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1巻
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――そうよ。私は王太子妃の侍女で充分だもの。
そう思って口にした言葉に、神官長はなぜか眉をひそめて首を横に振った。
「いや、君でなくてはいけない。殿下直々のご指名なのだ」
キッパリと告げられ、クレアはパチリと目をみひらく。
「王太子殿下の?」
「そうだ。君のギフト、癒しの力を見込んでのことだ。王族は何かと身の危険にさらされることも多い。君が傍にいてくれれば心強いだろう、との仰せだ」
「……ああ、そういうことでしたか」
それならばわからなくもない。当代の王と王妃の間にはウィリアム以外に子がいない。
彼に何かがあれば、王家の血筋が途絶えてしまう恐れがある。
絶対に身罷ってはならない立場の彼にとって、クレアのギフトは確かに有用だろう。
どうして自分なのかという疑問が解け、安堵――一欠片の落胆も混ざっているかもしれないが――の息をついたところで、神官長が眉間の皺を深めて口をひらいた。
「クレア、これは決して悪い話ではないはずだ」
「……と、言いますと?」
「君が王太子妃になれば孤児院は安泰だろう。ルディとラディの未来も保証される。ギフト目当てかと失望したかもしれないが――」
「っ、そんな! 失望などしていません!」
諭すように告げられ、クレアは慌ててかぶりを振った。
「自分が選ばれた理由がわかってホッとしただけです! 光栄なことだと思っております!」
「では、引き受けてくれるか?」
「もちろんです!」
グッと拳を握りしめて勢いよく答えると、神官長は「そうか」とホッとしたように頷いた。
「……それで、早速だが、君にはこのまま北殿に入ってもらうことになる」
「このまま? 今夜、これからすぐにですか?」
「そうだ。明日以降の信徒の予約は既に断って、他の者に割りふってある。特に持ちこみたい品もないだろう?」
「それは……はい、ありません」
確かに着の身着のままで移動したところで不自由はない。ないのだが……
「あの、できましたら、ルディとラディに私がいない理由をお話しいただいてもよろしいでしょうか?」
「わかった。心配しないよう、私から伝えておこう。……それから、君がいない間に妙なからかいを受けぬように目を配っておく」
神官長の言葉にクレアはハッと目を瞠り、深々と頭を下げる。
「っ、ありがとうございます。よろしくお願いいたします!」
「いや、それくらいは当然のことだ。……では、北殿に移る前にフィリウスの祝祭について説明しておこう」
「……説明ですか? これから一カ月、王太子殿下と北殿にこもって身を清め、夏至の夜に本殿で祈りを捧げるのですよね?」
そう尋ねると、神官長は苦笑を浮かべて「確かにそうだが」と前置きをした後、語りはじめた。
「フィリウスの祝祭」で男神役と女神役が本当は何をするのか。
公にはなっていない、秘められた真実を。
遥か昔、夫婦神イシクルとラヴァは愛を交わし、この国の祖となる者を生した。
「フィリウスの祝祭」では、それを模して、男神役である王太子と女神役に選ばれた乙女が本殿で愛を交わし、祈りを捧げ、フィリウス王国の繁栄を祈るのだ――と。
「……つまり、儀式として、その……王太子殿下と……本殿でそのようなことをする、ということでしょうか?」
尋ねるクレアの声が戸惑いと羞恥に震える。
「……そうだ。その夜に宿った子は神の加護を持ち、優れた王になると言われている」
お披露目が夏至からおよそひと月半後の収穫祭の日に定められているのは、身ごもったかどうか判る時期だからなのだそうだ。
「……だから……女神役が花嫁になるのですね」
「そうだ」
神官長は厳かに頷くと、続いて「北殿にこもる意味」について語った。
表向きは「俗世を離れて身を清める」という名目になっているが、実際は滞りなく祝祭の儀――つまりは性行為が行えるよう、男神役と女神役が交流を深めるための準備期間なのだと。
「……交流を深める準備期間ということは……その、ひと月の間に色々とその、心と身体の準備として、そのような行為もしたりするのでしょうか……?」
ますます羞恥に震える声でクレアが尋ねると、神官長はどこか気まずそう――見ようによっては後ろめたげに眉をひそめて頷いた。
「……おそらくは」
「……さようでございますか」
ポツリと答えて、クレアは頬を押さえる。
手のひらに伝わってくる体温は自分でもわかるほど熱い。
つまり、この一カ月は、男神役と女神役が心身ともに近付くための蜜月期間ということだ。
俗世を離れて身を清めるというから、てっきり断食や沐浴でもするのかと思っていたのだが、とんだ勘違いだった。
――清らかどころか、生々しいことこの上ないわ……!
真っ赤になっているクレアに、神官長は咳払いをひとつすると、そのような期間を設けることになった理由を告げた。
祝祭が始まった当初は、夏至の日に初めて男神役と女神役が顔を合わせていたそうだ。
けれど、何代か前に女神役に選出された乙女が、儀式の最中に緊張と混乱のあまり、過呼吸に陥り失神してしまったとかで、あらかじめ交流を深める期間が必要だろう、となったらしい。
――ま、まあ、確かに……私も今夜いきなり「しろ」と言われたら、パニックにならない自信はないわね!
神聖な――と言っていいのか疑問だが――儀式で失敗するわけにはいかない。
一カ月の準備期間をもらえるのは、素直にありがたく思うべきだろう。
「そういうことだが……クレア、頼んだぞ」
「……わかりました」
すべてを聞いた上で頷くのは堪らなく恥ずかしかったが、クレアはしっかりと顔を上げ答えた。
「フィリウス王国のため、精一杯務めさせていただきます」
ミーガンには申しわけないが、せっかく、ギフトを見込んでもらえたのだ。
孤児院の子供たちやルディとラディのためにも、期待に応えられるように頑張りたい。
――大丈夫、きっとやりとげられるわ……!
