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6.7月編
64話 偽りの心
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小学4年生の頃の話だ。
同じクラスの女の子がいじめられていた。
いじめの理由は容姿が悪い、という馬鹿げた理由だった。
他の人はそれを見て見ぬ振りをし、ただ傍観するだけだった。
助けない理由は明白。
もし助けたら次にああなるのは自分だと、みんな分かっていたからだ。
しかし、そのみんなに私は含まれていない。
いや、少し違うか。
勿論私もあの子を助ければ自分自身がどうなるかは分かっていた。
分かってはいたのだが……体が勝手に動いてしまったのだ。
私はいじめられていた女の子を庇った。
別に彼女と仲が良かった訳ではない。
それどころかまともに会話さえした事がなかった。
私がやったことは他の人から見れば馬鹿げていると笑われても仕方のない事なのかもしれない。
でも私は……誰かが傷付いてるのを見て見ぬふりをするのは嫌だった。
いじめられていた女の子を庇った次の日から標的が私にへと変わった。
上履きを片方だけ隠されたり、教科書がゴミ箱に捨てられたり、私に聞こえる声でありもしない悪口を言われたり、次の私になりたくないみんなから無視をされたりと……毎日毎日散々な目に遭っていた。
私がいじめられだしてから1週間が経とうとしていた時、ある女の子に声を掛けられた。
私がいじめから庇った女の子だ。
「日光ちゃん……ごめん……」
彼女は泣きながらそう言った。
そう思ってるなら助けてよ――
その言葉を私は飲み込む。
「別に……」
私はそう言いながらそっぽを向いた。
そんな私を見て、彼女は私が怒っていると勘違いしたのだろうか、再び弱々しい声で「ごめん」と言うと私から距離をとった。
これで良かったのだ……。
私はそう自分に言い聞かせた。
笑って大丈夫と言えれば良かったのだが、私にはそんな余裕はなかった。
だけど、あれでいい。さっきの私の態度を見て、もう彼女は私を助けようとは思わない筈だ。
私を助けたら彼女はまた虐められ、私が彼女を庇った意味が無くなってしまう。
それに彼女自身は何も悪くない。
悪いのはいじめをしている奴らだ。
しかし、私は何も出来ない。
今の私が受けている仕打ちを見て、誰かが私を助けようとする筈もない。
きっと、先生に話したところであいつらは一時の間だけ反省したふりをして、私にではない誰かにまた同じことを繰り返すに決まっている。
だから、私が耐えるしかないんだ。
私が耐えれば私以外の人が傷付かないで済む。
私がいじめられてから2週間が経った。
今日やられた事は今までの中で1番酷いものだった。
教室から中庭に向け鞄が捨てられ、それを拾いに行く途中で上の階から水を被せられた。
おかげで全身がびしょ濡れだ。
もう嫌だった……。
本当は苦しかった……。
これ以上は耐えきれない……。
本当は誰かに助けを求めたかった。
だけど、クラスの中に私の味方は1人もいない。
私はこのままずっと1人で……。
「あの……大丈夫?」
突然目の前から声を掛けられた。
私は立ち止まり、声の主を見た。
私に声を掛けたのは私よりも少し小さい男の子だった。
彼は心配そうな顔をして私の事を見つめている。
そんな彼に対し、私は無視を決め込んだ。
「ちょっと!」
男の子の横を通り過ぎ中庭に行こうとする私に彼は再び声を掛けてきた。
しかし、私は振り向かないし歩みを止めない。
もし、ここで彼に助けを求めてしまったらきっと彼は助けてくれるだろう。
そう確信を持って言える。
さっき一瞬だけ彼と目が合った。
その目は優しく、それでいて力強い意思が籠もった、そんな目をしていた。
助けてくれるかもしれない……だからこそ私は彼に助けを求めない。
彼に助けを求めるのは、謂わば私が今まで受けてきた苦痛を彼に味合わすに等しい行為だ。
そんな事は絶対に出来ない。
私は私のために誰かに傷付いて欲しくなかった。
だからこれでいい……。
中庭に着いた私は落ちている自分の鞄を拾い上げた。
鞄に砂が付いているのでそれを払い除ける。
砂を払い除ける際に数滴の水が鞄に落ちた。
さっき掛けられた水が髪を伝って落ちたのだと思ったが、すぐにそうでない事に気付く。
