
「もちろん、玉元は玉元だ」
「それが証明できないなんてことがあるの?」
「うん、自分と他人を別の人間であると認識するためには、他者視点を持つ必要がある。まぁ、玉元はもう理解しているかも知れないが、そうだな、例えば、玉元が欲しいと思って買ったゲームを、森乃さんが欲しいとは限らないよね?」
「……そりゃそうだよ」
「それはどうしてそう言えると思う?」
「だって、森乃さんはゲームやらないし。……筆箱に付いてるキーホルダー、洋画のヒーローキャラだったもん」
「キーホルダーはともかく、ゲームをやらないかどうかなんて、玉元の憶測だろ?」
「まぁね」
「なら、彼女に聞かずに、それが分かる根拠は?」
「……興味無さそうだもん」
「それは、聞いてみないと分からないだろ」
「そっかなぁ」
「あるいは、今は興味が無くても、玉元が遊んでみせる事で興味が湧くかもしれないよ」
「そんな事、考えたことも無かった。……でも、そっか、楽しそうに見えるように僕がプレイするってのもアリだね、話すキッカケにもなるし」
「だろ?参考になったかい?」
「なったよ、さすがシンだ」
「ほら、これが対話だ」
「どういう意味?」
「僕らは無意識のうちに、世界の認識を言葉で共有して拡大させているんだ、それが今、証明されたわけだ」
「それが、プラトンの言ってたことなの?」
「違う、今言ってるのは、相対性の話だよ。それに、プラトンの話はしていない、ソクラテスの話はしたけど」
「プラトンってなんだっけ?」
「哲学者だよ、ソクラテスの弟子だ」
「そうだったね、ソクラテスの、なんだっけ?無知の知ってのは、関係あるの?」
「あぁ、俺たちは無知であるという事を知る事で、世界を拡大する事ができるんだ」
「なるほどね、さっきのゲームの話もそうなの?」
「そうだ。玉元は今、森乃さんへの偏見を払拭されたんだよ」
「偏見って?」
「ゲームに興味を持つわけが無い、という偏見だね」
「……たしかに」
「知らない事を知るために、僕らは対話したり、本を読んだりする。本を読むのが苦手だとしても、先生や先輩から話を聞く事くらいはできるだろう?それができる事は素晴らしい事なんだよ」
「そんな風に考えた事は無かったな、やっぱりシンはすごいよ」
「玉元だってすごいさ」
そんな話をしている時に、他の生徒が、会話に割り込んできた。
ここでは、A君としとこう。A君は、僕より成績優秀な生徒で、クラスではシンの次に成績が良かった記憶がある。
彼は、目付きが鋭くて、批判的な性格だった。クラスでも少し距離を置かれていたように思う。
彼はシンにこう言った。
「春祭、玉元にそんな話をしたってどーせ理解できないだろ。僕ならお前とでも対等に話せる。友達は選べ。僕らは将来、コイツらとは違う次元で働く事になるんだからな。無駄な付き合いは減らしといた方がいい」
……さすがに僕もコレには少し傷付いた。
シンの話はわからない事も多々あったが、それでも、友達には変わりなかったのだから。
僕と友達でいる事が、シンにとって無駄なのだと考えると悲しい。
僕は当時、それを言われてかなり落ち込んだ覚えがある。
だが、ここで、シンが反論した。
「キミの忠告には感謝するけど、キミのその理論には納得できないな」
「なんだよ、優しいんだな春祭は」
「そういうことではない。俺は玉元と相対性について話をしていたんだ。だから、俺と玉元は今、対等に話している状況だった。それなのに、それを理解せずに自分勝手な理論を展開するのは違うと思わないか?」
「対等?お前と玉元が?嘘だろ」
「俺たちは新しい世界の構築のために対話していたんだ」
「何を言っているんだよ」
「まったく、キミは相対性について何も理解していないな。……けれど、今はそれでも構わない。まだキミは開拓者ではないというわけだ。キミと違って、玉元は立派な開拓者だ。それを理解できないうちは、生簀の鯉のように、ただ餌を待ちながら過ごすと良いさ」
「……お前の考えてる事はよく分からない」
「キミにも分かる日が来るさ」
「もう良いよ、好きに玉元と無駄話してろよ、僕は忠告はしたからな」
「それはありがとう」
「じゃあなっ」
「待って!」
「……なんだ?僕に謝罪か?」
「あぁ、謝罪だ」
「分かればいいんだよ」
「違う、玉元に謝罪しろと言っている」
「は?……なんで僕が」
「当たり前だろ、キミは彼を侮辱したんだから」
「ぶ、侮辱って、大袈裟だろ」
「何も大袈裟ではない、さぁ、謝れ」
この時のシンは迫力があった。
本当に怒っているようだ。
僕はこの時、初めて冷静ではないシンを見たような気がした。
A君は、シンを見て、面倒そうに僕に向き直る。
「……変なこと言って、悪かった、玉元」
僕は必死で手をクロスさせて振る。
「だだ、大丈夫、僕はぜんぜん、……A君の言ってること、分かるし、分かるからさ……」
ここで、またシンが今度は僕へ追撃する。
「玉元、俺はキミが彼の言葉に共感する必要は無いと思ってる」
「なな、なんでさ」
「キミが彼から侮辱される理由は一つも無いからだ」
「いや、そんなことは……」
「玉元、俺はキミを開拓者として対等に話しているんだ。なのに、キミが別の理由で酷い言葉をかけられる言われは無いだろ」
「そう、……なのかな」
「玉元は、握力が自分より強いヤツの言葉には全部従うのか?」
「握力?……そりゃ、従わないよ」
「だろ?俺は空手をやってるから、この学校のほとんどの、俺より握力が強い奴に3秒以内に勝てる」
「………そうなんだ、凄いね」
「なんで3秒で勝てるような、たかが握力が強いヤツの言葉を聞かないといけないんだ?」
「……それは、シンが強いからで」
「玉元、相対性を理解して話さないと、これから先も損する結果になる。俺はそれが残念でならない」
「ごめん、シン」
「わかったら、彼をどうする?玉元、許してやるのか?」
「うん、今回だけね」
シンが笑った。
本気の笑顔だ。
シンがA君の方へ顔を向けた。
「良かったな、玉元が許してくれるそうだ」
A君はあからさまに不快な表情だ。
シンが続ける。
「だが、今回だけだ。キミの学習不足が生んだ見当違いの誹謗中傷に対して、彼から報復を受けずに済む事に感謝した方が良い」
「………分かったよ、じゃーな、春祭」
A君がその場を去って自分の席に戻った。
僕はシンの顔を見た。
「ありがとう、シン」
シンが満足そうな笑顔を浮かべる。
「そうだ、玉元、俺はごめんよりもありがとうと言われるのが好きなんだ。で、俺からもありがとうだ」
「なんで?」
「俺の新しい世界が、今、構築された。これは間違いなく玉元のおかげだ。こんな新鮮で発展的な時間はなかなか無い。やはり、玉元といると世界が広がる。だから、ありがとう」
「そっか、………シンが気にしてないなら、僕はそれで良いよ」
