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第3話:ボツ(アーカイブ)の逆襲
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助監督・山根夏帆がデジタルデータの塵となって消えてから、制作事務所の時間は、不気味なほどの静寂を伴って「静止」した。
白石瑞希は、自分が作り出した底なしのアーカイブの中にいた。そこはもはや、物理的な壁や天井を失い、代わりに過去数年間に彼女が撮影し、そして無慈悲に「切り捨ててきた」膨大なボツ映像の断片が、夜の海のようにうねりながら漂う異形の空間だった。
暗黒の空間の中央に、重々しく鎮座する一台の古いブラウン管テレビ。 その画面がパチパチと静電気を上げながら砂嵐を巻き起こし、二年前の「あの日」の映像を、記憶の底から引きずり出した。
「真田莉央、二十三歳。特技は……泣くことです。どんな感情でも、三秒で形にできます」
画面の中の莉央は、まだ瑞希の毒に侵される前の、瑞々しくも脆い瞳をしていた。オーディションルームの白い蛍光灯に照らされた彼女は、必死に自分を「商品」として売り込もうとしていた。 だが、その映像を見つめる「当時」の瑞希の声が、スピーカーからノイズ混じりの冷徹な低音で響く。
『莉央さん。あなた、自分の何に価値があると思っているの? その綺麗な顔? そんなものは、この業界には腐るほどある。私が欲しいのは、もっと「汚い」ものよ。見せかけの涙なんていらない。本物の、剥き出しの絶望を見せなさい』
瑞希は思い出す。当時、莉央が家庭崩壊と多額の借金に苦しみ、崖っぷちの状態でこのオーディションに懸けていたことを、瑞希は事前に調べて知っていた。莉央は瑞希の圧倒的な才能を崇拝し、この監督なら自分という泥沼の中から「別の何か」を掘り起こしてくれると、切実な救いを求めていたのだ。
だが、瑞希が莉央に与えたのは救済ではなく、レンズ越しの「精神解剖」だった。
『もっと惨めに。親に捨てられ、誰からも愛されない、その空っぽな自分を曝け出しなさい。演じるんじゃない、欠陥品としての自分を差し出すのよ。それができないなら、カメラの前に立つ資格はない』
瑞希の執拗な追い込みに応えるように、画面の中の莉央が膝から崩れ落ちる。 嗚咽を漏らし、鼻水を流し、自尊心を粉々に砕かれた莉央。その姿は、一人の人間というより、ただの「壊れた肉体」だった。 その瞬間、ファインダー越しにそれを見ていた当時の瑞希は、興奮で指先を震わせながらシャッターを切った。彼女は莉央の人生の悲劇を悼むどころか、「最高の被写体(素材)を見つけた」という悦びに浸り、莉央の全人格的な痛みを、単なる「質の高い映像データ」として消費したのだ。
瑞希の視線そのものが、鋭利なカッターとなって、莉央という人間の尊厳を薄く削ぎ落としていた。
「……私は、ただ、撮りたかっただけよ。あなたを誰よりも美しく、映像に残してあげたかった……!」
現在の瑞希が震える声で弁明すると、ブラウン管の画面にバリバリと巨大なヒビが入った。 ガラスが砕ける不快な音と共に、画面の中から莉央の、骨が浮き出るほど細い指が突き出される。その指先は現実の空気をカッターのように裂き、瑞希の頬をゆっくりと撫でた。
『監督……あなたは私を見ていたんじゃない。私を「通して」、自分の虚栄心を満たすための最高傑作を見ていただけ。私の人生の破滅は、あなたのタイムラインを飾るための、ただのテクスチャ(色彩)だったのね』
莉央の声が、四方の壁一面に配置された無数のスピーカーから、異なる位相反転を伴って響き渡る。瑞希は耳を塞いだが、声は鼓膜を無視し、直接脳内の音声トラックへ強制的に上書きされるように鳴り響いた。
瑞希が逃げようと足を踏み出すと、足元からコンクリートの感覚が消えた。 そこはいつの間にか、現像前の真っ黒な「感光液(ネガ)」で満たされた底なしのプールに変わっている。瑞希がこれまで「不要」として無慈悲に削除(デリート)してきた、名もなきエキストラたちの叫びや、失敗して捨てられたカットの残像が、黒い泥のような無数の手となって彼女の足首に絡みついた。
アーカイブ室の壁面が、激しいストロボライトと共に切り替わる。 映し出されたのは、莉央の死後、瑞希が自覚なく「脳内のレンズ」で回し続けていた記録映像だった。 莉央の母親が病院の廊下で膝から泣き崩れる姿。その悲劇の映像の横に、不自然な「編集ソフトの境界線」と「瑞希の冷酷な編集ログ」がデジタル文字で刻まれている。
[Effect: Saturation -20% / Mood: High-Tragedy / Editor: Mizuki_S]
