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文学部で民俗学を専攻する磯貝凌空は、神話学の講義を受講し終え、教室を出た。
気怠さが支配するデバ大。
しかし、今日の講義はなんとなく面白かったと凌空は感じていた。
テーマは、各神話におけるトリックスター的神性について。
卒論それにしよっかなぁ、と軽く考えていたところで────────。
突然、後ろから腕を掴まれた。
つんのめった凌空は、なんとか体勢を立て直す。
振り返った凌空は、腕を掴んで来た人物の姿を見て眉根を寄せた。
長い黒髪を肩まで伸ばし、華奢な体躯をワンピースに包んだ女子。
幸が薄い儚げな顔つきも、今の凌空にとってはわざとらしさが鼻につくだけ。
額の包帯や右目を覆う眼帯、頬に貼られたガーゼからは恨みがましさまで漂う。
「二度とそのツラ見せるな、って言ったよな」
乱暴に汐里の手を払い、彼女に詰め寄る凌空。
右腕まで振り上げて見せる。
もちろん、衆人環視の最中で本当に殴るつもりはない。
追い払うための脅しでしかない。
「暴力は、やめませんか」
なのに、その振り上げた拳を包み込む大きな手が出現して、状況は一変する。
おそるおそる凌空が見上げた先には、身長でも体格でも彼を上回る白人男性。
無造作な感じのブロンド髪と、青い瞳。
彫りが深く、鷲鼻めいた鼻が目立つ顔立ち。
たまに構内で見かけるがどこの学部なのか検討もつかない、西洋人の一人。
意味が分からず、目を白黒させる凌空。
戸惑う凌空を見て暗い笑みを浮かべる、汐里。
凌空にとって悪いことには、それで終わりではなかったのである。
「そこまでよ! 卑劣なジャップオス!」
男性蔑視的ネットスラングを声高に叫び、柱の陰から登場するのは一人の女子学生。
激しいニキビ痕と潰れた鼻、吊り上がった目。
顔の大きさの際立つちんちくりんの体型、よくわからないウェーブがかった髪。
誰だこの芋女、と驚愕とともに凌空は記憶を手繰る。
そういえば汐里と同じゼミにこんなやつがいた気がする、と。
結局、凌空は顔と名前を一致させることができなかったが、石墨映見である。
石墨に追従して、わらわらと現れる屁泥ゼミ生の群れ。
うわっ、と凌空は小さく零した。
どいつもこいつも、石墨と五十歩百歩。
だいたいの学生が二十歳で垢ぬけるのに、そうならずに学年だけ上がったような一団。
男子のみならず、大半を占める女子まで清潔感がない。
石墨の名前は思い出せない凌空でも、それが悪名高い屁泥ゼミの連中だとはわかった。
汐里が数少ない例外なだけで、そこは魑魅魍魎の集まりだ。
無論、汐里の内面を見て知る凌空ならば彼女が「例外」でないことは百も承知だ。
「私たちと同じく女性様である汐里に暴力を振るった、サイテージャップオスの磯貝凌空!」
何がサイテーだよ、何がジャップオスだよ。
頭に血が上る凌空だが、拳は白人男性によって空中に固定されて微動だにしない。
「ガハハハハ! 無様ァ!」
「正義の白人男性様の前では、女性様しか殴れない男さんのヘナチョコパンチも形無しね!」
「マックス! 今すぐそいつの尻穴をブチ犯してやって!」
「ぶひぶひぶひぶっ! ガツガツガツガツガツガツガツガツ!」
暴力を外注して、自分は安全なところから石を投げる屁泥ゼミの連中。
睨みつけるのは燃料投下と同義なので、凌空は無表情でいようとした。
しかし、しっかり口元がわなわなと怒りに震えてしまい。
「悔しいのう、悔しいのう! 得意のDVができんで悔しいのう!」
「男さんのくせに泣くな! いや、まだ泣いてないか! 泣け! 泣くな! ギャハハハ!」
腹立たしい揶揄を招いてしまった。
あんな芋揃いでも、白人男性からすれば合法童顔なのか?
