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Ⅰ 1840〜1886年 インパクト・オブ・チャイナ
8 天国の幻影
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太平天国に苦しむ清王朝、アロー戦争と並行して、その混迷は日に日に悪化していった。アロー戦争は、イギリスがフランスにも参戦を求めたことで、清はイギリス・フランスを相手に戦わなくてはならなくなった。清朝第9代皇帝 咸豊帝は内憂外患の中、清を必死で建て直そうとした。イギリスは首相パーマストンが第8代エルギン伯爵兼第12代キンカーディン伯爵ジェイムズ・ブルースを司令官として、兵士5000からなる遠征軍を派遣。フランスもナポレオン3世がグロ男爵を司令官として遠征軍を派遣した。1857年12月29日に英仏連合軍が広州を占領して、葉名琛を捕らえた。
「フン、貴様が勝手に大英帝国のユニオン・ジャックを下ろすからだ。馬鹿者。」
「おのれ、夷狄が…。」
1858年2月に、イギリス・フランス・ロシア・アメリカの全権大使の連名により北京政府に対して条約改正交渉を求めた。清の返答に不満を持った連合軍は再び北上して、天津を制圧。天津条約を結んだ。
天津条約
1 軍事費の賠償(イギリスに400万両、フランスに200万両の銀)
2 外交官の北京駐在
3 外国人の中国での旅行と貿易の自由、治外法権
4 外国艦船の揚子江通行の権利保障
5 キリスト教布教の自由と宣教師の保護
6 牛荘(満州)、登州(山東)、漢口(長江沿岸)、九江(長江沿岸)、鎮江(長江沿岸)、台南(台湾)、淡水(台湾)、潮州(広東省東部、後に汕頭に変更)、瓊州(海南島)、南京(長江沿岸)の10港を開港
7 公文書における西洋官吏に対して「夷」(蛮族を指す)の文字を使用しない
賠償金の支払いに加え、外交官の滞在を認める・治外法権・開港と清にとって不平等な内容の条約。清王朝は、太平天国とアロー戦争との内憂外患に苦しみ、首が回らない状態になっていた。ロシアとアメリカとは、翌年に批准を交換したが、イギリスとフランスとは批准交換の使節の入京に際して紛争が生じたことから、条約の批准を拒んだ。このため英仏連合軍は天津に上陸し、北京を占領した。
「さっさと認めろ!!時代遅れの井の中の蛙が!!」
「己、西洋の夷狄どもが…。」
1860年にロシアが仲介して、北京条約が締結された。
北京条約
1 清朝は英仏への800万両の賠償金の支払い
2 天津条約の実施(北京への外交官の駐留等)
3 天津の開港
4 清朝による自国民の海外移住禁止政策の撤廃と移民公認
また、英仏に対しては
5 清朝が没収したフランスの教会財産の返還
および
6 英国へ九竜半島の南部九竜司地方(香港島に接する部分)を割譲
することが定められた。
清王朝は、夷狄と見下していた欧米列強に、ここまでの不平等な条約を押し付けられ、神聖な天朝である中国大陸に外国人を闊歩させるという現状に、この上ない屈辱感を味わされた。この戦争で、北京に築かれた円明園がイギリス軍によって徹底的に破壊された。円明園は、1709年に清王朝4代皇帝 康煕帝が息子の胤禛(いんてん)に下賜した庭園が起源。胤禛が皇帝に即位し、5代皇帝 雍正帝となり、1725年以降様々な建物が増築され、庭園も拡張された。乾隆帝の時代には、更に増築され、噴水まで造られ、西洋風の建物・西洋楼が建てられた。嘉慶帝の時代にも大規模な修築が行われ、揚州から最高級の建具が取り寄せられた。そんな清王朝の繁栄の象徴である円明園は壊されてしまい、瓦礫だけが残る廃墟と化した。
アロー戦争の頃、太平天国では地上の天国の理想と現実の乖離が大きくなり、1856年には天京事変(てんけいじへん)と言う指導部の内紛が起き、東王楊秀清・北王袁昌輝・燕王秦日綱が命を落とし、2万人余りが殺害された。太平天国の敷地内で饅頭屋を営んでいた徐傑は、現場で横たわる死体達を目の当たりにして愕然とした。
「えっ?これは一体?」
皆と共に、清王朝の支配から離れ、地上の楽園として作り上げたはずの太平天国。その楽園で、大規模な内紛が起き、何万人もの同胞達が殺害されたのである。
「何故だ…。皆で地上の楽園を作ったのに…。何故こんなことが起こったんだ!?」
1860年2月から5月にかけて、第二次江南大営攻略で、清軍を撃破。この時から太平天国は内紛状態となり、軍紀も乱れ、食料確保のために無秩序な略奪や徴収が起き、組織の質が低下していった。
