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第4話:レンダリングの生贄
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白石瑞希が消失した編集室。その後を追うように失踪した夏帆。制作事務所は今や、足を踏み入れた者の存在をデジタルノイズへと変換し、無慈悲に粉砕する巨大なシュレッダーと化していた。
瑞希の後輩であり、撮影助手として彼女の背中を、誰よりも近くで、誰よりも純粋に追い続けてきた志穂は、震える手で編集室の重いドアを開けた。彼女の目的はただ一つ、憧れの先輩である瑞希を、この底なしの異常な連鎖から救い出すことだった。
「瑞希さん……! いるんでしょ? 答えてください、瑞希さん!」
志穂の声は、不自然なリバーブ(残響)を伴って、金属質な壁に跳ね返ってきた。 室内はすでに、志穂の知る事務所の形を留めていなかった。床は無限に広がるグレーの「プレビュー画面」へと変貌し、天井からは無数のLANケーブルが、絞首刑の縄のように、あるいは獲物を待つ蜘蛛の糸のように垂れ下がっている。空気は高電圧のオゾンと、過熱した基板が焼けるような電子の臭いに満ち、肌に触れるだけで静電気がパチパチと痛みを走らせた。
志穂が部屋の奥へと進むと、宙に浮かぶ巨大なホログラム・ディスプレイが、瑞希の脳内から漏れ出した「記憶の断片」を無秩序に再生し始めた。 そこには、第1話で莉央が刺されたあの瞬間の映像が、現場には存在しなかったはずの、何百ものアングルから映し出されていた。
「これ……事故の時の映像……? でも、こんなカメラ、置いてなかったはず……」
志穂は立ち止まり、その中の一つの画面に目を奪われた。 それは、どのスタッフも、どの固定カメラも記録していなかったはずの、真上(俯瞰)からのアングル――神の視点だった。
映像の中の莉央が、恐怖に怯えながら振り返る。その背後に、瑞希が立っている。 だが、その瑞希の姿は異様だった。彼女の輪郭は激しい残像(モーションブラー)を伴ってブレ、まるで複数の時間軸が一つに重なり合ったかのように、無数の「瑞希」が莉央を取り囲んでいた。 そして、志穂は見てしまった。
瑞希の右手が、まるで映像を「クロップ(切り抜き)」するように、莉央の背中の空間に触れた瞬間、そこから真っ赤な鮮血が噴き出すのを。 瑞希はナイフなど持っていなかった。彼女は、ただ空中で「切る(カット)」というジェスチャーをしただけだった。その、彼女の「ここを切断したい」という強烈な編集意志が、現実の莉央の肉体を、物理的に、そしてデジタル的に切断(カット)したのだ。
「そんな……瑞希さんが、直接……? 瑞希さんの『指』が、莉央さんを……?」
『……気づいちゃった? シホちゃん。いい視点(アングル)を持ってるわね』
背後から、幾重にも重なり合った瑞希の声がした。 志穂が悲鳴を堪えて振り返ると、そこには無数のLANケーブルに全身を繋がれ、脊髄に光ファイバーを突き刺された状態で、空中を浮遊する瑞希がいた。彼女の瞳はすでに人間らしい焦点を失っており、真っ白な瞳孔の中では、常にデータの読み込みを示す「保存中(Saving...)」のアイコンが不気味に回転し続けている。
「瑞希さん! 逃げましょう、ここは狂ってます! 莉央さんは事故だったんですよね? 瑞希さんがやったんじゃないって、そう言ってください!」
志穂が泣きながら駆け寄ろうとするが、いくら足を動かしても、瑞希との距離は縮まらない。瑞希との間の空間そのものが、編集ソフトの機能のようにリアルタイムで「タイムストレッチ(引き伸ばし)」され、一歩が数キロメートルの距離に変えられているのだ。
『事故じゃないわ。でも、殺意でもなかった。私はただ……莉央のあの時の表情、あの絶望の色が、これまでの人生で見たどんな景色よりも「完璧な素材」に見えたの。だから、その瞬間を終わらせたくなかった。このタイムラインの上に、永遠に定着(フリーズフレーム)させたかったのよ』
瑞希が虚空に指を走らせると、志穂の目の前に新しいウィンドウが開いた。 そこには、瑞希が脳内の秘密フォルダに隠し持っていた、秘蔵の未公開ファイルがあった。 タイトルは [TRUTH_UNEDITED](加工なしの真実)。
再生された映像の中で、莉央が息絶える直前、瑞希は崩れ落ちる彼女の耳元で、恋人に囁くような熱量でこう呟いていた。
『莉央。死ぬ瞬間のその絶望、最高の「素材」よ。……ありがとう、これで私の映画は完成するわ』