自分の拳を握り潰している外国人の心情を理解できず、凌空は歯噛みする。
正義の味方に担ぎ上げられて、さぞホルホルしてんだろうな。
見上げれば、しかし凌空の予想に反してマックスの表情は非常に曇ったそれだった。
「ヘイ」
呼びかけに答えるより先に拳が凌空の顔を潰し「アジアのチビが俺様を見てんじゃねぇ」と後から罵倒が飛んでくる────────なんてことは起きなかった。
「あいつら、いつもああなのか?」
フッ、と凌空の拳を押さえつける力が霧散する。
身を屈めたマックスが、両の掌を上向けにして困惑を凌空にぶつけていた。
「ウェーブ髪の彼女に言い寄られたくなくて、僕はゲイだと嘘をついたんだ。けど。こんなことになって後悔している。ストレートとして、お前が嫌いだ、と言わなかったのは卑怯だった。僕は差別主義者になってしまった。ゲイの人に、謝らないといけない」
「いや、その……俺は懺悔室の神父じゃないんで、そんなこと聞かされても困るんだけど」
眉を下げるマックスに、凌空も困惑を以って答えた。
「マックス、何を言ってるんだ!?」
「ゲイじゃなかったですって!?」
「映見が可哀想!」
「ふざけるな! DV野郎をとっととやっつけろ! 約束守れ!」
「半グレ陰キャチー牛レイプ魔に味方するのか、このチー牛外国人!」
やいのやいのと、屁泥ゼミの連中から口汚いヤジが飛ぶ。
「あんなこと言ってるけど?」
半グレと陰キャ両立させるとか、罵倒にしても欲張りすぎだろ、とか。
他も腹が立つけど、レイプ魔はさすがに名誉棄損で訴訟もんだろ、とか。
内心では色々思いながらも、凌空は努めて冷静にマックスに事実確認をする。
「誤解だ。僕は、誰かを殴る約束なんかしていない。君がガールフレンドに暴力を振るう怖い人だから、怖いってみんな言ってた。だから、話し合い? 的な場に同席することにしか、同意してない」
「へぇ。ちなみに、なんであの女が暴力を振るわれたかについては?」
「聞いていない。殴ったのは、事実なのか?」
「まあ、そんなに人間できてないからな」
黙り込む、マックス。
それ見たことかと、勢いを盛り返して口汚い罵倒を再開する屁泥ゼミの連中。
「あの女。俺の見てないところで俺の金を盗んで、パチンコで溶かしやがった」
「……パチンコ? パチンコって、あのパチンコ?」
「そうだよ、スリングショットじゃないぜ。なぜか野放しになってるギャンブルの方の、パチンコだよ」
マックスが、犯罪者を見る目で汐里を見た。
無関係の野次馬も、凌空に注いでいた好奇の目から一転。
ほとんど顔が隠れた汐里を白眼視する。
「待ちなさいよ! そんなの関係ないじゃない!」
視線から庇うように、両腕を広げた石墨が汐里の前に立つ。
ダチョウ並みの知能しかないがゆえに、他の屁泥ゼミ生もそれに倣って汐里の左右や背後をカバーする。
凌空からは、それが汐里を囲う柵に見えていた。
皮肉にも、汐里は衆人環視の最中で行われる窃盗の糾弾から逃れられなくなったのだから。
「俺さ。大学卒業したら、いい車に乗りたくて。だから、バイトして金を貯めてたんだよね」
「ほーん。いい夢だね、リク」
屁泥ゼミ生に味方する気が雲散霧消したマックスは、凌空に先を促す。
それを承けて、凌空も訥々と話し始めた。
「若者の車離れだとか、奨学金の返済もあるのにだとか。
周りが何を言おうとも、さ。いいものはいいんだよ。
OBの先輩に乗せてもらった車が、ホントに良くってさ。いやぁ、あの時ほど親に頼み込んで免許取らせてもらって良かった、って思ったときはなかったよ、
もちろん全額を貯金できてるわけじゃないし、単に足しになればいいなくらいの感覚さ。
いや、ローンは利子がつくだろ。スマホだって、一括払いで買った方が得じゃん。その感覚だよ。
で、そのために一年の時から貯金していた通帳を眺めて、色んな想像を膨らませてたんだ。
どんな車なら手が届きそうで、それに乗ったらどんな気分かなって。
したらよ。
ある日それが、ごっそりなくなってるわけ。
焦ったよ。でも、すぐに犯人の目星は付いた。
もう変えたけど、口座の暗証番号を汐里の誕生日にしてた、俺もバカだったさ。
暗証番号は、推測されにくいものにしないといけないって、学んだよ。
確かに殴った。殴ったさ。
でも、こいつのしたことは。こいつの裏切り行為は、恋人だった人間として最低のものだったと思うぜ。
レジで反社の舎弟に「短い紙ストローじゃなくて、もっと長いプラスチックのストローを出せ」と胸倉掴まれたり、家に居場所のない中年男にいちゃもんつけられたり、クリスマスに飛んだ別のバイトの代わりに出て寒空の下でふざけた格好をさせられてケーキを売ったり、挙句に後で汐里にクリスマスに不在だった埋め合わせをしたり、深夜の店でチンピラジジイに暴れられて警察を呼ばざるを得なくなったり……。
そんな思いをして貯めた金を、「私身体弱いから」とかつってバイトもしてないこの女に!