春祭心、彼と僕は、いつもこういう関係で、僕がシンへ疑問を話し、それを彼が彼なりの理屈で説明する。
僕にとって、彼の言葉は常に新鮮で、学びがあった。
A君から僕を守ってくれたのは嬉しいが、A君の言う意味は分からなくはない。
だから、シンが楽しいと思ってくれるように、僕も彼の関心のある分野に足を踏み入れようと思った。
僕はそれから先、自分でも見聞を広げようと色々と本を買ってみた。
初めはシンに借りていたが、彼の持ってくる本は専門分野の人が書いたものばかりで難しく、唯一全部読み切ることができたのは、ロビンソンクルーソーの本くらいだった。
彼は言った。
「ロビンソンクルーソーは本当に面白い。サバイバル的な読み方の他にも、人間の社会的問題を、根源的かつ、多角的な方面から描いている。言語を学んだ人類がまず初めに読んで置いて損の無い物語の一つだ」
僕にはそこまで深い読み方はできなかったが、単純に物語として面白かったので全部読めた。
シンともかなり仲良くなって、数ヶ月が経った、とある日の夕暮れ。
それは、夏の終わりごろ、8月末くらいの出来事だ。
僕が、学校の帰り、近くの書店で本を買って、神社の境内で座って読んでいると、御守りを売っている巫女さんが話し掛けてきた。
「キミ、何読んでるの?」
僕は本に齧り付くように読み耽っていたので、突然の声に驚いた。
顔を上げると彼女と目が合い、ドキッとした。
美人なお姉さんだった。
前から売り子の巫女さんはチラチラと目に入ってはいたが、そんなに近くで見た事は無かったので、こんなに美人だったとは思いもしなかった。
明るい茶髪、……というか、オレンジっぽい色にも見える髪を綺麗に結っていて、肌が白く瑞々しかった。
当時は、年齢は18だったはずだ。僕より5つ上、中学生からすると大人の女性だ。
身長は当時の僕よりは少し高い。たぶん163くらいだ。中学生は身長が伸びるのが早いから、少しずつ目線が同じになっていた事を覚えている。
僕を覗き込む彼女の髪から、ふわっと爽やかな良い香りがして、恥ずかしくなる。
ドキドキして、つい目線を逸らしてしまった。
「私、ソフィーって言うんだ」
ソフィー?
外国の方なのか?
でも顔立ちとか雰囲気は日本人だよな、しかも巫女さんっぽいし。
「あ、ぼ、僕は、あの、玉元セイシって言います。よろしくお願いします」
あたふたして大袈裟に頭を下げてしまう。
緊張がもろバレだ。恥ずかしい。
だけど、普通、男子中学生が綺麗なお姉さんから突然声を掛けられたらこうなるだろう?
「アハハ、そんな緊張しなくて大丈夫だよ、北中の子でしょ?」
「そ、そうです、よく分かりますね」
「そりゃ分かるよ、制服に校章付いてるし。それに、私も通ってたもん」
「そうなんですね」
同じ中学の先輩だったらしい。
「あの、……ソフィー、さんって……」
「あぁ、この名前でしょ?みんな最初、そういう顔するんだよね、外国人だと思ったでしょ?」
「お、思いました。だって」
「普通に両親とも日本人で、ハーフでもありませーん!ざんねんでしたー」
両手を頬の横でグーパーさせながらおちゃらけるソフィー。
可愛い。
スンとした美人の顔が、急に愛嬌のある笑顔になると、ギャップで魅力が倍増する。
すごい効果だ。
「そんなこと無いですよ、日本人とか外国人とか、ソフィーさんのお人柄とは関係ないじゃないですか」
「そうだねー、……てか、キミ、真面目なんだね」
「……そんな事ないですよ、僕なんて、友達に比べたらぜんぜん」
とっさに、頭にシンの顔が出てきてそう言う。
シンみたいなヤツこそが真面目であって、僕はただ、彼を追いかけてるだけのエセ真面目でしかないと思っていた。
今だって、ソフィーさんにドキドキしてて、本を読むどころでは無くなっているのだから。
「そっかー、その友達って、そんなに真面目なんだ」
「ハイ、そりゃもう、凄いやつなんです」
「ふーん、でもさ、セイシくんはセイシくんで、真面目だと思うな、私は」
名前を呼ばれてビクッとする。
可愛い声で名前を呼ばれると、気持ち良いものだ。
だけど、シンと同列に並ぶのは恐縮だ。
A君の言葉を思い出す。
僕は、彼とは次元が違うのだろう。
「…………真面目なんかじゃ無いですよ、……僕なんて」
ついつい小声で、卑屈になる。
僕はつまらない奴だと思っていた。だからこそ、少しでも面白い奴になるために、こうして本を読んでいたのだ。
だが、ソフィーは、そんな僕の気持ちには気付かないふりをしていたのか、僕の手から本を取り上げた。
「えいっ」
「あ、ソフィーさん、なにを」
「へー、『その子どもは、なぜ走る事を辞めたのか?』…………なんで?」
タイトルを読んだソフィーは、僕にそのタイトルの理由を聞いてきた。
「えっと、まだ途中なので」
「途中だと、答えが分からないの?」
「いや、そんな事は」
表題の疑問に関しては、序盤の方で解説があった。
この本は児童の教育に関しての評論だ。
先に進むにつれて、実際の解決策へのアプローチが書かれている。
かなり実践に特化している点が、僕に合うような気がして買ったのだ。
難しい理論は、シンに解説して貰えば良い。
「ねぇ、だったら、教えてよ」
「僕なんかの説明、聞くんですか?」
「え?だって、この本を読んでる人、そんなにいっぱいいないでしょ?」
「まぁ、最近出たばかりの本ですし」
「そうなの?それもそうかもだけど、そもそも私が読む事は無さそうだもん。これ、難しい心理学の本でしょ?私じゃ着いて行けそうに無いし」
「そうですか……、僕の解釈が合ってるか自信はないですが、それでも良いですか?」
「うんうん、良いよ、私、頭良くないから、分かりやすく説明してくれるだけで嬉しいんだ。少しくらい間違ってても怒ったりしないよ、私は多分読まないんだし」
「そうですか、……では、簡単に。……そこに出てくる小学2年生の男の子は、かけっこが得意だったんです」
「ふーん、小学生の子が主人公なんだ」
「主人公っていうと、評論なので、なんとも言えないですが、一応、そう思ってもらって良いです。その子は、幼稚園でずっと一等だったんです」
「そっか、凄いじゃん」
「ですが、小学校に入って、自分の足が全く速く無かったことに気が付いてしまうんですよ」
「小学2年生なんて、これから成長していくのに、なんでそんなに早く諦めちゃったんだろう」
「それが、この子の大きな課題なんですが」
「へぇー、なんだろ、面白そうだね」
「1番を取るためだけに走っていたので、走る事そのものは好きじゃ無かったんですよ」
「……なるほどね」
「そうなんです。実はこの子は、1番にならないなら、走る意味は無いと考えて、周りが走っていても、ずっと歩くようになっちゃったんですよ」
「そう………なんだ」
何となく、ソフィーが真剣な表情になっているように思う。
何を考えているんだろうか?
