余命1年から始めた恋物語

米屋 四季

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8月編

85話 本当に優しい人だったなら

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 商店街の東口。商店街の中を一通り歩いて周った僕たちは、再びこの場所にへと戻っていた。
 結局僕たちは商店街に並ぶ店の中には1度も入ることなくここまで辿り着き、未だに僕はどこへ行こうかと頭を悩ませている状態だ。
 一通り商店街を歩いてみて分かったことは、この商店街は服屋やファッションブランド店、雑貨屋、飲食店などの店が大半を占めている、ということ。
 1度も店には入りはしなかったものの、魅力を感じるお店が全く無かったというわけではなく、色々な木材を組み合わせて作られた物を売りにしている小洒落た雑貨屋には興味が引かれたし、たまに利用しているカラオケやゲームセンターなどの娯楽施設もちらほらとだが見かけた。
 しかし、僕の気持ちだけを優先して店に寄るのはどうか、という思いが店の中に足を踏み入れるには至らせなかった。
 楓に「この店に入ってみたいんだけど」と聞けば良かったのかもしれない。
 きっと、楓なら僕がどの店に入ろうとしても「いいよ」と賛成してくれただろう。
 だけど、だからこそ僕は聞かなかった。
 楓が人に合わせて興味のない店に入ってつまらない思いをするのが、僕は嫌だったのだ。
 僕は基本的になんでも楽しめてしまう人なので、楓の方から「あの店が気になるから入ってみようよ」と言ってくれるのを心のどこかで期待していたのだが……彼女はどんな店であっても物珍しいといった感じの輝いた目を向けるばかりで、店に入ろうとはしなかった。
 しかもほとんどの店に対してそういった反応を見せるので、楓が本当に興味がある店がどういったところなのか、僕には判断がつかなかった。
 少しでも楓の反応が変わればその店に入ろうと、僕は彼女の些細な変化も見逃さないよう注意深く彼女のことを見ていたのだが……僕たちが1度も店に入らずに元来た場所に戻っている時点で結果はお察しの通り。
 僕は組んでいた手を解き、意味も無く頭を掻いた。
 このまま悩み続けても仕方がない。ただただ時間を無駄にしているだけ。
 他人のことなんてお構いなしに自分の気持ちを優先する勇気も楓が喜びそうな所を選ぶ自信もないくせに、男だから女の子をリードしていかなければという思い込み、いや……どうしようもない自尊心が未だに僕の中に残っていた。
 それを僕は今になってやっと、完全に捨て去ることを決める。
 
「楓はどこか行きたいと思う店はあった?」

 隣でぼんやりと目の前の景色を眺めていた楓に僕は訊いてみた。
 楓はう~んと唸りながら考える素振りを見せる。そして――

「特にはなかったから、ヤンキー君の好きなところでいいよ」

 返ってきたのは概ね予想通りの言葉だった。
 結局は振り出しに戻っただけ。
 さて、本格的にどうしようか……。僕は再び腕を組みながら深く考え込んでいると、楓が僕の肩をトントンと数回ほど叩いた。
 「本当は気になる店があったんだよね。そこに行こうよ」その言葉を期待して僕は楓の方を向く。
 しかし、その自分にとって都合の良い期待は、次の楓の言葉ですぐに打ち砕かれることとなった。

「ヤンキー君は私が男慣れしているように見えるって言ってたけど、本当のことを言うとね。私も少しだけ緊張しているんだ。だから、エスコートよろしくね。ヤンキー君は女の子との交際経験があるみたいだし」

 楓はそう言ってからふわりとした微笑みを浮かべる。
 全然予期していなかった言葉に、その表情に、ぐっ、と喉の奥で何かが詰まったような音が鳴った。
 つい吐いてしまった『女性と付き合ったことがある』という嘘が自分の首を締め付けていた。
 ただでさえ早く決めなきゃという焦りがあったのに、更に拍車がかかる。
 きっと僕はいま、余裕のない表情をしているに違いない。
 そんなことを思っていると、急に楓が「ふふっ……」と微かな笑い声を漏らした。

