ライブ・エディット:世界を上書きする狂気の監督

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第2話:書き出し(エクスポート)

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 真田莉央が、何もない空間から突き出された「透明な刃」に貫かれて死んだあの日から、撮影現場の空気は腐敗した。  事故現場となった廃工場は警察によって封鎖されたが、本当の「異常」は、警察の立ち入り禁止テープの外側で、静かに、そして確実に増殖していた。

 助監督の山根夏帆は、莉央の通夜の帰り、ひとり深夜の制作事務所にいた。  監督の白石瑞希が失踪して三日。事務所内は、彼女が最後に飲んでいたコーヒーの残り香と、サーバーラックが吐き出す機械的な熱気に満ちていた。夏帆の役目は、警察に提出するために、瑞希が最期に編集していたはずの「事故当時のマスターデータ」をバックアップすることだった。

「……瑞希さん、本当にどこに消えちゃったんですか」

 夏帆がマウスを動かすたび、液晶モニターが不気味に明滅し、バックライトの寿命が尽きかけているような嫌な音を立てる。  共有サーバーの中に、覚えのない隠しフォルダが生成されていた。  フォルダ名は [RE-TAKE_莉央]。  震える指でそれをダブルクリックすると、一本の無機質な動画ファイルが現れる。ファイルサイズは「0バイト」。だが、再生ボタンを押した瞬間、スピーカーから鼓膜を逆撫でするような、金属同士を擦り合わせたような高周波のノイズが溢れ出した。

 画面に映し出されたのは、二年前の莉央のオーディション映像だった。  白い壁の前に立つ、まだ瑞々しく、生きていた頃の莉央。  だが、その映像は明らかに「壊れて」いた。  莉央の右顔面が激しいブロックノイズでドロドロに溶け落ち、まるで皮膚の下で無数の黒い虫が蠢いているように見える。彼女が何かを言おうと口を開くが、声は聞こえない。代わりに、編集ソフトの音声波形(オーディオデータ)が、画面を突き破って鋭いトゲのように夏帆の瞳へと伸びてくる。

『……ねえ、カホちゃん……』

 ノイズの隙間から、莉央の声が、すぐ耳元で囁かれたように響いた。  夏帆は椅子を蹴るようにして仰け反った。莉央は生前、一度も自分を「カホちゃん」などと呼んだことはない。いつも「山根さん」と、一定の距離を置いて接していたはずだ。

『……こっちに、きてよ……ここのほうが、すごく「解像度」が高いの。……痛みさえ、鮮明だよ』

 莉央の映像が、ゆっくりとカメラの方へ近づいてくる。  一歩、また一歩。  平面であるはずのモニターの奥から、莉央の瞳に宿る「不気味な光」が、三次元の奥行きを持って夏帆の存在を正確にロックオンした。  夏帆は恐怖のあまり、再生を強制終了させようとスペースキーを連打した。  だが、止まらない。  それどころか、モニターの下縁から「真紅の液体」が、じわりと染み出し始めた。

「嘘でしょ……何これ……」

 それは莉央が死んだ時に流した血と同じ、鉄の匂いがする生の血液だった。  血は液晶の表面を伝って滴り、キーボードの隙間を埋め、夏帆の指先にぬらりとまとわりつく。温かい。死者の血であるはずなのに、まるで生きている人間から今噴き出したような、生々しい拍動が伝わってくる。

 その時、夏帆の背後で、密閉されたはずの編集室に「カメラの三脚をガシャンと立てる音」が響いた。  振り返っても、そこには誰もいない。  ただ、暗闇の中に、ビデオカメラの「録画ランプ」を思わせる禍々しい赤い点だけが、暗闇に浮く獣の目のように一つだけ灯っている。

 夏帆は悲鳴を上げようとした。  しかし、彼女の視界に、この世の物理法則を無視した光景が広がる。  自分の視界の右下に、現実には存在するはずのない「赤いデジタル文字」が浮かび上がっていたのだ。

 [REC 00:04:13]

「私の……視界が、撮られてる……?」

 夏帆が瞬きをするたび、一瞬だけ世界に激しいスノーノイズが走る。  目を閉じるたびに暗転(フェードアウト)し、目を開けるたびに新しいアングルから自分の部屋が映し出される。現実の時間が、誰かの編集意志によって「カット割り」されている。夏帆の自由意志は奪われ、ただの「出演者(アセット)」へと引きずり下ろされていた。

 逃げようとドアへ向かったが、足元が急に「砂に足を取られるような感触」に変わった。  見下ろすと、事務所のフローリングがピクセル単位で崩れ落ち、虚無の黒へと吸い込まれている。剥がれ落ちた壁の向こう側から現れたのは、あの忌まわしい「廃工場のセット」だった。

「本番、アクション!」

 どこからか、瑞希の冷徹な声が、神の宣告のように響いた。  夏帆の目の前に、血まみれのドレスを着た莉央が立っていた。  莉央の顔はもう、人間のものではなかった。目も、鼻も、口も、すべてが漆黒の「広角レンズ」に置き換わり、夏帆の恐怖を何重にも反射させている。

『カホちゃん、いいリアクション。……今の表情、もっと強調(エンハンス)するね』

 莉央の手が、夏帆の首筋に伸びる。  その動きは、不自然なほどに滑らかで、それでいてフレームレートが狂ったようにカクついている。莉央の指が夏帆の皮膚に触れた瞬間、そこから「色」が急速に奪われていった。指先から腕へ、腕から胸へ。夏帆の肉体そのものが、粗い粒子で構成された白黒映像(モノクローム)へと変質していく。

「嫌……! 助けて! 瑞希さん、消したくない! 私を消さないで!」

 絶叫する夏帆の目の前で、モニターが最後のステータスを非情に映し出した。

 [EXPORTING: 山根夏帆.mov](書き出し中 89%...)

 夏帆の身体はもはや肉と骨ではなく、数千億のパルス信号へと解体されていた。  彼女が意識を失う直前に見たのは、三脚の横に立ち、カメラのファインダーを覗きながら、まるで最高傑作を撮り終えたかのように満足そうに微笑む瑞希の横顔だった。

 [EXPORT COMPLETE](書き出し完了)

 ガシャリ、とハードディスクの回転が止まる音が部屋に響き渡った。  制作事務所には、凍りつくような静寂が戻った。  莉央の血で汚れていたはずの床も、キーボードも、何事もなかったかのように乾ききっている。夏帆がそこにいた痕跡は、椅子の上に残された温かい上着だけだった。

 ただ、デスクの上に置かれた夏帆のスマホには、一通の自動通知が届いていた。

『新しい動画がクラウドにアップロードされました。タイトル:【山根夏帆:未使用テイク】』

 再生ボタンを押しても、画面には砂嵐しか映らない。  だが、ノイズの底から、夏帆の震える吐息と、何かを切り刻む「編集用カッターの音」だけが、永遠に、終わりのないループを繰り返していた。
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