見習いサキュバス学院の転入生【R18】

悠々天使

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2章 粛清と祭

第60話 籠の中で語りたい

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「俺に兄弟がいるかなんて気になるのか?玉元は」


 夏休みが終わり、9月になった。

 1時間目の授業のあと、すぐに後ろの席にいるシンに声を掛けた。

 シンが僕の質問に意外そうな顔をした。



 僕は昨日の部活帰りに、神社で春祭はるまつり ソフィアという巫女の女の子と知り合って、その苗字に驚いたのだ。


 今、僕の目の前にいる友人。

 春祭はるまつり しん

 彼と同じ、珍しい苗字の巫女さん。

 顔が似てるかと言われると、そんな風には見えないが、年齢が離れているし、しかも男女となると、かなり注意深く見ないと分からないこともある。


 正直、見た目では分からない。


 僕はまだ疑っていた。

 だって、話した時の印象からは、シンの知的で力強い印象からは、ほど遠かったからだ。

 あの後、ソフィーと別れて家に着いてからも、僕は彼女の笑顔が頭に浮かんで離れなかった。


 ソフィーの目、鼻、唇、声、仕草を思い出すと、胸がドキドキして、眠れない。

 その時から多分、恋していたのだ。



 ……会ったばかりの彼女に。



 今日の帰りも、ソフィーに会うつもりだった。


 チラッと、教室の壁にもたれて友達と立ち話をしているクラス委員の森乃さんが視界に入る。

 森乃さんは可愛い。

 それは変わらないが、ソフィーに感じるトキメキとはまだ別の感情だ。

 単に好きだと思う気持ちと、恋に落ちる気持ちは別の感情なのだろうか?

 明らかに僕はソフィーに落ちていたのだ。

 だからこそ、シンとの関係が気になった。

 もし、本当にシンのお姉さんなら、仲が良いのかどうかくらいは知っておきたかった。

 関係性によっては、今後、春祭家にお邪魔する事だって可能かも知れないと思ったのだ。


 果たして、シンが協力的になってくれるかは、少し探ってみないと分からない。



「うん、シンって、雰囲気だけで言っても、長男って感じだと思ったんだけどさ。ほら……普段の振る舞いとか見ると、弟とか、妹とかいても不思議じゃないし……あ、そうだ。逆に、兄さんとか姉さんが居たりする?」

 僕が、要領を得ない、とっ散らかった質問をすると、シンが微笑む。


 この顔は、……勘繰っている時の顔だ。


 シンはいつも、僕の言動が不自然だと感じるとこの顔をする。

 裏がある事に、僕の挙動でバレバレなのだろう。

 今ならともかく、当時の僕ではシンに隠し事をするのは、ほぼ不可能だった。

「玉元、俺が長男だってことは、前にも言ったはずだ」

「…………そうだっけ?」

「あぁ、入学式の次の日、3時間目の休み時間、4時間目に向けて、理科室へ移動していた時の事を覚えているか?」

「そんなの、覚えてないよ」

「そうだろうな。もう4ヶ月くらい前だから無理もないか」

「うん」

「俺はその時に玉元から、『シンって頼りになるよね、もしかして下に兄弟でもいるの?』って聞かれたんだよ」

「……そんなセリフまで。どんだけ記憶力良いんだよシンは」

「それは違うさ。印象的だったから覚えてるってだけだ」

「そうなんだ。それで、シンはなんて答えたの?」

「俺は、って答えた」

「じゃあ、長男かどうかってのはまだ分からないじゃん」

「いや、正確には、って答えた」

「………そっか、1人っ子だったんだ」

「そうだ。だから、ってわけだ」

「そんな回りくどいロジックで説明されてもさぁ。そんなの僕だったら、あー、長男なんだ、……ってならないよ」

「そうかい?」

「そうだよ、僕はシンとは違うんだから」

「……まぁ、……そう言う事にしておこう。それで、どうして急にそんな事を聞いたんだ?」

「いや、何となく」

「以前は話の流れが自然だったし、まだ今ほど打ち解けては居なかったから、急な質問にも違和感が無かったんだが、今の質問には、何か意図がありそうだと思ってね」

「……そっか」

 鋭い。

 いや、僕が分かりやすいだけか。

 シンは、1人っ子。


 という事は、春祭ソフィアは、シンの姉では無い、という事だ。

 だけど、『春祭』なんて、見慣れない苗字だし、そう言われてもすぐには信じられない。


 本当に姉ではないのだろうか?


 考え過ぎだろうか?


 ……一応、近辺で同じ苗字が集まっている事は田舎じゃよくあることだし、確かに不思議ではないのかもしれない。親戚の可能性だってある。

 そう、……例えば、シンのお父さんの兄弟のお子さんだったのであれば、春祭さんの家が2つ出来るわけだし、シンとはイトコって言う線もあるだろう。

 イトコなら、シンの答えは今ので合っている。

 聞いても良いのだろうか?

 しかし、あまり深く言及するのも何となく気が引けるので、そこはもうソフィー本人から聞く事にしよう。

「シン、ありがとう、ほんとに何となく気になっただけなんだ。シンって、家での様子が想像つかないからさ」

「そうか、遂に玉元は、俺のプライベートにも興味が出てきたってことだな?」

 シンがほくそ笑む。何か企んでる様な表情だ。

 僕は彼のこういう余裕のある表情が割と好きだった。

 シンには、常に余裕があって欲しいという、僕なりの願望も入っているかもしれない。

「……まぁ、そんな感じ」

「ダウトだ。玉元、俺に隠し事をしているな?」

「ごめん、見抜かれてたか、そりゃそうだよな、あの…………実はさ」

 話そうとすると、シンが焦った。

「おっと、待て待て、俺は玉元から何でも聞き出そうとか思ってない。だから言わなくてオッケーだ」

「そうなの?」

「あぁ、俺は玉元に隠し事をさせないような、悪い友人にはなりたく無いからね」

「隠し事をさせないって、そんなの、友達なら何でも話すもんじゃないの?」

「何言ってるんだ。何でも話す必要なんて全く無い。友人の秘密を聞いてあげるのも友情だとは思うが、友人の秘密を無理に聞き出さない事も友情だろ?そう思わないか?」

「……それは、確かにそうかも」

「だろ?俺は、友達ってのは、とは言えないと考えているんだ」

「へぇー、なんだろ、……深いね、何となくだけど」

「俺は、人と付き合っていく上での適切な距離感も重要だと考えている。過ぎたるは及ばざるが如しってな、この言葉は友人関係にも言える事だ。上手くいく関係ってのは、過不足の無い関係の事を指して言う。これは同年代だけじゃなく、夫婦が婚前契約を結ぶのも同じ事だと思っている」

