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幕間
閑話 七つ首の受難(※)
しおりを挟む砂塵が東風に乗り野営地で吹き荒れる。
午後に起きる砂嵐だ。原因は朝と昼の気温差らしいが、正確な事は誰も知らない。
砂は、ここより東に広がる大砂海で巻き上げられたもの。粒子が細かいせいか、踏むとキュッと鳴くことで知られている。
人の渡来を拒み、灼熱と流砂で身を飾る魔境、大砂海。
砂中に棲む、砂棲動物は海のそれとよく似ているのだと言う。
ここは大砂海と深淵の森と言う2つの魔境に挟まれた、中つ荒野。
その荒野の中に野営地はロの字を描くように、在る。1辺が1ミーリアもある巨大な野営だ。否。軍の駐屯地と言っても可笑しくないだろう。
もう少し細かな説明をすると、1辺に丸太杭を打ち込んで四角く囲った5つの区画があり、その中に天幕や粗末な小屋が建ち並んで、何もない中央部の平地を囲んでいる。4辺全部で20の区画が存在するという事だ。
それぞれの区画が部隊を成しているのか、この場だけの共同体を成しているのか定かではない。
木材は近くの森から伐り出したのだろう。森の半分を占めている砂を被った切り株が、その事実を雄弁に語っていた。
目を凝らすと、それぞれの区画の外側に面する角に見張りの櫓が組んであり、荒野にできた新たな開拓村にも見える。いや、村と言うよりも既に小さな町の規模だ。
ロの字の南側、凪の公国側に面している辺にある真ん中の囲いの中に、1棟だけ立派な家が建っているのに目が留まる。屋敷と言うよりも、町の役場のような造りだが、この中で一番しっかりした2階建ての造りであることに変わりない。
その建物の玄関は両開きの扉だ。玄関前の左右に何かの軍旗がある訳でも、国旗がある訳でもない。扉を開けて中に入ってもそうだ。殺風景で、機能だけを追求したような内装に興味が削がれる。
砂嵐を遣り過ごすため、鎧戸は閉められて油灯の灯が弱々しく室内を照らしているだけだ。しかし、鎧戸にも扉にも隙間はある訳で、そこをするりと抜けて来る粒子の細かい砂を乗せた風が灯を揺らす。
埃っぽい。
その様な気候に慣れた住人が家に居るのか、薄暗い通路の奥、突き当りの部屋から複数の声が漏れ聞こえて来た――。
◆◇◆
円卓を囲むように座る5人の男たち。扉を開けて部屋の奥の壁側に座る老いを感じさせる白髪の男の顔には、歴戦を潜り抜けて来た証であろう刀傷が、右の額から眉間を抜け左頬に走っていた。
「将軍、ここで5,000の兵を養うにはもう限界です。兵たちの苛々が募り、些細な事で諍いになっております」
「砂海や外縁の森に行かせた食糧部隊にも、死傷者増え始めています。五頭からの指令は届いてないのですか?」
「医療区も、回復士や手当の心得がある者が限界です。怪我人を休ませる場所も手狭になって来ました」
「飼葉も無限ではありません。草原から得るためには公国内にかなり入り込まなければならないでしょう。飼葉のための資金も兵士たちほどは取れませんので、馬たちは痩せる一方です。せめて放牧できれば良いのですが……」
円卓の上に両肘を突き、両手の指を組んだ上に顎を乗せて4人の男とたちの報告に耳を傾ける白髪の男。老人と言うには、体つきが若い。服を着た上からも、腕の筋肉の張りで袖の布が張っているのが一目で判る。
4人の男たちは、それぞれ責任を委ねられた者たちだろう。初老辺りという年齢層に見える。
ただ、どの顔も焦燥感が滲み出ていた。それだけ彼らの置かれた状況が厳しいものだという事だろう。それは、今彼ら自身の口から出た言葉からも推察できる。
「……」
「「「「……」」」」
将軍と呼ばれた白髪の男は、黙したまま目を瞑る。聞いた情報を基に思案しているのだろうか。それとも、ただ目を閉じただけだろうか。
将軍の沈黙に、男たちも固唾を呑んで言葉を待つ。
「……五頭からの新たな命は届いていない。よって、現状維持だ。卿らにも苦労を掛けるが、現状で何とか遣り繰りして欲しい」
「しかしそれでは――」
将軍の言葉に異を唱えようとする右隣の男を制するように、将軍が右手を開いて肘から先を動かす。無言で話の腰を折らずに聞くように訴えているのだろう。そされを察してか、腰を浮かし掛けた右隣の男がゆっくりと椅子に背中を預けるのだった。
「確かに卿らの言い分も理解できる。まず、食糧部隊を2部隊増やすことを許可する。そろそろ東区の新入りの訓練も仕上げのはずだ。実戦と実益を兼ねさせろ」
「は」
「次に医療区だが、左右のどちらかを医療区にすることを許可する。その際、立ち退かせる連中の中から、手先の器用な者、前衛向きでない者を選別して医療部隊に組み込むように」