鞄に落ちたのは私の涙だった。
本心がぼろぼろになっている偽物の心を壊しかけていた。
誰かが傷つくのは嫌だ。
それだったら私が傷ついた方が幾分かマシだ。
それは建前。
誰かにも傷ついて欲しくなかったし私自身も傷つきたくはなかった。
そんな叶いもしないエゴが私の本音だった。
「おい」
後ろから女の声が聞こえ、私が背後を振り返るとそこには私をいじめている男女5人がいた。
その手には泥団子が握られている。
「いつも澄ました顔しやがって……気にくわねぇなぁ!」
怒声とともに、1人の男が手に持っていた泥団子を私にへと投げた。
泥団子は左肩肩にへとぶつかり痛みとともに砕けた。
「正義のヒーロー気取りで気持ち悪いんだよっ!」
「どうせ、除け者にされてる子を助けている私っていい子とか思ってんだろ! 調子乗るなよブスッ!」
「何か言い返してみろよっ!」
さっきの男の1投を合図に、周りの子たちも次々と手に持っている泥団子を罵倒とともに私に目掛けて投げた。
泥団子が体に当たるたびに痛みが襲い、濡れている服には砂がびっしりとこびりつき、私の服はみるみるうちに汚れていく。
限界だった……。
今まで守ってきた薄っぺらな偽りの壁が、彼らの罵倒や体の痛みとともに剥がされていく。
誰か……。
私は俯いていた顔を上げた。
その時、私の目にある人が写った。
泥団子を投げる5人組の後ろ。
そこには先程私に声を掛けてくれた男の子が苦悶に満ちた顔で立っていた。
彼と目が合う。
「助けて……」
つい、私は助けを求めてしまった。
本当は心の限界などとうの昔に超えていたのだ。
それを理解しながらも、私は自分に対して嘘をつき続けていた。
そして、それは今も変わらない。
私はふと我に返り、男の子から目を逸らして下を向いた。
さっきの声の大きさならきっと彼には届いていない。まだ間に合う。
無関係な彼を巻き込巻き込ませる訳には――
「やめろおっ!!」
そんな叫び声とともに、私と彼らの間に人が立ち塞がるのを感じた。
顔を上げるとそこには私を庇うように両手を広げながら背を向けて立っている男の子がいた。
「なんで……」
自分で助けを求めておきながら、私はその言葉をほぼ無意識のうちに口にしていた。
彼は私の方を振り返り、優しい笑顔を見せ、こう言った。
「助けに来た」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが音を立てて壊れてしまったのを感じた。
今まで押し殺してきた感情が一気に押し寄せる。
気が付いた時には私は声を上げて泣いていた。
周りの目なんか御構い無しに恥じらいもせず、幼い子どものように声を上げて泣いた。
もう無理をしなくていいという安堵感だけが今の私を満たしていた。
「大丈夫……じゃあないよね」
その声を聞き私が顔を上げると、男の子が私に向けてハンカチを差し出していた。
気が付くといつの間にやら中庭には私と男の子の2人だけになっていた。
私は男の子からハンカチを受け取り、涙を拭った。
それにしても声を上げて泣いたのなんていつぶりだろう。
喉が痛いし、目も腫れているに違いない。
そんな事を考えながら一通り涙を拭い、涙が出ていないのを確認してから、礼を言うために男の子の方を向いた。
男の子と目が合う。
私の中で心臓が強く鼓動を打つ音が聞こえた。
顔が熱くなっていく。
泣いている時は全然気にならなかったが、少し落ち着き冷静に戻りつつある今、声を上げて泣くというみっともない姿を見られていたという羞恥心が突然私を襲った。
「ごめんなさいっ……」
一刻も早く彼から離れたいと何故か思ってしまい、私は逃げるようにこの場から去った。
後ろから彼が何かを言っていたが、私は振り向かず走り続けた。
そして、周りに人がいない所まで来て、彼が追って来てない事を確認し、私は立ち止まった。
走ったせいと恥ずかしさのせいか心臓の鼓動が早い。
私は深呼吸をして落ち着くように自分にへと言い聞かせた。
だんだんと鼓動が元の速さにへと戻っていく。
あぁ……私はなんてことをしたんだろう……。
落ち着きが戻りつつある中で、私は頭を抱えて自分を責めた。
助けてくれた男の子に対して私は礼も言わず、逃げるように去るという失礼な態度を取ってしまった。
あの男の子もきっとそんな私に対して礼儀知らずな女だと思ったに違いない。
っ……?