心の中で自分を励ましながら、クレアは神官長に連れられ、北殿に向かうこととなった。
* * *
初めて足を踏み入れた北殿――通された「乙女の間」は、クレアが暮らす西殿とはまるで別世界のように、きらびやかに整えられていた。
建物自体は同じ時代に建てられ、同じ石材で造られているはずだ。
けれど、壁は真っ白に塗られて美しいタペストリーで覆われ、滑らかな板張りの床には、精緻なメダリオン柄が描かれた深紅の絨毯が敷かれている。
高い天井からは豪奢なシャンデリアが重たげにぶら下がり、無数に枝分かれした先に灯る蝋燭の炎が、シャラシャラと揺れるクリスタルに反射して室内をまばゆく照らす。
暖炉も西殿の食堂にあるような四角い石の塊ではなく、純白のマントルピースには美しい装飾がなされ、暖炉の上にかけられた鏡の縁には、金色のイチジクの実と葉が浮き彫りにされていた。
家具も一目で上等だとわかる品ばかりだった。
深紅の天蓋を戴く四柱式の寝台、衣装箪笥に化粧台、象嵌細工が施され、四つの足が優美な弧を描く猫足のテーブルセット。
高貴な人々が使うのにふさわしい品々が、品よく配置され、使われるときを待っている。
浴室やレストルームは覗いていないが、きっと同じように美しく整えられていることだろう。
――すごい……これから一カ月、ここで過ごすのね。
祝祭までの間、この部屋で。
――ここで、王太子殿下と……二人きりで。
神官長からは、彼が来るまでここで待つようにと言われている。
これから起こること、この部屋で、本殿でしなくてはならない「こと」を考えると、緊張と羞恥のあまり足が震えて逃げだしたくなる。
それでも、ずっと憧れていた人に会えるのだと、叶うはずがないと思っていた初恋の人の花嫁になれるのだと思うと、甘酸っぱい期待に胸が高鳴るのを抑えられなかった。
ギュッと胸を押さえては、ついた皺をそっと撫でつけて直してを繰り返し、そわそわと扉の前を行ったり来たりしていると、廊下を近付いてくる足音が耳に届いた。
――き、来た!
心の中で叫びながら、弾かれたように振り返る。
サッと手櫛で髪を整え、装束の皺を撫でつけ背すじを伸ばし、扉を見つめて待ちかまえる。
高まる緊張と期待で鼓動が速まり、耳の奥でドクドクと激しい音を立てる。
それに気を取られ、クレアは近付いてくる足音の持つ「違和感」に気が付かなかった。
やがて、ノックの音が鳴り響く。
「っ、どうぞ! お入りください!」
クレアは緊張で強ばる舌を動かし、叫ぶように声をかけた。
若干声が裏返ってしまった気がするが、「どうか呆れられていませんように!」と祈りながら、姿勢を正して彼の人の入室を待つ。
ゆっくりと扉がひらき、深い青の上着の裾をひるがえして現れたその人を目にした瞬間、クレアは呼吸を忘れた。
――まぶしい……!
遠目には何度か見ていたから、少しは慣れていると思っていた。
けれど、こうして間近で目にした今、その存在の麗しさに圧倒される。
――本当に男神のよう……宗教画から抜けだしてきたみたいだわ!
シャンデリアの光を受けてサラリと艶めく白金の髪、シミひとつない滑らかな肌。
凛々しい眉に切れ長の目、スッと通った鼻梁、ゆるく弧を描く唇は、画家があらん限りの理想をこめて描いたように美しく配置されている。
どれくらいの間、言葉も呼吸も忘れ、ただ目をみひらいて見入っていたか。
ずいぶんと長い時間が経った気もするが、もしかするとほんの数秒のことだったかもしれない。
その間ずっとウィリアムは無遠慮な視線にも眉をひそめることなく、それどころかクレアの緊張をほどこうとするように、澄んだ空色の目を細めて微笑みかけてきた。
「クレア」
ほどよく低く、凛とした威厳を感じさせながらも、やわらかく耳に響く。
そんな声で名を呼ばれ、クレアの鼓動がトクンと跳ねる。
ハッと反射のように息を吸いこんで、そこでようやく、クレアは自分がとてつもなく失礼な真似をしていることに気が付いた。
王太子の前で名乗りもせず、頭も下げず、穴があくほどジロジロとながめ回していたことに。
サッと血の気が引き、次いでカアッと一気に頭に血が昇って――
「女神役を引き受けてくれてありがとう。私――」
「ご挨拶が遅れて申しわけございません! クレア・ファウンドと申します! この度は女神役にご指名いただき誠にありがたく、恐悦至極に存じます! フィリウス王国のため、偉大なるイシクル神とラヴァ神のため、誠心誠意務めさせていただきますっ!」
クレアは目の前の青年の言葉を遮るように、今さらな自己紹介と挨拶の言葉をぶちかまし、シュパッと膝につきそうな勢いで頭を下げた。
そうしてしまってから、心の中で悲鳴を上げる。
――ああぁ、今、明らかに私、殿下のお言葉を遮ったわよね!?
