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プロローグ

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「なんで、私の取材を受けてくださったんですか?」
 取材の最後にそう聞くと、男性は少し考えてから「区切りだと、思ったからかもしれないです」と言う。
「区切り?」
 私が繰り返すと、男性はひとつ慎重に頷く。
「俺と、兄との区切りです。なんと言いますか……そろそろ兄の所為ばかりにしてはいけないなと思ったんですよ」
 その言葉を零さないように、メモする。
 パソコンやタブレットなどの電子機器で取材メモをとる記者が多いが、私はノートに書く方が性にあっていた。今日の取材ノートは、もう書く場所がないくらいに多くの文字がところ狭しと並んでいる。どこの部分を切り取って記事にしようかと考えたが、どこの部分も切り捨ててはいけないような気がした。編集長にかけあって、長編の連載記事でも書かせてもらった方がよいかもしれない。交渉するのは初めてだが、編集長だって、彼の話を聞けばそう思うだろうという確信があった。
 コンコンと扉がノックされる。その音に弾かれて壁にかかった時計を見ると、もう13時をまわっていた。あっ、と声をあげて、私は座っていたソファーから立ち上がる。
「河野様、そろそろお時間です。奥様が見えてますので、扉を開けてもよろしいでしょうか」
 扉の外から、よく通る品の良い女性の声がした。男性が「はい」と短く答えると、うやうやしく扉が開けられる。すると、その先にウエディングドレス姿の美しい女性が現れた。同性の私から見ても、非常に美しい花嫁姿だった。思わず感嘆の声が漏れる。
 女性は「どうかな?」とかわいらしく尋ねながら、くるりとまわる。それをほほえましそうに見た男性は「もちろんかわいいよ」と言った。
「かわいい?」
「あ、綺麗だよ」
「もう、とってつけたように」
 くすくすとふたりが笑う。その様子は、幸せなカップルそのものだった。
「あの」私が声をかけると、ふたりは気恥ずかしそうに下を向いた。「すみません、式が始まる前には退散しますので」
「え、帰られるんですか?」
 素で驚いたような女性に、「さすがに、部外者ですから……」と言うと寂しそうな顔をされてしまう。
「ただ、ひとつよろしいでしょうか?」
 きょとんとした顔のふたりに、カメラをちらつかせて、「おふたりの写真を撮らせていただきたくて」とお願いすると、ふたりはもちろんと言って、ポーズをとってくれた。
 女性のそばにひかえていたウエディング場のスタッフの方に衣装を直していただき、準備ができたところでカメラを構える。
「じゃあ、とりますねー」
 3、2、1、でハイ、チーズ。
 カシャリ、と聞きなれたシャッター音が室内に響いた。


 結婚式会場をあとにして、「花霞出版」という古ぼけた看板がかけられたオフィスに戻ると、もう夕方を過ぎていた。社員はみんなそれぞれ取材にでも行っているのか、オフィスには誰もいなかった。
 今日も残業か、と思いつつ、真っ先に写真を現像する。カメラ屋さんにもっていかなくても、パソコンとコピー機と、写真用の紙があれば現像できるのだからありがたい。
 印刷したばかりのほんの少し暖かい写真を見て、私はひとりでため息をついた。
 結婚式会場の貸衣装に身を包んだ、一組の夫婦。写真に映っているのは、それだけ。
 でもふたりにあったのは、それだけじゃない。
 私はふたりのことを記すために、パソコンを立ち上げた。
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