異世界ピアノ工房

平尾正和/ほーち

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20 ピアノの当たり前

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 ピアノは弾いていないあいだ、弦の振動が止められている。
 ただし、ヴァイオリンやギターなどのように、自然に止まっているのではなく、フェルトで弦を押さえて強制的に止めているのだ。
 この音を止める機構、およびパーツをダンパーと呼ぶ。

「ライザ、こっち側に回って中を見てみな」

 蔵人に言われ、大屋根が開いているほうへ移動したライザは、興味深げな表情でピアノの内部をのぞき込んだ。

「動いている部分があるのはわかるか?」

 ピアノの中央下部――椅子に座ったピアニストの足下あしもと――にある3つのペダルのうち、右側のペダルに足を置いて踏んだり上げたりした。

「あ、なんか動いてるね!」
「これが踏んだ状態」
「上がってる!」
「で、これが戻した状態」
「あ、下りた」
「その動いてるのがダンパーだ」

 蔵人が先ほどから踏んでいるペダルをダンパーペダルといい、踏めばピアノ全体のダンパーが上がり、弦から離れるかたちになる。
 その状態で鍵盤を叩くと、指を離したあとも音が鳴り続けるのだ。

 いったんペダルから足を外してダンパーを戻したあと、蔵人は中音あたりの白鍵を何度か叩いた。

「いまハンマーが動いてるところはわかるか?」
「うん、わかるよ」
「それのダンパーのところをよく見るんだ」

 ライザの視線が自分のの示す白鍵を捉えただろうことを察した蔵人は、ゆっくりとその鍵を押していった。

「あ、いま上がったよ!」

 鍵のひとつひとつに設置されたピアノアクションがゆっくりとハンマーを押し上げていく途中で、弦にかかったダンパーが外れる。
 かなりゆっくり白鍵を押したので、ハンマーの勢いが足りず音は鳴らなかった。
 一番深くまで白鍵を押し込んだあと、今度はゆっくり力を抜いてと鍵を上げていく。

「あ、今度は下りた」

 先ほどとは逆に、ハンマーが下りていく途中で再びダンパーが弦を押さえた。
 続けて蔵人は普通に白鍵を叩いた。
 ポーンと澄んだ音が鳴り、その時点でハンマーは弦を捉え、ダンパーは弦から外れている。
 そして蔵人が白鍵から指を離すと、ハンマーが弦から外れ、逆にダンパーが弦を押さえた。

「音、止まったね」

 再びポーンと音が鳴る。

「鍵盤を押せば音が鳴って――」

 そしてふっと音が止まる。

「――離せば音が止む。これがピアノの“当たり前”ってやつだ」
「すごい……、こんなに複雑なことになってるんだねぇ」

 顔を上げたライザは、感嘆の表情を浮かべて蔵人を見た。

「で、今日はそのダンパーを操るタンパーペダルの調整を行っておこうと思ったのさ」
「ふーん、よくわからないけど、意味があるんだよね?」
「まぁな」

 演奏中に指が離れたあとの持続音サスティーンが欲しい場面というのは多々あるので、ピアニストは頻繁にダンパーペダルを踏む。
 ペダルを踏んだとき、どのくらいの深さまで踏めばダンパーが上がるのか、というのは非常に繊細かつ重要な問題であり、望んだタイミングでダンパーが上がらないと、当然演奏のクオリティは下がってしまうのだ。

「あのさ、ペダルって3つあるじゃない? 他の2つはまた別の働きがあるの?」
「ああ、もちろんだとも」

 現代のグランドピアノには通常3つのペダルがあり、それぞれ異なる役割を持っている。
 まず右側のペダルが、いましがた説明したダンパーペダルだ。

「真ん中のはソステヌートペダルというんだが……じゃあもう一度ダンパーに注目してくれ」
「あいよ」

 蔵人は鍵盤を押し、ソステヌートペダルを踏む。
 そのあと鍵盤をから指を離したが、音はやまずに鳴り続けた。

「あ、なんか叩いたとこだけダンパーがあがってる?」
「正解」

 ペダルから足が離れ、ピタリと音が止む。

「このソステヌートペダルは、鍵盤を叩いたあとに踏むとそこだけダンパーが戻らないようになっているんだが……、実を言うとあまり使ったことはない」
「ふーん、なんか便利っぽいけどね。あーいや、よくわかんないけど」

 なかなか使いどころの難しいペダルであり、作曲者が指定しない限り使わない、というピアニストも多い。
 古いピアノや低価格帯のピアノには2本ペダルの物があり、その場合に省略されるのがこのソステヌートペダルだ。
 ただ使いこなせれば表現の幅は広がるので、あるに越したことはなく、蔵人も何度か古い2本ペダルのピアノを3本ペダルに改造したことがあった。

「で、最後のペダルがこれ」

 言い終えるや蔵人は左のペダルを踏んだ。

「わわっ!? なんかゴトッって……?」
「こいつはシフトペダルといってな、ハンマー全体の位置を少しだけ右にズラすのさ」

 そう言って蔵人がペダルから脚を外すと、右にズレていたハンマーが元の位置に戻る。
 88本のハンマーが一気に動く様子はなかなか壮観である。

「それってどういう効果が……」
「まずは聞いてみてくれ。これが普通の状態」

 蔵人は例のごとく中音あたりの白鍵を叩いた。
 ポーンという聞き慣れた音が鳴り、ある程度のところで指を離して音を止める。

「次はペダルを踏んだ状態」

 ゴッ……と低い音ともにハンマーがずれ、その状態で同じ白鍵を叩く。

「あ……、なんか音が小さくなった?」
「そういうこと」

 通常3本の弦を叩くところを、ハンマーを少しずらして2本の弦だけを鳴らす、というのがこのシフトペダルの役割だった。
 振動する弦の本数が減れば、同じ力で叩いても音量は小さくなり、音色もソフトになる。

「つまり音量や音色を変えるのに使うのがこのシフトペダルってわけだ」
「へええ」

 ちなみに低音部分には1弦しか張られていない鍵もあり、その場合も普段使われていないハンマーの柔らかい部分が弦を叩くので、同じような効果が得られるのだが、そこまで細かい説明を蔵人は省略した。

「ちわー! ライザぁーいるかー?」

 ちょうど説明が終わったところで、だれかが裏口の戸を叩いた。

「おおっと、酒屋が来たみたいだね。じゃ、あたしいくわ。またいろいろ教えてね!」
「おう」

 裏口へと小走りに駆けていったライザを見送って、蔵人はダンパーペダルの調整を始めた。
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