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37.聖女伝説ーマリウス視点ー

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耳慣れた音が今日もまた聞こえてくる。
カツンカツンといつものように運ばれてくる食事。
けれど今日はいつもとは違い、ジフリートの表情はどこか忌々し気に歪んでいる。
何かあったのだろうか?

「……ジフリート。今日はいつもにもまして険しい表情だな」

思わずそんな風に探るような言葉を掛けると、すぐにそんな表情を綺麗に隠していつもの笑顔を向けてきた。
「気のせいですよ」
そう言いながら食事のトレーを差し入れてくる。
けれどそこでふと、いつもとは違う顔をこちらへと向けてきた。

「そうそう。マリウス様。今この上に珍しい来客が来ているのですよ。いかがです?声を限りに叫んで助けを求めて見られませんか?運が良ければ助けてもらえるかもしれませんよ?」

その言葉に最初は何を言われたのかが理解できなかった。
誰かがこの上に来ている────それを自分に敢えて教えてくるジフリートの本意がさっぱりわからなかったからだ。
もしや先程のジフリートの険しい顔はそのせいだったのだろうか?
この上に来ている人物はジフリート側の人間ではないのだろうか?
けれどそれならばそれを自分に伝えてくるメリットがわからない。
思わず訝し気な目を向けると、ジフリートは嘲笑うようにどうせそんな声が届くはずもないがと言って薄く笑った。
それを前にして、どうやら自分達に希望を持たせつつ絶望を味合わせてやろうという意図のようだと確信する。
この態度からして相手はジフリートの味方ではないのだろう。
しかもどうやらジフリートが嫌っている相手であることは間違いないように感じられた。

「まああんな剣も攻撃魔法も使えぬ優男に貴方方を助けられるはずもありませんがね」

でなければこんなセリフは絶対に口から飛び出してはこないはずだ。
明らかに見下しつつも気にしていることがありありとわかる態度なのだから。
それならば自分がやることは一つだ。
何とかして自分達がここに囚われていることを外の相手に伝えること────それだけだ。

「ノーラ!ノーラ!チャンスが来た!私と一緒に魔力を外の人物へ届けるぞ!」

ジフリートが立ち去った後、自分の婚約者を励ますように必死に声を掛ける。
早くしないと帰ってしまうかもしれない。
「マリウス様……」
悲嘆にくれる彼女に必死に声を掛ける。
自分一人でやるよりもきっと二人でやった方が気づいてもらえる可能性は高いはずだ。
この牢の中で魔法を使うことは叶わなくても魔力を放出することくらいはできる。
思いの丈を込めて彼の者へと送ればきっと自分達の存在へと気がついてもらえるはず────。
運が良ければそれが誰かの耳へと届いて助けがやってくるかもしれない。
万に一つでも助かる可能性があるのならそれに賭けるしかないと必死に訴えるとノーラはノロノロと顔を上げながらもなんとか同意し、自分と共に魔力をその者へと必死に届け始めた。

届け!この熱い思い────!!

神に祈りながら必死に思いの丈をぶつけるように魔力を送り続ける。
それこそありったけの強い願いを込めたつもりだ。
助けてくれと全力で訴えかけた。
ノーラの方も今の現状を何とかしたい一心で祈りを捧げているように見えた。
悲しい気持ちを切々と訴えているかのように切羽詰まった感じで魔力を放出している。
これだけ訴えて相手に届かなければ恐らくもう希望はないことだろう。
そうして必死に二人で魔力を送り続けたが、それはあっという間に終わりを迎えてしまった。
突然こちらの魔力を破断するかのような強い魔力がこちらへと向けられたせいだ。
これはまさか相手の魔力なのだろうか?
こちらを一切合切切り捨てるかのような冷徹な魔力の波動。
それを受け、最早希望などどこにもないのだと言われたような気がした。
先程のジフリートの嘲笑の声が耳へと蘇る。
そうだ────どうして自分は助かるかもしれないなどと考えられたのだろうか?
ここにはもう味方などいないのかもしれないのに……。