志穂は、膝の震えが止まらなかった。瑞希を支配していたのは、莉央の呪いなどではなかった。それは、「完璧な完成のためなら、生身の現実すら編集の犠牲にしていい」という、創造者としての傲慢な怪物だった。莉央の怨念は、瑞希のその歪んだ欲望を、より鮮明に「レンダリング」するためのフィルターに過ぎなかったのだ。
「瑞希さん……あなたは、もう人間じゃない。ただの、冷たい機械だよ……!」
『そうね。私は今、最高の「編集環境」を手に入れたの。ここでは、誰の命も、どんな忌まわしい過去も、私の指一つで自由自在。シホちゃん、あなたも協力してくれるわよね? ちょうど、次のシーンには「信頼していた者に裏切られた絶望」というエッセンスが必要だったの』
瑞希が冷酷な笑みを浮かべ、志穂の心臓の位置に向かって、マウスのポインターのような赤い光を合わせた。 志穂の足元が、急激に熱を帯び、電子レンジの中に放り込まれたような不快な振動が全身を走る。 見下ろすと、床のプレビュー画面に [RENDERING IN PROGRESS](書き出し中) という進行状況を示すプログレスバーが表示され、志穂の脚が、テクスチャの剥がれた粗いポリゴンへと書き換えられ始めていた。
「嫌……っ! 来ないで! 私を素材にしないで!」
志穂は必死に手を伸ばしたが、彼女の指先は瑞希に触れる直前で、次元を失い、一枚の「低解像度なjpeg画像」のように薄く、平面的に固まった。
瑞希は慈愛に満ちた、しかし完璧に狂った手つきで、志穂の頬――もはやただのドットの集合体となった箇所――を撫でようとした。
『大丈夫よ、痛くないわ。ただのデータになるだけ。あなたのその美しい悲鳴も、最高音質でサンプリングして、永遠のループに入れてあげる』
志穂の肉体が、眩い光の粒子となって瑞希のシステムに取り込まれていく。 志穂が消失する直前、最後に見たのは、瑞希の背後に立つ、真っ黒なノイズの塊のような莉央の影が、瑞希の首に優しく、しかし絞め殺すように腕を回している姿だった。
編集室に、最後の一撃となる冷たい「クリック音」が響いた。
[FILE SAVED: 志穂_Final_Take.mp4]
瑞希は一人、誰もいなくなったフレームの中で、満足そうにモニターを眺めていた。だが、彼女自身の輪郭もまた、ゆっくりと、しかし確実に崩壊(ピクセルアウト)し始めていた。彼女は自分が監督だと思っていたが、実際には彼女自身もまた、より巨大な「何か」に編集されるための素材に過ぎなかったのだ。
瑞希の後輩であり、撮影助手として彼女の背中を、誰よりも近くで、誰よりも純粋に追い続けてきた志穂は、震える手で編集室の重いドアを開けた。彼女の目的はただ一つ、憧れの先輩である瑞希を、この底なしの異常な連鎖から救い出すことだった。
「瑞希さん……! いるんでしょ? 答えてください、瑞希さん!」
志穂の声は、不自然なリバーブ(残響)を伴って、金属質な壁に跳ね返ってきた。 室内はすでに、志穂の知る事務所の形を留めていなかった。床は無限に広がるグレーの「プレビュー画面」へと変貌し、天井からは無数のLANケーブルが、絞首刑の縄のように、あるいは獲物を待つ蜘蛛の糸のように垂れ下がっている。空気は高電圧のオゾンと、過熱した基板が焼けるような電子の臭いに満ち、肌に触れるだけで静電気がパチパチと痛みを走らせた。
志穂が部屋の奥へと進むと、宙に浮かぶ巨大なホログラム・ディスプレイが、瑞希の脳内から漏れ出した「記憶の断片」を無秩序に再生し始めた。 そこには、第1話で莉央が刺されたあの瞬間の映像が、現場には存在しなかったはずの、何百ものアングルから映し出されていた。
「これ……事故の時の映像……? でも、こんなカメラ、置いてなかったはず……」
志穂は立ち止まり、その中の一つの画面に目を奪われた。 それは、どのスタッフも、どの固定カメラも記録していなかったはずの、真上(俯瞰)からのアングル――神の視点だった。
映像の中の莉央が、恐怖に怯えながら振り返る。その背後に、瑞希が立っている。 だが、その瑞希の姿は異様だった。彼女の輪郭は激しい残像(モーションブラー)を伴ってブレ、まるで複数の時間軸が一つに重なり合ったかのように、無数の「瑞希」が莉央を取り囲んでいた。 そして、志穂は見てしまった。
瑞希の右手が、まるで映像を「クロップ(切り抜き)」するように、莉央の背中の空間に触れた瞬間、そこから真っ赤な鮮血が噴き出すのを。 瑞希はナイフなど持っていなかった。彼女は、ただ空中で「切る(カット)」というジェスチャーをしただけだった。その、彼女の「ここを切断したい」という強烈な編集意志が、現実の莉央の肉体を、物理的に、そしてデジタル的に切断(カット)したのだ。