「婚前契約……なんてあるんだ、初めて聞いたよ」

「もちろんあるさ。例えば、契約の第一条目として、風呂掃除は必ず旦那がやると定める」

「……時間がなくって、出来ないときは?」

「どうしてもできない時は、相談の上で洗濯など別の家事で代用しても良い。それも追記しておこう」

「一条目なのに、お互いを愛する、とかじゃ無いんだ」

「それは式場で本番中に済ませる内容だろ?何を誓って結婚したんだ2人は。婚前の契約じゃなくて、婚中にやってくれ婚中に……」

 僕は笑う。

「たしかに」

「とにかく、これは一例だ。つまりは、こういう内容の契約をまいておけば、少なくとも風呂掃除で喧嘩する事は無くなるだろ?」

「それはそうだけどさ、……でも、そんな、契約まで結んで決める事なのかな?純粋な夫婦の助け合いとかもあるし」

「何言ってんだ、そもそも結婚自体が契約だろ?」

「それもそうか」

「契約が嫌なら、約束って言い直しても良い」

「そっか、そうだね、そっちの方がソフトかも」

「それで納得いくなら良いんだけどさ。……まぁ、そう言いたくなる玉元の気持ちは分かるが、婚前契約で大事なのは、って事なんだ」

「なんか厳しく聞こえるね、そう聞くと」

「そう聞こえるからこそ契約なんだよ。2人で幸せになりたいなら、お互いの努力だって時には必要だ。片方だけが寄り掛かる関係で、うまく行くはずはない。だから、そこを契約にしてしまえば、玉元に対して、どれだけ優しくて尽くすお嫁さんだったとしても、必要以上に甘えずに済むだろう?」

「そう言われるとそうなのか、……って、なんで僕が甘える前提なんだよ」

「甘えたがりだろ?玉元は。違うのか?」

「…………否定はしないけどさ」

「分かってもらえて嬉しいよ」

「もう良いよ、……それで、なんで何でも話せる友人は良い友人じゃないって思うの?」

「何でも話すというは、友人ではなく、の関係だからだ」

「親子、……そうなの?」

「親は子を守る義務がある。これは権利ではなく、義務だ。それは分かるよな」

「うん、分かるよ。例えば、小さい子のイタズラに責任を持つのも、親の役割だもんね」

「そうだ。だから、責任を受け持つ為にも、親は子どもに全てを話して欲しいし、把握したいと思うものだ。そして、当然ながら、親は子どもに対し、全てを嘘偽りなく話す必要は無いし、なんなら、正直には話してはいけない事もあるくらいだ。場合によっては意図的に嘘をつく必要すらある。嘘も方便というやつだ」

「……そう言われると、確かに親が子どもに何でも正直に話すって、変なのか」

「だろ?仕事の愚痴をイチイチ子どもに話してたら、子どもは親に甘えられなくなってしまう。それは長期的に見て、子どもの成長にとっての害悪でしか無い。そうは思わないか?」

「……まぁ、そうか」

 余計なストレスが掛かるってことなのかな?

「夫婦間なら愚痴くらい聞いても良いが、子どもにその役割を課すことは極めて不健全だ。そんな事を日常的にしていたら、子どもは親を頼りに出来なくなる。そして、頼りにならない親だと認識した子どもは、全てを安心して話せなくなるからな。そうなったら、親は、正直に話さない子どもへ、暴力的な手段でもって聞き出す事になってしまうというわけだ。子どものした事に対して責任を負う為にね」

「そういう危険があるんだね」

「そうだ。意図せずにな」

「怖い話だなぁ」

 こんなに背景のある話だとは思わなかった。

 対等な関係を維持するってのは難しいらしい。

 そう言えば、シンとは仲良くできても、A君とは仲良くできるとは思えない。

 やっぱりシンは、人との距離の測り方が上手いのだろう。

 それに気付かせないのがシンの凄い所だ。

 ……一応、婚前契約については将来の為に頭に入れておいて良い情報だった。

「で、……話は戻るが、俺は玉元の友人だ」

「うん、僕もそう思ってる」

「なら、俺は玉元の隠したい事を聞き出す必要があると思うか?」

「……無いね、親子じゃないし」

「そう言う事だ。俺は玉元とは対等な関係でいたいと思っている」

「そう思ってくれるのは嬉しいよ」

「だから、本当の事を話す必要はない」

「だけど……だからって嘘までつく必要は無いんじゃない?」

「そんな事で、俺は責めないさ」

「僕が嘘を言っても?」

「あぁ」

「そっか……」

 どこまでの嘘を許容してくれるんだろうか?

 そこは教えて貰えないのかな?

 ……いやいや、こういう何でもシンに線引きして貰おうって思うところが、僕の甘いとこなんだろう。

 反省しなくては。

「さて、そろそろ休み時間が終わるから、話したい事があるなら、次の授業の後にしておこう」


 シンは、遠回しではあるが、僕と長く友達でいるつもりだと伝えてくれた。

 それは純粋に嬉しい事だ。

 たぶん、シンは僕が、一歩引いた付き合いを望んでいる事を理解している。

 だから、この先、僕との関係が友人ではなくなる事を心配しているのだろう。

 そこまで気遣ってもらう必要は無いと思っている。

 だが、確かに、対等な友人として付き合う為には、僕が一方的に何でも話す関係ではダメなのだ。

 彼が頼りになるからと言って、頼り切って良いわけでは無い。

 互いにメリットになる事は理想だが、そうでなくとも友人関係は成り立つ。

 だからこそ、僕は努力する必要があるんだろう。

 その方が、お互いの為になるわけだし。


 それにしても、友人関係の新しい視点が構築されたような気がする。

 これがシンの言う、なのだろうか?