根こそぎ奪われて、パチンコで全部溶かされたんだぞ。
ああ、こんなクソアマだと見抜けず付き合った俺にも、落ち度はあるだろう。
でも二年からいきなりグロ文学科のよりによってジェンダー学専攻に転科して、しかも悪名高い屁泥ゼミの悪霊に成り下がるなんて、誰が予想できんだよ。
そこの小汚いクズどもに洗脳されて、毎日毎日「今日すれ違った誰々がすごくチー牛だった」だの、「あの先生、すっごく男さんだよね。令和の価値観にアップデートしろよ」だの、「どうして男さんの教授ってどいつもこいつもマンスプレイニングばっかしてくんの?」だの言うようになってよ。頭が狂いそうだった!
安易に別れたりすれば、そこのゴミどもと一緒になって何を言い出すかわかりゃしない。
だから俺は我慢してた。してたけどよぅ……人の金に勝手に手を付けるのは違うじゃん。
同棲してたよしみで、それを解消してアパートから叩きだすだけにしようと思ってたけどさ。
自分に都合のいいように他人に話をして、こんなことまでするんならさぁ!
返せよ……俺の二百五十万! 全部返せよ! 一括で!」
興奮に任せて一気にまくし立てた凌空は、肩で息をしながら汐里に掌を向ける。
周囲の視線に対して、汐里は俯いてそれを知覚しないようにして逃げの一手。
屁泥ゼミ生の柵と顔を覆う包帯類のせいで、汐里が今どんな表情をしているかは誰にも見えない。
見えないのをいいことに、汐里は鬼の形相をして逆恨みを燃やしていた。
そして、考えを巡らせた。
いかに、被害者ポジションを続けるか。
答えはすぐに出た。
簡単なことだ。暴力を振るわれた女性=弱者の構図でゴリ押す。
自己中心的な理由で貯金をしていた男と、貯金ばかりで自分に金を使ってくれない男にいいようにされていた憐れな女子学生。
勝てる。
汐里は可哀想でい続けられる自分の属性に、悪い笑みを浮かべた。
周到にも、正面に立つ石墨の背に顔を隠しながら。
気怠さが支配するデバ大。
しかし、今日の講義はなんとなく面白かったと凌空は感じていた。
テーマは、各神話におけるトリックスター的神性について。
卒論それにしよっかなぁ、と軽く考えていたところで────────。
突然、後ろから腕を掴まれた。
つんのめった凌空は、なんとか体勢を立て直す。
振り返った凌空は、腕を掴んで来た人物の姿を見て眉根を寄せた。
長い黒髪を肩まで伸ばし、華奢な体躯をワンピースに包んだ女子。
幸が薄い儚げな顔つきも、今の凌空にとってはわざとらしさが鼻につくだけ。
額の包帯や右目を覆う眼帯、頬に貼られたガーゼからは恨みがましさまで漂う。
「二度とそのツラ見せるな、って言ったよな」
乱暴に汐里の手を払い、彼女に詰め寄る凌空。
右腕まで振り上げて見せる。
もちろん、衆人環視の最中で本当に殴るつもりはない。
追い払うための脅しでしかない。
「暴力は、やめませんか」
なのに、その振り上げた拳を包み込む大きな手が出現して、状況は一変する。
おそるおそる凌空が見上げた先には、身長でも体格でも彼を上回る白人男性。
無造作な感じのブロンド髪と、青い瞳。
彫りが深く、鷲鼻めいた鼻が目立つ顔立ち。
たまに構内で見かけるがどこの学部なのか検討もつかない、西洋人の一人。
意味が分からず、目を白黒させる凌空。
戸惑う凌空を見て暗い笑みを浮かべる、汐里。
凌空にとって悪いことには、それで終わりではなかったのである。
「そこまでよ! 卑劣なジャップオス!」
男性蔑視的ネットスラングを声高に叫び、柱の陰から登場するのは一人の女子学生。
激しいニキビ痕と潰れた鼻、吊り上がった目。
顔の大きさの際立つちんちくりんの体型、よくわからないウェーブがかった髪。
誰だこの芋女、と驚愕とともに凌空は記憶を手繰る。
そういえば汐里と同じゼミにこんなやつがいた気がする、と。
結局、凌空は顔と名前を一致させることができなかったが、石墨映見である。
石墨に追従して、わらわらと現れる屁泥ゼミ生の群れ。
うわっ、と凌空は小さく零した。
どいつもこいつも、石墨と五十歩百歩。
だいたいの学生が二十歳で垢ぬけるのに、そうならずに学年だけ上がったような一団。
男子のみならず、大半を占める女子まで清潔感がない。