「ん? どうした?」

「いや、なんでもないよ」

 楓は口元を手で隠し、肩を小さく震わせながら僕から目を逸らす。
 どうやら楓は笑うのを堪えているみたいだ。
 余裕のない顔をしている自覚はあったが、悩んでいる僕の顔はそれほどまでに面白い顔をしていたのだろうか? でも、そんなにも笑うほどのことじゃ無いと思うけど…………まさか……もしかして楓は僕の吐いた『女性と付き合ったことがある』という嘘に気付いているのではないか?
 そうだとしたら楓には、焦りに焦っている今の僕の姿がこれ以上なく滑稽なものとして写っているだろう。
 だとすれば、あの笑いを堪えているかのような仕草も納得できる。
 そう考えた途端、今ままでとは比にならない恥ずかしさが僕の頭の頂上から脚の先までを一気に貫いた。
 僕の気持ちを優先するのはどうかとか、楓の楽しめるところがどうとかなんて悠長なことはもう言ってられない。
 それに楓自身の口からエスコートを任されたので、僕が迷う必要なんかどこにもないのだ。自分が行きたいと思う所に行けばいい。
 僕は携帯電話を取り出して時刻の確認をする。
 今の時間は昼前。お腹も空いてきたことだし、とりあえずどこかで昼飯を食べよう。食べている間にも次にどこへ行くかを考える時間稼ぎにもなる。
 そう思った矢先に目についたのは、どこにでもあるハンバーガーがメインのファーストフード店だった。
 大人の男女2人ならカフェやパスタの出てくるような、もっとお洒落なお店に行くイメージがあるが、中学生の男女2人ならこういった所が無難なんじゃないだろうか? 
 まず、カフェとかに入る勇気もないし、見栄を張って入ったところで恥をかくことは目に見えている……というか実際に一度だけだが、友達と一緒に入って恥をかいたことがあった。
 何故ああいうお洒落なところは飲み物のサイズを英語で言わないといけないのか。分かりやすいS・M・Lでいいだろ。ショートやらトールならまだしも、グラなんちゃらとかベンなんとかってなんだよ。どれくらいの大きさなのか想像もつかねえよ。
 それにファーストフード店はなんたって安い。お金のない学生の味方だ。
 前に行ったカフェでは飲み物一つで600円ぐらいかかった。今から入ろうとしているファーストフード店だとセットメニューが買えてしまう金額だ。
 そんな事を考えてると、くぅ~、という可愛らしい音が隣から聞こえた。
 音が鳴った方を見ると、口をギュッと紡ぎ、お腹を抑えている楓の姿がそこにはあった。  
 彼女と目と目が合いそうになり、僕はすぐに顔を前に向ける。
 いつもの男連中ならからかったり、弄ったりするのだが、今僕の隣にいるのは年頃の女の子。
 ここは紳士的な対応をするべく、お腹が鳴ったことには触れずに僕は無言で店に向けて足を進めようとしたのだが――
 
「今の違うから⁈」

 僕は何も言ってないのに楓は自ら墓穴を掘りにきた。
 
「え? 何が?」

 僕は惚けたフリをして楓に聞いた。
 これは僕なりの助け舟。
 次に出てくる楓の返答次第では、彼女自身が掘ってしまった墓穴を埋めることが出来る。

「何がって、その……喉が渇いて喉が鳴ったの! それをヤンキー君はお腹が鳴った音と勘違いしているんだろうなって思って……ただそれだけ!」

「喉が渇いたから喉が鳴るってなんだよ。それに抑えていたのはお腹だしその言い訳は無理があるんじゃないか……あっ……」

 楓の言い訳についツッコミを入れてしまってから、僕は自分の失言に気付いた。
 せっかくお腹が鳴ったことに気付いていないフリをしていたのに、お腹が鳴ったことに気付いていた事を自分の口から溢してしまった。
 しかも、お腹を抑えていた事を指摘してしまった事により、先ほど楓が使った他のところが鳴ったという逃げ場さえもを僕は潰してしまったのだ。
 楓は赤かった顔を更に真っ赤にして体をプルプルと小刻みに震わせている。
 それは焦って無理のある言い訳をしてしまった恥ずかしさからなのか、それとも僕が気付いていないフリをせずにお腹が鳴った事を指摘した怒りからなのか……多分両方からだろう。
 
「ヤンキー君にはデリカシーがない! そこは『あぁ、そうなんだ』ぐらい言って流してくれればよかったのに!」

「待て待て待て⁈ これは僕が悪いのか⁈ た、確かにさっきのは僕の失態だったと思うけど……でも、僕は最初は気付いていないフリをしたぞ! 勝手に自滅したのはそっちだろうが!」

