余命1年から始めた恋物語

米屋 四季

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8月編

86話 僕が欲しかったものと、彼女が欲しかったもの

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 昼食を食べ終わり、ファーストフード店をあとにした僕と楓が次に向かった先はゲームセンターだった。
 これもまた僕が行ってみたいと思って選んだところで、僕は入る前に「ここでいいか?」と楓に確認を取ったが、彼女は例のごとく「いいよ」とだけ答え、僕達はゲームセンターに入った。
 滝のように流れるコイン。パチンコ台やクレーンゲーム機などの様々な筐体から流れるBGM。それらの音が混じりあった統一感のないぐちゃぐちゃとした騒音が、室内いっぱいを埋め尽くしていた。
 僕の住む街にある小規模なゲームセンターは今時珍しい室内喫煙OKな場所なので、入った瞬間にむせ返りそうになるくらいタバコの臭いが充満していたが、この店は禁煙制みたいでタバコの臭いは全然しない。
 内装の方も最近出来たばかりなのか、それとも店員さんの清掃管理が行き届いているのか、そのどちらかは分からないが綺麗で整っていた。
 僕は隣にいる楓の様子をちらりと横目で確認する。
 楓は周りを見渡しながら夢の国に来た子どものような顔で「うわぁ」と感嘆の声を漏らし、目をパチパチと瞬きさせていた。
 どうやらゲームセンターを選んだのは正解だったらしい。

「なんというか……賑やかで、色々とキラキラとしていて……とにかく凄いね」

「もしかして、ゲームセンターに来るのも初めて?」

「うん、初めて。これは?」

 楓は入ってすぐの所に置いてあったクレーンゲームに近寄り僕に訊いた。

「これはクレーンゲームといって、あの上にあるクレーンをこのボタンで操作して景品を取るゲームだ。やってみる?」

 僕は簡単な説明をして、財布の中から百円玉を取り出して楓に差し出す。
 今知ったばかりのものにお金を注ぎ込むのは、おそらく躊躇いがあるだろう。それに、僕には昼食の時に楓から余分に渡されたお金があり、その分のお金を自然に返す事が出来る絶好の機会だった。
 楓は差し出されたお金にしり込みして遠慮するような様子を見せたものの、やっぱりやってみたいという気持ちもあったのか、おずおずとした調子で僕に向けて手を伸ばす。
 僕はその手に百円玉を置こうとしたが……楓は何を思ったのか出していた手を急に引っ込めてしまい、僕の手は空をから振った。

「私がやる前にヤンキー君のお手本を見てみたいな」

 楓はそう言ってから僕にキラキラとした期待の眼差しを向ける。
 その眼差しに今度は僕がしり込みをする番だった。
 人にやってみる? と勧めておいて言うのもなんだが……僕はクレーンゲームがあまり得意ではなかった。
 扇子やイヤホン、手のひらサイズの小さなぬいぐるみなどの小物なら取ったことはあったが、大物を取ったことは今までに1度もない。
 そんなクレーンゲームが不得手な僕の目の前にあるのは、迷彩柄の大きいリュックが景品のクレーンゲーム機。
 この店の設定がどのくらいのものかにもよるが……経験則から言わしてもらうと、僕が取れる可能性は限りなく0に等しかった。

「このクレーンゲームじゃなくて、隣にあるやつでも構わないか?」

「ヤンキー君の好きなもので構わないけど……どうして?」

「このリュックは取れそうにないから」

「えっ? 絶対に取れるわけじゃないの?」

「そりゃあそうだよ。絶対に取れるようになんかしてしまったら商売にならないだろ?」

「確かに……なら、このリュックサックは絶対に取れないってことかい?」

「いや、絶対に取れるわけではないけど絶対に取れないわけでもないよ。ただ、取れる可能性が低いってだけ。大体どのクレーンゲームにも言えることだけど、簡単には取れないように店側が設定しているし、遊ぶ人間の実力にもよるかな」

「へぇ、そうなんだ……あれ? ヤンキー君は1回もやってもないのに、このリュックサックが取れないと思っているということは……」

 楓はそこまで言ってから突然「あっ」という声を上げ、バツの悪そうな顔をしてこちらを見る。
 どうやら勘が良い楓は今までの話の流れから、お店の設定関係なしに僕の実力不足でリュックが取れない、という答えに辿り着いてしまったらしい。
 これについては隠すほどのものではないと僕は思っているので、正直に答えることにした。