 確かに世界が広がったように思う。


 シンは言う。


『なんでも言い合える関係が、良い関係とは限らない』


 シンに言われて納得したが、逆にシンでなくては納得できなかったかもしれない。

 それはつまり、シンは、だと思っている事の証明でもある。

 嘘をつかれてショックを受けるのと同様に、本当の事を言われてショックを受ける事だってあるのだ。


 女の子が、告白してきた男の子を振る理由を、『今は恋愛する気にならない』とか、『片思いしている先輩がいるから』などのような、告白してきた本人とは無関係の、当たり障りのないものにするのは、それもまた優しさなのだろう。

 そりゃ、仮に、『あなたの事が生理的にムリだから』なんて言われた日には、ショック過ぎて泣かれるかも知れないし、その後も恨まれかねない。

 なんでも正直が正義とは言えないのだ。

 それにしても、ソフィーの事を言わない事が、隠し事と言うほどのレベルなのかは疑問だが。


 ……しかし、シンの姉では無いと分かった段階で、僕はそれを告げる事を躊躇ったのは確かだ。

 そういう意味では、僕の方が無防備ではあった。

 たぶんシンは、僕が後から、言って後悔するだろう事柄を未然に防いだのだ。


 事実、言わなくて良かったと今思っている。






 本当に、彼には脱帽だ。








 ⭐︎








 放課後、僕は部活を休んで、神社へ向かった。


 怪我や病気以外の理由で部活を休んだのは初めてだった。

 それだけ彼女に会いたかったのだ。



 ソフィーに。






 僕は昨日の夜、『その子どもは、なぜ走る事を辞めたのか?』を読み切った。


 一刻も早く、ソフィーに本を貸したかったからだ。


 僕は、本が彼女との繋がりを強くしてくれると信じていた。

 だから、そのせいで、一つ忘れていた事があった。

 些細な事ではあるのだが。




 僕は神社の石の階段を上り、御守り売り場を眺める。


 そこで、僕の脳天に衝撃が走る。


 売り子が居ない。


 つまり、ソフィーが居なかった。

 参道を歩きながら、周辺を見回してみる。

 居ない。

 どん底と言えるくらいのガッカリした気持ちを胸に抱きながら、僕は店の中を覗き込む。

 すると、黒髪の20代半ばくらいのお姉さんと目が合い、お互いにびっくりした。


 お姉さんは、しゃがんで御守りや置物の整理をしていたようで、僕に気づいてなかったようだ。

 まぁ、男子中学生が急に覗き込んで来たらそりゃビビるだろうなと今なら思う。

 悪い事をした。


「い、いらっしゃい、天岩戸あまのいわとの置物なら、まだ残ってますよ」

「あ、いえ、大丈夫です」

「そうなの?それが目的じゃないんだ。最近人気だから、すぐ売れちゃうんだよね、このちっちゃい岩」

「そうなんですか」

 天岩戸の岩の置物、アマテラスの鈴、オモイカネの知恵の輪が、ここの売り場のメインコーナーに並べられている。

 この神社は小さいが、一応、知恵の神であるオモイカネが祀られている。


 オモイカネは、岩に隠れて出てこなくなったアマテラスを救出するためのシナリオを作った賢い神様だ。

 アマテラスは、弟であるスサノオの傍若無人な振る舞いに耐えられず岩に隠れたのだが、そのせいで世界が真っ暗になってしまった。

 どうやってアマテラスを連れ出そうかとオモイカネが考えた結果。

 祭で騒いで裸踊りをし、盛り上がることで、自分以外の太陽神が来たと勘違いさせて岩を開けさせたという、さながら、北風と太陽のような話だ。

 無理矢理引っ張り出すのではなく、自分から出たくなるように誘導したわけだ。

 さすがは知恵の神。

 集団で騒いでいると見たくなるのは、神も同じと言うわけだ。


 それにしても、オモイカネの神社でソフィーが売り子をしているなんて、運命的と言うか、偶然にしては出来過ぎているような気も…………。


 と、そんな風に思っていると、背後から声がした。



「あっれー?セイシくーん!?もう来たんだ」



 明るく元気なの声がする。


 春祭はるまつり ソフィア


 僕は振り返ると、巫女服のソフィーが神社の拝殿はいでんの中から手を振っていた。

 今日は、髪を結ばずに下ろしている。セミロングだ。

 やっぱりソフィーは可愛い。



 ……って、なんで中にいるんだ!?



 巫女さんって、普段は売り子のバイトだけやってるんじゃないのか?


 ソフィーが手招きしているので、黒髪のお姉さんを一瞥いちべつしてからソフィーの方へ近寄る。

 拝殿の中に普通に立っているソフィー。

 綺麗な畳が敷かれていて、お茶のグラスが奥に見えた。

 中で涼んでいたのだろうか?

「ソフィー、この拝殿って、入って良いの?」


 ソフィーは、僕の顔を見てキョトンとしている。

 変な事聞いたのだろうか?




「良いに決まってんじゃん、私の家だもん」



 私の家!?


 え?


「そうなの!?」


「そうだよ、ここの奥に、私の部屋があるの。上がって行きなよ、ちゃんと冷房も効いてるよ」

「……じゃあ、えっと、お邪魔します」


 僕は一応、一礼してから入る。


 中からお香の良い匂いがした。

 なんだか、神聖な場所に入っているような気がしたが、ソフィーからはそんな様子は微塵も感じられなかった。


 凄いな、ほんとに。


 奥に入ると、本当に6畳くらいの部屋があり、外からは見えないようになっている。

 障子があって、仕切れるようになっていた。

 電気は普通の蛍光灯だ。

 畳が少し硬い。

 奥に机と絨毯があり、クッションもあるので、その一画だけを切り取って見ると、単なる和室だった。


 拝殿の中にこんな所があるとは……。



「まぁまぁ、せっかく来たんだし、ジュースでも飲みなよ」


 そう言うと、ソフィーは正方形のコンパクトな冷蔵庫からオレンジジュースを出してきた。

 チューリップ柄のマグカップが小さい棚の奥から現れ、小さい丸い木のテーブルに置かれる。

 全てがバランス良く配置されていて無駄がないように見えた。


 たしかに、彼女はここで生活しているようだ。

 オレンジジュースの入ったマグカップを受け取る僕。

「えっと、ありがとう、いただきます」

「ふふ、おあがりなさい」

 ゴクっ、ゴクっ、と甘さの中に酸味のあるオレンジジュースを一気に飲む。

 ちょうど喉が渇いていたのもあり、想像以上に美味しく感じた。

 ソフィーが近くにいるのも影響しているのだろうか?