「なっ……⁈ で、でも、すっごく私のこと見てたじゃん! あれで気づいてないフリとか、もはや馬鹿にしているのと同然だよ! あそこは『僕も丁度お腹が空いたところだったんだ』とか小粋な一言が欲しかった! ヤンキー君は乙女心が分かってない!」

「それを言ったところでどうせ『馬鹿にしてるでしょ!』って絶対に怒ってただろ⁈」

「そんなことないもん!」

 ぐぬぬと唸りながら楓は僕のことを睨む。僕も負けじと楓のことを睨み返す。
 しかし、睨み返して数秒と経たない内に僕は楓から顔を逸らしてしまいそうになっていた。
 それは楓の気迫に負けたからではない。
 僕を睨む楓の顔が可愛いと、この状況において余りにも場違いなことを思ってしまったからだ。
 楓の身長は僕よりも10センチほど低いので、僕が普通に立っていれば当然彼女は上目遣いになる。それに睨まれているといってもトゲのあるような突き刺す眼差しではなく、意地を張った子どものような可愛げのある睨み方を楓はしていたのだ。
 僕はとうとう耐えきれなくなり、楓から目を逸らそうとしたその時――ぐうぅ~、という大きな音が聞こえた。
 それは楓のお腹から鳴ったものではなく、今度は僕のお腹からだった。
 楓の口元が緩む。
 僕も自分の口が綻んでいくのが分かった。
 そして、僕たちは互いに同じタイミングで吹き出して笑い合う。
 僕はお腹が鳴ったことなど恥ずかしいとは思わないし、なんならナイスタイミングだと自分の腹の虫を褒める。

「なーんだ。ヤンキー君も本当にお腹が空いてるんじゃん」

「あぁ。お腹がこんなところで無駄話なんかやってないで、何でもいいから早く詰め込んでくれーって訴えてる。時間も時間だし、昼ごはんにしよう」

「そうだね」

 僕は見えているファーストフード店を指差し「あそこでいいかな?」と楓に聞く。
 楓はやはり「いいよ」とだけ答え、僕達はファーストフード店に入った。
 こういった観光地のチェーン店にはごく稀に、地域の特徴を取り入れた内装の店舗があるが、このお店は他の同店舗との違いは特には見受けられない。
 しかし、隣にいる楓は食い入るように店内を見渡していた。

「もしかして、こういったところに来るのは初めて?」

 僕の質問に楓は頷く。

「家族で外食とかほとんど行かないから」

「へぇ……友達と遊ぶ時とかは?」

 僕の言葉に楓は神妙な面持ちで「友達……」と呟いた。
 その楓の反応を見て、僕はあることを察してしまった。
 きっと楓には友達がいな――

「今、私に友達がいないとか、失礼なこと考えていたでしょ」

 楓に思っていたことをそのままズバリと言い当てられ、僕は焦りながらも「そんなことないよ」と否定する。
 楓は「本当に?」と言い、僕の顔をジッと少しの間見つめてから「やっぱり君は分かりやすいね」と軽く笑った。
 
「友達はいるよ。うん。いるのはいるんだけどね……」

 その後に言葉が続くことはなかった。
 楓は陰りのある表情をして俯く。
 楓が友達のことに関して後ろめたい何かがあることは明確だった。
 もしかしたらそれが原因で、楓は学校をサボったのかもしれない。

「なあ――」

 そこまで口にして、僕は咄嗟に次に出そうとしていた言葉を喉の奥底にへと押し込んだ。
 僕は一瞬……本当に一瞬だけ、彼女の救いになりたい、なんて馬鹿な事を思ってしまった。本当に馬鹿なこと。
 『誰かの為に生きたい』なんて本当は望んでもいない生き方を振り払うため、今までの自分をリセットするために、学校をサボってまでこうして知らない街に来たというのに、僕はまた同じことを繰り返しそうになっていた。
 困っている人に手を差し伸べたところで自分は幸せにはなれないと分かっているのに。もう他人を助けるのはあの時の妊婦さんが最後だと決めていたのに、だ。
 僕はそんなどうしようもない自分に呆れてしまい、心の内で独り、自分自身を嘲笑する。
 よくよく考えてみれば、楓とは今日1日だけの関係。
 住んでいる街も違うし、今後楓と会うことはもう2度とないだろう。
 だから、何も知らないままでいい。
 それが僕自身の為なのだ――。