重ね重ねの無礼に呆れられたに違いない。
もうこのまま顔を上げず、退室してしまいたい。
冷や汗をかきつつ、そんなことを考えていると、ふ、と彼が小さく笑う気配がした。
「……そんなに畏まる必要はない。落ちついて、顔を上げてくれ」
促す響きはやわらかく、そこに怒りや呆れの色が含まれていないことに気付いて、クレアはホッと安堵の息をつく。
「……ありがとうございます」
おずおずと答えて、顔を上げようとしたそのとき。
「そうだよ、私たちは夫婦になるのだから!」
目の前に立つ「ウィリアム」の背後から聞こえた「ウィリアム」の声に、クレアは「えっ!?」と弾かれたように顔を上げ、パチリと目をみひらいた。
視界に飛びこんできたのは、こちらに向かって微笑むまばゆいほどに美しい青年と、その一歩奥から同じように――いや、まったく同じ顔と笑みを浮かべる、もう一人の青年の姿だった。
「あはは、すごい! 目がまんまる! きれいなお目々がこぼれ落ちちゃいそうだね!」
楽しげな笑い声を立てた奥側のウィリアムが一歩前に出て、手前のウィリアムの隣――クレアから見て右手に並ぶ。
「……落ちたら拾ってやれ。おまえが驚かせたせいだ」
手前の、いや、今は左側のというべきだろうか――とにかく最初に話した方のウィリアムが片眉を上げ、二番目に出てきたウィリアムを横目で睨む。
「え? 私のせい?」
「そうだ。まだ出てくるなと言っただろう、先に私が説明をするからと――」
ポンポンと言葉を交わす二人を見て、目の前の光景は目の錯覚でも夢でも幻でもないのだとようやく理解し、クレアはまたしてもウィリアムの言葉を遮って、叫ぶように尋ねた。
「ウィリアム様は双子だったのですか!?」
思ったより大きな声が出てしまったせいか、二人のウィリアムはそろってパチリと目を瞠り、それから、向かって左手に立つウィリアムが落ちついた笑みを浮かべて頷いた。
「そうだ。私たちは双子だ。本当の名はウィルとリアム。二人でウィリアムの名を分けあい、一人二役ならぬ二人一役で王太子の役を務めてきたのだ」
「……では、ギフトも」
「当然、一人一つだ」
つまり、一人で二つのギフトを持っているわけではなく、双子の片方が「探知」を、もう片方が「転移」のギフトを持っているということなのだろう。
――何だ……そうだったのね。
二つのギフトを持つ「神の子」などいない。「ウィリアム」は特別な存在ではなかったのだ。
奇跡だと信じて憧れていたものが、「ただの手品だった」と種明かしをされたようで、クレアは何ともいえない心地になる。
そんな落胆が顔に出てしまったのだろう。
二人は一瞬顔を見合わせると、右手に立つウィリアムがひょいとおどけるように肩をすくめ、「いやだなぁ」と笑いかけてきた。
「そんなにがっかりしないでよ! この顔、好きでしょう?」
「え? それは……」
「そうだな。数はともかく、私たちの容姿は君好みだろう? 神殿に来るたび、柱の陰から覗いていたものな」
左のウィリアムが唇の端をつり上げて口にした言葉に、クレアの頬はカッと熱くなる。
「っ、気付いてらしたのですか!?」
「ああ。あれだけ熱心に見つめられれば、嫌でも気付く」
「そうだよ。それなのに振り向くと、いっつもすぐに隠れちゃってさ。遠慮せずに声をかけてくれたら、いつでも喜んで仲良くしてあげたのにね!」
「――っ」
愉しげに肩を揺らしながらかけられた言葉に滲む揶揄を感じ取り、クレアは、途方もない羞恥に混じって、腹の底からふつふつと怒りがこみあげるのを感じた。
――仲良くしてやるって何よ? いつでも遊んでやろうと思っていたってこと!?
後ろ盾のないクレアならば遊びで手を出しても、兄弟で弄んでもかまわないとでも思っていたのだろうか。
双子の秘密を知られたところで、いざとなれば簡単に黙らせられるはずだ、とでも。
――こんな人、いえ、こんな人たちだなんて思わなかった!
理想の王子様に選ばれたのだと舞い上がっていた自分が情けない。
――孤児だからってバカにして! 冗談じゃないわよ!
クレアはグッと拳を握りしめ、口をひらきかけて、そっとつぐむ。
――それでも、断るわけにはいかないでしょうね。
身分差というのは抗いがたい残酷なものだ。
相手は王太子。ここで感情に任せて拒絶したら、孤児院の子供たちに累が及ぶかもしれない。
神官長が言っていたではないか。
君が王太子妃になれば孤児院は安泰だろう。ルディとラディの未来も保証される――と。
裏を返せば、孤児院の一つや二つ、簡単に潰してしまえるるということだ。
神官長はミーガンならまだしも、孤児のクレアを王家と対立してまで守ってはくれないだろう。
こうして肝心なことを伏せて承諾させるくらいなのだから。
――いいわ……結婚は、する。
今さら逃げられないのなら、腹をくくるほかない。ギフトも貞操も捧げよう。
それで孤児院の子供たちの暮らしが豊かになるのなら、それくらい安いものだ。
ただ、それでも――重婚はしたくない。
この国では、資産のある家に嫁いできた妻が夫に先立たれた場合、資産が外に出ていくのを防ぐため、残された妻を夫の兄弟が娶ることはさほど珍しくない。
また、妻が家督を継いだ家で、婿入りした夫との間に子が望めないなど「特別な事情」があれば、夫が存命であっても神殿の許可を得て、夫の兄弟を二人目の夫とすることが認められる。
けれど、夫が元気なうちから兄弟と番った事例は聞いたことがない。
――二人の男に弄ばれるなんて嫌よ!