「違う! これは、私が撮ったんじゃない! 勝手に記録されてるのよ!」
『いいえ、撮っているわ。あなたの「眼」はもう、人間の器官じゃない。世界をすべて、自分のための「不幸なコンテンツ」に変換して消費してしまう、呪われたレンズよ。……ほら、今の自分の顔さえ、最高の『画』だと思っているでしょう?』
莉央の顔が部屋全体を覆い尽くすほど巨大化し、天井から瑞希を見下ろす。 莉央の瞳は、カチ、カチと金属音を立てて絞りが高速開閉するカメラレンズそのものに置き換わり、瑞希の恐怖に歪んだ顔を、容赦のない4K解像度で克明に記録していく。
瑞希は悟った。この現象の正体は、死者の怨念という安っぽいオカルトではない。 他人の痛みすら「美」という記号としてしか消費できない、瑞希自身の冷酷なクリエイティビティ(創造性)そのものが、現実世界をデジタルな地獄へとレンダリング(生成)し、バグを引き起こしてしまったのだ。
瑞希の目からこぼれ落ちた一滴の涙が、床に触れる前に青い光の粒子(ピクセル)へと分解される。彼女の皮膚の下を流れる血は、もはや赤ではなく、RGBの三原色が混ざり合う激しい電子ノイズへと変質していた。
『監督、次はあなたが「世界で一番惨めな素材」になる番よ』
莉央の巨大な手が、空中に浮かぶ巨大な「編集用タイムライン」のシークバーを掴んだ。 莉央がそれを力任せに左へとリワインド(巻き戻し)すると、瑞希の意識は、文字通り「編集」された。
「あああああ……っ!! 脳が、書き換えられる……!!」
過去の記憶が高速で逆再生され、脳細胞がショートして焼き切れるような激痛が走る。 瑞希の意識は、二年前のあのオーディションルームへと強制的に引き戻された。当時の冷酷な自分と、今の怯える自分が、一つのフレームの中で二重露光(多重合成)され、激しいノイズと共に醜く溶け合っていく。
アーカイブ室の出口は、もはやどこにもない。 瑞希は、自分が莉央を「魂まで使い捨てた」あの密室という名のループの中に、永遠に閉じ込められたのだ。
ふと、目の前の空中に、冷徹なシステムメッセージが表示された。
[New Project Title: 復讐のディレクターズカット] [Current Status: Recording...] [Main Cast: 白石瑞希]
瑞希が最後に見たのは、自分をあざ笑うように取り囲む、無数の赤く光る録画ランプの群れだった。 彼女はもはや人間ではない。自分自身の罪を永遠に上映し続けるための、たった一つの「動画ファイル」へと書き換えられようとしていた。
白石瑞希は、自分が作り出した底なしのアーカイブの中にいた。そこはもはや、物理的な壁や天井を失い、代わりに過去数年間に彼女が撮影し、そして無慈悲に「切り捨ててきた」膨大なボツ映像の断片が、夜の海のようにうねりながら漂う異形の空間だった。
暗黒の空間の中央に、重々しく鎮座する一台の古いブラウン管テレビ。 その画面がパチパチと静電気を上げながら砂嵐を巻き起こし、二年前の「あの日」の映像を、記憶の底から引きずり出した。
「真田莉央、二十三歳。特技は……泣くことです。どんな感情でも、三秒で形にできます」
画面の中の莉央は、まだ瑞希の毒に侵される前の、瑞々しくも脆い瞳をしていた。オーディションルームの白い蛍光灯に照らされた彼女は、必死に自分を「商品」として売り込もうとしていた。 だが、その映像を見つめる「当時」の瑞希の声が、スピーカーからノイズ混じりの冷徹な低音で響く。
『莉央さん。あなた、自分の何に価値があると思っているの? その綺麗な顔? そんなものは、この業界には腐るほどある。私が欲しいのは、もっと「汚い」ものよ。見せかけの涙なんていらない。本物の、剥き出しの絶望を見せなさい』
瑞希は思い出す。当時、莉央が家庭崩壊と多額の借金に苦しみ、崖っぷちの状態でこのオーディションに懸けていたことを、瑞希は事前に調べて知っていた。莉央は瑞希の圧倒的な才能を崇拝し、この監督なら自分という泥沼の中から「別の何か」を掘り起こしてくれると、切実な救いを求めていたのだ。
だが、瑞希が莉央に与えたのは救済ではなく、レンズ越しの「精神解剖」だった。
『もっと惨めに。親に捨てられ、誰からも愛されない、その空っぽな自分を曝け出しなさい。演じるんじゃない、欠陥品としての自分を差し出すのよ。それができないなら、カメラの前に立つ資格はない』
瑞希の執拗な追い込みに応えるように、画面の中の莉央が膝から崩れ落ちる。 嗚咽を漏らし、鼻水を流し、自尊心を粉々に砕かれた莉央。その姿は、一人の人間というより、ただの「壊れた肉体」だった。 その瞬間、ファインダー越しにそれを見ていた当時の瑞希は、興奮で指先を震わせながらシャッターを切った。彼女は莉央の人生の悲劇を悼むどころか、「最高の被写体(素材)を見つけた」という悦びに浸り、莉央の全人格的な痛みを、単なる「質の高い映像データ」として消費したのだ。