「そろそろ注文しようか」

 僕がそう言うと楓は表情を曇らせた。
 楓のその表情が何を意味しているのかを僕はすぐに理解し、言葉を付け足す。

「……って言われても困るよな。初めて来たわけだし。何か好みとかある? 甘いのがいいとか、辛いのがいいとか……ハンバーガーだけじゃなく、チキンとかフィッシュもあるけど?」

 楓は僕が指差している電光掲示板のメニューを眺めながら「私はなんでも食べれるよ。そうだね……」と言い、しばらく悩んだあと「ヤンキー君のオススメを食べてみたいかな」と言った。
 僕は「分かった」と頷き、僕達は2人でレジに進む。
 この店に来ると、僕は決まって必ずといっていいほど食べているものがあった。

「テリヤキバーガーのAセット2つ。ドリンクはコーラで」

 僕がそう注文すると、店員さんは僕の隣にいる楓の方をちらりと見やり「お会計のほうは別々で?」と素っ気なく聞いてきた。
 楓が何かを言いかけようとしたが、僕はそれよりも先に「一緒でお願いします」と言って2人分の料金を支払う。
 そして、レシートと番号札を受け取り僕は席に着いた。が、楓は席には着かずに僕の隣で立ったまま。

「どうしたんだ? 座ら……な……」

 僕は言おうとしていた言葉を言い切れずに固まった。
 顔を上げて楓の顔を見ると、彼女が怒りを露わにしたしかめっ面で僕の事を見下ろしていたからだ。
 楓にとっては店に入る前に僕と睨み合ったあの時と、なんら一つも睨み方を変えていないのかもしれない。だけど、上目遣いで睨まれるのと見下げられた状態で睨まれるのとではこちら側の受ける印象はかなり変わってしまうもので、今の楓の険しい目つきはとても威圧的なものに感じられる。
 話し終えてから注文をするまでのあの短い間で、楓はいったい何がお気に召さなかったのだろうか?
 ………………マズイ。店に入る前にも楓に言われたが、乙女心というものが僕には全く理解できない。

「ええっと……なんで怒ってるんだ?」

 僕は楓が怒っている理由を単刀直入に聞いた。
 これは楓に対して、僕は貴女を怒らせてしまった行為にこれっぽっちも自覚がありません、と言っているのとほとんど同じだということを自分でも充分なほどに理解していたが、事実がそうなので他の選択肢は考えられなかった。
 たとえ楓の機嫌をさらに損ねてしまうことになったとしても、怒っている理由が分かればどうにかなる。そう思っていたのだが……楓は何も言わずにただ僕を睨み続けるだけ。
 つまりは、自分で考えて答えを出せ、ということなのだろう。
 僕は頭を掻き毟りながら、今一度あの短い時間を思い返す。
 楓を怒らせるようなこと……といっても僕は注文をしていただけだし…………そういえば、僕が注文をした後に楓は何かを言おうとしていた。もしかしたら、いや、もしやしなくともそれが怒っていることと何か関係がある事は間違いない。だとすれば――

「単品じゃなくてセットを頼んだからか? 女の子なんだからそんなに沢山食べれる訳がないだろう……ってこと?」

 楓は何も言わずに首を左右に振る。
 どうやら間違いだったらしい。
 量の問題ではないのなら、他に考えられる事は――

「炭酸が飲めなかったとか? なんでも食べれるとは言ってたけど、なんでも飲めるとは言ってなかったしな」

 これはかなりの自信があったが、また間違いだったみたいで楓は首を横に振った。
 困ったな……あと考えられるのは、AセットじゃなくてBやCセットの方が良かった、というものだけだが……これは楓がなんでも食べれると言っていたのと量の問題ではないという点から、聞くまでもなく間違いであるということは分かり切っているし……。というより、よくよく考えてみれば楓が僕のオススメが食べたいと言ったのだから、僕が注文した物に彼女が難癖を付けること自体がそもそもおかしい話なのだ。
 楓が怒っている理由は僕が注文した物にあると勝手に決めつけていたが、本当は今のこの状況に不満を抱いているのかもしれない……はっ⁈ そうか、分かったぞ!