「は」
「あとは馬か……。西側に放した場合、柵はどれほど必要だ? あるいは柵なしで管理は可能か?」
「柵なしで放牧は難しいかと。放牧するにあたって、見張りも必要です。馬たちに心労を与えない様にするのでしたら、2ミーリアは牧草地が欲しいところです」
「厩舎勤め以外に、人が要るという事か。ならば、放牧の見守りに人を集めることを許可する。30人だ。今の人数に30人増員することを許可する。前衛向きではない、馬の扱いに慣れたものを選ぶように。10人を1日交替で見守りに就かせれば、中2日で休養も出来よう」
「は」
「加えて、陣地内で暴力沙汰を起こした者は、罰として放牧地の柵用の丸太の伐り出しを命じ――」
将軍がそこまで言葉を口にした時だった。
轟音と地震が建物を左右に揺らし始めたのだ。部屋に居た5人も口々に言葉にならない叫び声をあげ、円卓に手を掛けて姿勢を保つのが精一杯だったようである。数拍の間をおいて、怒号と絶叫が入り混じり始めた外の声が聞こえて来たではないか。何かが起きたのは間違いない。
「何だ! 何が起こった!? 確かめろ!」
「はっ!」
将軍の命令に4人が席を立つ。最初の一人が部屋の扉を開けると、焦げ臭い香りがするりと部屋の中に入り込んで来るのだった。
「今の揺れで油灯の灯が建物に移ったのかもしれん! 火を消す者と、様子を見る者と別れるのだ。儂も2階に上がる!」
「「「「はっ!」」」」
とそこへ、外から蹴破らんばかりに両開きの扉を開けて、建物に飛び込んできた兵士が現れたではないか。外が明るく、建物内が薄暗いせいで表情は見れないが、息も絶え絶えになっている呼吸を見れば、異常な事が起こったのだという事を察するのは容易だった。
「も、申し上げます!! 只今、上空より深淵の森の主と思われる深淵種の大森蛇が医療区に降って来ました!」『は!?』「死傷者多数! わ、我々の武器では歯が立ちません!!」
「申し上げます! 医療区を含めた北区の被害甚大! 大蛇は東区に向かって移動中です!!」
「な、な、な、何がどうなっておるのだっ!!」
青天の霹靂とは正に事の事だろう。
雨が降るならまだしも、大蛇が空から降って来ると誰が思うだろうか。
次から次に届く耳を疑いたくなる報告に、将軍は叫びながら人を掻き分け、2階に上がる事も忘れて建物の外に飛び出るのだった――。
◆◇◆
眼下の惨劇を見降ろしながら、ゆっくりと降下している2人の青年が居た。
「なあアキラ、これ相当拙くね?」
「拙いってもんじゃないですよ。幸いと言うか、俺たちは魔法で着地の時間をずらせてますけど、バレたら袋叩きですね」
「だよなあ……」
彼らが使っている魔法は【風魔法】の第3階位に在る【浮遊】と言う魔法だ。物体を一定時間浮かせ、効果が切れ始めると段々と地面に降りて来るという性質を持つ。
蟒蛇と一緒に運良く上空に飛ばされた2人は、すかさずこの魔法を使い、自分が地面に叩きつけられるのを防いだのであった。
だが、叩き付けられた方の蟒蛇は何処吹く風で、大したダメージもなく落とされた怒りを目の前を逃げ惑う矮小な生き物に当たり散らしていたのだ。
よく見れば、さっきまで自分が追い掛けていた旨そうな魔力を持った二つ足の生き物によく似てるではないか。
それに気付いた蟒蛇は、圧し潰すのではなく喰らう事に思いを切り替え、自分に向かって来る矮小な二つ足の生き物に齧り付いたのであった。
「うわ~……喰ってるよ」
「……どうにかしないと、ここの野営地全滅っすね?」
「翼が在れば、飛んで逃げるんだけど……」
「そう言やあ、ハーピー居たっすよね?」
「ダンジョンで最下層へ飛ばされた時に死んじまったよ」
「へ? 若さんの召喚獣って死ぬことあるんだ!?」
「あるぜ。ゲームみたいに無限に復活なんか出来ねえよ。つうかどうする? 何か良い案ねえのかよ?」
「降りた瞬間【転移】で逃げる、とか?」
「……そりゃ俺も考えなかったと言えば嘘になるけどよ。遣らかしたの俺らだぜ? 死んだ奴を生き返らせろって言われても困るが、このまま放っておくと夢見が悪いのは確かだろ?」
「そりゃ、まあそうですが……」
「だろ?」
「じゃあどうするんすか?」
「莫迦か、それを考えるのがお前だろが」
「――出た。丸投げ」
「五月蠅え。俺は頭が悪いんだからよ、こういうのはあれだ、ほら、てき」
「適材適所」
「それだ! 頼むぜ、アキラ!」
嬉々として柏手を打ち、答えた自分を指差す鬼若を横目に、アキラは肩を落とし大きく溜息を吐くのだった――。
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