「……美味しい、……外が暑かったから、涼んで良いね」

「そう?良かった。それで、今日は前の続きを読みに来たの?」

「あー、そうじゃないんだ。僕、もう読み終わったから、ソフィーに貸してあげようと思ってさ」

 ソフィーが喜ぶ。

「ええー!ほんとにぃー?嬉しい!早く読みたかったんだぁー」

 キャッキャと笑う彼女の楽しそうな表情にドキドキする。

 本一冊で、こんなに喜んでくれるなんて、嬉し過ぎる。


 僕はカバンから取り出すと、ソフィーに渡した。


「ありがとう」

「どういたしまして」

「だけど、さすがセイシくん、読むの早いね」

「そ、そんな事ないよ。昨日、帰っても暇だったからさ」

「ふーん、そうなんだー」

 本当は早く貸したくて、深夜3時頃まで読み続けていたとは言えない。

 内容も理解しておかないと議論なんて出来ないから、しっかり読み込む必要もあった。

 たぶん、テスト勉強よりも格段に集中力を発揮していたはずだ。

「ほら、そんな事いいから、ゆっくり読んでよ」

「うん、そうする、だけど」

「なに?」

「セイシくん、今日は何読むの?」


 ……あ、そうか、マズい、自分用の本持って来るの忘れていた。

 ソフィーに会う事しか頭に無かったから、そんな所に気は回らなかったのだ。

「あーっ、と、そうだね、すっかり忘れてたよ、今からでも何か買ってこようかな」

「ええー、なんで?せっかく一緒に居られるのに、もったいないじゃん、ふふっ」

 頭を右に軽く傾けて柔らかく微笑むソフィー。

 オレンジ色の髪がさらっと揺れる。

 胸が高鳴った。

 そんな可愛い事を言われたら、外に出るわけにはいかない。

 本人は何気なく言ってるのだろうが、僕にはクリティカルヒットでドキドキしてしまっている。


 落ち着け、落ち着け、冷静になるんだ。


 深呼吸すると、ちょうど、お香の匂いが強く鼻腔を刺激する。

 これで煩悩も祓われると言うものだ。


 ある意味で助かった。


「そうだね、ここに居るよ。僕も、ソフィーと話したくて、部活も休んだから」

「ええー、そうなの?私のために?うそー、ごめんねーなんか」

「あ、大丈夫だって、たまには息抜きしたいしさ」

「でも、無理しなくて良いからね、そんなに早く本持って来られても、私読むの遅いから」

 何となく、言ってる内容が伝わってないようだ。

 そこもソフィーの可愛い面ではある。

「いや、本って言うか……、まぁいいや、とにかく、今日は休みたい気分だったんだ」

「そーなんだ。なら良いんだけどさ、えっとー、…………あっ!良いのあった」

 ソフィーが、勉強机にしている大きめのデスクの1番下の引き出しから、漫画を1冊取り出した。

 ピンク色の装丁で、明らかに少女漫画だ。端が少し変色しているところを見ると、買ったのは昔なんだろうなと思った。

「セイシくん、少女漫画って、読む?」

 正直、ほとんど読まない。

 だが、全く読まないと言うわけではないので、前向きに答えよう。

「読む読む、普段からって程ではないんだけど、子供の頃に、妹に借りて読んでたんだ」

 これは本当だ。

 僕には2つ離れた妹がいる。

 少女漫画を買った事は一度も無かったが、借りて読んだモノに関してはどれも面白かった記憶がある。

「へー、セイシくん、妹いたんだ」

「うん、意外だった?」

「ううん、そんな事ないよ、……良いなぁって、思った」

「妹欲しかったの?」

「ちがうよ、セイシくんみたいなお兄ちゃん欲しかったなって……」

 ジュースを吹きそうになった。

 僕みたいな?

 ソフィーから見たら、けっこう下だぞ僕は。

 実際、13歳と18歳だ。これだけ離れると、僕はガキに見えるはずだと当時は思った。

 20歳と25歳とかならともかく、中学生と大学生くらいとなると、大人と子どもくらいに感じるだろう。

「そそ、そんな、なんでだよ、僕なんて、こんな甘えたがりなのにさ」

 シンの言葉を思い出す。

 そうだ、僕は甘えたがりなんだ。

 ソフィーが不思議そうな表情をする。

「そーなのかなぁ、セイシくん、絶対お兄ちゃんって感じだと思うけどな」

「どこがだよ、僕なんて、頼りなさそうだろ、こんな感じだしさ」

「うーん、……そうなのかなぁ」

 ソフィーが、すりすりと僕に近寄る。

 隣まで来ると、彼女の左肩が触れた。

「………あ、あの、ソフィーさん、急に何ですか?」

「セイシくん、あんまり年下って感じしないんだよね」

 グリグリと僕の右肩に左肩を擦り付けてくるソフィー。

 正直、柔らかい肩の感触が気持ち良く、髪が僕の頬を撫でるように触れて、身体が熱くなった。

「えっと、……なにを、してるの?」

「セイシくんが、私のお兄ちゃんになれるかどうかのテスト」

「……なんだよそれ」

「私ね、優しいお兄ちゃんが欲しかったんだ」

「そうなんだ」

「セイシくんは、優しい?」

「なんだよその質問」

「そのままの意味かな」

「そりゃ、優しいよ」

「私にも、優しくしてくれる?」

「そのつもりだったけど?」

「そう、あの、この漫画なんだけど」

 ソフィーの腕が僕の胸元に当たった。

「は、はひ」

 変な声が出た。

 ドキドキして漫画どころでは無かったが、集中しなくてはと思った。

 表紙には、楽しそうに微笑むオシャレな青年と、その背中であたふたするブレザーの小柄な女の子が描いてあった。

 タイトルは、『Candyナッツ』

 ふつうにキャンディーナッツと読んで良いのだろうか?