「向かいのソファ席じゃなくって、今僕が座っている椅子の方にすわっ――」

「どうして勝手に私の分も払ったの」

 もう答えが出てくることはないと思ったのか、楓は僕の言葉を途中で遮って答えを出した。
 まぁ実際のところ、楓が怒っていた理由は僕にとってはとても意外なものであって、これっぽっちも頭にはなかったし、いくら待っても出てくることはなかったと思う。

「普通は僕が払うものなんじゃないのか?」

「どうして? 私が食べるものなのに?」

「あっ……っと……それは……」

 僕は返答に困り、たじろぐ。
 楓の投げかけた疑問は何もおかしなことではなかった。
 僕たちは付き合っているわけでもなければ、友だちですらない。しょせんは今日出会ったばかりの、なんとなくの流れで行動を共にしている赤の他人同士。
 それなのに僕は男女2人っきりで行動しているこの状況がデートっぽいと1人で浮つき、デートなら男が払うのは当たり前だろう(付き合ったことなんて一度もないくせして)という思い込みで、特に何も考えもせずに自然と2人分の料金を支払ってしまっていた。
 デートっぽいだなんてこれっぽっちも意識してない、ましてや僕のことを友だちとすら思っていないであろう楓からしてみれば、僕のとった行動は当然として異常なものと映っていたに違いない。

「いや~、やっぱり僕が入ろうと思って入ったお店だし? 頼んだものも僕のオススメだからさ……もし楓の口に合わなかったら申し訳ないだろ? だから料金は僕が払わないとなぁと思ってだな……」

 口から出たのは急いで取り繕った苦し紛れの言い訳。
 それを聞いた楓は額を抑えながら大きなため息を吐くと、呆れた顔を僕にへと向けた。

「お店を選んだのは確かにヤンキー君だけど、もともと私はどこでも良かったし、なんならヤンキー君の行きたいところでいいよって私が言ったんだよ? それにヤンキー君のオススメが食べたいと言ったのも私なんだから、君が変に気を遣う必要は全くないよ」

 そう言って楓は財布の中からお金取り出して「はい、これ」と僕の前に差し出す。
 しかし、僕は両手を背中の裏に隠し、それを受け取らない意思を示した。
 奢るつもりで払ったものをわざわざ返されるのはなんだか気が引けたし……なんといっても、楓が出してきたお金が1人分の料金よりも少し多めの金額だったからだ。

「……なんで受け取らないの?」

「もう払い終わったことだから別にいいって」

「ヤンキー君が良くても私が嫌なの。私もそろそろ座りたいから早く受け取ってよ」

「なら先に座ったらいいだろ」

「それは嫌。どうせ座ったところで受け取ってはくれないんだよね? だから、ヤンキー君が受け取ってくれるまでここで立ってるよ。あーあっ、立ちっぱなしは疲れるなぁ」

「…………はぁ、分かったよ。楓が座ったら絶対に受け取るから、とりあえず先に座ってくれ」

 僕が出した条件は本当に嘘偽りのないもの。楓が席に座ったら、僕は彼女から本当にお金を受け取るつもりだった。
 ただ、楓が出している700円の内の600円を除いては、だが。
 僕はお金を受け取るとは言ったが、全部とは言っていない。

「本当に?」

「あぁ、本当だ」

 疑いの目を向ける楓に、何一つとして嘘を言っていない僕は自信を持って言葉を返す。
 今までの反応が分かりやすかっただけに僕の言葉を嘘ではないと判断してくれたのか、楓はずっと堅かった表情をやっと緩ませた。

「うん、分かった。それじゃ、そういうことなら」

「うわっ⁈ いったい何を――」

 びっくりして出してしまった驚き声。
 楓は席には座らず、僕の学ランのポケットに無理矢理お金をねじ込んできたのだ。
 予期してなかった楓の行動に、僕はなんの抵抗も出来ずになされるがまま。
 突然の出来事に放心して動けなくなっている僕を尻目に、楓は向かい側のソファ席に座ると、してやったりというふうな顔でにやりと笑った。