瑞希の視線そのものが、鋭利なカッターとなって、莉央という人間の尊厳を薄く削ぎ落としていた。
「……私は、ただ、撮りたかっただけよ。あなたを誰よりも美しく、映像に残してあげたかった……!」
現在の瑞希が震える声で弁明すると、ブラウン管の画面にバリバリと巨大なヒビが入った。 ガラスが砕ける不快な音と共に、画面の中から莉央の、骨が浮き出るほど細い指が突き出される。その指先は現実の空気をカッターのように裂き、瑞希の頬をゆっくりと撫でた。
『監督……あなたは私を見ていたんじゃない。私を「通して」、自分の虚栄心を満たすための最高傑作を見ていただけ。私の人生の破滅は、あなたのタイムラインを飾るための、ただのテクスチャ(色彩)だったのね』
莉央の声が、四方の壁一面に配置された無数のスピーカーから、異なる位相反転を伴って響き渡る。瑞希は耳を塞いだが、声は鼓膜を無視し、直接脳内の音声トラックへ強制的に上書きされるように鳴り響いた。
瑞希が逃げようと足を踏み出すと、足元からコンクリートの感覚が消えた。 そこはいつの間にか、現像前の真っ黒な「感光液(ネガ)」で満たされた底なしのプールに変わっている。瑞希がこれまで「不要」として無慈悲に削除(デリート)してきた、名もなきエキストラたちの叫びや、失敗して捨てられたカットの残像が、黒い泥のような無数の手となって彼女の足首に絡みついた。
アーカイブ室の壁面が、激しいストロボライトと共に切り替わる。 映し出されたのは、莉央の死後、瑞希が自覚なく「脳内のレンズ」で回し続けていた記録映像だった。 莉央の母親が病院の廊下で膝から泣き崩れる姿。その悲劇の映像の横に、不自然な「編集ソフトの境界線」と「瑞希の冷酷な編集ログ」がデジタル文字で刻まれている。
[Effect: Saturation -20% / Mood: High-Tragedy / Editor: Mizuki_S]
「違う! これは、私が撮ったんじゃない! 勝手に記録されてるのよ!」
『いいえ、撮っているわ。あなたの「眼」はもう、人間の器官じゃない。世界をすべて、自分のための「不幸なコンテンツ」に変換して消費してしまう、呪われたレンズよ。……ほら、今の自分の顔さえ、最高の『画』だと思っているでしょう?』
莉央の顔が部屋全体を覆い尽くすほど巨大化し、天井から瑞希を見下ろす。 莉央の瞳は、カチ、カチと金属音を立てて絞りが高速開閉するカメラレンズそのものに置き換わり、瑞希の恐怖に歪んだ顔を、容赦のない4K解像度で克明に記録していく。
瑞希は悟った。この現象の正体は、死者の怨念という安っぽいオカルトではない。 他人の痛みすら「美」という記号としてしか消費できない、瑞希自身の冷酷なクリエイティビティ(創造性)そのものが、現実世界をデジタルな地獄へとレンダリング(生成)し、バグを引き起こしてしまったのだ。
瑞希の目からこぼれ落ちた一滴の涙が、床に触れる前に青い光の粒子(ピクセル)へと分解される。彼女の皮膚の下を流れる血は、もはや赤ではなく、RGBの三原色が混ざり合う激しい電子ノイズへと変質していた。
『監督、次はあなたが「世界で一番惨めな素材」になる番よ』
莉央の巨大な手が、空中に浮かぶ巨大な「編集用タイムライン」のシークバーを掴んだ。 莉央がそれを力任せに左へとリワインド(巻き戻し)すると、瑞希の意識は、文字通り「編集」された。
「あああああ……っ!! 脳が、書き換えられる……!!」
過去の記憶が高速で逆再生され、脳細胞がショートして焼き切れるような激痛が走る。 瑞希の意識は、二年前のあのオーディションルームへと強制的に引き戻された。当時の冷酷な自分と、今の怯える自分が、一つのフレームの中で二重露光(多重合成)され、激しいノイズと共に醜く溶け合っていく。
アーカイブ室の出口は、もはやどこにもない。 瑞希は、自分が莉央を「魂まで使い捨てた」あの密室という名のループの中に、永遠に閉じ込められたのだ。
ふと、目の前の空中に、冷徹なシステムメッセージが表示された。
[New Project Title: 復讐のディレクターズカット] [Current Status: Recording...] [Main Cast: 白石瑞希]
瑞希が最後に見たのは、自分をあざ笑うように取り囲む、無数の赤く光る録画ランプの群れだった。 彼女はもはや人間ではない。自分自身の罪を永遠に上映し続けるための、たった一つの「動画ファイル」へと書き換えられようとしていた。
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