「ノーラ…すまない」

現実の苦しさに胸が詰まる。
無力な自分など認めたくはなかった。
婚約者は自分が守るのだと…気丈に振舞ってはいたが、ここに来て心が折れそうな自分がいた。
チャンスを生かせず、ヴェルガーをこのまま野放しにするしかない現状がもどかしくて仕方がない。
世界的に見て王位を簒奪した者の多くが独善的で民を思いやらない愚者ばかりと言うのが常道だ。
そんな王しかいない国はただ破滅へと突き進んでいくのみ……。
そうなる前になんとか国を立て直さなくてはならないというのに、今の自分はここから出ることさえ叶わないのだ。

「こんな時に伝説の聖女様がいらっしゃれば……」

王族には魔王を倒した勇者伝説とは別に伝えられている話があった。
それは勇者伝説に飽いた子供向けの話と思われがちな聖女伝説の話だ。
けれどそれは実際にあった話らしい。
古い文献に書かれた話をとある王妃が寝物語として用いたのが始まりとされている。

その昔国が乱れに乱れていた頃、一人の賢き者が起ち兵を率いて国をまとめようと動いた。
彼の者は勇敢に兵を率いて戦い、その知恵をもって賢者と呼ばれ次々と国を一つにまとめていったという。
けれどあと一歩という所で信を置く将軍の一人に裏切られその命を散らし、王位はその将軍の手へと渡ってしまった。
賢者を支えその傍で戦って来た者達は将軍の裏切りに憤り賢者の無念を晴らそうと動いたが、再度国が荒れるのは亡き賢者の心に反するものであろうと言う者も現れそのまま有耶無耶のままに将軍が王として君臨することになった。
それから将軍は王として権勢を振るおうとしたが、間違った方向へ進もうとするたびに白き衣を身に纏った者がどこからともなく現れ苦言を呈してくるようになった。
彼の者の言う通りにして方向転換をすれば国は栄え、また逆にとるに足らぬと軽くとれば手痛い報いを受ける羽目になったという。
そうして王が変わる度に国は盛衰を繰り返した。
『もともとこの王家は裏切りから始まっているのよ。それ故に間違ったことをすればあっという間に滅んでしまうということを忘れてはいけません。良いですか?白き衣を身に纏う者とはすなわち【聖女】を意味しているのです。聖女あらわれし時国乱れし時也。決して驕らず、己を見失わず、抗わず、彼の者と内なる声に耳を傾け道を違えることなかれ。この言葉を忘れてはいけませんよ?』
それが寝物語の最後に必ず言い聞かせるように添えられる。
王族として忘れてはならない大事なことだからと────。
聖女がいつ自分の前に現れようと胸を張れる自分でいなさいと母はよく言っていた。
そもそも立派な王がいる限り聖女が現れることもないのだが……。
今がその時なのではないかと思った。

どうか勇者よりも聖女をこの国にお招きくださいと神に祈ることしかできない自分が嫌だ。
そうして打ちひしがれていると、ノーラがそっと自分の隣にやってきてその華奢な体を寄せてきた。
「マリウス様…大丈夫です。先程…お優しい方がちゃんといらっしゃったのを私はちゃんと感じましたわ」
その言葉に思わず目を瞠る。
それはあの魔力をぶつけてきた相手とは違うのだろうか?
「とても繊細で優しい魔力を纏った方がいらっしゃいましたの。あの魔力は冷たい魔力をぶつけてこられた方とは全く違う方でしたわ」
どうやら自分はただただ魔力を送ることに必死になっていたが、彼女の方は違っていたようだ。
正直ここに来てからずっと精神的に参っていた彼女がこんなことを言い出すなんて思ってもみなかった。
「私…それを感じて、ほんの少し希望が見えたような気がいたします」
そうしていつ振りかに見た彼女の優しい笑顔に思わず涙が零れ落ちた。
「ノーラ…!」
「ずっと…ご心配ばかりかけてしまい申し訳ありませんでした」
そんな言葉にさえ安堵して、涙を止めることができずにただ首を振ることしかできない。
自分の好きな彼女がここにいる────。
失わずに済んだという安堵感が胸いっぱいに広がって情けなくも涙が次から次へと零れ落ちるのを止めることができなかった。
「ジフリート様やヴェルガー様の考えていることは分かりませんが、希望を捨てずに頑張りましょう」
そんな言葉に励まされながら、落ち着くまでの暫しの間二人でそっと身を寄せ合った。



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