「絶対に受け取ってくれるなら、後も先も変わりはないよね」

「お、お前な……逆セクハラってのもあるんだぞ……」

「だって仕方ないじゃん。どうせ百円玉だけを受け取って『ほら。言った通りに受け取ったぞ』とか言うつもりだったんでしょ。ちゃんとお見通しなんだから」

「うっ……」
 
 バレていないと思っていたのに何故か僕の思惑は楓に筒抜けだったらしく、僕は何も反論することが出来ずに言葉を詰まらせた。
 僕はポケットの中から渡された……もとい、無理矢理入れられた700円を取り出す。
 これを返そうとしても、楓は絶対に受け取らないだろう。
 奢らないにしても、せめてお釣り分は返したい。そう思って財布の中を開けて見るが、先程ぴったりとお金を払ったせいでお釣り分の十円玉の数が足りなかった。
 自分の方が少なく払っているのはどうしても嫌なので、本当は全部返してしまいたいところを妥協して200円を楓に差し出したが、やはり彼女は首を横に振ってそれを拒否する。
 僕は百円玉を財布の中に入れ、残りの百円玉を再び楓の前に差し出したが、それも彼女は受け取ろうとはしなかった。
 楓がやったように、僕も彼女の制服のポケットに無理矢理入れてしまおうか? そんな考えが一瞬頭を過ぎったが、僕が楓の制服のポケットに手を突っ込むことで色々な問題が発生してしまうことにすぐに気付き、その考えを選択肢から除外した。……だが、ポケットがダメでも鞄に入れるのは大丈夫なのでは? そう思って楓の鞄を探すも、そちらの方も既に対策済みで、鞄は彼女の膝上に載せられてしっかりとガードされており、手の出しようがなかった。
 何も打つ手がなくなった僕はお金を返す事を諦め、百円玉を財布の中にしまう。
 
「次のお店に行った時に必ず埋め合わせをするから」

「そんなことしなくてもいいよ。私もなんだかんだ言いながら、奢ろうとしてくれたこと自体は嬉しかったからさ。その分のお気持ち代金ってことで」

「でも結局は奢ってないし、僕の方が払っている分は少ないだろ? 楓が良くっても僕が嫌なんだよ」

「あ~、もう。数十円くらいでガタガタ言わないでよ。器の小さな男の子はモテないよ?」

「なっ……もともと僕は奢ろうとしてたんですけどね……」

「ふふっ、ごめんごめん。今のは冗談。君は優しいから、きっと凄くモテるんだろうね」

 楓はそう言ってから、柔らかな微笑みを僕に向ける。
 今までテンポ良く続いていた会話はそこで一旦途切れた。
 楓の言ったある言葉が心に引っ掛かって、僕は咄嗟に返事を返すことが出来なかった。
 実際の僕は全然モテてなんかいない。それなのに楓は僕のことを凄くモテていると言った。その言葉が心に引っ掛かった……わけではなかった。
 僕が心に引っ掛かりを感じたのは――『優しい』という言葉だった。
 今までに言われたことなどいくらでもある。なんなら今日の朝にも楓から言われた言葉。
 それがなぜかここにきて、やけに心に引っ掛かった。

「……それは違う」

 出した自分でも驚くくらいに重くて冷たい声だった。
 あきらかに変わった僕の声色に楓は戸惑いの表情を見せたが、それは束の間のことで彼女はすぐに普段の表情を取り繕う。
 
「何が違うの?」

 楓はわざとらしく首を傾げて僕に訊いた。
 その彼女の顔は笑顔だった。だけど、無理をして作ったであろうその笑顔は自然さが欠けていて、少しだけ口の端が引きつっていた。
 楓は重い方にへと変わりつつある雰囲気がこれ以上変わることがないようにしようとしてくれていたんだと思う。
 でも、僕は入ってしまった妙なスイッチを簡単に切り替えることが出来なかった。

「僕は優しくなんかない」

 喉の奥から絞り出したその声は震えていた。
 不意に涙が出てしまいそうになって、咳をすることで誤魔化した。
 なぜかここにきて優しいって言葉が引っ掛かった? 僕は本当に分かっていないのか?
 そんなの嘘だ。僕はとうにその答えを知っている。
 僕が本当に優しい人間だったなら、学校で除け者にされることもなかった。
 僕が本当に優しい人間だったなら、電車の乗り方が分からなくて困っていた女の子の時も、男たちに絡まれていて困っていた楓の時も、席に座れなくて困っていた妊婦さんの時も、なんの躊躇いもせずにすぐに声をかけることが出来たはずなんだよ。
 それにさっきだって、僕のためだと言い聞かせて楓の悩みを聞いてあげようとはしなかった。
 僕という人間が優しくないということを、自分自身が一番嫌というほどに理解していた。
 だから『優しい』なんて言葉が今になって心に引っ掛かったんだ。