石墨の名前は思い出せない凌空でも、それが悪名高い屁泥ゼミの連中だとはわかった。
汐里が数少ない例外なだけで、そこは魑魅魍魎の集まりだ。
無論、汐里の内面を見て知る凌空ならば彼女が「例外」でないことは百も承知だ。
「私たちと同じく女性様である汐里に暴力を振るった、サイテージャップオスの磯貝凌空!」
何がサイテーだよ、何がジャップオスだよ。
頭に血が上る凌空だが、拳は白人男性によって空中に固定されて微動だにしない。
「ガハハハハ! 無様ァ!」
「正義の白人男性様の前では、女性様しか殴れない男さんのヘナチョコパンチも形無しね!」
「マックス! 今すぐそいつの尻穴をブチ犯してやって!」
「ぶひぶひぶひぶっ! ガツガツガツガツガツガツガツガツ!」
暴力を外注して、自分は安全なところから石を投げる屁泥ゼミの連中。
睨みつけるのは燃料投下と同義なので、凌空は無表情でいようとした。
しかし、しっかり口元がわなわなと怒りに震えてしまい。
「悔しいのう、悔しいのう! 得意のDVができんで悔しいのう!」
「男さんのくせに泣くな! いや、まだ泣いてないか! 泣け! 泣くな! ギャハハハ!」
腹立たしい揶揄を招いてしまった。
あんな芋揃いでも、白人男性からすれば合法童顔なのか?
自分の拳を握り潰している外国人の心情を理解できず、凌空は歯噛みする。
正義の味方に担ぎ上げられて、さぞホルホルしてんだろうな。
見上げれば、しかし凌空の予想に反してマックスの表情は非常に曇ったそれだった。
「ヘイ」
呼びかけに答えるより先に拳が凌空の顔を潰し「アジアのチビが俺様を見てんじゃねぇ」と後から罵倒が飛んでくる────────なんてことは起きなかった。
「あいつら、いつもああなのか?」
フッ、と凌空の拳を押さえつける力が霧散する。
身を屈めたマックスが、両の掌を上向けにして困惑を凌空にぶつけていた。
「ウェーブ髪の彼女に言い寄られたくなくて、僕はゲイだと嘘をついたんだ。けど。こんなことになって後悔している。ストレートとして、お前が嫌いだ、と言わなかったのは卑怯だった。僕は差別主義者になってしまった。ゲイの人に、謝らないといけない」
「いや、その……俺は懺悔室の神父じゃないんで、そんなこと聞かされても困るんだけど」
眉を下げるマックスに、凌空も困惑を以って答えた。
「マックス、何を言ってるんだ!?」
「ゲイじゃなかったですって!?」
「映見が可哀想!」
「ふざけるな! DV野郎をとっととやっつけろ! 約束守れ!」
「半グレ陰キャチー牛レイプ魔に味方するのか、このチー牛外国人!」
やいのやいのと、屁泥ゼミの連中から口汚いヤジが飛ぶ。
「あんなこと言ってるけど?」
半グレと陰キャ両立させるとか、罵倒にしても欲張りすぎだろ、とか。
他も腹が立つけど、レイプ魔はさすがに名誉棄損で訴訟もんだろ、とか。
内心では色々思いながらも、凌空は努めて冷静にマックスに事実確認をする。
「誤解だ。僕は、誰かを殴る約束なんかしていない。君がガールフレンドに暴力を振るう怖い人だから、怖いってみんな言ってた。だから、話し合い? 的な場に同席することにしか、同意してない」
「へぇ。ちなみに、なんであの女が暴力を振るわれたかについては?」
「聞いていない。殴ったのは、事実なのか?」
「まあ、そんなに人間できてないからな」
黙り込む、マックス。
それ見たことかと、勢いを盛り返して口汚い罵倒を再開する屁泥ゼミの連中。
「あの女。俺の見てないところで俺の金を盗んで、パチンコで溶かしやがった」
「……パチンコ? パチンコって、あのパチンコ?」
「そうだよ、スリングショットじゃないぜ。なぜか野放しになってるギャンブルの方の、パチンコだよ」
マックスが、犯罪者を見る目で汐里を見た。
無関係の野次馬も、凌空に注いでいた好奇の目から一転。
ほとんど顔が隠れた汐里を白眼視する。
「待ちなさいよ! そんなの関係ないじゃない!」
視線から庇うように、両腕を広げた石墨が汐里の前に立つ。
ダチョウ並みの知能しかないがゆえに、他の屁泥ゼミ生もそれに倣って汐里の左右や背後をカバーする。
凌空からは、それが汐里を囲う柵に見えていた。
皮肉にも、汐里は衆人環視の最中で行われる窃盗の糾弾から逃れられなくなったのだから。
