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動き出した時

動き出した時 ③

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 一旦ノアと共にサラの家へと帰宅したエリスは、諸々の関係者へ連絡し、謝罪や感謝の言葉を伝えた。

 文句や罵声を浴びせられても仕方ないと覚悟していたが、落胆されることはあれど、心配やこちらを気遣う言葉をかけてくれる者も多く。中には開院の目処がついた時には声をかけて欲しいと申し出てくれる者までいた。

 その日エリスは何度も「すみません」と謝り、それ以上に「ありがとうございます」と礼を述べた。

(私、一人で治療院を作るんだって躍起になって、傲慢になってた……。恥ずかしい。治療院は白紙に戻ってしまったけれど、皆が協力してくれていたこと、さっきかけて貰った言葉……忘れたくないな……)

 罪悪感や申し訳なさを感じつつ、周りの人々の優しさに一層気が引き締まる。

 そしてそれはぼんやりと。エリス自身が治療院に勤めたり、直接経営や運営するという形にこだわらなくても良いのかとの思いに至る。

「……さて、ノア達もそろそろ終わったかな……?」

 つと、エリスは客間の扉を見やった。到着した途端、サラは話があるとノアを客間に通し、既に一時間。

 徐々にエリスも不安になってきた。

 何しろ客間とは名ばかり。客間として使われた頻度よりも、ハンナやサラに個々別に呼び出され注意される時に使われた頻度の方が圧倒的に高かったと記憶している。
 始まりは姉弟の前で、それも血の繋がらない姉弟の前で叱責や注意する事は好ましくないとのハンナの判断からだろうが。

(ノアが居なくなってからも、うっかりサラ姉のお菓子食べちゃった時とかあの部屋に呼ばれたのよね……ノア、大丈夫かな……)

 エリスはうろうろと意味もなく扉の前を行き来する。一旦は書庫に行き、歴史と法律関係の資料に目を通していたが。結局気になりめぼしい資料を持出し居間へと戻った。

 ノアが帰還した当初の険悪さはなりを潜めたが、未だぎこちない雰囲気である事には変わりない。
 ノアとの交際は昨朝既に伝えたが、特に質問もなく。いやにあっさりした反応だった事が今になってはかえって不安を煽った。

(揉めてる気配がしたら、中に入ろう。ああ見えてサラ姉って凄く強いんだもん……)

 何度か見た、ノアとサラとの体術を取り入れた剣や槍の稽古。あれは凡人のエリスが見ても、簡単に真似出来るような代物でないと容易にわかる。
 何かの時の為の護身術、そう彼女らははぐらかすが。平和なミニアムで、どころか王城でも使い道があるものなのか不明である。

(本当に、怪我してからじゃ仲直り出来るものも出来なくなっちゃう……!)

 エリスは良くないことと知りつつ、王族の諸権利に関わる条文に目を通しながらも時折密かに聞き耳を立てては、静けさを保つ隣室に胸をなで下ろしていた。



 一方。時は遡り二時間前。客間でサラは勢いよくノアに頭を下げた。

「本当に悪かったと反省しているわ。改めて、謝らせて下さい」
「え……? いや、本当に良いって。僕がサラ姉でも同じ事をしていたと思う」

 俯くサラの眉間にはしわが深く刻まれている。ローエ邸に入るや否や防音魔術の施された件の客間に呼び出され、ノアはてっきり何か――おそらくエリスとの関係絡みで――注意や叱責を受けると思い込んでいた。大人げなく身構えさえしたノアは、サラの開口一番に拍子抜けする。

 彼女には先日、大方の事情を話してはあった。お互いの様々な誤解が一応は解けたもののサラは終始多くを話さず。エリスやサラに心配や迷惑をかけたのは事実であり、裏切られたと感じても一切不思議は無い状況だ。

 謝罪の他にエリスの命を守り続けてくれた彼女に礼を述べ、とうとう黙りこくってしまったサラとは別れたのだが。

(だいぶ責任を感じさせてしまったかな……)

