2 : 30 a.m.の皇女様

吉田コモレビ

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自動販売機

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 皇女様というお方は、我が国の王と王女の一人娘。両親の溺愛が度を越している所為か、まともに学校にすら行かせてもらってないなんて風の噂も耳にしたりする。
 そんな彼女が今、僕の前で。夜の公園で。 

「あー喉渇いたよ少年」

 御伽噺の一ページのようだった瞬間は、皇女様の俗世めいた発言で終止符が打たれていた。自動販売機に向かう背中を僕は名残惜しそうに見つめる。
 
 綺麗だった。

 目蓋の裏には未ださっきの神秘的な光景が焼き付いている。花信風と銀髪が踊った瞬間を。僕が明瞭な意識に回復するまで数秒はかかった。
 彼女の方を見遣ると、青白い光を放つ文明の利器の前で立ち往生していた。どうしたんだろう。

「少年、ちょっと来てくれ」
「...はい」

 僕の方を向いて手招きをしてきた。僕は素直に従う。皇女様は何の変哲もない自動販売機の前で困惑していた。

「この『悪魔の血液』が欲しいのだが...買い方が分からんのだっ」

 物騒な名前の飲み物の正体はコーラだった。彼女は何故か釣り銭レバーをひっきりなしに引っ張っている。
 なるほど、自販機の利用法が分からないのか。筋金入りの箱入り娘と、もっぱら噂にはなってたけど、まさかここまでとは。紳士な僕は丁寧に教える。

「まず、小銭持ってます?」
「ああ持ってるぞ。このジャラジャラだろう?」

 ダッフルコートのポケットから弄り出したのは硬貨二枚。コーラを買うには十分なお金だ。

「それを一枚、ここに入れて下さい」
「はい...。おっ!ボタンが光ったぞ!」

 はにかむ彼女は年相応に可愛らしい。さわやかなフローラルの香りが漂っていた。それほどに接近していた事を悟った僕は、離れて目を逸らす。二つの影が長く伸びていた。

「それでコーラのとこボタンを押して...」
「む、届かぬ...『悪魔の血液』め...」

 背伸びをしてもギリギリ届かなくて、歯噛みしている。ここは僕がかわりに押してあげるのが優しさだろう。

「これ、ですね?押しますよ」
「頼むぅぅぅ...」
「はいはい」

 ガタン。
 鈍い音が響く。

「この透明の所から取り出せますよ」
「りょうかいだ」

 皇女様は細い腕を伸ばす。しかし「う?」とか「あ!」とか感嘆符っぽい声をあげながら、『悪魔の血液』を取り出すのに苦戦しているようだ。分かる。難しいよね、ペットボトル取り出すの。
 でも意外とすんなり念願の黒い液体を手にしていた。

「これこれーっ!」

 ぷしゅっっっ。

 爽快な開封音が公園に響く。僕も喉渇いたなー走って来たし。...とポケットを漁ったら何も入ってなかった。そうだ、僕は家を飛び出したんだ。
 皇女様は既にペットボトルに口をつけようとしている。

「立ったままだとお行儀悪いんで、あっち座りましょう」

 皇女様にまさか立ち飲みさせる訳にはいかないだろう。さっきのベンチへ誘導しようとすると。

「ちょっと待て少年。これはなんだ?」

 僕のパーカーの裾を引っ張って引き留めた。視線の先にはスロットよろしく赤く交互に点滅する数字が四つ。

「あーこれはですね。数字が揃ったらもう一本、タダで貰えるんですよ」
「タダでか!?すごいな!」

 食い入るように変わりゆく数字を見つめる彼女。とても「一度も当たってる人を見たことがない」なんて言えそうもないほど、真剣な表情をしていた。

「『2』、『2』、『2』...こい!」

 隣で皇女様は手をすり合わせて祈っている。
 大体最初の三つは揃うのだ。最後だけいっつも違う数字になる。
 違うはずなのに、今晩は。

「『2』だ!やったぞ少年!!」

 ビギナーズラックが遺憾なく発揮され、同じ数字が四つ並んでいた。彼女は飛び上がって喜び、僕にハイタッチを求めてくる。少し屈んで小さな手に僕の手を合わせると満足したように頷いた。