「この作者が、この子のご両親に取材しているんですが、両親とも、うちの子は走るのが大好きだったと答えているんです。いつも私達に自慢してたんですよって言って、走らなくなった事が信じられないようで」
「へー、親は子どもが走るのを嫌がってるって、気付いて無かったんだ」
「そうです。子どもが、かけっこで1番になったと自慢してたのは、親を喜ばせる為でしか無かったんですよ」
「そうなんだ。だけど、それは、両親にとっては悲しいね」
「どうしてそう思うんですか?」
「だって、自分たちを喜ばせるためだけに、小さい我が子が自慢してたなんて、凄い虚しいじゃん、なんか、自慢って、その子が聞いて欲しくてするのが普通なのにさ」
「……そうですね、だから、両親も困惑してたんですよ。子どもがマラソンに出る度に、1人だけ歩いているのを見て」
「イヤだよね、他のみんな走ってる中で、特別な事情があるわけでも無いのに、自分の子だけが歩いてる所を見るなんて」
「……そうなのかな?」
「え?おかしい?私の言ってる事」
「僕は、この子には特別な事情があったと思うんですよ」
「どうしてそう思うの?」
「例えば、骨折してるとか、生まれ付きの病気があるから走れないってのも、理由として正しいと思います。ですが、この子には、走りたくないという特別な事情があった。それを、走らない理由にしても良いと僕は思うんですよ」
「走りたくないから走らないなんて、そんなの許して良いの?」
「僕は良いと思いますよ」
「だけど、その子の将来のためになるの?」
「この子は別に、走れない訳ではないんですから、今後、必要に迫られることがあれば、走ると思います。以前は、1番になって、両親に自慢するためだけに走ってましたが、それが出来ないなら、別の方法で1番になって両親に自慢すると思うんです」
「……そっか、セイシくんって、優しいね」
「なんでそう思うんですか?」
「……だって、私、自分の都合で意見してたもん」
「どういう事ですか?」
「私がその子の親だったら、皆んなに合わせて走ってない事にしか注目しないもん。……だけど、それって、子どもの気持ちとか、何にも考えてないよね」
「なぜそう思うんですか?」
「周りと違う事をしている自分の子どもへの焦りしか見てなくて、子どもの走りたくないって気持ちを無視してた。ひどい親になる所だったよ、私は」
「そんな、まだ早いですよ、そんな事考えるのは」
「早くないよ、私、もう大人だもん」
「……そう、ですか」
「うん、考えてみたら、私もさっき、自分は頭悪いとか言い訳して、この本読まないって言ってたでしょ」
「そうだね、読まないって……」
「だけど、それって、この子の、走りたくないから走らないのと、全く同じじゃん?」
「全く同じって言うと、なんか違う気はするけど、読みたくないから読まないって言う意味では同じなのかな」
「でしょ?私、なんか聞いてて自分が恥ずかしくなっちゃった」
「そうなんだ、だけど、それなら、読む必要に迫られたら、ソフィーさんも読むんじゃないですか?」
「…………決めた!」
「なんですか?」
「この本、セイシくんが読み終わったら貸して!」
「え?それは、良いですけど」
「セイシくん、携帯!」
「は、はい、分かりました」
僕の携帯を取ったソフィーは、自分の連絡先を入れた。
「ハイ、これでオッケー!」
ポイっと、僕の手に投げる。
焦って受け取る僕。
「あ、ありがとうございます」
「セイシくん、私ね、自分が頭悪いって、勝手に理由作ってたって思った」
「そうなんですか?」
「うん、そう。自分には知識は必要無いって、勝手に思ってた。だけど、今の話聞いて、このままじゃダメだって思ったの」
「それは、良かったです」
「それとね、セイシくん、あなたは凄い!」
「……何でですか?」
「だって、まだ半分も読んで無いのに、こんなに私に分かりやすく説明できるなんて、天才なんじゃないかな?」
何を言ってるんだソフィーは。
天才ってのは、シンみたいなヤツの事を言うわけで、僕なんかは引き立て役みたいなもんでしかない。
ソフィーはそんな僕を全く気にしていないのか、鼻息を荒げてやる気を出している。
そんなにこの本を読みたいなら、先に貸しても良いくらいだ。
「あのさ、ソフィーさん」
「あ、私のことはソフィーで良いよ、タメ語解禁で!」
「えっと、…………じゃあソフィー、もし読みたいんなら、先に貸してあげても」
「それはダメ!」
「なんで?」
「えっとね、それは、私が読み終わったらすぐ、セイシくんと語り合いたいのよ。だから、セイシくんが読み終わってないと楽しめないでしょ?」
「そっか、それはそうかも」
「ねー、じゃ私、日曜と水曜以外はこの神社で売り子やってるから、いつでも会いに来てね」
「いいの?」
「良いよ、ってかさ、前からここで読んでたよね本。だったら、いつも通りでも会えるね」
ニコッと笑うソフィーに、僕の心臓が高鳴る。
こんなに嬉しい気持ちになったのは久しぶりだ。
シンには感謝だ。
もし、シンと友達になってなかったら、神社で本を読むことなんて無かった。
こんな美人で可愛い歳上の女の子と知り合いになれるなんて、人生はわからないものだ。
それにしても、シンとは全く別のジャンルというか、正反対の性格の子だ。
もし、シンを連れて来たら、どんな会話をするんだろうな。
ぜったい話が噛み合わなさそうだ。
シンの解説に、ずっと頭にクエスチョンマークを浮かべているソフィーの姿がありありと想像できる。
『ねぇ、シンって子、日本語で喋ってる?』とか、そんな事でも言いそうだ。
それはそれで面白い。
僕は、絶対交わらないだろうと思いながら、ソフィーに手を振って帰り道を歩いた。
信号が赤だったので立ち止まる。
そこで、僕は携帯でソフィーにメッセージを送ろうとアプリを開く。
ん?
