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プロローグ

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「わたしにかけられたこの呪いを解いてくれるなんて……月のように輝く銀髪とアメシストのような瞳を持つ君は、まさに地上に降り立った救済の女神。どうかこれからもわたしのそばにいて欲しい。シャーリー・ジョーンズ。この国の皇太子であるエリス・R・バーリントンは、君にプロポーズします」

 女神? まさか。解呪(げじゅつ)師らしく、ラベンダーグレーのローブを着た私は、どちらかという魔女っぽいと思う。それに今、プロポーズをすると言いましたよね……?

 嫌な予感を覚えたが、そういうことに限って的中してしまうのだから。困ったものだ。

 さっき、実感したばかりなのだ、私は。絶対にこの世界の流れに逆らってはいけないと。そこで引き締めた気持ちそのままに、口を開く。

「ちょっと待ってください。皇太子殿下は、長年苦しまれてきた呪いから解放されました。そしてその呪いを解呪した私に、感謝の気持ちが高まっているだけです」

 ビシッと指摘すると、金髪碧眼の美貌の皇太子は「えっ」という表情で固まってしまう。固まったまま、その空のように澄み渡った碧眼の瞳を私に向ける。

 光り輝くような皇太子が座るには、ふさわしくない安物のソファに腰かけているのに。彼が座っているだけで、色あせたブラウンの店のソファが、なんだか高級品に見えてくる。実に不思議だ。

 さらに彼の目の前に置かれている安物のローテーブルも。床に敷かれているヨロヨロの薄っぺらいモスグリーンの絨毯も。なんだか様になって見えている。

 そんな様子を人間の脳は、瞬時に観察することができた。「えっ」と眉目秀麗な皇太子が声を発してからわずか四秒後に、私はこの観察を終え、話を再開させている。

「報酬として私は、御礼を一言もらえればいいと告げましたよね? 提案された高額なお金や高価な宝石は拒否しました。でも皇太子殿下は今、何か御礼をしたいという『返報性の原理』が高まっています」

 前世持ちの私は、この世界に転生する前、海外でMarriage and Family Therapist (MFT/結婚・家族療法士)をしていた。心理学も学んでいる。返報性の原理も、その心理学の知識の一つに過ぎなかった。

 前世で詐欺にあい、何もかも失った私は、両親に借金して、海外に向かい、人生のリセットを図った。無名のMFTからスタートし、成功を収めることができたのは、時流に乗りネットやSNSを活用しただけではない。論理的に心理学を活用した結果だ。

「返報性の原理……?」

 セレストブルーの美しい衣装を着た皇太子は考え込み、その目線は、左上をさまよっている。

 彼の視線が彷徨う左側には、窓がある。窓の向こうは店の裏手で、家庭菜園している畑と母屋の一部が見えている。彼の目にそれは映っているが、認識はされていない。意識は完全に、返報性の原理なんて言葉、自分は知っているのかと、思い出す方に向けられている――これまた視線の動きを心理学で分析すれば、理解できてしまうことだった。

 視線の動きで心理を読み解く。これは認知心理学の実験でも、明らかになっていることだ。

「お金や宝石を私が受け取らない。そうなると皇太子殿下が私にできる最大の御礼は……身分を与えること。平民の私に皇太子妃の地位を与えたい――そう考えたのではないですか?」

 私の言葉を受け、彼の視線がこちらへと向く。その視線から私は目を逸らし、彼の背後にある古びた本棚を見る。そこに並べられているのは、沢山の呪いにまつわる本、呪いを解くための方法が書かれている本だ。

 視線を皇太子へ向けると、どうやら図星だったようだ。その美しい顔には、困ったという表情が浮かんでいる。

 端正な顔立ちの男性のこんな表情、なかなか目にすることがない。眼福――なんて意地悪ことを思いながら、さらに指摘する。

「今後も、呪いをかけられないとは限りません。そうであるならば、呪いを解くことに長けた、この解呪師である私をそばに置きたいと考えた――それは妥当な心理による行動ですが……」