何故か突然胸に違和感を感じた。
なんだろうと思い、胸を抑えてみたが特にこれといって変わった事はない。
気のせいか……そう思うことにし、私は再びあの男の子のことを考える。
するとまた胸に違和感を感じた。
まさか……。
私はそれが何かを何となくわかってしまった。
そして、それを自覚した瞬間に再び鼓動が跳ね上がったのを感じた。
助けに来た。そう言った時の男の子の優しい笑顔を私は思い出す。
心臓の音が更に大きくなる。
顔に熱が集まっていくのを感じる。
今思えばあの時からおかしかった。ハンカチを受け取って涙を拭いたあの時。
彼と目が合った瞬間。
あの時も鼓動が早くなり顔が熱くなった。
それを私は泣き顔を見られた羞恥心だと思った。
いや、確かにそれもあった。
それもあったが私は――
私は大きく息を吸い込み、それを吐き出して空を見上げた。
未だに心臓の高鳴りは収まらず、顔も火照っている。
彼とは喋ったこともなかった。
名前も知らない。
1度助けられただけ。
その1度だけが全てだった。
ちょろい女だと思われるかもしれない。
それでも私は――あの人の事が好きになってしまったのだ。
あれから2週間が経った。
私は以前と変わらない普通の学校生活を送れるようになっていた。
しかし、私の心は晴れてはいない。
まだいじめは続いているからだ。
いじめの標的は私から私を助けた彼にへと変わった。
私は好きな人が傷付いている姿を見たくはなかった。
何度も彼を助けようとした。
しかし、助けようとする寸前でいつも体が動かなかった。
いじめられていた時の忌々しい記憶が私の心を未だに縛っていた。
「紅葉。大事な話があるから来てくれないか」
リビングにいる父さんに呼ばれて私は部屋を出た。
大事な話ってなんだろう?
