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1 ゴーシュ・ガイルは一匹狼

11 リフレッシュと騒動

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 押し付けられた残業を片付け、家路を急ぐゴーシュ。
 明日と明後日は休みだ。

 貴重な連休を、狼の姿で過ごすための準備は終わっている。
 必要なものは野営道具と食料……以上。

 ストレス解消、ぼっちキャンプに行くのだ!

 ゴーシュは野生の動物を狩ったことがないので、食料は必需だ。
 人の姿で山に入るため、キャンプ用品も持っていく。
 けれど、狼の姿で過ごす予定なので必要最低限以上は必要ない。


 翌朝。
 月一の勢いで山に来るゴーシュを、管理人が覚えてくれているので、キャンプサイト利用の手続きはあっさりと終わった。

 いつもの場所に、周囲を確認してからシートを敷いて一人用のテントを張る。
 準備の後に、人の姿で周辺を見回っておくことも忘れない。

 なぜか最近は初心者が多い。
 熟練者なら知っていて当然の、基本的なマナーや知識の欠如の問題も起こっているようだ。

 狼の姿で移動しやすいように、ゴーシュは出入りしにくい上に、木立で周囲から見えにくい所を、テントの設営場所に選んでいる。
 水場が遠くて、人気がない場所が最善だ。

 テントの中にランタンを吊り下げ、エアマットを敷いてシュラフも置いておく。
 誰かに見られても、外出中ですと言えるように。

 物は良くても、シュラフと毛布以外は中古品で揃えている。
 最悪の場合、貴重品以外は盗まれても困らない。
 狼の姿で野宿すれば良いだけだ。

 柔軟体操をしてから、食料や貴重品の入ったバッグを背負う。
 キャンプ初心者の頃に、ほぼ全ての荷物をテントに置いていったら、山で遭難している、と勘違いされたことがあった。

 木々を分け入って、周囲を嗅ぎながら進んでいく。

 嗅覚と聴覚と視覚を総動員して、人や獣が周囲にいないことを確認してから、荷物を置いて全裸になった。
 全てをバッグに詰め込んで、防水の森林迷彩カバーをかけて、低木の根元に押し込んだ。

 自由だ。

 狼の姿に変化するのももどかしく、ゴーシュは走り出した。

 走って。
 走って。
 走って。

 息を荒げて止まった時には、ゴーシュは獣に戻っていた。

 木立から覗く空は青く見えない。
 吹き抜ける風は水気を含み、朝靄の冷たさが頬をなでていく。

 群れを持たない一匹狼である心細さ。
 知らないことがあっても、教えてくれる先達はいない。

 この国に自分の他に人狼がいるのかさえ、ゴーシュは知らない。

 そんな不安を、忘れられた。

 日頃の鬱憤を晴らすように、くたくたになるまで走って、暗くなる頃に人の姿になって、着替えてからテントに戻る。
 山中で狼のまま野宿をしても構わないけれど、無人のテントを放置するのは良くない。

 猫舌のゴーシュは、常温のレトルトで食事を済ませて、常温の水を飲んだ。

 朝は火を焚いた方が良いかもしれない。
 しっとりと冷えてきた夜の空気を感じながら、シュラフへ潜り込むと、心地よい疲労ですぐに眠りが訪れた。

 そうしてゴーシュは、二日間を山で過ごした。
 穏やかな時間は、人のふてぶてしさと騒がしさに膿んだゴーシュの心を、洗ってくれた。

 一度も、胃は痛くならなかった。





 気が重い休み明け。
 勤務先に赴いたゴーシュは、無表情のまま、ほほをわずかに引きつらせた。

「やっと会えましたね、人狼さん!!」
「……」

 ゴーシュは、目の前の若い女性に見覚えがなくて、言葉が出なかった。

 今にもぐわぐわと鳴きだしそうに、不自然な形に突きだされた、てらてら光る唇。

 薬物でもキメたように、瞳孔が開きすぎていて怖い。
 病的な外見ではなく、不自然な匂いもしないので、そういうコンタクトレンズなのか。

 化学薬品を使って脱色したふわふわの髪の毛を、何度も搔きあげて耳にかけたり、まとめて肩に流す仕草。
 髪が揺れるたびに、鼻をつく残存臭に呼吸を止める。

 クネクネした動きに合わせて、耳元で必要以上に揺れるイヤリング。
 本能的に見てしまう。

 刺激された狩猟本能が、鉤爪を出せと囁いてくる。
 獲物を狩れ!、と。

 むき出しの首をくねらせて、見せつけてこようとするのは、喉笛を食いちぎられたいからなのか、とゴーシュは唸りそうになる。

 女性が身につけている全ての匂いが、混ざって不協和音を醸して、ゴーシュを不愉快にさせる。

 甘い匂いのきつい、洗剤と柔軟剤とさらに別のもの。
 華やかな匂いのきついシャンプーとトリートメントの上に、さらに匂いの違う整髪料を重ねて。
 豪奢な匂いのきつい化粧品を、顔面に塗りたくっている。