どれほど美しくても、妻となる女性を揶揄するような男たちに共有されるのはごめんだ。
断れないのはわかっていても、素直に応じてやりたくない。
一矢くらいは報いたい。
クレアはスッと背筋を正すと、薄笑いを浮かべてこちらをながめているウィリアムたちを交互に見つめてから、二人に向かって尋ねた。
「……結婚するのはどちらかお一人と、というわけにはいきませんか?」
途端、二つ並んだ笑みが強ばる。
一呼吸の間を置いて、左のウィリアムがゆっくりとまばたきをして笑みを消し、静かに問いかけてきた。
「二人一緒は……私たち二人の妻になるのは嫌ということか?」
「……できれば、お一人と添い遂げたいです」
そうクレアが答えると、左のウィリアムは「そうか」と呟き、眉間に皺を寄せて黙りこんだ。
ふざけるなと怒られるだろうか。
緊張と不安で胃の辺りが重くなるが、きゅっと口元を引き締め、クレアはウィリアムたちの答えを待った。
痛いほどの沈黙の後、やがて左のウィリアムが再び口をひらいて――
「わか――」
「ねえ、クレア。今、私たちの区別がつくかい?」
片割れの台詞を遮って、右のウィリアムが挑むような視線と共に尋ねた。
「……いいえ」
突然何なのだろう。クレアが訝しみながら首を横に振ると、右のウィリアムはニッと目を細めて言い放った。
「見分けがつかないんだったら、一人でも二人でも一緒じゃない?」
「はい!? そんなわけ――」
バカにしているのだろうか。クレアはグッと眉間に皺を寄せて口をひらくが、口にしようとした抗議の言葉は「ねえ、こうしようよ!」という朗らかな声に遮られた。
「賭けをしよう? 祝祭までに君が私たちを見分けられるようになったら、君の勝ち! どちらか一人を選んでいい。でも見分けられなかったら、私たちの勝ちってことで、二人とも夫にして?」
「二人とも?」
「そう、二人とも!」
右のウィリアムが笑みを深めてそう繰り返したところで、黙りこんでいた左のウィリアムが口をひらいた。
「……君が勝負を受けてくれるのならば、勝っても負けても参加賞代わりに褒美をやろう」
「褒美?」
「ああ。私たち二人と結婚したとしても、君の前に二人そろって現れないと約束してやる。昼も、夜もな。そうすれば、君も少しは気が楽だろう?」
唇の端を皮肉げにつり上げてなされた提案に、クレアは眉をひそめる。
「……そのような結婚生活でよろしいのですか?」
クレアの問いに左のウィリアムは無言で頷き、右のウィリアムはニコリと笑って答える。
「うん、よろしいよ? 二人一役には慣れているからね!」
「……そうなのですか」
そこまで譲歩してくれるというのならば、挑戦してみる価値はあるだろう。
「……わかりました。その勝負、お受けいたします!」
クレアがそう答えると「よし、決まりだね!」と右のウィリアムがポンと手を叩き、嬉しげに声を上げた。
「じゃあ、勝負は一カ月後ね! 本殿に入る前に神官長と会うから、そのときに、彼の前で見分けてみせて? 君が夫にしたい方の手を取って、名前を呼ぶんだ。当たっていれば、そいつが君の夫になるからさ」
「はい」
「よし、私はウィルだよ」
右のウィリアムが名乗り、一瞬の間を置いて左のウィリアムが続く。
「……私はリアムだ」
「ウィル様にリアム様ですね。どうぞよろしくお願いいたします」
深々と頭を垂れながら、クレアは心の中で威勢よく宣言した。
――見てらっしゃい! 絶対に見分けてみせるんだから!
勝ったところで本当に一人を選ばせてくれるかはわからないが、それでも挑まれた以上は勝ちたい。勝って、一泡吹かせてやりたい。
フィリウスの祝祭まで、一カ月。
今この瞬間、クレアの絶対に負けられない戦いが始まったのだった。
第二章 皮肉屋のウィリアムと軽薄なウィリアム
色々なことがありすぎて、とても眠れそうにない――そう思ってはいたものの、なんだかんだで疲れていたのだろう。
それとも、あてがわれた寝台がクレアの十八年の人生で、史上最高の寝心地だったせいか。
浴室で汗を流した後、用意されていたリネンの膝丈のシフトドレスをまとい、寝台に横たわった途端、吸いこまれるように眠りに落ちていた。
そして、翌朝。
いつもよりもだいぶ遅く目覚めたクレアは、慌てて身支度をしようと衣装箪笥をあけて、途方に暮れることとなった。
両びらきの扉をあけた中にも引き出しにも、いつもの巫女装束は入っておらず、代わりにいくつものパーツに分かれた上等なドレスが入っていたのだ。
「……どうしよう……これ、どうやって着ればいいの?」
クレアが持っている二着きりのドレスは、どちらも頭から被って袖を通し、前のボタンをとめるだけのシンプルなワンピースタイプだ。
このように凝ったドレスをまとったご婦人を見たことはあっても、自分で着たことなどなかった。
ひとまずストッキングだけは履いたものの、そこから先はどうしていいのかわからない。
「とりあえず、この上からコルセットを着けるのよね? でも……」
幾本もの鯨骨が縫いこまれた鎧のようなコルセットは、どれも背中で編み上げを締めるタイプで、前で締めるものは見当たらなかった。
コルセットなしで着られないかと、ひとまず目に留まった青いドレスを取りだしてみる。
艶やかなシルクサテンの手ざわりにうっとりしつつ、前あきのロングコートのようなそれに袖を通し、前を合わせようとして「えっ?」と戸惑う。
明らかにパーツが足りない。
正面から見て左右で繋がっているのはウエスト部分だけで、胸元もスカート部分も前がまったく閉じておらず、下に着ているシフトドレスが丸見えだ。
