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君を想えばこそ、なれど
君を想えばこそ ②
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通常勤務へと戻り、応援してくれた村の人々に事情を話し謝罪等を続けて五日。エリスは長身の青年へ薬剤を渡していた。
「……人参に陳皮、あと甘草でしたっけ?」
「ああ。あと芍薬も。すみません。ったく、本局の方が品切れなんて」
ぶつくさとぼやき、頭を搔くシンハはノアの元同僚でもり、隣町にある本局に勤める薬師である。肩までの茶の髪を後ろで一つに結わえ、飄々とした独特の雰囲気を持つ彼だが。これでも看護師の資格も持つ優秀な薬師だ。
三年半前、戻らぬノアの仕事をも一手に引き受け、ドニの補佐を掛け持ったのも彼であり、エリスの治療院開院の際にも色々と応援をしてくれた人でもある。
ノアとエリスにとっては大切な仲間であり友人でもある彼にも、先日事情を話して謝罪をしたばかりだ。
彼の『あーまあー時もあるしね。大丈夫ですよ。エリスさんなら』との反応は、彼らしいと言えば彼らしく、『またその気になったら話くらいは聞けますよ。すげー微弱ですけど』とは嬉しい励ましでもあった。
「ところで今晩、ノア借りて良いですか?」
「えっ?」
至って軽い物言いにエリスは瞳を丸くさせる。
「シンハ君、ノアが帰ってきたこと知ってたの?」
「ええ。この間ひょっこり。『悪かった!』って。びっくりしました。アイツ全っ然引き継ぎしないで急に消えるし、こっちはすげー大変だったのに。でも帰ってすぐにオレの所に来て、ドニ先生のとこにも。だからまあ、元気そうだし良いかーってカンジで」
「そっか。良かった。シンハ君達の所にも行ってたんだ……」
親しかったシンハやドニとは再会していた事を知り、エリスは安堵する。一方でシンハの様子から第三王子という身分までは明かしていないのだろう事が察せた。
「はは、エリスさんとこが一番だとは思いますよ。まー居なくなった事について変な事言う奴もいますけど、どうせノアの事だから医者になった時の為にどっかの学術院に行っといた方が~とか、結婚前に図書館巡りをしたくなって~とかの勉強絡みか、変な女をこっぴどく振ったもんだから後ろから命を……っんん。その、厄介事に巻き込まれてバタバタしてたんだろうって皆話してます。だから心配ないですよ。オレは今夜、三年分の文句の続きをたっぷり言うつもりです。局長も連れて」
シンハは一気に告げると、にやりと笑う。今夜の酒の席を想像し、エリスは堪えきれずに吹き出した。
陽気さが増すラングロワや気心の知れたシンハと久しぶりに付き合うのだ。きっと帰りは真夜中近いだろう。
(昨晩来た研究所からの結果と照らし合わせて、週末調べる事でもまとめておこうかな……)
「でも、大変だったんじゃないですか?」
苦笑の混じるため息を吐き、シンハは紙袋に薬剤を詰めていく。
「えっと……治療院の……?」
それくらいしか思い当たらず首を傾げると、彼は首を大きく横に振る。
「違いますよ。ベークマンさんとの事。ノアの事だから嫉妬してたでしょう?」
「あっ、え、……まぁ……その、皆にも心配をかけてごめんなさい」
どう答えて良いかわからず、エリスはただただ頭を下げる。ジウの心配顔が脳裏を過り、いたたまれない空気がその場に漂った気がした。
ところが頭上から降ってきたのは意外にも曖昧な男の声であった。
「はぁ……ええっと? 心配? それはノアが嫉妬に狂ってという……?」
「いえ! 違います! その、えっと、ベークマンさんとの噂でご心配を……」