「そんな……瑞希さんが、直接……? 瑞希さんの『指』が、莉央さんを……?」
『……気づいちゃった? シホちゃん。いい視点(アングル)を持ってるわね』
背後から、幾重にも重なり合った瑞希の声がした。 志穂が悲鳴を堪えて振り返ると、そこには無数のLANケーブルに全身を繋がれ、脊髄に光ファイバーを突き刺された状態で、空中を浮遊する瑞希がいた。彼女の瞳はすでに人間らしい焦点を失っており、真っ白な瞳孔の中では、常にデータの読み込みを示す「保存中(Saving...)」のアイコンが不気味に回転し続けている。
「瑞希さん! 逃げましょう、ここは狂ってます! 莉央さんは事故だったんですよね? 瑞希さんがやったんじゃないって、そう言ってください!」
志穂が泣きながら駆け寄ろうとするが、いくら足を動かしても、瑞希との距離は縮まらない。瑞希との間の空間そのものが、編集ソフトの機能のようにリアルタイムで「タイムストレッチ(引き伸ばし)」され、一歩が数キロメートルの距離に変えられているのだ。
『事故じゃないわ。でも、殺意でもなかった。私はただ……莉央のあの時の表情、あの絶望の色が、これまでの人生で見たどんな景色よりも「完璧な素材」に見えたの。だから、その瞬間を終わらせたくなかった。このタイムラインの上に、永遠に定着(フリーズフレーム)させたかったのよ』
瑞希が虚空に指を走らせると、志穂の目の前に新しいウィンドウが開いた。 そこには、瑞希が脳内の秘密フォルダに隠し持っていた、秘蔵の未公開ファイルがあった。 タイトルは [TRUTH_UNEDITED](加工なしの真実)。
再生された映像の中で、莉央が息絶える直前、瑞希は崩れ落ちる彼女の耳元で、恋人に囁くような熱量でこう呟いていた。
『莉央。死ぬ瞬間のその絶望、最高の「素材」よ。……ありがとう、これで私の映画は完成するわ』
志穂は、膝の震えが止まらなかった。瑞希を支配していたのは、莉央の呪いなどではなかった。それは、「完璧な完成のためなら、生身の現実すら編集の犠牲にしていい」という、創造者としての傲慢な怪物だった。莉央の怨念は、瑞希のその歪んだ欲望を、より鮮明に「レンダリング」するためのフィルターに過ぎなかったのだ。
「瑞希さん……あなたは、もう人間じゃない。ただの、冷たい機械だよ……!」
『そうね。私は今、最高の「編集環境」を手に入れたの。ここでは、誰の命も、どんな忌まわしい過去も、私の指一つで自由自在。シホちゃん、あなたも協力してくれるわよね? ちょうど、次のシーンには「信頼していた者に裏切られた絶望」というエッセンスが必要だったの』
瑞希が冷酷な笑みを浮かべ、志穂の心臓の位置に向かって、マウスのポインターのような赤い光を合わせた。 志穂の足元が、急激に熱を帯び、電子レンジの中に放り込まれたような不快な振動が全身を走る。 見下ろすと、床のプレビュー画面に [RENDERING IN PROGRESS](書き出し中) という進行状況を示すプログレスバーが表示され、志穂の脚が、テクスチャの剥がれた粗いポリゴンへと書き換えられ始めていた。
「嫌……っ! 来ないで! 私を素材にしないで!」
志穂は必死に手を伸ばしたが、彼女の指先は瑞希に触れる直前で、次元を失い、一枚の「低解像度なjpeg画像」のように薄く、平面的に固まった。
瑞希は慈愛に満ちた、しかし完璧に狂った手つきで、志穂の頬――もはやただのドットの集合体となった箇所――を撫でようとした。
『大丈夫よ、痛くないわ。ただのデータになるだけ。あなたのその美しい悲鳴も、最高音質でサンプリングして、永遠のループに入れてあげる』
志穂の肉体が、眩い光の粒子となって瑞希のシステムに取り込まれていく。 志穂が消失する直前、最後に見たのは、瑞希の背後に立つ、真っ黒なノイズの塊のような莉央の影が、瑞希の首に優しく、しかし絞め殺すように腕を回している姿だった。
編集室に、最後の一撃となる冷たい「クリック音」が響いた。
[FILE SAVED: 志穂_Final_Take.mp4]
瑞希は一人、誰もいなくなったフレームの中で、満足そうにモニターを眺めていた。だが、彼女自身の輪郭もまた、ゆっくりと、しかし確実に崩壊(ピクセルアウト)し始めていた。彼女は自分が監督だと思っていたが、実際には彼女自身もまた、より巨大な「何か」に編集されるための素材に過ぎなかったのだ。
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