「……あ、そうか。胸当てとスカート部分が別にあるのね」
以前、治療にあたったご婦人がまとっていたドレスを思い起こしながら、ごそごそと引き出しを探ると、ほどなく目当てのパーツが見つかった。
「あった! これだわ! 胸の隙間を埋めるやつ!」
愛らしいリボンが梯子状に並び、瀟洒なレースが縁に縫いつけられた逆三角形のパーツ――ストマッカーを手に取って、クレアは歓声を上げる。
「でも……これ、どうやって着けるの?」
そう思って口にした言葉に、神官長はなぜか眉をひそめて首を横に振った。
「いや、君でなくてはいけない。殿下直々のご指名なのだ」
キッパリと告げられ、クレアはパチリと目をみひらく。
「王太子殿下の?」
「そうだ。君のギフト、癒しの力を見込んでのことだ。王族は何かと身の危険にさらされることも多い。君が傍にいてくれれば心強いだろう、との仰せだ」
「……ああ、そういうことでしたか」
それならばわからなくもない。当代の王と王妃の間にはウィリアム以外に子がいない。
彼に何かがあれば、王家の血筋が途絶えてしまう恐れがある。
絶対に身罷ってはならない立場の彼にとって、クレアのギフトは確かに有用だろう。
どうして自分なのかという疑問が解け、安堵――一欠片の落胆も混ざっているかもしれないが――の息をついたところで、神官長が眉間の皺を深めて口をひらいた。
「クレア、これは決して悪い話ではないはずだ」
「……と、言いますと?」
「君が王太子妃になれば孤児院は安泰だろう。ルディとラディの未来も保証される。ギフト目当てかと失望したかもしれないが――」
「っ、そんな! 失望などしていません!」
諭すように告げられ、クレアは慌ててかぶりを振った。
「自分が選ばれた理由がわかってホッとしただけです! 光栄なことだと思っております!」
「では、引き受けてくれるか?」
「もちろんです!」
グッと拳を握りしめて勢いよく答えると、神官長は「そうか」とホッとしたように頷いた。
「……それで、早速だが、君にはこのまま北殿に入ってもらうことになる」
「このまま? 今夜、これからすぐにですか?」
「そうだ。明日以降の信徒の予約は既に断って、他の者に割りふってある。特に持ちこみたい品もないだろう?」
「それは……はい、ありません」
確かに着の身着のままで移動したところで不自由はない。ないのだが……
「あの、できましたら、ルディとラディに私がいない理由をお話しいただいてもよろしいでしょうか?」
「わかった。心配しないよう、私から伝えておこう。……それから、君がいない間に妙なからかいを受けぬように目を配っておく」
神官長の言葉にクレアはハッと目を瞠り、深々と頭を下げる。
「っ、ありがとうございます。よろしくお願いいたします!」
「いや、それくらいは当然のことだ。……では、北殿に移る前にフィリウスの祝祭について説明しておこう」
「……説明ですか? これから一カ月、王太子殿下と北殿にこもって身を清め、夏至の夜に本殿で祈りを捧げるのですよね?」
そう尋ねると、神官長は苦笑を浮かべて「確かにそうだが」と前置きをした後、語りはじめた。
「フィリウスの祝祭」で男神役と女神役が本当は何をするのか。
公にはなっていない、秘められた真実を。
遥か昔、夫婦神イシクルとラヴァは愛を交わし、この国の祖となる者を生した。
「フィリウスの祝祭」では、それを模して、男神役である王太子と女神役に選ばれた乙女が本殿で愛を交わし、祈りを捧げ、フィリウス王国の繁栄を祈るのだ――と。
「……つまり、儀式として、その……王太子殿下と……本殿でそのようなことをする、ということでしょうか?」
尋ねるクレアの声が戸惑いと羞恥に震える。
「……そうだ。その夜に宿った子は神の加護を持ち、優れた王になると言われている」
お披露目が夏至からおよそひと月半後の収穫祭の日に定められているのは、身ごもったかどうか判る時期だからなのだそうだ。
「……だから……女神役が花嫁になるのですね」
「そうだ」
神官長は厳かに頷くと、続いて「北殿にこもる意味」について語った。
表向きは「俗世を離れて身を清める」という名目になっているが、実際は滞りなく祝祭の儀――つまりは性行為が行えるよう、男神役と女神役が交流を深めるための準備期間なのだと。
「……交流を深める準備期間ということは……その、ひと月の間に色々とその、心と身体の準備として、そのような行為もしたりするのでしょうか……?」
ますます羞恥に震える声でクレアが尋ねると、神官長はどこか気まずそう――見ようによっては後ろめたげに眉をひそめて頷いた。
「……おそらくは」
「……さようでございますか」
ポツリと答えて、クレアは頬を押さえる。
手のひらに伝わってくる体温は自分でもわかるほど熱い。
つまり、この一カ月は、男神役と女神役が心身ともに近付くための蜜月期間ということだ。
俗世を離れて身を清めるというから、てっきり断食や沐浴でもするのかと思っていたのだが、とんだ勘違いだった。
――清らかどころか、生々しいことこの上ないわ……!
真っ赤になっているクレアに、神官長は咳払いをひとつすると、そのような期間を設けることになった理由を告げた。
祝祭が始まった当初は、夏至の日に初めて男神役と女神役が顔を合わせていたそうだ。
けれど、何代か前に女神役に選出された乙女が、儀式の最中に緊張と混乱のあまり、過呼吸に陥り失神してしまったとかで、あらかじめ交流を深める期間が必要だろう、となったらしい。
――ま、まあ、確かに……私も今夜いきなり「しろ」と言われたら、パニックにならない自信はないわね!