「俺さ。大学卒業したら、いい車に乗りたくて。だから、バイトして金を貯めてたんだよね」
「ほーん。いい夢だね、リク」
屁泥ゼミ生に味方する気が雲散霧消したマックスは、凌空に先を促す。
それを承けて、凌空も訥々と話し始めた。
「若者の車離れだとか、奨学金の返済もあるのにだとか。
周りが何を言おうとも、さ。いいものはいいんだよ。
OBの先輩に乗せてもらった車が、ホントに良くってさ。いやぁ、あの時ほど親に頼み込んで免許取らせてもらって良かった、って思ったときはなかったよ、
もちろん全額を貯金できてるわけじゃないし、単に足しになればいいなくらいの感覚さ。
いや、ローンは利子がつくだろ。スマホだって、一括払いで買った方が得じゃん。その感覚だよ。
で、そのために一年の時から貯金していた通帳を眺めて、色んな想像を膨らませてたんだ。
どんな車なら手が届きそうで、それに乗ったらどんな気分かなって。
したらよ。
ある日それが、ごっそりなくなってるわけ。
焦ったよ。でも、すぐに犯人の目星は付いた。
もう変えたけど、口座の暗証番号を汐里の誕生日にしてた、俺もバカだったさ。
暗証番号は、推測されにくいものにしないといけないって、学んだよ。
確かに殴った。殴ったさ。
でも、こいつのしたことは。こいつの裏切り行為は、恋人だった人間として最低のものだったと思うぜ。
レジで反社の舎弟に「短い紙ストローじゃなくて、もっと長いプラスチックのストローを出せ」と胸倉掴まれたり、家に居場所のない中年男にいちゃもんつけられたり、クリスマスに飛んだ別のバイトの代わりに出て寒空の下でふざけた格好をさせられてケーキを売ったり、挙句に後で汐里にクリスマスに不在だった埋め合わせをしたり、深夜の店でチンピラジジイに暴れられて警察を呼ばざるを得なくなったり……。
そんな思いをして貯めた金を、「私身体弱いから」とかつってバイトもしてないこの女に!
根こそぎ奪われて、パチンコで全部溶かされたんだぞ。
ああ、こんなクソアマだと見抜けず付き合った俺にも、落ち度はあるだろう。
でも二年からいきなりグロ文学科のよりによってジェンダー学専攻に転科して、しかも悪名高い屁泥ゼミの悪霊に成り下がるなんて、誰が予想できんだよ。
そこの小汚いクズどもに洗脳されて、毎日毎日「今日すれ違った誰々がすごくチー牛だった」だの、「あの先生、すっごく男さんだよね。令和の価値観にアップデートしろよ」だの、「どうして男さんの教授ってどいつもこいつもマンスプレイニングばっかしてくんの?」だの言うようになってよ。頭が狂いそうだった!
安易に別れたりすれば、そこのゴミどもと一緒になって何を言い出すかわかりゃしない。
だから俺は我慢してた。してたけどよぅ……人の金に勝手に手を付けるのは違うじゃん。
同棲してたよしみで、それを解消してアパートから叩きだすだけにしようと思ってたけどさ。
自分に都合のいいように他人に話をして、こんなことまでするんならさぁ!
返せよ……俺の二百五十万! 全部返せよ! 一括で!」
興奮に任せて一気にまくし立てた凌空は、肩で息をしながら汐里に掌を向ける。
周囲の視線に対して、汐里は俯いてそれを知覚しないようにして逃げの一手。
屁泥ゼミ生の柵と顔を覆う包帯類のせいで、汐里が今どんな表情をしているかは誰にも見えない。
見えないのをいいことに、汐里は鬼の形相をして逆恨みを燃やしていた。
そして、考えを巡らせた。
いかに、被害者ポジションを続けるか。
答えはすぐに出た。
簡単なことだ。暴力を振るわれた女性=弱者の構図でゴリ押す。
自己中心的な理由で貯金をしていた男と、貯金ばかりで自分に金を使ってくれない男にいいようにされていた憐れな女子学生。
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◇
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――小説家になろう、カクヨム(別タイトル)にも掲載――
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