「僕は楓が思っているほど出来た人間じゃない。本当の僕はどうしようもないほどに自分勝手で、冷たい人間なんだよ」

 僕は視線を少し下げて、楓の顔を見ずに突き放すように言った。
 目の前にいる楓が何かを言おうとしてくれているのがなんとなく伝わってきたが、今の僕にかける最善の言葉を決めあぐねているらしく、沈黙が続く。
 なんとも言えない気不味い雰囲気。
 しかし、それはそう長くは続かなかった。

「あのぅ……お客様……」

 弱々しく、申し訳なさが滲み出るかのような声に僕と楓は同時に同じ方を向いた。
 いつからいたのだろうか? この場から一刻も速く離れたい。そんな気持ちが溢れんばかりの顔をした女性店員さんがそこに立っていた。
 彼女は僕達の前に注文していた物を置いて、忙しない動きでレジの方に戻って行く。
 あの反応を見るからに、先程の僕たちの会話を少しは聞いていたのかもしれない。
 そう思った瞬間、顔に熱が灯るのを感じた。
 しかし、恥ずかしさはすぐに収まり、次に冷静さがやってきた。さっきまでは全然切り替わる気配の無かった妙なスイッチが、あっさりと通常のものにへと切り替わる。
 僕は何もかもをなかったことにしてしまおうと「さあって、お腹も空いていることだし、早く食べよ食べよ」と早口で言って、落ち着きのない手でバーガーを取った。
 なんだかお金の話も有耶無耶になってしまったが、もうそんなことは今やどうでも良かった。
 楓に先程の話を蒸し返されないようにする。それが今の僕にとっての優先事項だった。
 言わなくても良かったことをわざわざ口にした。朝のように適当に流してしまえばよかったのに……。そんな後悔が今になって押し寄せてくる。
 ぐちゃぐちゃの思考回路のまま、僕は包装紙を剥いでバーガーを頬張った。
 気持ちのせいもあってか、好んで食べていた味付けがいつもよりも薄く感じたられた。
 二口目を口にしようとして、目の前からの視線に気付いた。
 楓はバーガーやサイドメニューに手を付けることなく、僕の事だけをジーっと見つめていた。
 僕と目と目が合ったことに気付き、楓は何かを言おうと口を開けたり閉じたりを繰り返す。未だに言葉はまとまっていないようだった。
 これを好機と見るなり、僕は先に先手を打つ。
 
「食べないのか? 冷めるぞ?」

 楓は「うっ……」と微かな唸り声を上げて、視線を僕からトレーのバーガーに移し、再び僕にへと向ける。
 その視線の往復を数回にわたって繰り返した後、どうにかして諦めをつけたようで「食べる……」と呟くように言って、楓はバーガーを手に取り包装紙を剥いだ。
 楓が小さな顔をしているからか、僕と同じサイズの物であるはずなのに彼女のバーガーの方が大きく見える。 
 楓はその大きなバーガーを小さな口で頬張った。口の横の端からはみ出す、照り焼きソースとマヨネーズ。食べづらそうだなぁ……と思いながら眺めていると楓とまた目が合った。
 楓は気恥ずかしそうに僕から目を逸らすと、紙ナプキンで口の周りを拭い、そのまま口元を隠した状態でバーガーを食べ続ける。

「味が濃いね……」

 飲み込んでからの楓の一言目はそれだった。
 もしかして口に合わなかったのではないかと、僕は一気に不安へ駆られる。
 楓は平然とした顔をしているので、ただただ味の感想を言っただけなのかもしれない。
 いや、たとえそうだったとしても、その感想は肯定的なものとしては捉えられないだろう。
 やっぱり口に合わなかったのだ。
 僕の落胆はどうやら顔に出ていたらしく、楓は僕の顔を見るなりくすりと小さく笑った。

「そんな顔しないでよ。大丈夫。凄くおいしいよ」

 そう言って楓はさっきよりも大きな――それでもやはり小さなことには変わりない口で二口目を頬張った。
 また口の端からはみ出す、照り焼きソースとマヨネーズ。
 楓は紙ナプキンでそれらを拭い、二口目を飲み込むと、僕に向けてニカッと明るい笑みを浮かべた。
 それは作り物だとすぐに分かったあの引きつった笑みと違い、自然的なものだった。
 僕は楓の言葉が嘘の無いものだと信じて「それは良かった」と呟き、僕も二口目を頬張った。
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