まさか、嘘だろ。
こんな偶然あるのか?
いや、……そんな。
僕は目を疑った。
携帯に出ている、ソフィーの名前が、衝撃だったのだ。
春祭 知
もしかして、……シンの、お姉さん?
僕は、予想外の繋がりに、信号が青になってもずっとその場に立ち竦んでいた。
【アディショナル フォト】
追加 2024.9.02
【巫女: 春祭 知】
それは、この聖天使女学院に転入が決まって、初日の挨拶を行った日のことだ。
僕が転入する際に、牧野院長に質問された内容で、予想していなかった内容があった。
それは、僕の精力の強さ、つまり、何回くらいアレを発射出来るのかについて聞かれたのだ。
一応、答えた回数は5~10回ほど。
正直、かなりの絶倫だというのは、自分でもそれなりに自覚はあった。
この学院が、院内で、見習いサキュバス学院と呼ばれている事を知ったのは、そのすぐ後のことだ。
内情が分かって驚きはしたものの、実はこの転入に関して、僕のこの性質も関連している。
一応、両親の仕事の都合で転入が決まった事に変わりは無いが、当然ながら、周辺で別の学校を探す事は可能だった。
だが、僕が過去に、性的な事情でカウンセリングを受けていた事が転入に関わっている。
そう、この転入はカウンセリング先からの紹介なのだ。
この学院の生徒の半数以上が、特殊なルートでの紹介を受けて受験していると聞いている。
もちろん、誰でも入学可能なレベルでは無く、試験の難易度は低くは無い。
ただ、ギリギリで編入試験を突破した僕はともかく、女の子達は優秀な子が多いことは事実だ。
特に、ゆかやあやか、アカリ、写真部副部長のまふゆなどは、前の学校でトップクラスの成績だったと聞いている。
そんな子が、事情はどうであれ入学しているという事は、それなりに学院の質の高さが担保されていることになる。
確かに、学舎は綺麗だし、院内のルールは緩い割にトラブルもほとんど聞かない。
僕が個人的に月富ラナに蹴り飛ばされたくらいだろう。
これは報告してないので、学院のトラブルとしてはまだ件数にカウントされていない。
まぁ、これについては、僕が男子生徒だった事が原因なので、学院の治安とは関係ないかもしれない。
……要するに、学院としての格は高い部類ではあるわけだ。
世間でそれほど目立っていないのは、都心部から大きく離れて、しかも山の上にあると言う立地の悪さや、そもそも女学院なので男子生徒が居ないことが原因とも言われてる。
しかし、実態は不明だ。
まだ何か秘密はあるはずだが、もしかすると、入学の面接で、サキュバス化の危険が無い時点で大半が弾かれている可能性もある。
まぁ、委員長のあやかはオールグリーンだったのだが……。
さて、そんなわけで、僕がなぜ絶倫になったのかの話に戻ろう。
ここには、僕としては恥ずかしくも苦い思い出がある。
本音を言えば、誰にも話したくないし、実際、この学院に入らなかったら話す事はなかった。
これはマリンという特殊な女の子だからこそ話せる事と言える。
……それは、僕がまだ13歳。中学生の時期のことだ。
僕には、春祭心という友人が居た。
心と書いて、シン、と読ませる。
入学式が終わった後、たまたまクラスで席が前後になり、後ろの席が彼だった。
名簿を見て、春祭と言う苗字を聞いた事が無かったので、珍しいねと僕から声を掛けたのが始まりだった。
彼は初対面での僕の質問に苦笑していた。
たぶん過去に何度も聞かれ過ぎて飽き飽きしていたんだろう。
今なら分かる。
彼は空手教室に小学生の頃から通っていた。僕に正拳突きや足払いの基本を教えてくれたのも、もちろん彼だ。
シンが、学校の大会でどこまで行ったかは覚えてないが、2年生で空手部の主将になり、黒帯では無かったが、その前の茶帯を締めていた記憶はある。かなり強かった。実力者だ。
ちなみに、空手をやっているからと言って、身体が特別大きいと言うわけでもなく、当時の13歳の平均身長と体重くらいだったと記憶している。
シンは、特にアイドルのようなイケメンという訳では無いが、顔立ちの雰囲気がスッキリとしていて、格闘家と言うよりはむしろ知的な印象の男だった。
実際、優等生だった。
いつも短髪のスポーツ刈りだったので、当時の流行りとは真逆のヘアスタイルだったが、そこには関係なくモテていた。
ただ、恋愛については無頓着で、告白されても断っていたようだ。
確か、『俺には、遊んでいる時間なんて無いんだ』と言って、女の子を泣かせていた気がする。
凄い男だ。
遊びの事ばかり考えていた僕とは大違いだ。
シンは文武両道で、何でも出来るヤツだった。
器用で、運動が出来る他、テストも全教科常にほぼ満点。
学校のイベントでキャンプに行った時も、包丁の使い方が巧みで、料理が上手かった。
当然、クラスの人気者なわけで、僕としては劣等感を通り越して、羨望の眼差ししか無かった。
よく3年間も僕と友人だったなぁと、改めて思う。
彼は空手や勉強だけでは無く、思想にもこだわりがあり、色んな考え方を僕に説いてくれた。
彼は偉人の本を好んで読み、科学や文学にも同様に興味を持っていた。
色んな本を読んでいたので、僕も把握は仕切れていないが、確か、シェイクスピアやゲーテ、ニーチェ、ソクラテスの弁明など、名著を読んでいた。
読み終わると、僕に感想を聞かせてくれていた。
他にも、夏目漱石や芥川、坂口安吾、川端康成のような日本文学も好きだったようだ。
一時期、アインシュタインにハマっていた彼は、こんな話をした。
「玉元、俺はね、世の中の全ての事象は、相対性によって決定付けされると思っているんだ」
「それって、シンが前に読んでた、相対性理論の話?」
「それもあるけど、俺の中の相対性ってのは、玉元と俺の違いの事なんだ」
「……どういう話?」
「前置きで説明すると、君が過ごす時間には相対性というものが存在している」
「ちゃんと僕にも分かるように教えてよ」
「んー、例えば、玉元が1時間、数学の授業を聞いているとしよう」
「ふむふむ」
「そして、その公式は君にとって難解なものだった」
「それで?」
「そうなると、君の授業時間は極めて長いものになるだろう?」
「…………なるね」
「しかしだ」
「なに?」
「それが短くなる条件がある」
「なになに?それは助かる」
「君が今、片思いしている森乃さんが右斜め上の席に居たとしたら?」
「………それは」
当時、僕は委員長の森乃さんという女の子に恋していた。