そう思いながらリビングに入ると、何やら深刻そうな顔をした両親がそこにいた。
「ねぇ、貴方……」
母さんはそう言いながら何かを訴えかけるように父さんの方をチラッと見た。
お父さんはその視線に対し、あぁ分かってる、と頷くと私の方を向いた。
「紅葉……実は――」
父さんは私に、1週間後に引越しをして学校も転校するという旨の話をした。
この話は1ヶ月前から決まっていたが、ぎりぎりまで黙っておくことで何も知らない私が普段通りの学校生活を送れるようにと、今まで秘密にしていたらしい。
そんな父さんの話を聞いて私が感じたのは、今まで秘密にされていた怒りでも、転校する悲しみでもなく、とても大きな焦りだった。
あと1週間でいじめをどうにかしないといけない。
それに、私はまだあの男の子に伝えれていない言葉があった。
私は1人、校内を歩いていた。
時間だけが残酷にも過ぎていった。
今日は私がこの学校に来る最後の日。
そして今は放課後。
あとは帰宅するだけ。
結局私にはどうする事も出来なかった。
いじめを止めようとしてもトラウマが蘇り体が動かなくなり、あの男の子と話そうにも、私のせいでいじめられている彼にどんな顔をして会えばいいのか分からなかった。
「あ……」
私はつい声を上げてしまった。
少し前の方をあの男の子が歩いていたからだ。
彼はあの時の私と同じで全身がびしょ濡れだった。
私はそんな彼を見て、無意識のうちに走り出していた。
彼のすぐ近くにまで駆け寄り、私は声をかける。
「ねぇ……」
彼は私の呼びかけに対して肩をビクらせ、私の方を振り返った。
彼の顔はげんなりとしていて疲れきった様子であり、先程まで泣いていたのか目が少し充血していた。
そんな彼を見て私の胸に大きな痛みが走った。
「なんで私なんかのために……」
気がつくと私は言おうと思っていた言葉とは全然関係のない言葉を口走ってしまっていた。
「君のためというか……僕のため?」
男の子は首を傾げながらそう言った。
「何それ……」
「心配してくれてありがとう。でも、僕は大丈夫だよ。何をされても、何を言われても平気だから」
彼は笑いながら言った。
辛いのはずなのに……。
苦しいはずなのに……。
彼は無理をして笑ってた。
私を傷つけないために。
そんな彼を見て私の心は再び痛んだ。
「じ、じゃあね、バイバイ!」
彼は突然震えた声でそう言ったあと私から背を向けて走り出した。
「あ、ちょっと……!」
私も走ったが彼の足は早く、距離がどんどん離されていく。
「待って! まだ私は……!」
声を上げ彼に向けて手を伸ばすが、距離が縮まる事はなく、彼の姿はだんだんと小さくなっていった。
それでも私は追いかける事を諦めない。
言わなければならない言葉を何一つ言えていない。
本当に伝えたかった事。私はまだ……その言葉をあの人に伝えられていない!
「私は貴方に――」
私は叫んだ。
しかし、その言葉が彼に届く事はなかった。
彼の姿が段々と霞んでいく。
そして、私の前から彼の姿は消えてしまった。
同じクラスの女の子がいじめられていた。
いじめの理由は容姿が悪い、という馬鹿げた理由だった。
他の人はそれを見て見ぬ振りをし、ただ傍観するだけだった。
助けない理由は明白。
もし助けたら次にああなるのは自分だと、みんな分かっていたからだ。
しかし、そのみんなに私は含まれていない。
いや、少し違うか。
勿論私もあの子を助ければ自分自身がどうなるかは分かっていた。
分かってはいたのだが……体が勝手に動いてしまったのだ。
私はいじめられていた女の子を庇った。
別に彼女と仲が良かった訳ではない。
それどころかまともに会話さえした事がなかった。
私がやったことは他の人から見れば馬鹿げていると笑われても仕方のない事なのかもしれない。
でも私は……誰かが傷付いてるのを見て見ぬふりをするのは嫌だった。
いじめられていた女の子を庇った次の日から標的が私にへと変わった。
上履きを片方だけ隠されたり、教科書がゴミ箱に捨てられたり、私に聞こえる声でありもしない悪口を言われたり、次の私になりたくないみんなから無視をされたりと……毎日毎日散々な目に遭っていた。
私がいじめられだしてから1週間が経とうとしていた時、ある女の子に声を掛けられた。
私がいじめから庇った女の子だ。
「日光ちゃん……ごめん……」
彼女は泣きながらそう言った。
そう思ってるなら助けてよ――