「あぁ、つまりはそういうこと。僕はクレーンゲームがあまり得意じゃないんだ。だから、僕の実力でも取る事ができそうな隣のやつを今からプレイするよ。……まぁ、これも店の設定によっては取れないかもしれないけど……」

 取れそうなと言いながら取れなかった時のために、一応の保険をかけて僕は隣のクレーンゲーム機に百円玉を投入する。
 今から遊ぶクレーンゲームは2本の棒が橋渡しになっていて、その上に大きさがバラバラの白い箱が4個置かれており、2本の棒の間だろうと外側だろうと落としてしまえば景品が取れる、というものだった。
 初心者や僕のようなクレーンゲームが苦手な人でも、この手のタイプのものは比較的取りやすい方……だと僕は思う。

「機種によって多少の違いはあれど、ボタンでクレーンを操作するものはボタンを長押ししている間しか動かないから。それと、一回ボタンを離すとそこで位置が決まってしまうから気を付けて」

 楓に説明をしながら僕はクレーンを動かす。
 4個ある白い箱の内、僕が狙うのは細長い長方形の箱。今までクレーンゲームで取れたことのある物は、正方形に近い形のものよりも長方形に近い形のものの方が多かった、というそれだけの理由で僕はその箱を狙う。
 クレーンのアームは長方形の箱の上半分を掬い上げ、一番上に上がり切るよりも前にそれを放した。
 箱はまだ2本の棒上に残ったまま。しかし、3分の1くらいは動いたのでこの調子でいけばあと1回か2回で取れるだろう。 

「ごく稀に一発で取れることもあるけど……こうやって何度も動かしてから落とすのが定石かな」

 そう言ってから僕は2回目の百円玉を投入する。
 2回目は失敗してしまい、狙いが外れて少ししか動かせなかった。
 そして、続けての3回目。今度は狙い通りのところに動かすことができ、アームが箱の棒から大きくはみ出した部分を押し込んで棒の外側から箱を落下させた。
 隣からあがる楓の歓声。
 僕も無事取れたことと自分的には早い段階で取れたことに、ほっ、と胸を撫で下ろす。
 落ちた箱を筐体から取り出しながら、そういえばこの白い箱の中身は何なのだろう? と取れることを第一優先で景品については何も見ていなかった自分にふと気付き、今更ながらに僕は筐体の中のポスターを確認した。そこには『取ってみてからのお楽しみ! お宝アクセサリー集!!』となんとも胡散臭さの漂う一文……。
 もっとちゃんとよく見てから遊ぶべきだったと後悔しながらも、僕は箱の中身を取り出す。
 手のひらの上に出てきたのは、小さな黒いリングが付いている鎖状のネックレス。
 アクセサリーの良し悪しは分からない。だけど……そんな僕の目から見ても、そこら辺の安っぽいアクセサリー店にでも売ってても、おかしくはなさそうな代物だった。
 取ってはみたものの、僕はアクセサリーの類はつけないし興味もない。そして、あげて喜ぶような友達も浮かばない。かといって捨てるのも勿体無い気がするしな……。
 そんなこと思っていると、楓が僕の持っているネックレスに視線を向けていることに、僕は気付いた。
 その彼女の顔は物欲しそうな顔でもなければ羨ましいというふうな顔でもなく、ただただ見つめているというふうな顔だったが、このまま捨ててしまうよりはマシだと僕は手に持っているネックレスを楓に差し出して聞いた。

「いる?」

「いいの?」

「いいよ。僕はネックレスなんてつけないから」

「それじゃあ、お言葉に甘えて……」

 楓は僕からネックレスを受け取ると、すぐにそれを首にかける。

「どう? 似合うかな?」

「……うん。とてもいいと思う」

 それはお世辞ではなく、心からの言葉だった。
 どうやら、アクセサリーというものは安物に見えたものでも身に付ける人によって価値が変わって見えるものらしい。良し悪しの分からない僕が言うのもなんだけど……。
 楓の白を基調とした美しい制服とは真逆の黒のネックレス。かといって悪目立ちするような派手さはなく、小ぶりな黒のリングの控えめさが良い上品さを演出していた。
 似合うかどうかを聞かれて答えを返すのに少し間があったのは、予想だにしてなかった美しさについ息を呑んでしまったからだ。

「ありがとう」

 楓はそう言って嬉しそうに微笑んだ。嘘でも気を遣ってでもない、本当に嬉しそうな顔。
 まさかそんな顔を見せられると思っていなかった僕は突然の不意打ちについ照れ臭くなってしまい、楓から目を逸らしてしまう。

