簡雍が見た三国志 ~劉備の腹心に生まれ変わった俺が見た等身大の英傑たち~

平尾正和/ほーち

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第一章 黄巾の乱

旅立ち

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 田豫でんよとの会話も一段落つき、そのあたりで関羽が手配した義勇兵たちも集まってきた。
 そうこうしているうちに、劉備が戻ってくる。

「ほどなく日も暮れるだろうから、出立は明日にして、今夜は宴にしよう!」

 義勇兵たちからは歓声があがり、宴が始まった。
 まぁ、最初から予定されていたことではあるが。

「肉はお前ぇら全員がたらふく食っても余るくれぇ用意してあるぞ! 遠慮すんな!!」

 張飛の言葉に、改めて歓声があがる。

「他にも村の人たちがたくさん料理を作ってくださっている。しっかり食べて、英気を養うのだ」

 塩を始めとする調味料や、その他の食材を用意したのは、関羽だった。

「習の旦那からお酒もいただいてます。ただし、飲み過ぎないようにしてくださいよ!」

 田豫の言葉に、ひと際大きな歓声が上がった。
 なんやかんやで、みんな酒が好きだよな。

 そういうわけで、賑やかな宴会が始まった。
 今日初めて顔を合わせる連中もいるわけだから、飲食をともにして距離を縮めるというのは悪くない。
 あくせくと働く村の人たちだが、旦那からしっかり金をもらっているので、みんなイキイキとしていた。
 やがて夜が訪れ、真っ暗になったが、宴会が行われているあたりにはかがり火がたかれ、結構な明るさになっていた。

「おらおらぁ! もっと踏ん張らんかいっ!」

 宴会場の一角では、張飛の仕切る大岩の持ち上げ大会みたいなのが行われ、随分と盛り上がっていた。

「ふん、そんなものではかすり傷もつけられんぞ」

 また別の場所では、関羽が杯を片手に、数人の義勇兵を棒であしらっていた。
 武術指南でもしているんだろうか。
 ちょっとした行列ができている。

「ふむふむ、国譲はなかなかの見識をもっているね」
「えへへ、それほどでも……」

 会場の中心近くでは、劉備と田豫が楽しげに話していた。
 その周りには人が集まり、うんうんと熱心にふたりの話を聞いている者もあれば、だらしない笑顔を浮かべて見ているだけの者もあった。
 やがて宴は村の人たちを巻き込んで、どんどん盛り上がっていった。
 ほとんどの村人がこの場にいるんじゃないだろうか。

 そんな宴会場を、俺は少し離れたところから眺めていた。
 きょろきょろと視線を動かす俺の肩を、ポンと叩く者がいた。

「母さんなら、家にいるよ」

 劉備だった。

「私は今夜、ここで夜を明かして、朝には出立する」
「そうか。ようさんに声はかけていかないのか?」
「別れの挨拶はさっきすませたよ」
「別れって、お前……」

 だが、これから俺たちが向かうのは戦場だ。
 俺と違って未来を知らないこいつは、死ぬ覚悟をしているのかもしれない。
 それに俺だって、ちょっと油断すれば命を落とすかも知れないんだよな。