 私が転生したこの世界。ここは私が読んでいた小説の世界だ。現世で言うなら、中世西洋風の世界であり、呪いが存在し、呪いをかける者、解く者も存在していた。そして皇太子は、愛する人と結ばれると即死するという厄介な呪いをかけられていた。そのおかげで十八歳になっても、婚約者がいない独身でもあった。

 そんな不遇な皇太子ではあるが、小説のヒロインである聖女タマラと出会い、その呪いは彼女により解かれる。その後呪いをかけた人物との対決を経て、二人は結ばれ、ハッピーエンドを迎えるのだ。

 現状、ヒロインである聖女タマラの姿はまだない。つまり登場前。ヒロイン不在の中、小説に登場していた記憶がない、解呪師シャーリーなる人物に、私は転生していた。しかもひょんなことから、皇太子の呪いを解くことになってしまったのだ。

 呪いを解く――シャーリーの場合は、まず呪いを自身に吸収する。吸収した呪いを自身の夢の中で疑似体験し、それを持ってしてその呪いを解呪することができた。

 ともかく皇太子の呪いを私は解呪してしまったが、ここは間違いなく小説の世界。この後、聖女タマラが登場し、皇太子と結ばれることは、必定のはず。それに皇太子に呪いをかけた黒幕との対決というイベントも、まだ残っている。呪いはタマラではなく、私が解いてしまったものの。軌道修正はできるはずだ。

 こういった小説やゲームの世界に転生した場合。物語にないイレギュラーな行動をとると、見えざる抑止力が働く。つまりヒロインは皇太子と結ばれ、ハッピーエンドが正解なのだ。脇役なのかモブなのかもわからないポッと出のキャラクターと、皇太子が婚約なんぞしようものなら……。

 消される。確実に。皇太子ではなく、私が!

 なぜ前世で自分が死亡したのか、その時の記憶はない。でもせっかく転生できたのだ。生きたい。私には生存本能がある!

 というわけで尤もらしい顔で私は皇太子に告げた。

「皇太子殿下の呪いを解いたのです。私が一流の解呪師であることは、理解いただけていますよね。実は私、未来予知の力も少々あるのです。でもこれは、私にはコントロールできません。つまり視たい未来が見えるわけではないのです。ですが、見たのです」

 まっすぐ皇太子の碧眼を見て、きっちり告げると、彼の目は、これから私の言うことを信じる気持ちになっている――それが伝わってくる。メラビアンの法則を活用するなら、言語・聴覚・視覚を一致させることが重要だ。明確に分かりやすい言葉を、聞き取りやすい声で、相手の目をちゃんと見て伝える。

 会話をしているのだ。必然的に相手の耳は、言葉を聞き取ろうとしている。その上で、しっかりアイコンタクトもとる必要があった。つまり皇太子の目をしっかり見て話すことで、彼はこれから私がもたらす情報を、聴覚と視覚を総動員し、受け止めてくれるだろう。

「呪いが解けた皇太子殿下は、自由です。もう恋愛をためらう必要はありません。舞踏会を主催すれば、多くの令嬢が集まり、皇太子殿下の心を捉えようとするでしょう。でも出会いはそこではありません」

 そこで一息つき、ためを作る。皇太子は続きが気になっていた。姿勢が少し前のめりになっている。姿勢の変化で、どんな心理状態なのかは、行動心理学で読み解くことが可能だ。前のめりは良い傾向。ソファの背もたれに体を預けている時は、興味ナシのシグナルだ。

 ということで興味をひかれている皇太子に告げる。

「偶然の出会いです」

 少し小声で告げると、いよいよ皇太子は「え、何ですか」とたまらずに私に問いかける。

「出会いは偶然です。そこで波打つようなブロンドで、皇太子殿下と同じ碧眼の瞳を持った肌の美しい女性と出会います。皇太子殿下より二歳上ですが、未婚で恋人はいません。鎖骨の辺りに、小さな薔薇のような痣がある女性です。心優しい素敵な方。その女性こそが、皇太子殿下の運命です」

 「そんな……」と皇太子は絶句する。
 彫像のような完璧な顔を曇らせ、悲しそうに私を見上げた。
 ちゃんと美しく心優しい女性だと教えてあげているのに。何が不満なのかしら?