「他にも色々な物があるから見て回ろっか」

 照れを隠すためと気分を紛らわすための言葉を言い、僕は店の奥の方に足を進めた。
 楓は「うん」と明るい返事を返し、僕の斜め後ろをついて歩く。
 そうやって、僕たちはしばらくの間、2人で色々なクレーンゲームを見て回った。
 楓は商店街を歩いていた時と変わらず、物珍しいという目を向けるばかりでクレーンゲームをやろうとはしなかった。
 そして、僕の方はというと……先ほど楓が見せたあの嬉しそうな顔が、未だに頭の中から離れずにいた。
 嘘でも気遣ってでもない、嬉しそうな微笑み。
 別に欲しいものでもなかったであろうネックレスで、楓はあんな顔をして見せた。
 もし、楓が欲しいと思っているものをプレゼントすれば、彼女は一体どんな顔をするのだろう?
 そんなことを僕は愚かにも思ってしまっていた。
 大体のものを物珍しそうに眺める楓が本当に欲しいと思っているものなんて、僕に分かる訳がないと分かっていたのに。それに、クレーンゲームが苦手な僕が取れそうなものといえば、先ほど取ったような小物ばかりだというのに……だ。
 僕は自分の力では叶えられそうもない思いを諦め、コインゲームのコーナーに移る為に楓に話しかけようと背後を振り返る。
 しかし、そこに楓の姿は無かった。
 ぐるりとその場で一周回って辺りを見渡してみるも、やはりどこにも楓の姿は見当たらない。
 トイレだろうか? だとすれば何か一言あってもいいはず……いや、もしかしたら僕は声をかけられたのかもしれないが、物思いにふけっていて気付かなかった可能性も少なからずある。
 まぁ、何にせよ、考えてもいても仕方が無いので、とりあえず僕は今まで歩いて来た通路を辿るように戻ることにした。
 変なことに巻き込まれてなければいいが……。そんな心配は杞憂に終わり、楓を探し始めてから割とすぐに僕は彼女を発見した。
 彼女はとあるクレーンゲーム機の前で立ち止まり、ひっきりなしに中にある景品を眺めていた。その楓の表情はまるで、ショーケースの中にあるウェディングドレスを見つめる女性のような、心奪われたという表現がまさにしっくりとくるようなものだった。
 商店街を歩いていた時は一度も足を止めて眺めることなんてしなかった楓が足を止めて眺めているだけで、それが欲しい物であるということは一目瞭然だったが……彼女があんな表情をするなんて、一体どんな物なのだろう?
 気になった僕はこっそりと楓に近付き、彼女が見ているクレーンゲーム機の景品を覗き見る。
 楓が見つめていたものは……抱き抱えれるぐらいの大きさの、白くて丸いウサギのぬいぐるみだった。

「あっ。ごめんね。何も言わずに止まっちゃって」

 僕に気付いた楓は少し取り乱した様子で言った。

「それは別にいいんだけど……やらないのか?」

 僕は楓が見つめていたクレーンゲームを指差す。
 このクレーンゲームは穴にアクリル板の仕切りがあるため、景品を掴みあげて落とすしか取る方法はない。僕が初めにやったような努力の積み重ねを繰り返していくタイプのクレーンゲームではなく、一発勝負を繰り返すタイプの――いわゆる確率機と呼ばれるものだ。
 技術よりも運が必要なクレーンゲームなので、クレーンゲームをしたことがない楓でも取れる可能性は充分にある。
 しかし、楓は「ただ見ていただけだから」と首を横に振った。

「そうか、やらないのか。それなら」

 僕はしめたと言わんばかりに楓の目の前にある筐体に百円玉を投入する。

「えっ。どうして……」

 楓は僕のとった行動に動揺した様子で言った。

「どうしてって言われてもな。だって、やらないんだろ?」

「そうだけどさ……でもこれって、ヤンキー君が欲しいからやるわけじゃないよね」

 楓は引け目を感じているような目でうさぎのぬいぐるみを見つめる。
 きっとここで、楓が欲しそうに見つめていたから、なんて馬鹿正直な思いを口にしてしまえば、この一回で終わりにさせられてしまうだろう。

「あー……勘違いをしているところ申し訳ないんだけど、さっきあげたネックレスとは違ってこれは僕が欲しいと思ってやっているだけだから。もし取れたとしても楓にはあげないよ」