神聖な――と言っていいのか疑問だが――儀式で失敗するわけにはいかない。
一カ月の準備期間をもらえるのは、素直にありがたく思うべきだろう。
「そういうことだが……クレア、頼んだぞ」
「……わかりました」
すべてを聞いた上で頷くのは堪らなく恥ずかしかったが、クレアはしっかりと顔を上げ答えた。
「フィリウス王国のため、精一杯務めさせていただきます」
ミーガンには申しわけないが、せっかく、ギフトを見込んでもらえたのだ。
孤児院の子供たちやルディとラディのためにも、期待に応えられるように頑張りたい。
――大丈夫、きっとやりとげられるわ……!
心の中で自分を励ましながら、クレアは神官長に連れられ、北殿に向かうこととなった。
* * *
初めて足を踏み入れた北殿――通された「乙女の間」は、クレアが暮らす西殿とはまるで別世界のように、きらびやかに整えられていた。
建物自体は同じ時代に建てられ、同じ石材で造られているはずだ。
けれど、壁は真っ白に塗られて美しいタペストリーで覆われ、滑らかな板張りの床には、精緻なメダリオン柄が描かれた深紅の絨毯が敷かれている。
高い天井からは豪奢なシャンデリアが重たげにぶら下がり、無数に枝分かれした先に灯る蝋燭の炎が、シャラシャラと揺れるクリスタルに反射して室内をまばゆく照らす。
暖炉も西殿の食堂にあるような四角い石の塊ではなく、純白のマントルピースには美しい装飾がなされ、暖炉の上にかけられた鏡の縁には、金色のイチジクの実と葉が浮き彫りにされていた。
家具も一目で上等だとわかる品ばかりだった。
深紅の天蓋を戴く四柱式の寝台、衣装箪笥に化粧台、象嵌細工が施され、四つの足が優美な弧を描く猫足のテーブルセット。
高貴な人々が使うのにふさわしい品々が、品よく配置され、使われるときを待っている。
浴室やレストルームは覗いていないが、きっと同じように美しく整えられていることだろう。
――すごい……これから一カ月、ここで過ごすのね。
祝祭までの間、この部屋で。
――ここで、王太子殿下と……二人きりで。
神官長からは、彼が来るまでここで待つようにと言われている。
これから起こること、この部屋で、本殿でしなくてはならない「こと」を考えると、緊張と羞恥のあまり足が震えて逃げだしたくなる。
それでも、ずっと憧れていた人に会えるのだと、叶うはずがないと思っていた初恋の人の花嫁になれるのだと思うと、甘酸っぱい期待に胸が高鳴るのを抑えられなかった。
ギュッと胸を押さえては、ついた皺をそっと撫でつけて直してを繰り返し、そわそわと扉の前を行ったり来たりしていると、廊下を近付いてくる足音が耳に届いた。
――き、来た!
心の中で叫びながら、弾かれたように振り返る。
サッと手櫛で髪を整え、装束の皺を撫でつけ背すじを伸ばし、扉を見つめて待ちかまえる。
高まる緊張と期待で鼓動が速まり、耳の奥でドクドクと激しい音を立てる。
それに気を取られ、クレアは近付いてくる足音の持つ「違和感」に気が付かなかった。
やがて、ノックの音が鳴り響く。
「っ、どうぞ! お入りください!」
クレアは緊張で強ばる舌を動かし、叫ぶように声をかけた。
若干声が裏返ってしまった気がするが、「どうか呆れられていませんように!」と祈りながら、姿勢を正して彼の人の入室を待つ。
ゆっくりと扉がひらき、深い青の上着の裾をひるがえして現れたその人を目にした瞬間、クレアは呼吸を忘れた。
――まぶしい……!
遠目には何度か見ていたから、少しは慣れていると思っていた。
けれど、こうして間近で目にした今、その存在の麗しさに圧倒される。
――本当に男神のよう……宗教画から抜けだしてきたみたいだわ!
シャンデリアの光を受けてサラリと艶めく白金の髪、シミひとつない滑らかな肌。
凛々しい眉に切れ長の目、スッと通った鼻梁、ゆるく弧を描く唇は、画家があらん限りの理想をこめて描いたように美しく配置されている。
どれくらいの間、言葉も呼吸も忘れ、ただ目をみひらいて見入っていたか。
ずいぶんと長い時間が経った気もするが、もしかするとほんの数秒のことだったかもしれない。
その間ずっとウィリアムは無遠慮な視線にも眉をひそめることなく、それどころかクレアの緊張をほどこうとするように、澄んだ空色の目を細めて微笑みかけてきた。
「クレア」
ほどよく低く、凛とした威厳を感じさせながらも、やわらかく耳に響く。
そんな声で名を呼ばれ、クレアの鼓動がトクンと跳ねる。
ハッと反射のように息を吸いこんで、そこでようやく、クレアは自分がとてつもなく失礼な真似をしていることに気が付いた。
王太子の前で名乗りもせず、頭も下げず、穴があくほどジロジロとながめ回していたことに。
サッと血の気が引き、次いでカアッと一気に頭に血が昇って――
「女神役を引き受けてくれてありがとう。私――」
「ご挨拶が遅れて申しわけございません! クレア・ファウンドと申します! この度は女神役にご指名いただき誠にありがたく、恐悦至極に存じます! フィリウス王国のため、偉大なるイシクル神とラヴァ神のため、誠心誠意務めさせていただきますっ!」
クレアは目の前の青年の言葉を遮るように、今さらな自己紹介と挨拶の言葉をぶちかまし、シュパッと膝につきそうな勢いで頭を下げた。
そうしてしまってから、心の中で悲鳴を上げる。
――ああぁ、今、明らかに私、殿下のお言葉を遮ったわよね!?