「~♪~♪」

 鼻歌混じりにタダのもう一本を選ぶ皇女様。手の届く一番下の段にあったコーンスープを押す。そして先程とうって変わって、缶をスムーズに取り出した。

「君にはこれをやろう、礼だ」

 僕にあったかい缶を放ってくる。
 うまくキャッチしようとギュっと握ったら、思いの外熱くて驚いた。あちち。

 何か別の、暖かさに触れた。

「ありがとう、ございます」

 渇いた喉にコーンスープって...。まあ、貰い物に文句なんかつけるはずがない。有り難く頂戴しよう。
 ゴクゴクゴク、と気持ちの良い喉越しが聞こえて隣を見ると、高貴な皇女様がコーラをラッパ飲みしている。結局立ったまま、だ。それにしてもこんなに男らしくコールドドリンクを飲む女性は初めて見た。

「ぷはぁっっ!うめぇ!うめぇ!これこれ!」

 既にほとんど残っていないペットボトルを握った皇女様は、『うめぇbot』と化している。なんだかそれは、とても微笑ましくて。

「お、初めて笑ったな少年!...どうだ?夜は楽しいだろ?」
「....はい!」

 僕は、にやけていたらしい。
 確かに身体全体を巡っていた得体の知れない不安は、いつの間にやら晴れていた。
 楽しい。今夜は、楽しい。

「そうだろ!...でもな少年」

 快活に彼女も笑っていたが、やがて笑みを引っ込める。真剣な表情で時計塔を見上げた。つられて僕も見ると、時刻は二時五十三分。
 もう三十分経っていたのか。楽しい時間は早く過ぎることを、失念していた。

「私は王城を抜け出していてな...そろそろお手伝いさんが起床してしまうのだぁ...」
「そう、ですよね...」

 時計から星空に視線を移した皇女様がぼやく。僕も同じように空を見たけど、彼女はどこか、違う場所を眺めている気がした。

「そういうことだっ」

 ほぼ残量のないコーラを傾けると、カビた金網のゴミ箱に投げ入れる。プラスチック同士がぶつかる音が空虚に響いた。

「少年。私の夜はここで終わってしまうが、君の夜はまだまだ続く」
「はい」

 彼女はしゃがんで、高価なスニーカーの紐をキツく締める。そして再び立ち上がった時は。
 最大級の笑顔で僕を見据えていた。天使が実在したら、きっと彼女のような笑い方をするのだろう。何もかもどうでもよくなるような天然の美しさ。

 遠くで車の排気音が鳴った。それ程にこの瞬間は静寂であった。

「不安なんて忘れちまうくらい、夜を楽しめ!...またな、少年!」

 今日初めて出会った皇女様は背を向ける。
 つま先をトントン、と地に叩きつけて足の居心地を確かめ、僕が入ってきた方とは反対にある出入口から走り去っていってしまった。

「はい...また」

 何とか絞り出した別れの挨拶は、彼女の耳に届いたのだろうか。
『おやすみ』でも『さよなら』でもなくて、『またな』だったことに束の間の安堵を得ながら見送る。
 彼女の笑顔が忘れられない。
 彼女の言葉が忘れられない。

 かしゅ。

 無意識にすっかり熱を失ったコーンスープのプルタブを引いていた。
 開封音、さっきのコーラよりも間抜けな、のんびりとした音。その音色を皮切りに、さっきまでの出来事が走馬灯のように思い出された。
 彼女はずっと、悲しそうな僕を、不安に塗れた自分を元気付けようとしてくれていたのだと悟った。ひたすら優しい、皇女様。

「...ありがとう」

 僕しかいない公園で、近くて遠かった彼女にお礼を言った。
 月だけが僕を見ていた。
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