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2 ボク
07
しおりを挟むボクは、おかしなものを見てしまう目を持って生まれた。
この目があったから今、生きていて。
この目があったから、死ねなかった。
ボクは、おかしいと感じてしまう心を持って生まれた。
この心があったから今、生きていて。
この心があったから、死ねなかった。
単語を口にできるようになったころ、家族の前で「(あれは)なに?」と言ったのが始まり。
おかしい、と思ったから。
他人には見えないものを、指差しながら問いかけた。
何度も繰り返せば、なにもない場所になにかが見えていると分かったようで。
見えないものを見る子供。
見えないものを問う子供。
なにが見えているのかと問えば、そのたびに変わる答え。
おかしいと思うことがおかしい。
薄気味が悪い。
いずれ良くないものを招き寄せるのではないか。
聞こえるか聞こえないかの声でひそやかに囁かれるそれは、しめった薪がくすぶるようだった。
数年後、母がボクの弟妹どちらかの出産で赤ん坊と一緒に亡くなって、末っ子であることが確定してから。
ボクの扱いは、格段に悪くなった。
なにかが変わったことは気づいていたけれど、抵抗できなかった。
兄弟四人で過ごしていた子供部屋から、末っ子叔父のいる納屋へ追いやられた。
納屋の中、踏み固めた土の上に寝台代わりに敷きつめた草は、いつも湿っていてかび臭かった。
家族に姿を見せると罵倒されて叩かれるようになり、食事は末っ子叔父と共に残飯や生ごみを漁らないといけなくなった。
兄たちのお下がりだった服ももらえなくなり、末っ子叔父からぼろ切れをもらった。
兄弟の誰よりも働かなくてはいけないと言われるようになり。
父の許可がないと休憩も許されない。
領主さまのお仕事を手伝っていた我が家だけれど、家内で消費する程度の畑作もしていた。
兄たちが木陰で休む姿を見せられながら、父や叔父たちが末っ子叔父を農具小屋へ連れ込む姿を知りながら、一人で鍬を振るうのは辛かった。
聞こえてくる苦痛と謝罪の叫び声が、嘲りが、笑い声が、心を摩耗させた。
祖父母が亡くなった母に出来損ないを産みやがって、と言っていたのは知ってた。
ボクの事だ。
祖父母はボクに直接言わなかった。
気持ち悪い子供だ、と。
母に言っていたから。
子供にひどい事を言いたくなかった、ではなく、幼い子供を罵倒しても望む反応が得られないから言わなかったと知った。
母が亡くなって初めて、ボクに向かって言うようになった。
『末っ子はやはりろくでもないのが生まれる』と。
末っ子叔父とボク。
まともじゃ無いのは、末っ子だから。
おかしいのは末っ子だから。
父は祖父母と母の仲が良くないことを知っていたはずなのに、なにもしなかった。
自分の仕事は領主さまの手伝いと畑仕事だけ、と口に出しても言った。
母が泣いている姿をボクは見て、父を憎んだ。
母が生きている時だって子育てや家事は、なに一つしなかった。
母が亡くなってからは家にいると祖母がうるさいと、寝る時以外不在がちになった。
父は、夫としても父親としてもろくでなしだった。
ボクはそう思っていた。
でも、祖父母にとってはそうでは無かった。
誰よりも働かされてる末っ子叔父とボクの方が、ロクデモナイと考えていた。
四人兄弟の末っ子のボクには、自分の未来が見えていた。
ボクの未来の姿が、末っ子叔父だから。
五男で外では居候扱いされている末っ子叔父の実情は、家族扱いですらなかった。
なんでも命令できる下僕で。
なんでも強要できる奴隷で。
なんでも指図できる召使だった。
いつかボクも兄弟たちに道具のように扱われるのかと思うと、先に希望も夢も見れない。