その言葉を私は飲み込む。
「別に……」
私はそう言いながらそっぽを向いた。
そんな私を見て、彼女は私が怒っていると勘違いしたのだろうか、再び弱々しい声で「ごめん」と言うと私から距離をとった。
これで良かったのだ……。
私はそう自分に言い聞かせた。
笑って大丈夫と言えれば良かったのだが、私にはそんな余裕はなかった。
だけど、あれでいい。さっきの私の態度を見て、もう彼女は私を助けようとは思わない筈だ。
私を助けたら彼女はまた虐められ、私が彼女を庇った意味が無くなってしまう。
それに彼女自身は何も悪くない。
悪いのはいじめをしている奴らだ。
しかし、私は何も出来ない。
今の私が受けている仕打ちを見て、誰かが私を助けようとする筈もない。
きっと、先生に話したところであいつらは一時の間だけ反省したふりをして、私にではない誰かにまた同じことを繰り返すに決まっている。
だから、私が耐えるしかないんだ。
私が耐えれば私以外の人が傷付かないで済む。
私がいじめられてから2週間が経った。
今日やられた事は今までの中で1番酷いものだった。
教室から中庭に向け鞄が捨てられ、それを拾いに行く途中で上の階から水を被せられた。
おかげで全身がびしょ濡れだ。
もう嫌だった……。
本当は苦しかった……。
これ以上は耐えきれない……。
本当は誰かに助けを求めたかった。
だけど、クラスの中に私の味方は1人もいない。
私はこのままずっと1人で……。
「あの……大丈夫?」
突然目の前から声を掛けられた。
私は立ち止まり、声の主を見た。
私に声を掛けたのは私よりも少し小さい男の子だった。
彼は心配そうな顔をして私の事を見つめている。
そんな彼に対し、私は無視を決め込んだ。
「ちょっと!」
男の子の横を通り過ぎ中庭に行こうとする私に彼は再び声を掛けてきた。
しかし、私は振り向かないし歩みを止めない。
もし、ここで彼に助けを求めてしまったらきっと彼は助けてくれるだろう。
そう確信を持って言える。
さっき一瞬だけ彼と目が合った。
その目は優しく、それでいて力強い意思が籠もった、そんな目をしていた。
助けてくれるかもしれない……だからこそ私は彼に助けを求めない。
彼に助けを求めるのは、謂わば私が今まで受けてきた苦痛を彼に味合わすに等しい行為だ。
そんな事は絶対に出来ない。
私は私のために誰かに傷付いて欲しくなかった。
だからこれでいい……。
中庭に着いた私は落ちている自分の鞄を拾い上げた。
鞄に砂が付いているのでそれを払い除ける。
砂を払い除ける際に数滴の水が鞄に落ちた。
さっき掛けられた水が髪を伝って落ちたのだと思ったが、すぐにそうでない事に気付く。
鞄に落ちたのは私の涙だった。
本心がぼろぼろになっている偽物の心を壊しかけていた。
誰かが傷つくのは嫌だ。
それだったら私が傷ついた方が幾分かマシだ。
それは建前。
誰かにも傷ついて欲しくなかったし私自身も傷つきたくはなかった。
そんな叶いもしないエゴが私の本音だった。
「おい」
後ろから女の声が聞こえ、私が背後を振り返るとそこには私をいじめている男女5人がいた。
その手には泥団子が握られている。
「いつも澄ました顔しやがって……気にくわねぇなぁ!」
怒声とともに、1人の男が手に持っていた泥団子を私にへと投げた。
泥団子は左肩肩にへとぶつかり痛みとともに砕けた。
「正義のヒーロー気取りで気持ち悪いんだよっ!」
「どうせ、除け者にされてる子を助けている私っていい子とか思ってんだろ! 調子乗るなよブスッ!」
「何か言い返してみろよっ!」
さっきの男の1投を合図に、周りの子たちも次々と手に持っている泥団子を罵倒とともに私に目掛けて投げた。
泥団子が体に当たるたびに痛みが襲い、濡れている服には砂がびっしりとこびりつき、私の服はみるみるうちに汚れていく。
限界だった……。
今まで守ってきた薄っぺらな偽りの壁が、彼らの罵倒や体の痛みとともに剥がされていく。
誰か……。
私は俯いていた顔を上げた。
その時、私の目にある人が写った。
泥団子を投げる5人組の後ろ。
そこには先程私に声を掛けてくれた男の子が苦悶に満ちた顔で立っていた。
彼と目が合う。
「助けて……」
つい、私は助けを求めてしまった。
本当は心の限界などとうの昔に超えていたのだ。
それを理解しながらも、私は自分に対して嘘をつき続けていた。
そして、それは今も変わらない。
