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第10章 修学旅行 奈良編
457 お水取り
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東大寺二月堂は大仏開眼供養と同じ年の752年に創建された。この年に修二会という宗教行事が行われたと記録に残っている。
修二会は「お水取り」の行事が有名で、奈良の早春の風物詩だ。二月堂の建造の主な目的は修二会をするためだと言われている。
「なあ。お前、昨日の夕食の時、二月堂の仏像って絶対秘仏だって言ってたよな。あれってどういう意味だ?」
藤城皐月が感慨に耽っているところに月花博紀が話しかけてきた。好きな女子たちといい感じのところを邪魔され、皐月は少しイラっとした。
「お前、そんな話よく覚えてるな……。秘仏っていうのは秘蔵の仏像っていう意味で、何十年に一回とか、時々一般公開したりするんだ。その中でも絶対秘仏っていうのは寺の僧侶ですら姿を見られない、封印された仏像のことだ」
「じゃあ、その絶対秘仏がここにあるってことか?」
「まあ、そうなんじゃないかな……。本尊の仏像は開けてはならない厨子の中に入ってるらしいよ」
皐月は絶対秘仏に疑問を持っていた。こんな事を思ってはいけないのかもしれないが、たかだか仏像なのに絶対に見てはいけないなどということは有り得ない。なぜなら中の仏像の無事が確認できないからだ。
本尊を見てはいけないということは現物がそこにないからで、そのことを隠すために絶対秘仏という設定にしているのではないか。皐月は24時間参拝が可能なセキュリティーの甘い二月堂に絶対秘仏など置かれているはずがないと信じている。
「その絶対秘仏っていうのは何という神様?」
村中茂之は神と仏を混同している。だが、皐月はこういう茂之のような捉え方が日本の仏教の特色だと思っている。手を合わせる対象は縁なき衆生にしてみれば、神でも仏でもどちらでもよい。
「十一面観音菩薩っていうんだ。東大寺が今の東大寺になる前の小さなお寺だった頃は、聖武天皇の奥さんの光明皇后が十一面観音菩薩を信仰していたんだ。この仏は人々の苦しみを取り除いてくれると信じられている」
皐月の周りに人が集まり始めた。
博紀の傍に松井晴香と筒井美耶がやって来て、江嶋華鈴の隣に栗林真理と二橋絵梨花がいた。神谷秀真と前島先生は少し離れたところで皐月の話を聞いていたようだ。秀真がニヤニヤした顔で皐月のことを見ていた。
「じゃあ、ここで行われるお水取りって行事の意味は? 学校から配布された『修学旅行のしおり』を見たんだけど、何の説明も書いていなくてさ……。皐月はお水取りのこと、何か知ってるのか?」
博紀が訪問先のことをあらかじめ調べていたことに皐月は驚いた。博紀は勉強もスポーツもできる優等生だが、成績に関係のないことを自分の意思で勉強するようなタイプだとは思っていなかったからだ。
「まあ、知ってるといえば知ってるけど、そんなに詳しくはないぞ」
皐月はこの日までに憶えておいた修二会の知識を記憶の中から引っ張り出した。
修二会とは本尊の十一面観音菩薩へ自らの過ちを懺悔して、国家の安定と繁栄、民の幸福を祈願する悔過の法要のことだ。
それは罪過の積み重ねが災禍を生むという考え方が根底にあり、本尊の前で過去に犯してきた様々な過ちを発露懺悔することで幸福を呼び込もうとする儀式だ。修二会は国家鎮護のために国の威信を賭けて行われた大仏造立の理念を支えている。
「お水取りは自分の犯した罪を観音菩薩に告白して許しを請う儀式なんだ」
「なんだ、それ? キリスト教みたいじゃん」
博紀の口からキリスト教なんて言葉を聞いたのは初めてだった。皐月はなんだか嬉しくなってきた。博紀とは秀真とは違った深い話ができるかもしれない。
「本当、そうだよな。で、どうしてそんなことをするのかっていうと、大仏と関係があるみたいなんだ」