口篭るエリスに対して、シンハは重ねて間の抜けた声を出し、一瞬だけ眉間に皺を寄せると首を更に捻る。
「あー、もしかして付き合ってるって噂をオレ達が信じてるとでも?」
「あ……そ、」
「大丈夫ですよ。ベークマンさんがエリスさんにとって、なしよりのなしって事くらいわかります」
エリスが答えるよりもずっと素早く、しかもあっさりと。シンハは断言する。
「できてるって言ってる奴らは単に人の色恋の噂に飢えてるだけです」
「……そ、そうなの?」
満面の笑みのシンハにエリスは呆気にとられるばかりだ。ジウの言う噂は極一部のものだったのだろうか。
「まーオレが見ても恋人同士とか、万が一にもねえだろって。エリスさんとは見た目も好みも性格も合わなそうだし、あいつじゃ会話とかもたないでしょ」
「あ、うん……」
なかなかに辛辣な言い様はべークマンが不憫にさえ思える程だが、否定はできない。恋愛的な感情が一切なかった事も事実であるし、趣味や価値観がかけ離れていた為応答に困ったのも紛れもない事実であった。
「オレが女の子でも多分もたねーなー。それにこっちでも有名なんですよ。色んな女の子相手に毎晩そりゃあ優しくしてるそうで……オレが気にかけてた……なんでもないです」
シンハは急に真顔になると「なんでもないです」と繰り返す。
まるで己に言い聞かせるように二度三度。そして最後に大きな咳払いをし。
「あの人、治療院の資金援助絡みで来てたんでしょう?」
やや口早に貴族制度について語り始めた。
彼曰く、昨今は資金繰りに苦しむ貴族も多く、結婚や貧富を始め一般人との差や貴族間の差はかなり小さくなっているらしい。
身分制度の必要性についても大学や経済研究所等で議論されており、その為か治療院等の慈善事業は論議の際に身分制度の必要性を示す道具に使われる事もあるそうだ。
一方で富裕層では嗜みや義務の一つとして慈善事業を掲げる家も多くなっている。
「困ってる人がいて、それを助ける気持ちを持つ人も居る。偽善だろうとないよりはマシです。まーベークマンさんは明らかに遊びに……いえいえ、やめましょうか。とにかくノアには言いませんから安心して下さい」
シンハは何度もノアには伝えない、大丈夫だと繰り返す。既にベークマンの事は知っていると告げるのも野暮かと、エリスは曖昧に微笑みお礼を伝え、シンハを見送った。
(ベークマンさんとの事は心配ないようだけれど……)
薬局の扉を閉め、エリスは毎夜のノアを思い出す。
あの晩から昨晩まで、エリス達の夜に変化はない。ノアはベッドに入りエリスを抱き締めては何もせず。必ずエリスよりも先に寝入ってしまう。
傍に居ても安眠できる相手だと思ってくれる事は嬉しく、共にいる事が安堵をもたらすのはエリスとて同じだ。離れぬ温もりにも満足しているし、あどけない寝顔も微笑ましく思っている。
ただ新居で初めて過ごした夜のように、ノアと睦み合いたいという気持ちがなかった訳ではなく。本音を言えばもっと触れ合いたいと欲深く思ってしまった事もあった。
(でもそれって私のわがままだよね……。わかっていたつもり……というのは言い訳だわ……)
国王の不在に始まり、貴族階級の諸問題に国王夫妻と王弟を巡る暗殺疑惑、隣国の”効貴石”と戦争資金回収組織の噂……。
なんの落ち度もないのが当たり前。少しでも判断や選択を誤れば皆が苦しみ、不満も募る世界にノアは生きている。
直接批判する者は極僅かだろうが、親身になって相談に乗り、彼らのことも国民のことも考え支え、叱咤激励してくれる者はきっともっと少ない。
王族の責務や重圧を考えれば、ノアがすぐに寝入ってしまうのは当然であり、ミニアムの屋敷で安眠できるのは大変喜ばしいことなのだ。
(これから話が進めばもっと忙しくなるわ。今だけでも、ちゃんとノアには寝てもらわないと……!)
