2 : 30 a.m.の皇女様

吉田コモレビ

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不在①

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 遠のいた意識の中で、何者かがノックする音が聞こえた。僕の住むボロアパートに呼び鈴なんてモンは無い。

 半ば混濁状態の脳でドアチェーンを解除すると、宅急便だった。
 
 無言で受け取った段ボール箱には、官僚学校の教科書や案内の数々が乱雑に這っている。

 もう、あと一週間か。

 目を背けてきた現実は、再び襲ってくる。
 逃げよう、非現実に。二度寝をしよう。

 起きたら、夜だ。


*             *              *


 不気味な音を立てて閉まる扉を見届けてからふと景色を見遣ると、夜風でしなる枝がこれまた不気味な音を立てていた。
 
 寒い。
 奥歯を噛み締めて寒さを紛らわす。パーカーの袖の中に手を入れると、少しは暖が取れた。

 正直、頭の中は皇女様の事で一杯だ。笑った顔、頬を膨らませて怒った顔。

 そして、僕に教えを請う、子どもらしい一面。

 あの公園に向かう足取りは、必然、軽くなるのだ。寒さなんて、気にしてる場合じゃない。

 歩くのは車道のど真ん中。幼少期に興じた『白線しか通っちゃいけないゲーム』の要領で中央線を闊歩している。

 彼女と出会って七日目。

『夜を楽しめ』なんて言われたっけ。
『夜は自由だ』とも言っていたなあ。

 普段なら七日前、何をしていたなんて覚えていないのに、今週の七日間の夜は、手に取るように思い出せるのだ。
 
 自動販売機でコーラ買ったり、インスタントカメラでツーショット撮ったりカップヌードル食べたりバドミントン、側転したり、昨日は一緒にシュークリームを食べたり。

「お、またまたマジメンくんだぁ」

 ウヅキと再会したり。
 ...ん、ウヅキ?

「どしたー?この公園になんか用なのっ?」
 
 皇女様が腰掛けているはずの錆び付いたベンチには。本来いてはいけないその場所には。

「ウ、ウヅキ...?」
きぐー奇遇だねぇ」
 
 いつもなら防止柵を跨いで公園に入るのだが、今晩ばかりは躊躇う。
 ウヅキの人懐っこい笑顔が、青白い電灯に照らされている。

「どしたん?こんな時間にぃ~」

 彼女は嬉しさを顔一面に表して話しかけてくる。僕は動揺した。皇女様は何処。

 なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。
 
 僕の脳内では疑問符がマタドールのごとく華麗に飛び回り、危惧が胸を痛めつけていた。

 いや、落ち着け。

 僕は鉄柵を避け、公園に入る。普段より大きく聞こえる砂利の音を煩わしく感じながら、いつもの、いつもじゃないベンチに近づいた。

 皇女様はただ、ウヅキが先に公園に居たから、隠れてるだけかもしれない。
 もしかしたら夜、眠っちゃったのかもしれない。
 公園に来れなかった、妥当な理由は山ほど挙げられる。

 大丈夫だ。

「...ウヅキは、どしたの?」

 平静を装い、質問を質問で返した。

「あー私?私は.....えっと、バイトの帰り」

 ウヅキは僅かに言い淀む。なるほど、確かに紺色と黄緑のコンビニ制服だけど。
 それは公園に寄ってた理由にはならないだろう。
 まあ、言わないってことは言いたくないってことだ。僕も深い詮索はしない。

 こーやって、うまく線引きをするのだ。

「...そーなんだ。僕は散歩」
「こんな時間に?」
「こんな時間に」

 まさか皇女様と毎晩この公園で逢っている、なんて、とても言えない。

「ふうん...今日はあの小さいパーカーの娘、いないの?」

 パーカーの娘、つまり皇女様。
 確かウヅキには『親戚』って言って誤魔化したっけ。

「あーあの娘は実家帰ったよ、今日」
「そーなんだあ...」

 聞いておいて、興味なさそーな返事が返ってきた。ひどくないですか...まあ、興味持ってもらっても困るけど。
 
 それから沈黙。

 重苦しく感じているのは僕だけなのだろう、彼女は鼻歌を奏でながら投げ出した足をプラプラさせていた。
 どこかで聞いたことあるような旋律は...あれだ、合唱コンクールの課題曲だ。口パクでやり過ごした思い出はひどく懐かしい。

 そろそろ帰ろうかな...。

 一曲終わったのか、鼻歌が止む。僕はお別れを言おうと、軽く右手を挙げる。

「じゃあ...」
「あっ、待って。座って座って?」
「え、あ、うん...」

 引き留められた。
 断るのも難しかったので、言われ通りに座ってしまった。彼女は笑みは引っ込め、難しそうな顔をして口を噤む。

 ウヅキの明るめに脱色されたボブカットから発せられる甘い匂いが鼻腔をつつく。それに少しドキドキし、できるだけ彼女と距離を取ろうと端に寄った。寄り過ぎて、僕の右太腿は半分ベンチからはみ出ていた。

 なんだこの時間....。
 ウヅキが僕を引き止めた理由はなんだ。

 意を決して問いかけようと彼女の方を見ると、ウヅキも僕の目を見ていた。

 驚き、僕は視線を落とす。
 
「あの...マジメンくん。今晩会ったのは、何かの縁だし...」
「縁だし...なに?」

 ウヅキは息を深く吸って、吐く。
 それから切り出した。生真面目に、僕の方に体を向けてきた。

「相談があるの」

 似つかわしくない、凛とした声音が闇に吸引された。
 空には雲が多く、三日月はその背後に隠れている。
 されど、彼女は曝け出そうとしていた。
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