「大仏?」
「大仏を作った理由は病気や自然災害から仏教の力で社会の不安を鎮めようとしたことだって授業で習ったよね。その時代には罪や穢れが災いを生むって考え方があったんだ」
茂之が頷いた。茂之に話が届いたことで皐月は安心して話を続けられた。
「それなら罪や過ちを悔い改めたら、災いがなくなり、幸せを引き寄せて、平和な世の中になるだろう、と考えたんだ」
皐月は誰にでもわかるように簡単な言葉で言い換えてみた。これで通じているかどうか不安だったし、自分の言ったことが合っているかどうかも自信がなかった。なにしろ修学旅行前に慌てて調べたことだからだ。
「なんかスピっぽいな」
実果子が現代の新宗教、スピリチュアルを引き合いに出してきた。実果子が少しでもオカルト的なことに興味があるのなら、匂い袋の交換の話を知っていたかもしれない。
五年生の時、実果子はオカルトには全く興味を示してはいなかった。皐月は実果子に対する認識を改めねばと思った。
「因果応報というか、カルマの法則の応用だな」
「応用?」
秀真が突っ込んできた。秀真とはカルマの法則について話をしたことがあるが、皐月は二月堂とのかかわりをここで始めて話す。
「仏教には業という考え方があって、良いことをすれば良いことが返ってきて、悪いことをすれば悪いことが返ってくるんだって。よく聞く話じゃない?」
「そうか……それってスピじゃなくて仏教なんだ。そりゃそうだよな……東大寺だから」
実果子の反応は素直だが、皐月はまだ最後まで話をしていない。秀真から話の主導権を取り戻したい。
「そう。でも因果応報なら、罪を犯さなかったから幸せになるわけで、罪を犯さないようにするから先に幸せにしてくれっていうのは順序が逆だ。悪いことをした後で謝って、『謝ったから許せ、ご褒美をよこせ』だなんて虫のいい話だよな?」
皐月は実果子を見つめながら話をしていた。実果子と華鈴は真剣な顔をして話を聞いていた。
「でも、二月堂の本尊の観音菩薩は慈悲深い仏なんだ。だから、こんなお願いでも聞いてもらえると信じたんだ」
修二会は宗教的儀式だから、信じることが全ての始まりだ。皐月は修二会がそういう意図で行われていると考えている。
修二会は「お水取り」の行事が有名で、奈良の早春の風物詩だ。二月堂の建造の主な目的は修二会をするためだと言われている。
「なあ。お前、昨日の夕食の時、二月堂の仏像って絶対秘仏だって言ってたよな。あれってどういう意味だ?」
藤城皐月が感慨に耽っているところに月花博紀が話しかけてきた。好きな女子たちといい感じのところを邪魔され、皐月は少しイラっとした。
「お前、そんな話よく覚えてるな……。秘仏っていうのは秘蔵の仏像っていう意味で、何十年に一回とか、時々一般公開したりするんだ。その中でも絶対秘仏っていうのは寺の僧侶ですら姿を見られない、封印された仏像のことだ」
「じゃあ、その絶対秘仏がここにあるってことか?」
「まあ、そうなんじゃないかな……。本尊の仏像は開けてはならない厨子の中に入ってるらしいよ」
皐月は絶対秘仏に疑問を持っていた。こんな事を思ってはいけないのかもしれないが、たかだか仏像なのに絶対に見てはいけないなどということは有り得ない。なぜなら中の仏像の無事が確認できないからだ。
本尊を見てはいけないということは現物がそこにないからで、そのことを隠すために絶対秘仏という設定にしているのではないか。皐月は24時間参拝が可能なセキュリティーの甘い二月堂に絶対秘仏など置かれているはずがないと信じている。
「その絶対秘仏っていうのは何という神様?」
村中茂之は神と仏を混同している。だが、皐月はこういう茂之のような捉え方が日本の仏教の特色だと思っている。手を合わせる対象は縁なき衆生にしてみれば、神でも仏でもどちらでもよい。
「十一面観音菩薩っていうんだ。東大寺が今の東大寺になる前の小さなお寺だった頃は、聖武天皇の奥さんの光明皇后が十一面観音菩薩を信仰していたんだ。この仏は人々の苦しみを取り除いてくれると信じられている」
