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8.王太子の訪問

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「王太子殿下と、そのお連れ様がいらっしゃいました。応接間でお待ちです」
 
 散歩から帰邸した二人はなんともいえない顔のセバスチャンからそう告げられた。
 シエルフィリードはわずかに視線を泳がせ、唇を噛みしめる。それからふうっと息をはいた。
 
「王太子殿下が? いったいなんの御用――」
 
 その言葉は半ばで宙に消えた。
 
「セバスチャン!」
 
 テオドシーネの行動は早かった。
 シエルフィリードを、彼の自室に押しこんだのである。
 
「テ、テオ、主人のぼくがもてなさなければ……」
 
 状況を把握できないシエルフィリードは妻の行動に困惑の声をあげる。実際にシエルフィリードをかかえあげて部屋まで運んだのはセバスチャンであるものの、命じたのはテオドシーネである。
 
「シェル様は、散歩の途中で石に蹴つまずいて腹を強打、意識が混濁していることにいたします」
「色々と無理があるよ!?」
「しっ、これをかぶって……」
 
 テオドシーネはテーブルにあった目だし帽をシエルフィリードにかぶせた。輝く銀髪が見えなくなる。
 その上からさらに、馬もかぶせた。彼の愛馬が夫を守ってくれるはずである。
 
「申し訳ありません、これはわたくしの落ち度です。シェル様に一つだけ嘘をついていました。そのことはあとでゆっくりお話しします。お叱りもお受けしますから、いまはここへ」
 
 それだけ告げると、テオドシーネはシエルフィリードの部屋の扉を閉めた。目で合図するとセバスチャンがうなずき鍵をかける。
 当然内側からも鍵は開くので、セバスチャンは廊下に設置されたソファをひっぱってきて扉の前に置いた。
 
 内側から物音はない。まだ驚きが勝っているのだ。
 
 何事かと集まる使用人たちを前に、テオドシーネは凛とした表情で宣言した。
 
「わたくしがピエトロ様とマリリン様のおもてなしをいたします。皆さん、クイア家の一員として立派に務めてくださいませ」
 
 予告もなく現れた彼らの目的が、先日の無礼に対する謝罪であるわけがなかった。むしろその逆、変人公爵に嫁いだテオドシーネを見物にきたのだ。
 
 ならば、シエルフィリードの美貌を、そして嘲笑って捨てたはずのテオドシーネの幸福を、ピエトロは許さない。それらは隠さなければならないものだ。
 それがわかっているからこそセバスチャンもなにも言わなかった。むしろ、
 
「急ぎ早馬を飛ばし、医者を手配させましょう」
 
 と申し出た。外から医者を呼ぶことによって屋敷内が危急であることを演出し、ピエトロ&マリリンを王都へ帰そうというのである。
 
 彼らの性格を知るテオドシーネはその戦略が外れるだろうことを予期したが、黙っておいた。
 どちらにせよすべきことは変わらない。
 
「お願いするわ。お二人はわたしが応対します」
 
 二人が帰るまで、自分が矢面に立つ。
 テオドシーネに迷いはなかった。婚約破棄を突きつけられたあの日に比べればこの程度はなんてことない。
 
 自室に戻り、テオドシーネはチェストから署名の入った手紙を取りだした。
 
(ピエトロへの引導は、わたしが渡す)
 
 シエルフィリードとピエトロは対面させない。
 
 
***
 
 
 髪と化粧を急いで直し、ドレスを着がえると、テオドシーネは応接の間に現れた。
 ソファにふんぞりかえるピエトロと、べったりと寄り添って座るマリリンの前で腰をかがめ、頭を下げる。
 
「王太子殿下、ならびにマリリン様におかれましてはご機嫌麗しゅう。本来ならば我が夫、シエルフィリード・クイアがご挨拶をすべきところですが、今朝方から怪我に臥せっておりまして」
 
 二人分の視線が突き刺さるのを感じつつテオドシーネは一応待ってみた。客人たちの口から辞去の挨拶が出てくるのを。
 しかしピエトロは、頭をあげろとも言わずに鼻で笑っただけだった。
 
「ふん……なんだ。医者は呼んだのだろう?」
「はい、まもなく到着すると存じます。騒がしくなりますことをお許しいただきたく」
「あの男でも前後不覚になるのだな」
「どんな方なのですか? 噂によれば相当な変人だと」
 
 ぴく、とテオドシーネの手が拳を握った。表情は変えぬまま、しかし端から見ればその背には不穏なオーラが立ちのぼっているのだが、ピエトロは気づかない。
 マリリンの問いに笑い声すら立てると、以前の接見の様子を語ってやった。
 
「意外と小さな男だ。頭はゴブリンの仮装をして、妻に迎えてほしい人間がいると言ったら『はい』と一言答えたきり、その後はしゃべらずじまいであった」
「いやだ、ゴブリン……?」
「変人だろう? マリリンにも見せたかったよ。王太子の俺によくもあんな態度がとれたものだ」
「怖いですわ」
「俺がいるさ」
 
 怖いとも思っていなさそうな声で言うマリリンを抱き寄せ、ピエトロは鼻の下をのばしている。
 
 テオドシーネにはシエルフィリードの心がわかった。「人型のかぶりものでお出迎えしよう」という、せめてもの、斜め上すぎるもてなしの心だ。
 一言もしゃべらなかったのは王太子という人を前に緊張しすぎたのかもしれないが、それよりも……。
 
「それで、結婚生活はどうなんだ? 婚姻宣誓書を提出したのだろう。ゴブリンの夫とうまくやっているか? もっとも、あのようなわけのわからぬ男と、うまくいくはずもないだろうが」
 
 喉の奥でひきしぼるような不快な笑い声を立て、ピエトロはテオドシーネの思考をさえぎった。
 胸に当てた拳に力がこもる。
 
「やはりわたくしを笑いに来られたのですね?」
「あぁそうだ。俺にとどうなるかわかったか?」
「――……」
 
 ピエトロはわざわざソファから身を起こすと、テオドシーネの顔の前へと足を向けた。まだ身を伏せたままの眼前に艶やかな革のつま先が迫る。
 
 やはりシエルフィリードを閉じ込めておいて正解だった、とテオドシーネは安堵した。
 王太子の来訪を聞いた際にシエルフィリードが見せた表情、あれは怯えだった。婚姻の話を持ちかけられたとき、ピエトロの粗野な言動に驚いたに違いない。
 
 まともな人間ならそうだ。素行の悪い令嬢を引きとってくれなんて礼を失した申し出をする時点で、ピエトロのほうが異常なのだ。
 だからテオドシーネに会ったときも、シエルフィリードは恥ずかしがりはしたし、自己嫌悪に陥っていたようだけれども、色眼鏡でテオドシーネを見たりしなかった。
 
 答えを返さないテオドシーネに、ピエトロは眉を寄せた。
 
「強情だな。俺の靴でも舐めれば、変人公爵との婚姻をなかったことにしてやってもいいと思ったのに」
 
 この一か月で、シエルフィリードは大きく変わった。
 ピエトロは――なにも変わっていない。
 
 テオドシーネは顔をあげた。
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