 僕のその言葉に楓は疑いの目を向けつつも「そう。ならいいんだけど」と言って、それ以上は何も言わなかった。
 僕は視線を操作レバーに移す。
 そこで目に飛び込んできたのは残り時間8秒の文字。
 僕は慌ててアームを動かし、だいたいの位置に合わせて降下ボタンを押した。
 降下したアームの3本の爪がぬいぐるみを鷲掴みにし、上へと持ち上げていく。
 それを見て隣にいる楓は歓声を上げたが、僕はまだ喜ばない。
 今までの経験で、なんとなくこの後の展開が予想できていたからだ。
 そして案の上僕の予想は当たり、アームが一番上に上りきったところでぬいぐるみは3本の爪からするりと抜けて落下した。
 僕と楓の口から溢れるため息混じりの落胆の声。
 確率機はそう設定されているのだから仕方のないことだと分かってはいるんだけど……もっとやる気を出して掴め、とつい思ってしまう。まぁ、機械にやる気も何もあったものではないが……。
 普段は起こらない奇跡ってやつを期待していたけど、やっぱりそう上手くはいかないらしい。
 いつもなら確率機で遊ぶ時は運試しと思いながら2、300円を使う程度。
 出来ることなら千円以内で取りたいなぁと僕はそう願いながら、2回目の百円玉を投入した。




「ねぇ……もうやめない?」

 計30回目となる百円玉を筐体に投入しようとしたところで、楓が引き気味の顔をしながら僕の腕を掴んで止めた。
 持ち上げて1番上に上りきっては落としてと、希望なんてものがまるで見えない光景を29回も横で見せられれば、そりゃあそういう顔にもなるだろう。 

「大丈夫。次は行ける気がするから」

 何度それを口にしたかは分からない。ただ言う度に、そうであって欲しい、と切実な願いを込めていることは確かな言葉を吐いて、僕は筐体に百円玉を投入した。
 楓は呆れた顔をしながら「もうそのセリフを聞くのも13回目だよ?」と言ったが、僕は何も聞かなかったことにしてレバーを操作し、アームを動かしていく。
 三千円。それは今までのクレーンゲームでは使ったこともない金額。僕の3ヶ月分のお小遣い。
 ここまで来ると楓にあげたいとか、そんなことはもはや関係なしに意地でもとりたかった。
 ここで諦めてしまえばただ三千円を損するだけ。
 どうせ楓にあげてしまう物だから、お金を使えば使うほど、結局は僕が失うお金が大きくなるということは分かってはいたけど……それでもやはり、有と無の差は大きかった。
 僕は大体の位置を決め、下降ボタンを押す。
 アームの3本の爪がぬいぐるみを掴み、上にへと持ち上げる。そして、1番上に上りきったところで、急に力を抜いたアームからするりとぬいぐるみが抜けた。今まで幾度となく見てきた光景。しかし、今回はここからが今までとは違った。
 落ちていくぬいぐるみのタグがアームの1本の爪に引っかかり、ぬいぐるみが吊り下がったまま。かろうじて止まっているだけで、僅かな振動で絶対に落ちる。そう言い切れるぐらいのギリギリな状態になっていた。
 意味がないと理解していたが僕は息を止める。
 これでもかっていうくらいにゆっくり動いてくれ。そんな叶いもしない無意味な願いさえも祈った。
 だけど、無情なアームはいつも通りの速度で横移動を開始する。急な横移動。吊り下がったぬいぐるみが大きく右に揺れる。
 そして、左の方に投げ飛ばされる形でタグが爪から外れ、ぬいぐるみが宙を舞った。
 穴を囲んでいる仕切りの上にぬいぐるみが当たってバウンドする。
 ぬいぐるみが落ちた先は仕切りの左側――つまりは穴の中だった。

「「や……」」

 僕と楓は互いに顔を見合わせる。
 次に出てくる言葉は2人とも同じ……はずだった。少なくともこの時までは。

「やったあっ!」「やっとぅうわああああぁぁぁぁぁぁぁっ⁈」

 歓喜の声を上げて僕に抱きついてきた楓に、僕は驚き大声を上げる。
 そんな僕の反応を見て、自分が何をしでかしているのかに気付いたのか、楓はハッと顔色を変えるや否や「きゃあぁ⁈」と悲鳴をあげて僕を突き飛ばし体を離した。

「あっ、とっ……ご、ごめんね」

 中々の力で突き飛ばされてよろける僕に楓は心配そうに近寄る。さっきのことがあってか、その頬はちょっぴり紅い。

「あぁ、大丈夫大丈夫。僕も大きな声を出して悪かった。……と、そんなことよりも」

 僕は筐体から落とした白いウサギのぬいぐるみを取り出す。
 手にとってみたそれは、思っていたよりも柔らかく、手触りもさらさらとしていた。
 僕はさっそくこれを楓にあげようと、彼女の方を振り返る。
 楓は指を何やらもじもじとさせながら羨ましそうな顔をして、目線を僕の顔とぬいぐるみとを行き来させていた。