私はふと我に返り、男の子から目を逸らして下を向いた。
さっきの声の大きさならきっと彼には届いていない。まだ間に合う。
無関係な彼を巻き込巻き込ませる訳には――
「やめろおっ!!」
そんな叫び声とともに、私と彼らの間に人が立ち塞がるのを感じた。
顔を上げるとそこには私を庇うように両手を広げながら背を向けて立っている男の子がいた。
「なんで……」
自分で助けを求めておきながら、私はその言葉をほぼ無意識のうちに口にしていた。
彼は私の方を振り返り、優しい笑顔を見せ、こう言った。
「助けに来た」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが音を立てて壊れてしまったのを感じた。
今まで押し殺してきた感情が一気に押し寄せる。
気が付いた時には私は声を上げて泣いていた。
周りの目なんか御構い無しに恥じらいもせず、幼い子どものように声を上げて泣いた。
もう無理をしなくていいという安堵感だけが今の私を満たしていた。
「大丈夫……じゃあないよね」
その声を聞き私が顔を上げると、男の子が私に向けてハンカチを差し出していた。
気が付くといつの間にやら中庭には私と男の子の2人だけになっていた。
私は男の子からハンカチを受け取り、涙を拭った。
それにしても声を上げて泣いたのなんていつぶりだろう。
喉が痛いし、目も腫れているに違いない。
そんな事を考えながら一通り涙を拭い、涙が出ていないのを確認してから、礼を言うために男の子の方を向いた。
男の子と目が合う。
私の中で心臓が強く鼓動を打つ音が聞こえた。
顔が熱くなっていく。
泣いている時は全然気にならなかったが、少し落ち着き冷静に戻りつつある今、声を上げて泣くというみっともない姿を見られていたという羞恥心が突然私を襲った。
「ごめんなさいっ……」
一刻も早く彼から離れたいと何故か思ってしまい、私は逃げるようにこの場から去った。
後ろから彼が何かを言っていたが、私は振り向かず走り続けた。
そして、周りに人がいない所まで来て、彼が追って来てない事を確認し、私は立ち止まった。
走ったせいと恥ずかしさのせいか心臓の鼓動が早い。
私は深呼吸をして落ち着くように自分にへと言い聞かせた。
だんだんと鼓動が元の速さにへと戻っていく。
あぁ……私はなんてことをしたんだろう……。
落ち着きが戻りつつある中で、私は頭を抱えて自分を責めた。
助けてくれた男の子に対して私は礼も言わず、逃げるように去るという失礼な態度を取ってしまった。
あの男の子もきっとそんな私に対して礼儀知らずな女だと思ったに違いない。
っ……?
何故か突然胸に違和感を感じた。
なんだろうと思い、胸を抑えてみたが特にこれといって変わった事はない。
気のせいか……そう思うことにし、私は再びあの男の子のことを考える。
するとまた胸に違和感を感じた。
まさか……。
私はそれが何かを何となくわかってしまった。
そして、それを自覚した瞬間に再び鼓動が跳ね上がったのを感じた。
助けに来た。そう言った時の男の子の優しい笑顔を私は思い出す。
心臓の音が更に大きくなる。
顔に熱が集まっていくのを感じる。
今思えばあの時からおかしかった。ハンカチを受け取って涙を拭いたあの時。
彼と目が合った瞬間。
あの時も鼓動が早くなり顔が熱くなった。
それを私は泣き顔を見られた羞恥心だと思った。
いや、確かにそれもあった。
それもあったが私は――
私は大きく息を吸い込み、それを吐き出して空を見上げた。
未だに心臓の高鳴りは収まらず、顔も火照っている。
彼とは喋ったこともなかった。
名前も知らない。
1度助けられただけ。
その1度だけが全てだった。
ちょろい女だと思われるかもしれない。
それでも私は――あの人の事が好きになってしまったのだ。
あれから2週間が経った。
私は以前と変わらない普通の学校生活を送れるようになっていた。
しかし、私の心は晴れてはいない。
まだいじめは続いているからだ。
いじめの標的は私から私を助けた彼にへと変わった。
私は好きな人が傷付いている姿を見たくはなかった。
何度も彼を助けようとした。
しかし、助けようとする寸前でいつも体が動かなかった。
いじめられていた時の忌々しい記憶が私の心を未だに縛っていた。
「紅葉。大事な話があるから来てくれないか」
リビングにいる父さんに呼ばれて私は部屋を出た。
大事な話ってなんだろう?