 ソフィーが力を入れて説明を始める。

「主人公は中学生の女の子なんだけど、転校生の男の子に恋する所から始まるの」

「王道っちゃ王道な始まりだね」

 少女漫画の王道など知らなかったが、とりあえずそんな事を言った。

「それでね、一目惚れだと女の子は思ったんだけど、実は転校生の男の子は幼馴染のリク君だったわけ。だけど、主人公はそれとは知らないまま、彼にときめいちゃうの」

「主人公は、リク君の事が昔から好きだったの?」

「うーん、どっちかというと、リク君が主人公の事を好きだったんだけど、主人公の方はただの友達って感じ」

「転校生ってことは、一度離れ離れになったんだ」

「そうー、小学校3年生の冬に引っ越してそれっきりだったから、成長したリク君の事分からなかったのよ」

「名前では分からなかったんだ」

「ずっと、りっちゃんって呼んでて、名前覚えてなかったみたい」

「そうなんだ。それで、リク君側の心理描写はどうなってんの?」

「リク君は、転校生として紹介された時に、すぐ気付いて、ニコって爽やかに笑うんだよ、……その時の顔がマジのマジでヤバくて」

「それは、……カッコいいってこと?」

「んーっ、爽やかって感じ、キラキラしてんの、すっごいキラキラ、ほらほら、見てみ見てみ!」

 凄く興奮気味に漫画のページを開いて僕の顔に押し付けるソフィー。

 バンっと、僕の顔にぶつかり、目の前が真っ暗になる。

「……あのさ、ソフィー、近過ぎて見えないんだけど」

「あ、ごめん、近かったね」

 漫画を顔から離してくれると、リクくんが爽やかに教壇で笑ってる顔と、主人公のショートヘアの女の子がキュンっとなっている顔が大きいコマで描かれていた。

 リクくんの顔の周辺には、『キラキラ』と、実際に文字で書かれていた。

 たしかにキラキラしている。

 というか、キラキラと書かれている。

「確かに、キラキラしてて、爽やかイケメンって感じだね」

「でしょでしょでしょー、この、切れ長の目の描き方とか、マジで光がこぼれてるよね。私、この人の漫画マジで推してて、どの男の子キャラも好きなんだけど、このリク君は別格なの。でねでね、それも何でか理由あって、この作者先生の、唯一の実体験をモデルにしてるんだってさ、だからこんなに本気な見た目ってわけね。もうそれ聞いて私もうほんとキャーって言って、キャーキャーって感じだったわけ!ねぇ、分かる?セイシくん」

 興奮して話しまくるソフィー。

 よっぽどこの漫画家のファンのようだ。

 テンションが高くて、ひたすら明るいソフィー。

 ほんとにアマテラスの巫女なんじゃないかと思うほどに輝いて見えた。

「うん、分かった分かった。確かに凄いカッコいいと思うよ。それで、リク君は自分が幼馴染だって、どのタイミングで伝えたの?」

 そう聞くと、待ってましたというようなドヤ顔で僕を見下す様な態度になる。

「クックック、甘いね、セイシくん!」

 そんなに嬉しい質問だったのか?


「この漫画、全25巻あるんだけどね」

 そんなにあるんだ。

 少女漫画の中でも長い方じゃないか?

 ソフィーが続ける。

「最後の最後まで、幼馴染だって、リク君は教えないのよ!凄くない?」

「そ、それは……すごいの?」

「凄いよ、いつも主人公を小馬鹿にしてて意地悪なんだけど、文化祭の準備で疲れて机の上に突っ伏してる主人公に、そっとブランケットを掛けてあげてね、『あの頃から、僕はずっとキミだけを想い続けてるんだよ』って囁くの」

「一途なんだね。そこがリク君の良いとこなんだ」

「ちがああああうっ!」

 突然両手を広げて叫ぶソフィー。

 どうしたんだ!?何が起こった?

「違うんだ、ごめん」

「リク君は、モテまくってて、クラスの女の子、全員からバレンタインのチョコ貰うの、それで、皆んなに、可愛いとか、好きとか言うわけ、酷くない?」

「そうなんだ。リク君、ハーレムじゃん、すごいね」

「そうなの、しかも、可愛いとか言うのって、ムカつくでしょ?」

「なんで?」

「だって、リク、私には可愛いとか好きとか、ぜんぜん言ってくれないんだよ」

「主人公に対してでしょ?登場人物の中にソフィーが入っちゃってる」

「……あ、ごめん、間違えちゃった」

「別に良いけど。感情移入してるって事だし、その方が楽しめるよね」

「それはそうなんだけど、入り込み過ぎて新刊読む度に疲れてたんだよね。てかほんと、ハッキリしない男と、浮気男だけはマジで許せないって、キャンディナッツ読んだら皆んな思うよ、ほんとあり得ないから」