いつの間にか、母が存命の頃は下男が雇われていた屋外の仕事は、末っ子叔父とボクで終わらせるのが当たり前になっていた。
家族全員でやるはずの畑仕事も、雑草とりに水汲みや鍬を入れたりする大変な作業が、末っ子叔父とボク専用の仕事にされていた。
領主さまの仕事は祖父と父と長兄しかできない。
どんな仕事をしているのか、興味を持つ事さえ許されなかった。
汚くて臭いから家の中に入ってくるなと殴られて、隙間風と雨漏りが常の納屋暮らしに慣れていった。
この生活がおかしいと、思っているのに。
思ってしまうのに。
なにが、どんな風におかしいのか分からないから、言葉にできなかった。
慣れられないこともあった。
畑での作業中、予期なく末っ子叔父が連れ出される。
父や、同じ村に住んでいる実兄たちの休憩時間に農具小屋に連れ込まれて、殴られ、いたぶられながら犯されていると知ったのは早かった。
ボクもいつか、同じ扱いを受ける日が来る。
見たくないのに、見えてしまう。
おかしいと感じてしまう。
女性は数が少なくて肉体が弱いから、痛めつけてはいけない。
丁寧に優しく抱かないといけない。
複数の男で女性を抱くと、女性を傷つけてしまう。
だから、複数の男で抱くのは女性より頑丈な男にしよう。
女性の数が少ないから、男同士で体を繋げるのはおかしくない。
男は女性よりも体が頑丈だから、丁寧に優しくしなくて良い。
発散したくなったら、兄弟同士でも体を繋げるのは当たり前。
それが常識。
おかしいとボクだけが思うのは何故?
常識だから受け入れないといけない。
受け入れるのが当たり前。
そのはずなのに。
普段は口数の少ない末っ子叔父が、兄たちに犯されて悲鳴を上げながら、腹の中に溜め込んでいく黄色と橙の混ざった黒いもやもや。
おかしい。
発散したはずの父や叔父たちが腹の中に残っている、腐ったような黒赤茶色のもやもや。
おかしい。
実兄たちに犯される末っ子叔父の姿を隠れ見て、一番上の兄が期待と興奮と共に腹の中に溜め込んでいく、血赤のもやもや。
おかしい。
女性相手にはできない手荒な行為も、男の末っ子叔父にはできる。
男を相手にした欲望の発散と、女性を相手にする繁殖は別の行為だから。
父や次男から四男までの叔父たちは、そう信じきっている。
男は殴って叩いて、犯すのが当たり前だと。
幼い頃からしつけられてきた末っ子叔父は、決して逆らわないのに、やめてくれと泣き叫ぶ事はしても、逃げ出さないのに。
おかしい。
村人たちがぺちゃらくちゃらと話して口からこぼしたもやもやは、風に吹きさらわれて消えていく。
それでもお腹にあるもやもやの全ては消えない。
おかしい。
祖母が祖父にけんつくした時にこぼれるもやもやは、砕けて消えていく。
それでももやもやの元は、祖母の腹の中に残っている。
おかしい。
もやもやは口に出せば、腹に溜め込まれずに減っていくように見える。
でも、全ては無くならない。
吐き出しきれないのか。
苦しいとも辛いとも言わない末っ子叔父の中に、みっしりと隙間なく詰め込んだように溜め込まれていくもやもやは、増えていくばかりだ。
いつか、溜め込まれたもやもやが、末っ子叔父を飲み込んで取り返しがつかないことになる。
そんな気がして、そんな未来が見えてしまう気がして、末っ子叔父を見る事が出来なくなった。
ボク自身のお腹を見ても、もやもやは見えない。
ボクにはもやもやが無い?
いいや、そんなはず無い。
だって、こんなにもおかしいと感じる。
末っ子叔父を恐ろしいと感じてる。
自分のお腹の中に、見えないもやもやが溜まっているのを、感じている。
いつかボクも、末っ子叔父と同じようになるんだろうか。
そんな未来、見たくない。
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