ふと思いつき、エリスは薬棚を探り始めた。
「……人参に陳皮、あと甘草でしたっけ?」
「ああ。あと芍薬も。すみません。ったく、本局の方が品切れなんて」
ぶつくさとぼやき、頭を搔くシンハはノアの元同僚でもり、隣町にある本局に勤める薬師である。肩までの茶の髪を後ろで一つに結わえ、飄々とした独特の雰囲気を持つ彼だが。これでも看護師の資格も持つ優秀な薬師だ。
三年半前、戻らぬノアの仕事をも一手に引き受け、ドニの補佐を掛け持ったのも彼であり、エリスの治療院開院の際にも色々と応援をしてくれた人でもある。
ノアとエリスにとっては大切な仲間であり友人でもある彼にも、先日事情を話して謝罪をしたばかりだ。
彼の『あーまあー時もあるしね。大丈夫ですよ。エリスさんなら』との反応は、彼らしいと言えば彼らしく、『またその気になったら話くらいは聞けますよ。すげー微弱ですけど』とは嬉しい励ましでもあった。
「ところで今晩、ノア借りて良いですか?」
「えっ?」
至って軽い物言いにエリスは瞳を丸くさせる。
「シンハ君、ノアが帰ってきたこと知ってたの?」
「ええ。この間ひょっこり。『悪かった!』って。びっくりしました。アイツ全っ然引き継ぎしないで急に消えるし、こっちはすげー大変だったのに。でも帰ってすぐにオレの所に来て、ドニ先生のとこにも。だからまあ、元気そうだし良いかーってカンジで」
「そっか。良かった。シンハ君達の所にも行ってたんだ……」
親しかったシンハやドニとは再会していた事を知り、エリスは安堵する。一方でシンハの様子から第三王子という身分までは明かしていないのだろう事が察せた。
「はは、エリスさんとこが一番だとは思いますよ。まー居なくなった事について変な事言う奴もいますけど、どうせノアの事だから医者になった時の為にどっかの学術院に行っといた方が~とか、結婚前に図書館巡りをしたくなって~とかの勉強絡みか、変な女をこっぴどく振ったもんだから後ろから命を……っんん。その、厄介事に巻き込まれてバタバタしてたんだろうって皆話してます。だから心配ないですよ。オレは今夜、三年分の文句の続きをたっぷり言うつもりです。局長も連れて」
シンハは一気に告げると、にやりと笑う。今夜の酒の席を想像し、エリスは堪えきれずに吹き出した。
陽気さが増すラングロワや気心の知れたシンハと久しぶりに付き合うのだ。きっと帰りは真夜中近いだろう。
(昨晩来た研究所からの結果と照らし合わせて、週末調べる事でもまとめておこうかな……)
「でも、大変だったんじゃないですか?」
苦笑の混じるため息を吐き、シンハは紙袋に薬剤を詰めていく。
「えっと……治療院の……?」
それくらいしか思い当たらず首を傾げると、彼は首を大きく横に振る。
「違いますよ。ベークマンさんとの事。ノアの事だから嫉妬してたでしょう?」
「あっ、え、……まぁ……その、皆にも心配をかけてごめんなさい」
どう答えて良いかわからず、エリスはただただ頭を下げる。ジウの心配顔が脳裏を過り、いたたまれない空気がその場に漂った気がした。
ところが頭上から降ってきたのは意外にも曖昧な男の声であった。
「はぁ……ええっと? 心配? それはノアが嫉妬に狂ってという……?」
「いえ! 違います! その、えっと、ベークマンさんとの噂でご心配を……」
口篭るエリスに対して、シンハは重ねて間の抜けた声を出し、一瞬だけ眉間に皺を寄せると首を更に捻る。
「あー、もしかして付き合ってるって噂をオレ達が信じてるとでも?」
「あ……そ、」
「大丈夫ですよ。ベークマンさんがエリスさんにとって、なしよりのなしって事くらいわかります」