それはもうガチガチのガチ恋だ。
セミロングの黒髪で、透き通る肌、目が大きくて、笑顔が優しいパーフェクトな容姿だった。
シンはニヤニヤとしながら僕に言う。
「な?……キミの時間は短くなっただろう?」
「たしかに、……なったな」
「それが相対性だ」
「へぇー、なるほどねぇ。……だけど、あんまり大きな声で言わないでよ、本人が居たらどうするんだ?」
「さっき森乃さんは皆んなの国語のノートを回収して職員室へ向かったから大丈夫だ」
「……だけど、他のメンツにバレるだろ」
「安心しろ」
「なんでさ」
「他のメンツはみんな知っている」
「知ってるのかよ」
「君が森乃さんを好きだということを知らないのは、森乃さん本人だけだ」
「……もう、分かったよ。それで、それを説明して何になるんだよ」
「皆んな勘違いをしているんだが、まず、確実に言える事は、俺の見える世界と、玉元の見える世界は違うってことだ。なぜだと思う?」
「えっと、なんだろう?……立ってる位置が違うから、とか?」
「まさか、空間座標の話をしているのか?着眼点はナイスだが、少しズレている」
「ごめん」
「良いとも、実際、俺とキミの座標もズレているのだから着眼点がズレるのも自然なことかもしれないね」
ややこしいな。シンは。
「それは良いからさ、ちゃんと説明してよ」
「分かった分かった。俺らの世界の認識はあくまで俺らの脳によるモノだ。俺にとっての世界は俺の脳が俺のために見せているモノだし、玉元の脳も玉元に見せるために世界を形造っている。君の脳こそが、君の世界の創造主というわけさ。それは分かるだろ?」
「言いたい事はわかるけどさ、混乱しそうだよ」
「まぁ聞けよ、そんなに難しい話ではない。つまり、俺は玉元とは違う世界で生きているから、玉元の世界を知るためには、玉元に話を聞くしか無い、そう言う事だ」
「僕が話さないと、世界の姿が分からないってこと?」
「それは客観的に見てって意味にはなるけどね。工夫して、別の主観を取り入れる事で、自分の世界は拡大されていくのだよ。そして、拡大されなければ、互いに分かり合うことは決してない。俺らはこうして、話し合う事でしか、共通の世界を認識できないってことさ」
「なんだか、急に難しいね、僕に理解できるのかな」
「できるさ。だって、俺と玉元は、こうして相対できる関係にある。相対できると言うのは、互いの存在を確認できると言う事なんだ。これは素晴らしい事なんだよ」
「そうなの?」
「あぁ、相対できるからこそ、互いに存在を確認し合う事ができるし、データの照合だって可能だ。俺たちがそれぞれの世界を開示し合うことで、新しい世界を脳内に構築できる。こうして初めて、俺たちは生きている事を実感できるんだ。だからこそ、対話が必要なんだよ」
「対話……、それがないと、なんで相手の世界が分からないんだろう」
「無知の知、という言葉がある」
「無知の?……血?知らないことが、痛いって事?」
「まさかブラッドの方の血を言ってるのか?俺が言っているのソフィアのことだよ、知識、知恵の知のことだ」
「あ、……あー、そ、そんなの分かってたよ、アレだよね、アリストテレスだっけ?」
「ソクラテスだ」
「あ、そうそう、ソクラテスだったね、ごめん」
「確かに、天才アリストテレスも、『友人は2番目の自己である』という名言を残しているくらい、対話への理解は深かったけどね。実際、彼はプラトンの弟子だしな」
「事故?友達が事故を起こすの?」
「なんでアクシデントの方の事故がここで出てくるんだ、ここで言ってるのは、アイデンティティの方だよ。セルフサービスとかの、セルフと言った方が分かりやすいか」
「へー。アイデンティティって?」
「自己同一性のことだ、自我同一性とも言うね」
「じこどういつせい?なにそれ」
「そうだね、簡単に言えば、キミがキミである社会的証明だ」
「僕は僕だよ」
「もちろん、玉元は玉元だ」
「それが証明できないなんてことがあるの?」
「うん、自分と他人を別の人間であると認識するためには、他者視点を持つ必要がある。まぁ、玉元はもう理解しているかも知れないが、そうだな、例えば、玉元が欲しいと思って買ったゲームを、森乃さんが欲しいとは限らないよね?」
「……そりゃそうだよ」
「それはどうしてそう言えると思う?」
「だって、森乃さんはゲームやらないし。……筆箱に付いてるキーホルダー、洋画のヒーローキャラだったもん」
「キーホルダーはともかく、ゲームをやらないかどうかなんて、玉元の憶測だろ?」
「まぁね」
「なら、彼女に聞かずに、それが分かる根拠は?」
「……興味無さそうだもん」
「それは、聞いてみないと分からないだろ」
「そっかなぁ」
「あるいは、今は興味が無くても、玉元が遊んでみせる事で興味が湧くかもしれないよ」
「そんな事、考えたことも無かった。……でも、そっか、楽しそうに見えるように僕がプレイするってのもアリだね、話すキッカケにもなるし」
「だろ?参考になったかい?」
「なったよ、さすがシンだ」
「ほら、これが対話だ」
「どういう意味?」
「僕らは無意識のうちに、世界の認識を言葉で共有して拡大させているんだ、それが今、証明されたわけだ」
「それが、プラトンの言ってたことなの?」
「違う、今言ってるのは、相対性の話だよ。それに、プラトンの話はしていない、ソクラテスの話はしたけど」
「プラトンってなんだっけ?」
「哲学者だよ、ソクラテスの弟子だ」
「そうだったね、ソクラテスの、なんだっけ?無知の知ってのは、関係あるの?」
「あぁ、俺たちは無知であるという事を知る事で、世界を拡大する事ができるんだ」
「なるほどね、さっきのゲームの話もそうなの?」
「そうだ。玉元は今、森乃さんへの偏見を払拭されたんだよ」
「偏見って?」
「ゲームに興味を持つわけが無い、という偏見だね」
「……たしかに」
「知らない事を知るために、僕らは対話したり、本を読んだりする。本を読むのが苦手だとしても、先生や先輩から話を聞く事くらいはできるだろう?それができる事は素晴らしい事なんだよ」
「そんな風に考えた事は無かったな、やっぱりシンはすごいよ」
「玉元だってすごいさ」
そんな話をしている時に、他の生徒が、会話に割り込んできた。
ここでは、A君としとこう。A君は、僕より成績優秀な生徒で、クラスではシンの次に成績が良かった記憶がある。
彼は、目付きが鋭くて、批判的な性格だった。クラスでも少し距離を置かれていたように思う。