 全てが単品なら、良い匂いと感じるのかもしれない。
 だがそれは人基準だ。
 鼻が効きすぎるゴーシュには、スメルハラスメントでしかない。

 その上で、どこかにふりかけてあるのか、発情した人の女性がさせるものに似た匂いが、ぷんぷんと漂う。

 明らかに合成された匂いは、なんのために使う物なのか。
 人の男性を対象にした香水なのかもしれない。
 ゴーシュは人ではないから、人向けの誘引臭を追加されても困るだけだ。

 女性の後ろにいた、シャツにデニム姿の若い女性が、泣きそうな顔でゴーシュを見上げている。
 こちらは臭くない。

 もちろん固有の体臭はある。
 シャンプーの匂いや洗剤の匂いも混ざっているが、意図的に重ねていなければ臭いとは感じない。

 ふと気がつく。
 この女性は知っている。
 合コンで幹事をしていた女性だ。
 ……そういえば、美術大学にいたような気がする。

「顔見たら帰るって言ったよね、話しかけたらだめだよ」
「うっさいわね、本物の人狼なのよ、彼氏にすれば自慢できるでしょう!」

 丸聞こえなんだが。
 そう思いながらゴーシュは一歩下がる。

 若い女性が叫んでいる〝人狼〟発言は、ロビーに響き渡っていた。
 スーツ姿の人ばかりの中で、ふわふわした華やかな格好の女性は目立つ。

 業務開始前のロビーには、人が多い。
 このビルに入っているのは支社だけではない。
 視線が集まるのを感じても、どこに逃げろというのか。

 咄嗟に機転を聞かせて、適当な話をでっち上げることなんて、ゴーシュにはできない。
 ゴーシュの営業の実力は、社長から学んだ実直さと人狼の威圧に支えられていて、人並み以上のセールストークはできない。


「よくきたな、樹里亜」
「あ、お兄ちゃん!」

 きゃるんっ♪、と聞こえた気がする。
 ジュリアと呼ばれた臭い女性が、ゴーシュの背後からかけられた声に、音が聞こえそうな勢いで返事をした。

 お兄ちゃんと呼ばれた相手が、大嫌いになってしまった男だったので、ゴーシュは顔が歪むのを感じた。
 最悪な気持ちで振り返ると、愉悦で歪んだ顔が見えた。

「ようウスノロ、おまえ、化け物なんだって?」

 そう言って、ふっくらとしたほほを嫌味ったらしく吊り上げたのは、無能な上司である支社長だった。
 二十台前半で支社長に抜擢されたのは、地元で隆盛を誇る実家の権力と金でその地位を買ったから、というのは周知の話だ。

 名前は〝不死原フジワラ 亜蘭アラン〟。

 就任後に業績を伸ばせていれば、そんなものはただの噂だ、と一蹴できたのに。
 支社の業務内容に興味が無いようにしか見えないのに、どうして支社長になったのか。
 地位は買えても、業績は買えないと知らないのか。

 今でも、支社の低迷は自分が原因だと気が付いていない、低能なボンボンだ。

 少なくともゴーシュはそう思っている。
 周囲の人からの評価は知らない。

 支社長が彼に変わってから、業績が急降下。
 急増した苦情が本社に届いて、社長の耳に入った時には遅かった。

 一度肩書きのつく席に就任してしまえば、実家の権力や人の繋がりの関係で、簡単に更迭はできない。
 お家騒動を周囲に知られれば、本社の業績にも影響が出る。

 ゴーシュは、自分が社長にとって、すぐ動かせる駒、の自覚がある。
 人狼の威圧だけで周囲を牽制できる。

 そこで、本社でこの問題にカタをつけるまで、支社の凋落を抑えてほしいと派遣された。

 支社長を威圧して、おかしなことをさせないようにしてほしい、と頼まれた。
 本社の目論見は、支社長が実力を理解しない子犬のように噛み付いてきたせいで、初日に破綻している。

 報告は上げた。
 しかし追加要員の派遣は難しい。
 問題を大きくするわけにはいかないからだ。

 だからこそ必死になって、ゴーシュが社長の側で見て学んだ営業もどきをやっていたのだ。

 
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