神龍の愛し子と呼ばれた少年の最後の神聖魔法

榛玻璃

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第二部 雪華の祈り

40.大事な家族

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「はっ……」

 暗い室内の中、アルバートは勢いよく身を起こす。窓の外に目と向けるが、外はまだ暗闇に包まれている。まだ夜中だ。額にじっとりと脂汗が滲み、呼吸が荒かった。夢見が悪かったせいか気分が悪い。

 ここはどこなのか、何をしにきたのか、寝る前に何をしたのか、今日何をしたのか、明日何をするのか――そのひとつひとつを思い出し、記憶を辿り、思考する。考えているのはつい数時間前の出来事や数時間後の予定のはずなのに、何年も前のことのように思えた。記憶を辿っていると、徐々に時間感覚が戻ってきて現実が戻ってくる。

「はぁ……っ」

 大きく息を吐きだした。もう一度寝ることも考えたが、再び横になる気にもなれずベッドから降りる。水でも飲もうと思い、部屋を出ると、ハデスの部屋の扉の隙間から光が漏れていることに気づいた。

(まだ起きてるんだ)

 そっと扉を開くと、そこには机に向かって書き物をしているハデスの姿があった。

「まだ起きてたの?」

 声をかけるとハデスが顔を上げ、驚いたように目を瞬いた。そして優しく微笑むとアルバートを手招きする。それに従い近づくと彼はそっと腕の中に包み込んだ。

「どうかしましたか? 怖い夢でも見ましたか?」

 穏やかな声色で聞かれて、思わず涙が出そうになる。しかしぐっと堪えて小さく首を横に振った。ハデスは明日には白龍の神殿に戻ってしまい、マナの奉納が終わる三か月後まで会えないのだ。怖い夢を見て眠れなくなったなんて、そんな子供じみた理由で心配させたくなかった。

「……何でもないよ。寝付けなかっただけ」

 そんなアルバートの意地を感じ取ったのか、ハデスは苦笑しながらぽんぽんと背中を叩く。子供をあやすような優しい手つきに少しだけ落ち着いたような気がしたが、すぐにまた不安が込み上げてきた。

「今日はさ……、一緒に寝てもいい?」

 すがるようなアルバートの言葉にハデスは目を丸くしたが、すぐに穏やかな表情に戻った。
 アルバートのその態度を、明日からしばらくの間、離れて過ごすことになる心細さと受け取ったようだった。

「いいですよ。一緒に寝ましょう」

 自身の仕事がまだ残っているにも関わらず、彼は書きかけの書類を引き出しにしまうと、隣接している寝室までアルバートの小さな手を引いて連れて行った。彼はいつだって嫌な顔一つせずに、アルバートを優先してくれるのだ。

 幼くして孤児となったアルバートには両親の記憶はなかったが、もし父親がいたとしたらこんな感じなのかもしれないと思った。

 ベッドに入ると、ハデスはアルバートをそっと抱き寄せる。その体温が心地よくて思わずすり寄ると、ハデスはくすりと笑いを漏らした。

「アルがこうやって甘えてくれるのは、ずいぶん久しぶりな気がしますね」

「子供扱いしないでよ」

 アルバートが頬を膨らませるとハデスはくすくすと笑う。

「すみません。でも、たまにはこうして甘えてくれるのも嬉しいですよ」

「むぅ」

 そう言われると何も言い返せない。

「甘えて良いんです。アルは私の子供なのですから。血は繋がっていなくても、大事な家族です」

「うん……」

 アルバートは恥ずかしそうに頷くと、ハデスの胸に顔を埋めた。温かな体温と規則正しい鼓動が身体を内外から優しく包み込む。その心地よさと安心感に徐々に瞼が重くなり、やがて意識は深い眠りの底へと沈んでいった。

(ねえアル、私は父親をやれてますか?)

 健やかな寝息を立て始めた我が子に布団を掛け直してやりながら、ハデスは心の中で問いかける。

(父親とは、こういうものなのでしょうか)

 物心つく前に神殿に引き取られていたハデスには、両親の記憶も、産まれた場所さえ記憶がなかった。神龍の愛し子は、その希少さ故に神聖視されるため、普通の家庭に当たり前にあるような愛情を注がれず、自らのルーツとなる記憶さえ持たない育ち方を強いられる。ある意味では籠の鳥にも近い存在だと思う。

(私はちゃんと、あなたを愛せていますか?)

 アルバートの手のひらに触れると、小さなその手が握り返してくる。原始反射のような仕草にハデスは顔を綻ばせた。言いしれない愛おしさが心の奥底から混み上がってくる。

 この柔らかな手も、年々触れる機会が少なくなってきた。触れるたびに大きくなっていることに気付かされるほどに。それが成長するということだが、しかし同時にハデスにとっては寂しいことでもあった。

(でも、私はあなたの成長を心から祝福していますよ)

 そんな気持ちを込めてアルバートの額に口づけると、彼はくすぐったそうに身をよじったが、目を覚ますことはなかった。その様子に安堵しつつ、その温もりを抱きしめて自身も眠りについた。

 ◆

「おはよう、アル。よく眠れましたか?」

 翌朝、アルバートはハデスに起こされて目が覚めた。彼は既に身支度を整えており、いつでも出発できるといった様子だった。

「……うん」

 まだ少し寝ぼけ眼のアルバートの頭を優しく撫でながらハデスは微笑んだ。その優しい眼差しにアルバートもつられて微笑むと、ゆっくりとベッドから降りる。そして大きく伸びをした。

「もう行くの?」

「ええ、そろそろ出立しなければなりません。雪がもっと積もってくると、街道は閉ざされて身動きが取れなくなってしまいますから。でも、また春を迎える頃には来ますよ。それまではアレスタやマリカとお勤めをお願いしますね」

 ハデスの言葉にアルバートは少しだけ寂しげな表情を浮かべたが、すぐに笑顔に戻った。

「気をつけてね」

「はい。アルも無理をしないように」

「うん」

 アルバートは素直に頷いた。ハデスがいなくなるとまた一人になる。それが不安で仕方がなかった。しかしそんな気持ちを悟られたくなくて、必死に笑顔を作る。

「では、行ってきますね」

 そんなアルバートの心情を察したのだろう。ハデスもまた優しく微笑むと彼を抱擁し、部屋を後にしたのだった。
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