彼はシンにこう言った。
「春祭、玉元にそんな話をしたってどーせ理解できないだろ。僕ならお前とでも対等に話せる。友達は選べ。僕らは将来、コイツらとは違う次元で働く事になるんだからな。無駄な付き合いは減らしといた方がいい」
……さすがに僕もコレには少し傷付いた。
シンの話はわからない事も多々あったが、それでも、友達には変わりなかったのだから。
僕と友達でいる事が、シンにとって無駄なのだと考えると悲しい。
僕は当時、それを言われてかなり落ち込んだ覚えがある。
だが、ここで、シンが反論した。
「キミの忠告には感謝するけど、キミのその理論には納得できないな」
「なんだよ、優しいんだな春祭は」
「そういうことではない。俺は玉元と相対性について話をしていたんだ。だから、俺と玉元は今、対等に話している状況だった。それなのに、それを理解せずに自分勝手な理論を展開するのは違うと思わないか?」
「対等?お前と玉元が?嘘だろ」
「俺たちは新しい世界の構築のために対話していたんだ」
「何を言っているんだよ」
「まったく、キミは相対性について何も理解していないな。……けれど、今はそれでも構わない。まだキミは開拓者ではないというわけだ。キミと違って、玉元は立派な開拓者だ。それを理解できないうちは、生簀の鯉のように、ただ餌を待ちながら過ごすと良いさ」
「……お前の考えてる事はよく分からない」
「キミにも分かる日が来るさ」
「もう良いよ、好きに玉元と無駄話してろよ、僕は忠告はしたからな」
「それはありがとう」
「じゃあなっ」
「待って!」
「……なんだ?僕に謝罪か?」
「あぁ、謝罪だ」
「分かればいいんだよ」
「違う、玉元に謝罪しろと言っている」
「は?……なんで僕が」
「当たり前だろ、キミは彼を侮辱したんだから」
「ぶ、侮辱って、大袈裟だろ」
「何も大袈裟ではない、さぁ、謝れ」
この時のシンは迫力があった。
本当に怒っているようだ。
僕はこの時、初めて冷静ではないシンを見たような気がした。
A君は、シンを見て、面倒そうに僕に向き直る。
「……変なこと言って、悪かった、玉元」
僕は必死で手をクロスさせて振る。
「だだ、大丈夫、僕はぜんぜん、……A君の言ってること、分かるし、分かるからさ……」
ここで、またシンが今度は僕へ追撃する。
「玉元、俺はキミが彼の言葉に共感する必要は無いと思ってる」
「なな、なんでさ」
「キミが彼から侮辱される理由は一つも無いからだ」
「いや、そんなことは……」
「玉元、俺はキミを開拓者として対等に話しているんだ。なのに、キミが別の理由で酷い言葉をかけられる言われは無いだろ」
「そう、……なのかな」
「玉元は、握力が自分より強いヤツの言葉には全部従うのか?」
「握力?……そりゃ、従わないよ」
「だろ?俺は空手をやってるから、この学校のほとんどの、俺より握力が強い奴に3秒以内に勝てる」
「………そうなんだ、凄いね」
「なんで3秒で勝てるような、たかが握力が強いヤツの言葉を聞かないといけないんだ?」
「……それは、シンが強いからで」
「玉元、相対性を理解して話さないと、これから先も損する結果になる。俺はそれが残念でならない」
「ごめん、シン」
「わかったら、彼をどうする?玉元、許してやるのか?」
「うん、今回だけね」
シンが笑った。
本気の笑顔だ。
シンがA君の方へ顔を向けた。
「良かったな、玉元が許してくれるそうだ」
A君はあからさまに不快な表情だ。
シンが続ける。
「だが、今回だけだ。キミの学習不足が生んだ見当違いの誹謗中傷に対して、彼から報復を受けずに済む事に感謝した方が良い」
「………分かったよ、じゃーな、春祭」
A君がその場を去って自分の席に戻った。
僕はシンの顔を見た。
「ありがとう、シン」
シンが満足そうな笑顔を浮かべる。
「そうだ、玉元、俺はごめんよりもありがとうと言われるのが好きなんだ。で、俺からもありがとうだ」
「なんで?」
「俺の新しい世界が、今、構築された。これは間違いなく玉元のおかげだ。こんな新鮮で発展的な時間はなかなか無い。やはり、玉元といると世界が広がる。だから、ありがとう」
「そっか、………シンが気にしてないなら、僕はそれで良いよ」
春祭心、彼と僕は、いつもこういう関係で、僕がシンへ疑問を話し、それを彼が彼なりの理屈で説明する。
僕にとって、彼の言葉は常に新鮮で、学びがあった。
A君から僕を守ってくれたのは嬉しいが、A君の言う意味は分からなくはない。
だから、シンが楽しいと思ってくれるように、僕も彼の関心のある分野に足を踏み入れようと思った。
僕はそれから先、自分でも見聞を広げようと色々と本を買ってみた。
初めはシンに借りていたが、彼の持ってくる本は専門分野の人が書いたものばかりで難しく、唯一全部読み切ることができたのは、ロビンソンクルーソーの本くらいだった。
彼は言った。
「ロビンソンクルーソーは本当に面白い。サバイバル的な読み方の他にも、人間の社会的問題を、根源的かつ、多角的な方面から描いている。言語を学んだ人類がまず初めに読んで置いて損の無い物語の一つだ」
僕にはそこまで深い読み方はできなかったが、単純に物語として面白かったので全部読めた。
シンともかなり仲良くなって、数ヶ月が経った、とある日の夕暮れ。
それは、夏の終わりごろ、8月末くらいの出来事だ。
僕が、学校の帰り、近くの書店で本を買って、神社の境内で座って読んでいると、御守りを売っている巫女さんが話し掛けてきた。
「キミ、何読んでるの?」
僕は本に齧り付くように読み耽っていたので、突然の声に驚いた。
顔を上げると彼女と目が合い、ドキッとした。
美人なお姉さんだった。
前から売り子の巫女さんはチラチラと目に入ってはいたが、そんなに近くで見た事は無かったので、こんなに美人だったとは思いもしなかった。
明るい茶髪、……というか、オレンジっぽい色にも見える髪を綺麗に結っていて、肌が白く瑞々しかった。
当時は、年齢は18だったはずだ。僕より5つ上、中学生からすると大人の女性だ。
身長は当時の僕よりは少し高い。たぶん163くらいだ。中学生は身長が伸びるのが早いから、少しずつ目線が同じになっていた事を覚えている。
僕を覗き込む彼女の髪から、ふわっと爽やかな良い香りがして、恥ずかしくなる。
ドキドキして、つい目線を逸らしてしまった。
「私、ソフィーって言うんだ」
ソフィー?