重ね重ねの無礼に呆れられたに違いない。
もうこのまま顔を上げず、退室してしまいたい。
冷や汗をかきつつ、そんなことを考えていると、ふ、と彼が小さく笑う気配がした。
「……そんなに畏まる必要はない。落ちついて、顔を上げてくれ」
促す響きはやわらかく、そこに怒りや呆れの色が含まれていないことに気付いて、クレアはホッと安堵の息をつく。
「……ありがとうございます」
おずおずと答えて、顔を上げようとしたそのとき。
「そうだよ、私たちは夫婦になるのだから!」
目の前に立つ「ウィリアム」の背後から聞こえた「ウィリアム」の声に、クレアは「えっ!?」と弾かれたように顔を上げ、パチリと目をみひらいた。
視界に飛びこんできたのは、こちらに向かって微笑むまばゆいほどに美しい青年と、その一歩奥から同じように――いや、まったく同じ顔と笑みを浮かべる、もう一人の青年の姿だった。
「あはは、すごい! 目がまんまる! きれいなお目々がこぼれ落ちちゃいそうだね!」
楽しげな笑い声を立てた奥側のウィリアムが一歩前に出て、手前のウィリアムの隣――クレアから見て右手に並ぶ。
「……落ちたら拾ってやれ。おまえが驚かせたせいだ」
手前の、いや、今は左側のというべきだろうか――とにかく最初に話した方のウィリアムが片眉を上げ、二番目に出てきたウィリアムを横目で睨む。
「え? 私のせい?」
「そうだ。まだ出てくるなと言っただろう、先に私が説明をするからと――」
ポンポンと言葉を交わす二人を見て、目の前の光景は目の錯覚でも夢でも幻でもないのだとようやく理解し、クレアはまたしてもウィリアムの言葉を遮って、叫ぶように尋ねた。
「ウィリアム様は双子だったのですか!?」
思ったより大きな声が出てしまったせいか、二人のウィリアムはそろってパチリと目を瞠り、それから、向かって左手に立つウィリアムが落ちついた笑みを浮かべて頷いた。
「そうだ。私たちは双子だ。本当の名はウィルとリアム。二人でウィリアムの名を分けあい、一人二役ならぬ二人一役で王太子の役を務めてきたのだ」
「……では、ギフトも」
「当然、一人一つだ」
つまり、一人で二つのギフトを持っているわけではなく、双子の片方が「探知」を、もう片方が「転移」のギフトを持っているということなのだろう。
――何だ……そうだったのね。
二つのギフトを持つ「神の子」などいない。「ウィリアム」は特別な存在ではなかったのだ。
奇跡だと信じて憧れていたものが、「ただの手品だった」と種明かしをされたようで、クレアは何ともいえない心地になる。
そんな落胆が顔に出てしまったのだろう。
二人は一瞬顔を見合わせると、右手に立つウィリアムがひょいとおどけるように肩をすくめ、「いやだなぁ」と笑いかけてきた。
「そんなにがっかりしないでよ! この顔、好きでしょう?」
「え? それは……」
「そうだな。数はともかく、私たちの容姿は君好みだろう? 神殿に来るたび、柱の陰から覗いていたものな」
左のウィリアムが唇の端をつり上げて口にした言葉に、クレアの頬はカッと熱くなる。
「っ、気付いてらしたのですか!?」
「ああ。あれだけ熱心に見つめられれば、嫌でも気付く」
「そうだよ。それなのに振り向くと、いっつもすぐに隠れちゃってさ。遠慮せずに声をかけてくれたら、いつでも喜んで仲良くしてあげたのにね!」
「――っ」
愉しげに肩を揺らしながらかけられた言葉に滲む揶揄を感じ取り、クレアは、途方もない羞恥に混じって、腹の底からふつふつと怒りがこみあげるのを感じた。
――仲良くしてやるって何よ? いつでも遊んでやろうと思っていたってこと!?
後ろ盾のないクレアならば遊びで手を出しても、兄弟で弄んでもかまわないとでも思っていたのだろうか。
双子の秘密を知られたところで、いざとなれば簡単に黙らせられるはずだ、とでも。
――こんな人、いえ、こんな人たちだなんて思わなかった!
理想の王子様に選ばれたのだと舞い上がっていた自分が情けない。
――孤児だからってバカにして! 冗談じゃないわよ!
クレアはグッと拳を握りしめ、口をひらきかけて、そっとつぐむ。
――それでも、断るわけにはいかないでしょうね。
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こうして肝心なことを伏せて承諾させるくらいなのだから。
――いいわ……結婚は、する。
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けれど、夫が元気なうちから兄弟と番った事例は聞いたことがない。
――二人の男に弄ばれるなんて嫌よ!