 リク君を信奉しながら、同時に憎んでもいるという構図だ。

 タイトルはキャンディナッツと言う読みで合っていたようだ。

「ソフィーがハマってたって事はよく分かったよ。主人公も自分になってたし」

「うん、セイシくんにも布教したいと思って、ねっ!読んでね」

 僕はキャンディナッツを受け取った。

 不敵な笑みを浮かべているリク。

 焦るブレザーの女の子。

 この漫画のターゲット層としては、掴みどころの無いモテるイケメン幼馴染に振り回されたい女の子、ってとこだろうか。

 あ、そういや、幼馴染ってのは、リクだけが知ってる設定だった。


 この設定にする事で、リクが隠れて昔から主人公が好きだったんだと、読者は知る事ができる。

 それがあるから、僕らは安心して楽しめるというわけだ。


「分かった、せっかくだし、1巻は全部読ませてもらうよ」

「2巻も読んでね、貸すよ」

「うん、ありがとう」


 僕はキャンディナッツを読み始め、ソフィーは、『その子どもは、なぜ走る事を辞めたのか?』を読み始めた。


 時々、リク君のセリフにクスっと笑うと、「なになになに?どこ面白かったの?」とソフィーが漫画を覗き込んでくる。

 その度に、顎の辺りをソフィーのオレンジの髪がサラッと触れる。

 良い香りがして、胸が締め付けられた。

 ソフィーと2人だけの時間が、静かに過ぎて行く。


 幸せな時間だった。


 僕は、キャンディナッツに出てくるキャラの様にカッコ良くは無いし、センスも良くない。

 だけど、ソフィーにとって居心地の良い存在くらいになら、なれるかも知れない。

 僕は微かな希望を持っていた。

 それにしてもこの漫画は面白い。大筋では、主人公の女の子、夏味なつみが、リクを追いかける展開なのだが、毎回、リクは素直になれずに酷い事を言ってしまい、それを後から不器用にフォローするのだ。

 その時の、照れたリクが何とも可愛いと言うか、キュンとする。

 少年漫画だとなかなか男キャラにキュンとする事は無いが、少女漫画は男の不器用さを可愛く描いているものが多く、ついつい感情移入してしまう。


 例えば、クラス1番の美少女のユナとお菓子対決をするシーンがあるのだが、ここでもリクの不器用さと優しさが顕著に現れていた。

 キッカケは、夏味がいつもリクに弄られている所を見て嫉妬したユナが、手作りのシフォンケーキを持って来た時に起こる。

 ケーキを食べたリクが、ユナを褒めると、その取り巻きの女子達と大絶賛する。

 そして、ユナは夏味にこう言う。

「あなたじゃ、こんな美味しいケーキ、作れないでしょ?リク君、そんな暗い子に構ってないで、私達と遊ぼうよ」

 リクは、苦笑いをして夏味をチラ見する。

 躊躇っているリクにイライラしたユナが、腕を掴んで連れて行こうとするが、その瞬間に夏味が彼のシャツを後ろから引っ張った。

「……作れるもん」

 そう、小さい声で呟く夏味。

「はぁ?なに?何か言った?」

 ユナが責めるような口調で言う。

「私だって、シフォンケーキくらい、作れるもんっ!」

 教室内で叫び、周りから注目を集める夏味。

 さすがに引き気味にはなったユナだが、これには怒った。

「へぇー、シフォンケーキ、?」

 真剣な表情の夏味のアップが映る。

 コクリと頷く夏味。だが、額に冷や汗の描写もある。

 対抗心を剥き出しにしているという自覚はあるのだ。

「ふーん、なら、明日、シフォンケーキ作って来なさいよ。私も新しいの焼いてきてあげる。どう?リクくん、判定、お願いできる?」

 リクは焦ってはいるが、もう頷くしかない。

「なんか見栄張ってるみたいだけど、もし、あなたが負けた時は分かってるわよね」

 迫力のあるユナの表情。

 緊迫感が凄かった。

 ゴクリと、夏味が唾を飲み込む喉元のカットがある。

金輪際こんりんざいに近付かないって、約束して!」


 おおーっ、と周囲の取り巻きがどよめく。

 教室を出ようとしていた男子生徒も「なになに?」「どうした?」「ケンカ?」と、騒めいた。

 夏味は、ユナの言葉に応える。

「わかった、私、あなたなんかに絶対、負けないから!」

 そう言って教室を出る夏味。

 熱い展開だった。


 僕も思わず、ユナの取り巻きと同じ声を「おおー」と上げてしまう。

 すると、ソフィーが嬉しそうに僕と漫画を見つめた。

「え、なに?どこ読んでるの?見せて見せて」

 頬と頬が引っ付きそうになるくらい近付いてくるソフィー。

 吐息が当たって恥ずかしくなった。

「いや、えっと、今、お菓子対決のシーンで」

「ぁあー!ここね、ここほんと、主人公、よく言ったって感じ。私もおんなじ事叫んだもん」

「なんて?」

「私もシフォンケーキくらい作れるわっ!!舐めんなぁ!ってね」

「そうなんだ、じゃあ、良かったね、夏味がそんな感じの事言ってくれて」

「うん、まぁ私、シフォンケーキ作ったこと一度も無いけどね」

 無いんかい!?

 じゃあ何で舐めんなって言ったんだ。

「そうなんだ。だけど、緊迫感があって面白いね、意外だったよ。もっと緩い感じが続くと思ってたから」

「ふーん、これくらいで緩くないって思うんだ。こんなのゆるゆるだよー。だってこの先、リクの売れないバンド編と、夏味ブラック企業入社編が続くから、けっこう病むよ」

「そ……、そうなんだ。社会人編もあるんだね」

 そういや25巻あるもんなぁ………。

 だが、何故か読みたくはなってくる。特に、夏味ブラック企業入社編。

 どんな企業なんだろうか?そこだけ先に読もうかな。


 その後、ソフィーが本に戻ると、僕も読み進める。


 ユナとのお菓子対決。

 とにかく努力した夏味。

 お菓子作りが得意な、お姉ちゃんの友達に協力して貰い、ほぼ徹夜でシフォンケーキを完成させる。

 目の下にクマが出来ていて、なぜか指に大量の絆創膏を貼っている夏味が翌朝ケーキを持参して学校に来た。

 シフォンケーキで、何で指に怪我するんだ?