皐月の周りに人が集まり始めた。
博紀の傍に松井晴香と筒井美耶がやって来て、江嶋華鈴の隣に栗林真理と二橋絵梨花がいた。神谷秀真と前島先生は少し離れたところで皐月の話を聞いていたようだ。秀真がニヤニヤした顔で皐月のことを見ていた。
「じゃあ、ここで行われるお水取りって行事の意味は? 学校から配布された『修学旅行のしおり』を見たんだけど、何の説明も書いていなくてさ……。皐月はお水取りのこと、何か知ってるのか?」
博紀が訪問先のことをあらかじめ調べていたことに皐月は驚いた。博紀は勉強もスポーツもできる優等生だが、成績に関係のないことを自分の意思で勉強するようなタイプだとは思っていなかったからだ。
「まあ、知ってるといえば知ってるけど、そんなに詳しくはないぞ」
皐月はこの日までに憶えておいた修二会の知識を記憶の中から引っ張り出した。
修二会とは本尊の十一面観音菩薩へ自らの過ちを懺悔して、国家の安定と繁栄、民の幸福を祈願する悔過の法要のことだ。
それは罪過の積み重ねが災禍を生むという考え方が根底にあり、本尊の前で過去に犯してきた様々な過ちを発露懺悔することで幸福を呼び込もうとする儀式だ。修二会は国家鎮護のために国の威信を賭けて行われた大仏造立の理念を支えている。
「お水取りは自分の犯した罪を観音菩薩に告白して許しを請う儀式なんだ」
「なんだ、それ? キリスト教みたいじゃん」
博紀の口からキリスト教なんて言葉を聞いたのは初めてだった。皐月はなんだか嬉しくなってきた。博紀とは秀真とは違った深い話ができるかもしれない。
「本当、そうだよな。で、どうしてそんなことをするのかっていうと、大仏と関係があるみたいなんだ」
「大仏?」
「大仏を作った理由は病気や自然災害から仏教の力で社会の不安を鎮めようとしたことだって授業で習ったよね。その時代には罪や穢れが災いを生むって考え方があったんだ」
茂之が頷いた。茂之に話が届いたことで皐月は安心して話を続けられた。
「それなら罪や過ちを悔い改めたら、災いがなくなり、幸せを引き寄せて、平和な世の中になるだろう、と考えたんだ」
皐月は誰にでもわかるように簡単な言葉で言い換えてみた。これで通じているかどうか不安だったし、自分の言ったことが合っているかどうかも自信がなかった。なにしろ修学旅行前に慌てて調べたことだからだ。
「なんかスピっぽいな」
実果子が現代の新宗教、スピリチュアルを引き合いに出してきた。実果子が少しでもオカルト的なことに興味があるのなら、匂い袋の交換の話を知っていたかもしれない。
五年生の時、実果子はオカルトには全く興味を示してはいなかった。皐月は実果子に対する認識を改めねばと思った。
「因果応報というか、カルマの法則の応用だな」
「応用?」
秀真が突っ込んできた。秀真とはカルマの法則について話をしたことがあるが、皐月は二月堂とのかかわりをここで始めて話す。
「仏教には業という考え方があって、良いことをすれば良いことが返ってきて、悪いことをすれば悪いことが返ってくるんだって。よく聞く話じゃない?」
「そうか……それってスピじゃなくて仏教なんだ。そりゃそうだよな……東大寺だから」
実果子の反応は素直だが、皐月はまだ最後まで話をしていない。秀真から話の主導権を取り戻したい。
「そう。でも因果応報なら、罪を犯さなかったから幸せになるわけで、罪を犯さないようにするから先に幸せにしてくれっていうのは順序が逆だ。悪いことをした後で謝って、『謝ったから許せ、ご褒美をよこせ』だなんて虫のいい話だよな?」
皐月は実果子を見つめながら話をしていた。実果子と華鈴は真剣な顔をして話を聞いていた。
「でも、二月堂の本尊の観音菩薩は慈悲深い仏なんだ。だから、こんなお願いでも聞いてもらえると信じたんだ」
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