「顔を見て決心が鈍るといけないから、私はもう家には帰らないよ。じゃあ」

 それだけ言い終えると、劉備は宴会の輪の中に戻っていった。
 しばらくぼんやりと立ち尽くしたあと、俺は宴会場に背を向けて歩き始めた。

**********

 月明かりに照らされた桑の木が、青白く光っているように見えた。
 そのむこうで、縁側に座った彼女が、ぼんやりと星空を見上げていた。

「やぁ、ようさん」

 足音にも気づかなかったのか、近くに寄ってもぼんやりと上を見たままの彼女に、声をかける。

「ああ、憲和さん」

 顔を下ろした蓉さんは、俺と目があうと儚げに微笑んだ。

「みんなの所に、いなくていいの?」
「はは、若い連中のノリはしんどくてね」

 そう言いながら、俺は蓉さんの隣に座った。
 こちらにきてもうすぐ十年。
 彼女ともずいぶん親しくなった。

「君こそいいのか、あっちにいかなくて」
「ああいう賑やかなところは苦手だから……」

 彼女はそう言って俯くと、すぐにふるふると頭を振った。

「嘘……。あの子を見ると、私、泣いちゃうわ、きっと……」

 顔を上げ、こちらを見た蓉さんと目が合った。

「だめな母親ね、私って」

 力なく微笑む彼女の瞳が、月明かりを反射して潤んでいるように見えた。

「普通じゃないか?」
「え?」
「子供の旅立ちを寂しく思うなんて、母親として普通のことだと思うけど」

 きょとん、と驚いたように目を見開いた蓉さんだったが、すぐに頬が緩む。
 そして細めた目の端から、少しだけ涙がこぼれた。

「憲和さんって、そうやっていつも私のことを肯定してくれるよね」

 言いながら、彼女は俺にしなだれかかってきた。
 かかる重みを心地よく感じながら、俺は彼女の肩を抱いた。

「そう? 普通のことだと思うけど」
「ふふ、いつもそうやって、なんでもないことみたいに言うんだから」
「実際、大したこと言ってないし」
「それでも私は嬉しいのよ」

 まぁ、このあたりは女性の人権に対する考え方の違いだろう。
 俺にとって当たり前のことが、この時代じゃ非常識ってこともあるからな。
 なんにせよ、俺の薄っぺらい言葉が、彼女の心を少しでも軽くしているんなら、なによりだ。

「ぅ……」

 少し冷たい風が吹き、彼女は寒さから逃れるよう、ぎゅっと抱きついてきた。
 それからしばらく、無言のときが続いた。
 息遣いの音が、耳を突く。

「玄徳、今夜は帰ってこないって」
「そう……」

**********

 翌朝、村はずれにいくと、150名の義勇兵が整然と並んでいた。
 昨夜は遅くまで騒いでいたが、酒の量はそうでもなかったので、全員シャキッとした顔つきだ。
 俺を見つけた劉備は無言で頷いただけだった。
 俺も、無言のままうなずき返した。

「みんな、聞いてくれ」

 義勇兵たちのほうを向いた劉備が口を開くと、それほど大きな声で告げたわけでもないのに、その場にいた全員が口を閉じた。

「我々はいまより、漢朝に報い、民を助け、天下を安んじるための戦いに出る」

 一度言葉を切った劉備が、義勇兵たちを見回し、再び口を開いた。

「厳しい戦いになるだろう。命を落とす者もいるだろう。それでも私は、逃げるわけにはいかない!」

 劉備は腰に佩いた剣をスラリと抜き、天に掲げた。
 朝日を受けた刃が、キラリと光る。

「国のため! 民のため! 天下のため! 我とともに歩まんとする者は、声をあげよ!!」

 剣を掲げる劉備の言葉が響いたあと、静寂が訪れた。
 そして間もなく――。

『おおおおおおおおおお!!!!』

 関羽、張飛、田豫、そして義勇兵たちが、雄叫びを上げた。
 気がつけば俺も、声を上げていた。

 声が収まったところで、関羽が一歩進み出た。

「まずは官軍のすう校尉こういと合流する! 出立っ!!」
『おうっ!』

 関羽の号令とともに、義勇軍は歩き始めた。
 劉備を先頭に、意気揚々と。
 自分たちは義のために立ち上がった。
 その想いが、彼らを突き動かしているようだった。
 だれもが誇らしげに、胸を張っている。
 義勇兵のほとんどが、大人たちからうとまれた、荒くれ者だった。
 そんな自分たちが、世のため人のために戦う。
 周りを見返してやりたい、そんなことを考える者もいただろう。
 希望と熱意を掲げて進む若者たち。
 だが、彼らのゆく先に待っていたのは、ただの地獄だった。
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