どれほど美しくても、妻となる女性を揶揄するような男たちに共有されるのはごめんだ。
断れないのはわかっていても、素直に応じてやりたくない。
一矢くらいは報いたい。
クレアはスッと背筋を正すと、薄笑いを浮かべてこちらをながめているウィリアムたちを交互に見つめてから、二人に向かって尋ねた。
「……結婚するのはどちらかお一人と、というわけにはいきませんか?」
途端、二つ並んだ笑みが強ばる。
一呼吸の間を置いて、左のウィリアムがゆっくりとまばたきをして笑みを消し、静かに問いかけてきた。
「二人一緒は……私たち二人の妻になるのは嫌ということか?」
「……できれば、お一人と添い遂げたいです」
そうクレアが答えると、左のウィリアムは「そうか」と呟き、眉間に皺を寄せて黙りこんだ。
ふざけるなと怒られるだろうか。
緊張と不安で胃の辺りが重くなるが、きゅっと口元を引き締め、クレアはウィリアムたちの答えを待った。
痛いほどの沈黙の後、やがて左のウィリアムが再び口をひらいて――
「わか――」
「ねえ、クレア。今、私たちの区別がつくかい?」
片割れの台詞を遮って、右のウィリアムが挑むような視線と共に尋ねた。
「……いいえ」
突然何なのだろう。クレアが訝しみながら首を横に振ると、右のウィリアムはニッと目を細めて言い放った。
「見分けがつかないんだったら、一人でも二人でも一緒じゃない?」
「はい!? そんなわけ――」
バカにしているのだろうか。クレアはグッと眉間に皺を寄せて口をひらくが、口にしようとした抗議の言葉は「ねえ、こうしようよ!」という朗らかな声に遮られた。
「賭けをしよう? 祝祭までに君が私たちを見分けられるようになったら、君の勝ち! どちらか一人を選んでいい。でも見分けられなかったら、私たちの勝ちってことで、二人とも夫にして?」
「二人とも?」
「そう、二人とも!」
右のウィリアムが笑みを深めてそう繰り返したところで、黙りこんでいた左のウィリアムが口をひらいた。
「……君が勝負を受けてくれるのならば、勝っても負けても参加賞代わりに褒美をやろう」
「褒美?」
「ああ。私たち二人と結婚したとしても、君の前に二人そろって現れないと約束してやる。昼も、夜もな。そうすれば、君も少しは気が楽だろう?」
唇の端を皮肉げにつり上げてなされた提案に、クレアは眉をひそめる。
「……そのような結婚生活でよろしいのですか?」
クレアの問いに左のウィリアムは無言で頷き、右のウィリアムはニコリと笑って答える。
「うん、よろしいよ? 二人一役には慣れているからね!」
「……そうなのですか」
そこまで譲歩してくれるというのならば、挑戦してみる価値はあるだろう。
「……わかりました。その勝負、お受けいたします!」
クレアがそう答えると「よし、決まりだね!」と右のウィリアムがポンと手を叩き、嬉しげに声を上げた。
「じゃあ、勝負は一カ月後ね! 本殿に入る前に神官長と会うから、そのときに、彼の前で見分けてみせて? 君が夫にしたい方の手を取って、名前を呼ぶんだ。当たっていれば、そいつが君の夫になるからさ」
「はい」
「よし、私はウィルだよ」
右のウィリアムが名乗り、一瞬の間を置いて左のウィリアムが続く。
「……私はリアムだ」
「ウィル様にリアム様ですね。どうぞよろしくお願いいたします」
深々と頭を垂れながら、クレアは心の中で威勢よく宣言した。
――見てらっしゃい! 絶対に見分けてみせるんだから!
勝ったところで本当に一人を選ばせてくれるかはわからないが、それでも挑まれた以上は勝ちたい。勝って、一泡吹かせてやりたい。
フィリウスの祝祭まで、一カ月。
今この瞬間、クレアの絶対に負けられない戦いが始まったのだった。
第二章 皮肉屋のウィリアムと軽薄なウィリアム
色々なことがありすぎて、とても眠れそうにない――そう思ってはいたものの、なんだかんだで疲れていたのだろう。
それとも、あてがわれた寝台がクレアの十八年の人生で、史上最高の寝心地だったせいか。
浴室で汗を流した後、用意されていたリネンの膝丈のシフトドレスをまとい、寝台に横たわった途端、吸いこまれるように眠りに落ちていた。
そして、翌朝。
いつもよりもだいぶ遅く目覚めたクレアは、慌てて身支度をしようと衣装箪笥をあけて、途方に暮れることとなった。
両びらきの扉をあけた中にも引き出しにも、いつもの巫女装束は入っておらず、代わりにいくつものパーツに分かれた上等なドレスが入っていたのだ。
「……どうしよう……これ、どうやって着ればいいの?」
クレアが持っている二着きりのドレスは、どちらも頭から被って袖を通し、前のボタンをとめるだけのシンプルなワンピースタイプだ。
このように凝ったドレスをまとったご婦人を見たことはあっても、自分で着たことなどなかった。
ひとまずストッキングだけは履いたものの、そこから先はどうしていいのかわからない。
「とりあえず、この上からコルセットを着けるのよね? でも……」
幾本もの鯨骨が縫いこまれた鎧のようなコルセットは、どれも背中で編み上げを締めるタイプで、前で締めるものは見当たらなかった。
コルセットなしで着られないかと、ひとまず目に留まった青いドレスを取りだしてみる。
艶やかなシルクサテンの手ざわりにうっとりしつつ、前あきのロングコートのようなそれに袖を通し、前を合わせようとして「えっ?」と戸惑う。
明らかにパーツが足りない。
正面から見て左右で繋がっているのはウエスト部分だけで、胸元もスカート部分も前がまったく閉じておらず、下に着ているシフトドレスが丸見えだ。
「……あ、そうか。胸当てとスカート部分が別にあるのね」
以前、治療にあたったご婦人がまとっていたドレスを思い起こしながら、ごそごそと引き出しを探ると、ほどなく目当てのパーツが見つかった。
「あった! これだわ! 胸の隙間を埋めるやつ!」
愛らしいリボンが梯子状に並び、瀟洒なレースが縁に縫いつけられた逆三角形のパーツ――ストマッカーを手に取って、クレアは歓声を上げる。
「でも……これ、どうやって着けるの?」
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