「どうなっている…。」
悪いことに、清朝も軍を建て直し、曽国藩の湖軍・李鴻章の淮軍といった新規の軍隊が結成された。北京条約が締結されてから、欧米列強も太平天国と敵対し、清朝の味方をした。外国人傭兵部隊が現れ、彼らの近代兵器の前に太平天国は苦戦を強いられた。徐々に太平天国の落日は近づいていた。
「フン、貴様が勝手に大英帝国のユニオン・ジャックを下ろすからだ。馬鹿者。」
「おのれ、夷狄が…。」
1858年2月に、イギリス・フランス・ロシア・アメリカの全権大使の連名により北京政府に対して条約改正交渉を求めた。清の返答に不満を持った連合軍は再び北上して、天津を制圧。天津条約を結んだ。
天津条約
1 軍事費の賠償(イギリスに400万両、フランスに200万両の銀)
2 外交官の北京駐在
3 外国人の中国での旅行と貿易の自由、治外法権
4 外国艦船の揚子江通行の権利保障
5 キリスト教布教の自由と宣教師の保護
6 牛荘(満州)、登州(山東)、漢口(長江沿岸)、九江(長江沿岸)、鎮江(長江沿岸)、台南(台湾)、淡水(台湾)、潮州(広東省東部、後に汕頭に変更)、瓊州(海南島)、南京(長江沿岸)の10港を開港
7 公文書における西洋官吏に対して「夷」(蛮族を指す)の文字を使用しない
賠償金の支払いに加え、外交官の滞在を認める・治外法権・開港と清にとって不平等な内容の条約。清王朝は、太平天国とアロー戦争との内憂外患に苦しみ、首が回らない状態になっていた。ロシアとアメリカとは、翌年に批准を交換したが、イギリスとフランスとは批准交換の使節の入京に際して紛争が生じたことから、条約の批准を拒んだ。このため英仏連合軍は天津に上陸し、北京を占領した。
「さっさと認めろ!!時代遅れの井の中の蛙が!!」
「己、西洋の夷狄どもが…。」
1860年にロシアが仲介して、北京条約が締結された。
北京条約
1 清朝は英仏への800万両の賠償金の支払い
2 天津条約の実施(北京への外交官の駐留等)
3 天津の開港
4 清朝による自国民の海外移住禁止政策の撤廃と移民公認
また、英仏に対しては
5 清朝が没収したフランスの教会財産の返還
および
6 英国へ九竜半島の南部九竜司地方(香港島に接する部分)を割譲
することが定められた。
清王朝は、夷狄と見下していた欧米列強に、ここまでの不平等な条約を押し付けられ、神聖な天朝である中国大陸に外国人を闊歩させるという現状に、この上ない屈辱感を味わされた。この戦争で、北京に築かれた円明園がイギリス軍によって徹底的に破壊された。円明園は、1709年に清王朝4代皇帝 康煕帝が息子の胤禛(いんてん)に下賜した庭園が起源。胤禛が皇帝に即位し、5代皇帝 雍正帝となり、1725年以降様々な建物が増築され、庭園も拡張された。乾隆帝の時代には、更に増築され、噴水まで造られ、西洋風の建物・西洋楼が建てられた。嘉慶帝の時代にも大規模な修築が行われ、揚州から最高級の建具が取り寄せられた。そんな清王朝の繁栄の象徴である円明園は壊されてしまい、瓦礫だけが残る廃墟と化した。
アロー戦争の頃、太平天国では地上の天国の理想と現実の乖離が大きくなり、1856年には天京事変(てんけいじへん)と言う指導部の内紛が起き、東王楊秀清・北王袁昌輝・燕王秦日綱が命を落とし、2万人余りが殺害された。太平天国の敷地内で饅頭屋を営んでいた徐傑は、現場で横たわる死体達を目の当たりにして愕然とした。
「えっ?これは一体?」
皆と共に、清王朝の支配から離れ、地上の楽園として作り上げたはずの太平天国。その楽園で、大規模な内紛が起き、何万人もの同胞達が殺害されたのである。
「何故だ…。皆で地上の楽園を作ったのに…。何故こんなことが起こったんだ!?」
1860年2月から5月にかけて、第二次江南大営攻略で、清軍を撃破。この時から太平天国は内紛状態となり、軍紀も乱れ、食料確保のために無秩序な略奪や徴収が起き、組織の質が低下していった。
「どうなっている…。」
悪いことに、清朝も軍を建て直し、曽国藩の湖軍・李鴻章の淮軍といった新規の軍隊が結成された。北京条約が締結されてから、欧米列強も太平天国と敵対し、清朝の味方をした。外国人傭兵部隊が現れ、彼らの近代兵器の前に太平天国は苦戦を強いられた。徐々に太平天国の落日は近づいていた。
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(2022.04.04)
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