「なんだかなぁ。取れたら満足したし、よくよく考えてみたらこんな大きな物、邪魔になるだけだしなぁ。誰か貰ってくれないかなぁ」

 ネックレスを上げた時のように自然と聞こうとしたのに、何故かなってしまった白々しい演技。
 しかし、よっぽど欲しかったものだったのか、楓は僕の下手な演技には一切口を出さずに、頂戴! と言わんばかりの顔で両手を大きく広げた。
 僕はそんな楓の反応についついくすりと笑ってしまい、彼女が広げている両腕の上にぬいぐるみを置いてあげた。

「えへへ……ありがとう! すっごく嬉しい!」

 ぬいぐるみをギュッと抱きしめて、楓はその場でぴょんぴょんと軽く跳ねる。
 なんだか幼さを感じさせるような喜び方だった。
 ぬいぐるみを取っている時にふと、これが取れて楓に渡した時、彼女は取るのにかかった分のお金を払おうとするんじゃ無いか? という心配をしたが、この様子を見るにどうやらそれはいらない心配だったらしい。

「ありがとうね、ヤンキー君。ボクはこれを宝物にするよ」

 楓は緩みに緩みきった笑顔でぬいぐるみに頬ずりをしながら言った。
 そんな楓の表情に僕もつられて微笑む。

「宝物って、そんな大袈裟な……ん?」

 突如感じた違和感。
 その正体にすぐに気付き、僕はそれを口にする。

「今、自分のことを『ぼく』って言わなかったか?」

「あっ……」

 僕の一言で今までの嬉しそうな楓の表情が一変。強張った表情にへと変わり、彼女の顔からサッーと血の気が引いていく。
 この反応を見るに、さっきの一人称が楓がいつも使っているものなのだろう。
 今になってだが、これまでの楓との会話をよくよく思い返してみると、ちょっとした口調の統一感の無さがあった……ような気がする。
 しかしそれらは些細なもので全然気にはならない程度のものだったが、さっきのあれは決定的なミスだった。

「ボク、いや、違う。そう。わたっ、私。さっきのはヤンキー君の一人称につられて言っちゃただけで……」

 楓は手振り素振りを交えてうろったえる。

「落ち着いて。いつも使っている一人称でいいよ。なんなら喋り方のほうも。あぁ、でも家族とか仲の良い友達の時だけで、他の人には今までみたいな感じだったのならそれはそれで構わないんだけど」

 あまりの楓のうろったえように僕もテンパってしまい、自分でも何が言いたいのかよく分からないことを早口で言ってしまう。
 気付いてはいけなかったことに僕は気付いてしまったのではないか? そんな気がしてしまい、もうどちらかというと僕の方が楓よりもパニックになっていた。
 なぜか自分よりもパニックになっている僕を見て楓は冷静になったのか、彼女はキョトンとした顔で口を開く。

「女なのにボクって……おかしいと思わないのかい?」

 オドオドとした自信のない声だった。
 楓のぬいぐるみを抱きしめる力が強まる。
 それは不安感の現れだったのかもしれない。

「自分自身の事をなんて呼ぶかはその人の自由だ。男でも私って言う人もいるし、なんなら僕の友達には自分の事を拙者って呼ぶ奴だっているよ」

 僕は笑いながら、いつも話す時よりもゆっくりに、楓の心に直接語りかけるように言った。

「でも……」

 あれだけでは足りなかったらしく、楓はまだ不安気な表情をしながら僕を見つめる。
 僕は少しだけ恥ずかしいと思いながらも、まだ言ってはいない、正直なところを口にすることにした。

「楓が自分の事を『ボク』と呼んでいても、おかしい、なんて僕は思わない。それどころか、その……可愛くていいと……僕は思うんだどな……」

 嘘だと思われないようにハッキリと言おうとした言葉は、恥ずかしさに耐え切れずに弱々しいものになってしまった。だけど、僕は最後まで楓の顔から目を逸らさずに言い切った。
 僕の言葉はどうやら楓に届いたようで、彼女は一度大きく目を見開き――そして、潤んだ瞳を細めて微笑んだ。

「そっか……」

 そう言ってから楓は僕から背を向けた。
 そして「ありがとうね」と、小さく震えた声で呟いた。
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