外国の方なのか?
でも顔立ちとか雰囲気は日本人だよな、しかも巫女さんっぽいし。
「あ、ぼ、僕は、あの、玉元セイシって言います。よろしくお願いします」
あたふたして大袈裟に頭を下げてしまう。
緊張がもろバレだ。恥ずかしい。
だけど、普通、男子中学生が綺麗なお姉さんから突然声を掛けられたらこうなるだろう?
「アハハ、そんな緊張しなくて大丈夫だよ、北中の子でしょ?」
「そ、そうです、よく分かりますね」
「そりゃ分かるよ、制服に校章付いてるし。それに、私も通ってたもん」
「そうなんですね」
同じ中学の先輩だったらしい。
「あの、……ソフィー、さんって……」
「あぁ、この名前でしょ?みんな最初、そういう顔するんだよね、外国人だと思ったでしょ?」
「お、思いました。だって」
「普通に両親とも日本人で、ハーフでもありませーん!ざんねんでしたー」
両手を頬の横でグーパーさせながらおちゃらけるソフィー。
可愛い。
スンとした美人の顔が、急に愛嬌のある笑顔になると、ギャップで魅力が倍増する。
すごい効果だ。
「そんなこと無いですよ、日本人とか外国人とか、ソフィーさんのお人柄とは関係ないじゃないですか」
「そうだねー、……てか、キミ、真面目なんだね」
「……そんな事ないですよ、僕なんて、友達に比べたらぜんぜん」
とっさに、頭にシンの顔が出てきてそう言う。
シンみたいなヤツこそが真面目であって、僕はただ、彼を追いかけてるだけのエセ真面目でしかないと思っていた。
今だって、ソフィーさんにドキドキしてて、本を読むどころでは無くなっているのだから。
「そっかー、その友達って、そんなに真面目なんだ」
「ハイ、そりゃもう、凄いやつなんです」
「ふーん、でもさ、セイシくんはセイシくんで、真面目だと思うな、私は」
名前を呼ばれてビクッとする。
可愛い声で名前を呼ばれると、気持ち良いものだ。
だけど、シンと同列に並ぶのは恐縮だ。
A君の言葉を思い出す。
僕は、彼とは次元が違うのだろう。
「…………真面目なんかじゃ無いですよ、……僕なんて」
ついつい小声で、卑屈になる。
僕はつまらない奴だと思っていた。だからこそ、少しでも面白い奴になるために、こうして本を読んでいたのだ。
だが、ソフィーは、そんな僕の気持ちには気付かないふりをしていたのか、僕の手から本を取り上げた。
「えいっ」
「あ、ソフィーさん、なにを」
「へー、『その子どもは、なぜ走る事を辞めたのか?』…………なんで?」
タイトルを読んだソフィーは、僕にそのタイトルの理由を聞いてきた。
「えっと、まだ途中なので」
「途中だと、答えが分からないの?」
「いや、そんな事は」
表題の疑問に関しては、序盤の方で解説があった。
この本は児童の教育に関しての評論だ。
先に進むにつれて、実際の解決策へのアプローチが書かれている。
かなり実践に特化している点が、僕に合うような気がして買ったのだ。
難しい理論は、シンに解説して貰えば良い。
「ねぇ、だったら、教えてよ」
「僕なんかの説明、聞くんですか?」
「え?だって、この本を読んでる人、そんなにいっぱいいないでしょ?」
「まぁ、最近出たばかりの本ですし」
「そうなの?それもそうかもだけど、そもそも私が読む事は無さそうだもん。これ、難しい心理学の本でしょ?私じゃ着いて行けそうに無いし」
「そうですか……、僕の解釈が合ってるか自信はないですが、それでも良いですか?」
「うんうん、良いよ、私、頭良くないから、分かりやすく説明してくれるだけで嬉しいんだ。少しくらい間違ってても怒ったりしないよ、私は多分読まないんだし」
「そうですか、……では、簡単に。……そこに出てくる小学2年生の男の子は、かけっこが得意だったんです」
「ふーん、小学生の子が主人公なんだ」
「主人公っていうと、評論なので、なんとも言えないですが、一応、そう思ってもらって良いです。その子は、幼稚園でずっと一等だったんです」
「そっか、凄いじゃん」
「ですが、小学校に入って、自分の足が全く速く無かったことに気が付いてしまうんですよ」
「小学2年生なんて、これから成長していくのに、なんでそんなに早く諦めちゃったんだろう」
「それが、この子の大きな課題なんですが」
「へぇー、なんだろ、面白そうだね」
「1番を取るためだけに走っていたので、走る事そのものは好きじゃ無かったんですよ」
「……なるほどね」
「そうなんです。実はこの子は、1番にならないなら、走る意味は無いと考えて、周りが走っていても、ずっと歩くようになっちゃったんですよ」
「そう………なんだ」
何となく、ソフィーが真剣な表情になっているように思う。
何を考えているんだろうか?