 と、そんな事を言うと、こんな極端なクマができる事も無いだろうから、そういう演出だと思った。

 こういう内容は、とにかく分かりやすい方が良いからな。


 ドヤ顔で机の上に座って腕を組んでいるユナ。

 1時間目が都合よく自習になっていた。

 チラッと黒板に自習の文字があり、ちゃんと先生が居ない事の説明もついている。

 完璧な状況だ。


 ユナは高笑いする。


「アハハハ、なに?あなた、そんなボロボロになってまでシフォンケーキ作ってきたわけ?私のケーキに勝てるとか、本当に思ってるわけじゃないよね」


「……ユナちゃん、私、本気だから」

 苦しそうに声を出す夏味。

 机にケーキを置くと、ふらっと倒れそうになり、とっさにリクが体を支えた。

「おい、……夏味、そこまでして」

「良いの、これは、私のケジメみたいなもんだから」

「アハハ、なにそれ?ま、どう足掻いても私の方が美味しいけどね。じゃあ、対決はお昼のデザートにって事でどうかしらね」

 すると、リクが夏味を椅子に座らせ、こう言った。

「いや、今、食べるよ」

「えー?なんで?朝ご飯食べたばっかりで、入らないでしょ?」

 取り巻きの女の子が、「チッ」と舌を鳴らした。

 これは……。もしかして、夏味のシフォンケーキに何か仕込むつもりだったのだろうか?

 だとしたら不正だ。


「僕は、今日のために、朝ご飯は抜いて来たんだ。いつでも夏味のシフォンケーキを食べられるようにね」


 その瞬間、教室の空気が変わる。


「な、なんですって……、朝ごはんを、………抜く?………そこまでして、リク、……あなたって」


 凄まじいシリアスな空気感だが、朝ごはんを抜いただけだよな。なんでこんなに緊迫感があるんだろうか。

「あぁ、だから僕の胃袋は、君たちのシフォンケーキを迎え入れる準備は出来ている。さぁ、始めようか!」

 バンっ!という大きなゴシック体の文字がリクの顔の前に現れる。

 ここだけ見ると笑うだろうが、これまでの展開が真面目過ぎて手に汗握る雰囲気になっている。

 取り巻きの女の子が、ユナのシフォンケーキを紙皿に取り分ける。

 同じく夏味の親友の、丸メガネを掛けたトロミちゃんが、紙皿に夏味のケーキを乗せた。

 このトロミちゃんも、なかなか面白いキャラクターなのだが、いったん割愛させてもらう。

 教室のみんなが、自習しながら、チラチラとこちらの様子を窺っている。

 まるで灰にでもなったのかと燃え尽きた夏味をバックに、リクがプラスチックのフォークを手に持った。

「じゃあ、まずは、ユナのシフォンケーキから」

 緊張感の走る中、少しブラウンがかったケーキをフォークで刺して口に運ぶ。

 もぐもぐするリク。

 頷く。

 少し周囲が騒めく。

 無言で、次に夏味のシフォンケーキを刺して食べた。

 夏味の方は、綺麗なイエローのケーキで、形はユナのケーキほど綺麗ではない。

 見た目だけでは、ユナの圧勝だ。


 もぐもぐするリク。


 少し長い。


 リクの眉が苦しそうにピクピクと動く。


 ユナは勝ち誇ったような顔だ。


 それに反して、脱力して寝ている夏味は廃人みたいになっている。

 だが、なんでこんなにブレザーがボロボロになっているんだ?ケーキと関係ないだろう?


 ここで、リクの心理描写が入る。



『くそっ、……どちらかを選ぶなら、夏味のケーキだ。

 僕の好みの味、家庭の優しい味だ。

 ……だけど、きっと、他の皆んなが食べ比べをしたら、間違いなくユナのケーキを選ぶ。それはもう、間違いない、絶対にそうだろう。

 それが分かるくらい、ユナのシフォンケーキは一流の味がする。

 まるで専門店で食べた時のような、ふんわりとした食感に、紅茶の香り、優しい甘味が口の中で広がる』

 チラッと、廃人のようになっている夏味を見るリク。

 ユナは少しいぶかしげな表情だ。

 さっきまで勝ち誇った様子だったが、リクの動揺に何かを察しているような顔だった。

 再びリクの心理描写に戻る。

『夏味、よだれを垂らしてアホみたいな顔をして寝ている。

 全力。

 そう、彼女は全力を出した。それは分かる。

 だが、もし、僕がここで、夏味のシフォンケーキの方が美味しいと言って、その後はどうなる?

 夏味の勝ち。

 それはそうだ。だって、僕にとって美味しいのは夏味の作ったケーキなのだから。

 だけど、このケーキを、他の生徒が食べた時どうなるだろう?

 僕は、この勝負に夏味を勝たせるよりも、これから先の、夏味の立場の方が心配だ。

 僕は、夏味がユナや取り巻きの子達から虐められたりしない為に、多数派の意見を取るべきなんだ。

 ……仕方ない、夏味を、守るためだ』

「ねぇ、リクくん、早く教えてよ、どっちが美味しいの?」


 リクが振り絞るような声で結果を告げる。


「………な」


「ん?なに?」

 ユナが詰め寄る。


「ユナの、シフォンケーキが……」



 ここで、視点が夏味に変わる。


 夏味の心理描写がモノローグで現れる。

『そっか………、私、……負けたんだ……なんだ、……じゃあ、……これからは、リクとは………』




 コクリと、完全に寝落ちする夏味の表情の描写があった。



 僕は涙腺に来て、涙が溢れて来た。

 なんでこんなに悲しい気持ちなんだ僕は。


 教室が静まり返る。


 親友のトロミちゃんが、ワナワナと震えている。

 悔しいのだ。

 夏味が勝つと信じていたのだろう。

 それが伝わるような描写だった。

 ユナが再び勝ち誇ったような顔になった。


「ハイ、これで、この勝負は」



 バンっ、と、突然、教室のドアが開き、如何にも食べる事が好きそうな丸々した男子生徒が、汗だくで入って来た。


 皆んな、彼に注目する。



「ふぅー、なぁに!?自習!?ラッキーでござるな、やや!?そこにあるのは、我の大好物、シフォンケーキ、まさか試食会でござるか?」

 ズンズンと近付く彼。

 めちゃくちゃ濃いキャラクターが現れた。


「お一つ、我に試食させていただいて宜しいか?拙者、朝から何も食べずに出て来てしまって、空腹なのだ!!」


 遅刻してきて汗だくという事は、そういう事だろう。


 ユナ達は呆気に取られて口を開けている。

 取り巻きの子が、小さく頷いた。

 食べても良いという事だ。

「やや、それは有り難いでござる。もう腹ペコの極みであったのだ。でわ、お言葉に甘えてひと口」


 そう言うと、ユナのブラウンのシフォンケーキを手掴みで取るとパクりと食べた。


 すると、目が炎になり、感動したのか、衝撃的な発言をした。



「のの、のののあっ!コレは正に、我がつい先日口にした、ケーキ専門店フォーレストの新作、くちどけ紅茶シフォンではあるまいか!?まさかあの行列の中、購入しておったモノが我以外に存在したとは。素晴らしい先見の明。このシフォンの購入者はいずこ?」