エリスが答えるよりもずっと素早く、しかもあっさりと。シンハは断言する。
「できてるって言ってる奴らは単に人の色恋の噂に飢えてるだけです」
「……そ、そうなの?」
満面の笑みのシンハにエリスは呆気にとられるばかりだ。ジウの言う噂は極一部のものだったのだろうか。
「まーオレが見ても恋人同士とか、万が一にもねえだろって。エリスさんとは見た目も好みも性格も合わなそうだし、あいつじゃ会話とかもたないでしょ」
「あ、うん……」
なかなかに辛辣な言い様はべークマンが不憫にさえ思える程だが、否定はできない。恋愛的な感情が一切なかった事も事実であるし、趣味や価値観がかけ離れていた為応答に困ったのも紛れもない事実であった。
「オレが女の子でも多分もたねーなー。それにこっちでも有名なんですよ。色んな女の子相手に毎晩そりゃあ優しくしてるそうで……オレが気にかけてた……なんでもないです」
シンハは急に真顔になると「なんでもないです」と繰り返す。
まるで己に言い聞かせるように二度三度。そして最後に大きな咳払いをし。
「あの人、治療院の資金援助絡みで来てたんでしょう?」
やや口早に貴族制度について語り始めた。
彼曰く、昨今は資金繰りに苦しむ貴族も多く、結婚や貧富を始め一般人との差や貴族間の差はかなり小さくなっているらしい。
身分制度の必要性についても大学や経済研究所等で議論されており、その為か治療院等の慈善事業は論議の際に身分制度の必要性を示す道具に使われる事もあるそうだ。
一方で富裕層では嗜みや義務の一つとして慈善事業を掲げる家も多くなっている。
「困ってる人がいて、それを助ける気持ちを持つ人も居る。偽善だろうとないよりはマシです。まーベークマンさんは明らかに遊びに……いえいえ、やめましょうか。とにかくノアには言いませんから安心して下さい」
シンハは何度もノアには伝えない、大丈夫だと繰り返す。既にベークマンの事は知っていると告げるのも野暮かと、エリスは曖昧に微笑みお礼を伝え、シンハを見送った。
(ベークマンさんとの事は心配ないようだけれど……)
薬局の扉を閉め、エリスは毎夜のノアを思い出す。
あの晩から昨晩まで、エリス達の夜に変化はない。ノアはベッドに入りエリスを抱き締めては何もせず。必ずエリスよりも先に寝入ってしまう。
傍に居ても安眠できる相手だと思ってくれる事は嬉しく、共にいる事が安堵をもたらすのはエリスとて同じだ。離れぬ温もりにも満足しているし、あどけない寝顔も微笑ましく思っている。
ただ新居で初めて過ごした夜のように、ノアと睦み合いたいという気持ちがなかった訳ではなく。本音を言えばもっと触れ合いたいと欲深く思ってしまった事もあった。
(でもそれって私のわがままだよね……。わかっていたつもり……というのは言い訳だわ……)
国王の不在に始まり、貴族階級の諸問題に国王夫妻と王弟を巡る暗殺疑惑、隣国の”効貴石”と戦争資金回収組織の噂……。
なんの落ち度もないのが当たり前。少しでも判断や選択を誤れば皆が苦しみ、不満も募る世界にノアは生きている。
直接批判する者は極僅かだろうが、親身になって相談に乗り、彼らのことも国民のことも考え支え、叱咤激励してくれる者はきっともっと少ない。
王族の責務や重圧を考えれば、ノアがすぐに寝入ってしまうのは当然であり、ミニアムの屋敷で安眠できるのは大変喜ばしいことなのだ。
(これから話が進めばもっと忙しくなるわ。今だけでも、ちゃんとノアには寝てもらわないと……!)
ふと思いつき、エリスは薬棚を探り始めた。
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