「この作者が、この子のご両親に取材しているんですが、両親とも、うちの子は走るのが大好きだったと答えているんです。いつも私達に自慢してたんですよって言って、走らなくなった事が信じられないようで」
「へー、親は子どもが走るのを嫌がってるって、気付いて無かったんだ」
「そうです。子どもが、かけっこで1番になったと自慢してたのは、親を喜ばせる為でしか無かったんですよ」
「そうなんだ。だけど、それは、両親にとっては悲しいね」
「どうしてそう思うんですか?」
「だって、自分たちを喜ばせるためだけに、小さい我が子が自慢してたなんて、凄い虚しいじゃん、なんか、自慢って、その子が聞いて欲しくてするのが普通なのにさ」
「……そうですね、だから、両親も困惑してたんですよ。子どもがマラソンに出る度に、1人だけ歩いているのを見て」
「イヤだよね、他のみんな走ってる中で、特別な事情があるわけでも無いのに、自分の子だけが歩いてる所を見るなんて」
「……そうなのかな?」
「え?おかしい?私の言ってる事」
「僕は、この子には特別な事情があったと思うんですよ」
「どうしてそう思うの?」
「例えば、骨折してるとか、生まれ付きの病気があるから走れないってのも、理由として正しいと思います。ですが、この子には、走りたくないという特別な事情があった。それを、走らない理由にしても良いと僕は思うんですよ」
「走りたくないから走らないなんて、そんなの許して良いの?」
「僕は良いと思いますよ」
「だけど、その子の将来のためになるの?」
「この子は別に、走れない訳ではないんですから、今後、必要に迫られることがあれば、走ると思います。以前は、1番になって、両親に自慢するためだけに走ってましたが、それが出来ないなら、別の方法で1番になって両親に自慢すると思うんです」
「……そっか、セイシくんって、優しいね」
「なんでそう思うんですか?」
「……だって、私、自分の都合で意見してたもん」
「どういう事ですか?」
「私がその子の親だったら、皆んなに合わせて走ってない事にしか注目しないもん。……だけど、それって、子どもの気持ちとか、何にも考えてないよね」
「なぜそう思うんですか?」
「周りと違う事をしている自分の子どもへの焦りしか見てなくて、子どもの走りたくないって気持ちを無視してた。ひどい親になる所だったよ、私は」
「そんな、まだ早いですよ、そんな事考えるのは」
「早くないよ、私、もう大人だもん」
「……そう、ですか」
「うん、考えてみたら、私もさっき、自分は頭悪いとか言い訳して、この本読まないって言ってたでしょ」
「そうだね、読まないって……」
「だけど、それって、この子の、走りたくないから走らないのと、全く同じじゃん?」
「全く同じって言うと、なんか違う気はするけど、読みたくないから読まないって言う意味では同じなのかな」
「でしょ?私、なんか聞いてて自分が恥ずかしくなっちゃった」
「そうなんだ、だけど、それなら、読む必要に迫られたら、ソフィーさんも読むんじゃないですか?」
「…………決めた!」
「なんですか?」
「この本、セイシくんが読み終わったら貸して!」
「え?それは、良いですけど」
「セイシくん、携帯!」
「は、はい、分かりました」
僕の携帯を取ったソフィーは、自分の連絡先を入れた。
「ハイ、これでオッケー!」
ポイっと、僕の手に投げる。
焦って受け取る僕。
「あ、ありがとうございます」
「セイシくん、私ね、自分が頭悪いって、勝手に理由作ってたって思った」
「そうなんですか?」
「うん、そう。自分には知識は必要無いって、勝手に思ってた。だけど、今の話聞いて、このままじゃダメだって思ったの」
「それは、良かったです」
「それとね、セイシくん、あなたは凄い!」
「……何でですか?」
「だって、まだ半分も読んで無いのに、こんなに私に分かりやすく説明できるなんて、天才なんじゃないかな?」
何を言ってるんだソフィーは。
天才ってのは、シンみたいなヤツの事を言うわけで、僕なんかは引き立て役みたいなもんでしかない。
ソフィーはそんな僕を全く気にしていないのか、鼻息を荒げてやる気を出している。
そんなにこの本を読みたいなら、先に貸しても良いくらいだ。
「あのさ、ソフィーさん」
「あ、私のことはソフィーで良いよ、タメ語解禁で!」
「えっと、…………じゃあソフィー、もし読みたいんなら、先に貸してあげても」
「それはダメ!」
「なんで?」
「えっとね、それは、私が読み終わったらすぐ、セイシくんと語り合いたいのよ。だから、セイシくんが読み終わってないと楽しめないでしょ?」
「そっか、それはそうかも」
「ねー、じゃ私、日曜と水曜以外はこの神社で売り子やってるから、いつでも会いに来てね」
「いいの?」
「良いよ、ってかさ、前からここで読んでたよね本。だったら、いつも通りでも会えるね」
ニコッと笑うソフィーに、僕の心臓が高鳴る。
こんなに嬉しい気持ちになったのは久しぶりだ。
シンには感謝だ。
もし、シンと友達になってなかったら、神社で本を読むことなんて無かった。
こんな美人で可愛い歳上の女の子と知り合いになれるなんて、人生はわからないものだ。
それにしても、シンとは全く別のジャンルというか、正反対の性格の子だ。
もし、シンを連れて来たら、どんな会話をするんだろうな。
ぜったい話が噛み合わなさそうだ。
シンの解説に、ずっと頭にクエスチョンマークを浮かべているソフィーの姿がありありと想像できる。
『ねぇ、シンって子、日本語で喋ってる?』とか、そんな事でも言いそうだ。
それはそれで面白い。
僕は、絶対交わらないだろうと思いながら、ソフィーに手を振って帰り道を歩いた。
信号が赤だったので立ち止まる。
そこで、僕は携帯でソフィーにメッセージを送ろうとアプリを開く。
ん?
まさか、嘘だろ。
こんな偶然あるのか?
いや、……そんな。
僕は目を疑った。
携帯に出ている、ソフィーの名前が、衝撃だったのだ。
春祭 知
もしかして、……シンの、お姉さん?
僕は、予想外の繋がりに、信号が青になってもずっとその場に立ち竦んでいた。
【アディショナル フォト】
追加 2024.9.02
【巫女: 春祭 知】
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近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
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