 教室の空気が、またさらに一変し、登場キャラの頭に「?」マークが浮かぶ。

 取り巻きの女の子が、ユナを見つめる。

 彼はユナに近付く。

「のの、のののあ、あなたがこのシフォンの購入者でしたか、その食に対しての飽くなき探究心、素晴らしいですな」


 ユナが震える声で反応する。

「ちが、……違うわよ、それ、……手作りで」

「何を仰るか。拙者、シフォンケーキに関しては専門家にも負けませぬ。この風味、間違いなく、フォーレストの、くちどけ紅茶シフォン。焼き方にも特徴があり、普通の家庭にあるオーブンなどでは、こしらえることはできますまい」

 わなわなと震えるユナ。


 この、俯いて震える描写。

 完全に図星だった。


 取り巻きが、「あの、ユナ」「ユナ、大丈夫?」と、声を掛けているが、届いていない。


 俯いたユナの表情のアップ。

 顔を赤くして、悔し涙を流していた。


 リクが、ここで声を上げた。



「僕の好きなシフォンケーキは………」


 皆んながリクに注目する。


「夏味の、シフォンケーキだ!」

 爽やかで、自信のある表情を見せるリク。


 ユナが、ござる男子を押し退け、教室の外へ走って出ていく。

「ユナー」と、声を掛けて、取り巻きの3人の女子生徒が追いかけて行った。

 ござる男子が置いてけぼりだ。

「やや?どうしたのです?何かあったのですか?」

 困惑している彼の横で、1人で笑うリク。

 リクはござる男子の肩を叩き、こう言った。

「ありがとう、助かったよ、良かったら、夏味のシフォンケーキも試食してみてくれないか」


 ござる男子は困惑しながらも夏味のシフォンケーキを口にした。

「うーむ、普通のシフォンケーキですな。手作りなら、こんなもんでしょう。拙者ならもっと……ぐっ」

 リクは、彼の肩を掴む手に力を入れる。

「おいしい、……だろ?」

 首を高速に縦に振るござる男子。


 一応、ここでお菓子対決は幕を下ろすのだが、この後、対決に負けたと思った夏味が、リクを無視するという展開に続く。

 リクは健気に夏味を追いかけるのだが、何を言っても無視する夏味に読んでいるこっちもイライラしてきた。


「あぁあー!もうっ、なんでなんだよ夏味っ!!」

 僕は読みながら声を上げた。


「どうしたどうした!?」

 ソフィーが楽しそうに近付いてきた。

「なんで夏味、ぜんぜんこっち見ないんだよ!おかしいだろ、ちゃんと僕は夏味のシフォンケーキが好きだって言っただろうがっ!!」

 そう言うと、ソフィーが笑った。


「ねぇセイシくん、セイシくんはその漫画のキャラじゃないんだよ?知ってたー?」

「あ、あぁ、そうだったね、なんか熱くなっちゃってさ」

「ふふ、どう?私の気持ち分かったでしょ?」

「まぁ、………そうだね、否定はできないよ」

「しなくて良いでしょ?」

 時計を見ると、すでに18時を過ぎていた。

「やばい、もうこんな時間だ」

「漫画、持ってって良いよ」

「ほんと?ありがとう」

「うん、また来てよ」

「……そうするよ、ごめん、読み耽っちゃって」

「いいよ、私が勧めたんだもん」

「そっちはどう?けっこう読んだ?」

「えっとー、まだ、20ページくらい」

「そっか、なら、全部読むのに2週間くらい掛かるかもね」

「そうだね」

 僕が、カバンを持ち、部屋から出ようとすると、ソフィーも立ち上がる。

「神社の階段まで送ってくね」

「ええ、良いよ、暗くなって来てるし」

「良いじゃん、ほんのそこまでだし」

「そう?なら、行こう」

 正直、ソフィーに見送って貰えるのは嬉しい。

 2人で並んで歩くと、不思議な気分だった。

 胸が高鳴る。

 僕はこれからも、一緒に並んで歩く事ができるのだろうか?

 このキャンディーナッツがある限り、僕がこの神社を訪れる理由は作れる。

 階段まで来て、僕はソフィーに聞いた。


「今日はありがとう、また来ても良いかい?」

 ソフィーが笑う。

「え?良いに決まってるじゃん、借りパクしないでよー?」

「うん、また来るよ、待っててね」

「はい、待ってるね、ふふっ」


 柔らかく笑うソフィー。


 僕は手を振って石段を下りて行った。



 今日のソフィーは、ずっと可愛かった。

 もちろん、初対面から可愛かったが、今日は距離が縮まった気がしたので、余計にそう感じるのだろう。

 今まで、こんなに居心地の良い女の子とは会った事がなかった。



 仲良くなりたい。



 そう、本気で思う。


 だけど、具体的に何をすれば良いだろう?


 ただ本や漫画を貸すだけなんて、そんな古典的な関係じゃまず進展はしない。





 どこか、デートに誘う事ができれば良いのだが……。


 僕の頭は、ソフィーとのこれからの事でいっぱいだった。


 そういや、ソフィーって、恋人とかいるんだろうか?



 もやもやで胸が張り裂けそうだ。



 待て待て、気が早い。

 そんな事は付き合いが長くなれば分かる事だ。

 冷静にならなくては。

 深呼吸する。





 僕は帰り道で、不良っぽい3人組の高校生とすれ違った。








 何となく不穏な気配を感じた。

 違和感があったのだ。




 何だろう?



 胸騒ぎがする。







 僕は、その胸騒ぎの正体が何なのか分からないまま、何事もなく帰宅した。
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