 彼女の事だ、大方事情通の従兄弟にでも頼んで全てを探った末の謝罪だろう。

「サラ姉は全部、知ってるの?」
「ええ、まあ。……エリオに聞いたわ」
「やっぱり」
「ノアは……」

 そこで一息、サラは躊躇うように言いよどむ。長いまつ毛に縁取られた翡翠色の瞳が床をさ迷い、しばし逡巡し。意を決したように顔を上げた。

「あれに……ナールに会ったのね?」

 真っ直ぐな瞳にノアは頷き「一度だけね」と誤解を期待した言葉を添える。サラは大きく息を吐き、「やっぱり」と肩を落とした。
 俯く翡翠色の瞳はどこか遠くを見ている。寂しそうにサラは苦笑いを滲ませると、またノア達の義姉の表情へと戻っていった。

「ひとまず無事で良かったわ。これからも気を付けてね」
「ありがとう」
「それより、」

 やにわにサラの声音が一段と低く冷たくなる。その場に緊張が走り、部屋を護る魔力が僅かに濃くなる気配がした。

「ノアは知っているかしら? 王都での噂」
「どうだろう? どんな噂?」

 曖昧に微笑み首を傾げると、サラも紅の引かれた唇に微笑をたたえる。

「あら? フェルザー家のエーミール卿が悪魔に乗っ取られたとかなんとか。近頃は随分と悪魔と出会える人が増えたものね」

 パキリ、とサラの持つグラスの中の氷が音を立てた。割れた氷の衝撃で琥珀の液体が揺れ、緩やかに揺蕩っていた他の氷までもがざわめくように続く。

 義姉の歳は三十に程近く、装いは質素そのもの。薄化粧を施したのみではあるが、目鼻立ちのはっきりとした整った顔立ちは、身内の贔屓目を差し引いても美人の類に入る。
 美人は……と言うよりもサラは、凄みをきかせても怖いが、ゆっくりと、意味ありげに首を傾げて微笑んでも怖いのだとノアは改めて感じた。

「そうみたいだね。……いずれ、サラ姉にも協力をお願いする」

 隠し通せないと、ノアは素直に頭を下げる。計画に彼女の協力は必須。今話しても、もう少し先で話しても、彼女ならば変わらないと踏んだのだ。

「ありがとう」

 顔を上げぬノアにサラは嘆息し、もの悲しげな瞳を向ける。
「……良いわ。貴方には悪い事をしたし、何より心配だもの。噛んでおいた方が得策。あと、エリオにも……もっと先輩や年上には頼る方向でいきなさい。業界は甘くないわ。し返されるわよ」
「肝に命じる」

 あえて苦笑で返したものの、彼女の真面目な面持ちは崩れない。過剰な心配でもなく小言でもない。サラの告げた事は忠告で、充分に有り得る未来なのだろう。

「ところでノア。洞窟を調べる日は言いなさい。一人で隠蔽するのは大変でしょう? 個人事業じゃあるまいし、そのくらいなら私の方も動くわよ。最近は監視も手薄だし運動不足にはちょうど良さそう」
「ありがとう。じゃあ頼もうかな。さすが。我らがサラ姉」
「全く。おだててもダメなものはダメだし、やりたくないことはやらないわよ!」

 突っぱねるような言葉とは裏腹に、サラの顔には悪戯っぽい笑みが浮かぶ。

「わかってる。頼もしいね」

 妙齢の女性に対しては誤解を招きかねないと、逞しいという言葉は伏せた。

 時計をちらりと見やる。正午まではまだ時間がある。エリスはまだ各所への連絡を取っているだろう。まだサラと話す時間はあるが、この状態ではあまり長居しない方が良さそうだ。やきもきする兄の姿が目に浮かぶ。

「サラ姉、ナールとの接触については兄さん達に伝えないで欲しい。ほんの少しだったし、何事も無く無事だったんだ。余計な心配をかけたくない」
「わかったわ。まあ貴方に言われなくても言う機会もないし……」

 途端、苦虫をかみつぶしたような顔になるサラにノアは苦笑する。この様子だと哀れな兄の想いが届くのも大分先になりそうだ。

 人の心とは叢雲に霞む月のように淡く不確かで、揺るがぬ大地のように固く難しい。悪魔の力を借りたとしても借りないとしても、自身であっても他者であっても。きっと正しく捉え、願ったように変えていくことは一朝一夕では叶わないのだろう。

 背筋を正す思いに駆られるノアはふと、昨晩告げられた悪魔の願いを思い出した。
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