「皇太子殿下、お話は以上です。この通り、私はしがない解呪師です。ですが私の助けを必要と思ってくれる方が他にもいるようで。次のお客様の時間も迫っています。本当にこの街外れの店にまで来てくださり、ありがとうございました。お気をつけて、お帰りください」

 これまた心理学を活用したアイメッセージを込めた言い方に、皇太子は開きかけた口を閉じ、もう席から立ち上がるしかない。「私」が主体となったメッセージで状況を伝え、行動を促すわけだ。

 立ち上がった彼の全身を見て、本当に素敵な人だとため息が出そうになる。白シャツにサファイアブルーのクラヴァット。セレストブルーのジレベスト、そして袖や裾に銀糸の刺繍があしらわれた、ジレと同色の上衣に覆われた上半身は、とても引き締まっている。

 お腹周りに贅肉など感じさせず、筋肉がしっかりついていると分かる。上衣と同色のズボン、白革のロングブーツにおさまる脚は、驚く程の長さ。長身ゆえに、脚が長いのは当然のこと。それでも同じ人類とは思えなかった。

 素晴らしい皇太子の姿を堪能した後。仕上げとして、笑顔で店の入口のドアまで彼のことを見送る。長身スリムな彼に、この店のドアは小さい。少し屈まないと頭が当たってしまう。そこはもう、さすがヒロインのお相手だ。呪いだけが欠点だった。あとは文武両道、容姿端麗、完全無欠の皇太子殿下なのだから。

 ドアを開けるとそこには、彼の近衛騎士がズラリと並んで待機しているのも見える。甲冑にサーコートをつけ、マントを揺らし、微動だにせず、こちらを見ていた。

 近衛騎士がいるような、生まれながらに恵まれた身分。皇太子は、私からすると、雲の上の存在だ。

「シャーリー、わたしは」「分かっています、皇太子殿下」

 天性の才能なのか。皇太子は自身の武器を最大限に生かした、思わず抱きしめたくなるような表情で、私を見つめた。これにはさしもの私も心が動かされる。でも生存本能を前に、その気持ちはグッと呑み込む。

「皇太子殿下の深い感謝の気持ちは、私にちゃんと伝わっています。お幸せになってください。皇太子殿下がいつか即位し、この国を平和に統治いただく。それこそが私にとって、最大の報酬です」

 ニッコリ最上級の笑顔でお辞儀をすると、ついに皇太子が何かを諦めてくれたようだ。ホッとしたその瞬間。

「……シャーリー、君の幸せをわたしも願っています。もしまた呪いにかけられたら」

 いや、諦めていない。存外にしつこいわ。
 これだけ心理学的なテクニックを総動員しているのに!

「かけられるわけがないです。そんな未来は予知していません。待っているのは素敵な女性との偶然の出会いのみですから!」

 少し頬がひきつりそうになるのを必死にこらえ、答える。

「でもすべての未来を予知しているわけではないのですよね? もしも呪いをかけられることがあったら」

「ありえないと思いますが、その時はいくらでも解きましょう!」

 しまった!と思うが遅かった。
 こんな風に感情を乱されることなんて、これまでの私だったらなかったのに! これはもう完全に敵意の返報性だわ。敵意……とまでは一般的に見たら思わないだろう。でも私にはそう感じられ、ぎゃふんと言わせてやる……くらいの勢いで返事をしてしまった。

 結果、皇太子は笑顔でドアを閉じた。

 思い返せば彼の呪いを解くことになったきっかけも、こんな感じだった。
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