そう思いながらリビングに入ると、何やら深刻そうな顔をした両親がそこにいた。
「ねぇ、貴方……」
母さんはそう言いながら何かを訴えかけるように父さんの方をチラッと見た。
お父さんはその視線に対し、あぁ分かってる、と頷くと私の方を向いた。
「紅葉……実は――」
父さんは私に、1週間後に引越しをして学校も転校するという旨の話をした。
この話は1ヶ月前から決まっていたが、ぎりぎりまで黙っておくことで何も知らない私が普段通りの学校生活を送れるようにと、今まで秘密にしていたらしい。
そんな父さんの話を聞いて私が感じたのは、今まで秘密にされていた怒りでも、転校する悲しみでもなく、とても大きな焦りだった。
あと1週間でいじめをどうにかしないといけない。
それに、私はまだあの男の子に伝えれていない言葉があった。
私は1人、校内を歩いていた。
時間だけが残酷にも過ぎていった。
今日は私がこの学校に来る最後の日。
そして今は放課後。
あとは帰宅するだけ。
結局私にはどうする事も出来なかった。
いじめを止めようとしてもトラウマが蘇り体が動かなくなり、あの男の子と話そうにも、私のせいでいじめられている彼にどんな顔をして会えばいいのか分からなかった。
「あ……」
私はつい声を上げてしまった。
少し前の方をあの男の子が歩いていたからだ。
彼はあの時の私と同じで全身がびしょ濡れだった。
私はそんな彼を見て、無意識のうちに走り出していた。
彼のすぐ近くにまで駆け寄り、私は声をかける。
「ねぇ……」
彼は私の呼びかけに対して肩をビクらせ、私の方を振り返った。
彼の顔はげんなりとしていて疲れきった様子であり、先程まで泣いていたのか目が少し充血していた。
そんな彼を見て私の胸に大きな痛みが走った。
「なんで私なんかのために……」
気がつくと私は言おうと思っていた言葉とは全然関係のない言葉を口走ってしまっていた。
「君のためというか……僕のため?」
男の子は首を傾げながらそう言った。
「何それ……」
「心配してくれてありがとう。でも、僕は大丈夫だよ。何をされても、何を言われても平気だから」
彼は笑いながら言った。
辛いのはずなのに……。
苦しいはずなのに……。
彼は無理をして笑ってた。
私を傷つけないために。
そんな彼を見て私の心は再び痛んだ。
「じ、じゃあね、バイバイ!」
彼は突然震えた声でそう言ったあと私から背を向けて走り出した。
「あ、ちょっと……!」
私も走ったが彼の足は早く、距離がどんどん離されていく。
「待って! まだ私は……!」
声を上げ彼に向けて手を伸ばすが、距離が縮まる事はなく、彼の姿はだんだんと小さくなっていった。
それでも私は追いかける事を諦めない。
言わなければならない言葉を何一つ言えていない。
本当に伝えたかった事。私はまだ……その言葉をあの人に伝えられていない!
「私は貴方に――」
私は叫んだ。
しかし、その言葉が彼に届く事はなかった。
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