ライブ・エディット:世界を上書きする狂気の監督

108

文字の大きさ
4 / 10

第4話:レンダリングの生贄

しおりを挟む
 白石瑞希が消失した編集室。その後を追うように失踪した夏帆。制作事務所は今や、足を踏み入れた者の存在をデジタルノイズへと変換し、無慈悲に粉砕する巨大なシュレッダーと化していた。

 瑞希の後輩であり、撮影助手として彼女の背中を、誰よりも近くで、誰よりも純粋に追い続けてきた志穂は、震える手で編集室の重いドアを開けた。彼女の目的はただ一つ、憧れの先輩である瑞希を、この底なしの異常な連鎖から救い出すことだった。

「瑞希さん……! いるんでしょ? 答えてください、瑞希さん!」

 志穂の声は、不自然なリバーブ(残響)を伴って、金属質な壁に跳ね返ってきた。  室内はすでに、志穂の知る事務所の形を留めていなかった。床は無限に広がるグレーの「プレビュー画面」へと変貌し、天井からは無数のLANケーブルが、絞首刑の縄のように、あるいは獲物を待つ蜘蛛の糸のように垂れ下がっている。空気は高電圧のオゾンと、過熱した基板が焼けるような電子の臭いに満ち、肌に触れるだけで静電気がパチパチと痛みを走らせた。

 志穂が部屋の奥へと進むと、宙に浮かぶ巨大なホログラム・ディスプレイが、瑞希の脳内から漏れ出した「記憶の断片」を無秩序に再生し始めた。  そこには、第1話で莉央が刺されたあの瞬間の映像が、現場には存在しなかったはずの、何百ものアングルから映し出されていた。

「これ……事故の時の映像……? でも、こんなカメラ、置いてなかったはず……」

 志穂は立ち止まり、その中の一つの画面に目を奪われた。  それは、どのスタッフも、どの固定カメラも記録していなかったはずの、真上(俯瞰)からのアングル――神の視点だった。

 映像の中の莉央が、恐怖に怯えながら振り返る。その背後に、瑞希が立っている。  だが、その瑞希の姿は異様だった。彼女の輪郭は激しい残像(モーションブラー)を伴ってブレ、まるで複数の時間軸が一つに重なり合ったかのように、無数の「瑞希」が莉央を取り囲んでいた。  そして、志穂は見てしまった。

 瑞希の右手が、まるで映像を「クロップ(切り抜き)」するように、莉央の背中の空間に触れた瞬間、そこから真っ赤な鮮血が噴き出すのを。  瑞希はナイフなど持っていなかった。彼女は、ただ空中で「切る(カット)」というジェスチャーをしただけだった。その、彼女の「ここを切断したい」という強烈な編集意志が、現実の莉央の肉体を、物理的に、そしてデジタル的に切断(カット)したのだ。

「そんな……瑞希さんが、直接……? 瑞希さんの『指』が、莉央さんを……?」

『……気づいちゃった? シホちゃん。いい視点(アングル)を持ってるわね』

 背後から、幾重にも重なり合った瑞希の声がした。  志穂が悲鳴を堪えて振り返ると、そこには無数のLANケーブルに全身を繋がれ、脊髄に光ファイバーを突き刺された状態で、空中を浮遊する瑞希がいた。彼女の瞳はすでに人間らしい焦点を失っており、真っ白な瞳孔の中では、常にデータの読み込みを示す「保存中(Saving...)」のアイコンが不気味に回転し続けている。

「瑞希さん! 逃げましょう、ここは狂ってます! 莉央さんは事故だったんですよね? 瑞希さんがやったんじゃないって、そう言ってください!」

 志穂が泣きながら駆け寄ろうとするが、いくら足を動かしても、瑞希との距離は縮まらない。瑞希との間の空間そのものが、編集ソフトの機能のようにリアルタイムで「タイムストレッチ(引き伸ばし)」され、一歩が数キロメートルの距離に変えられているのだ。

『事故じゃないわ。でも、殺意でもなかった。私はただ……莉央のあの時の表情、あの絶望の色が、これまでの人生で見たどんな景色よりも「完璧な素材」に見えたの。だから、その瞬間を終わらせたくなかった。このタイムラインの上に、永遠に定着(フリーズフレーム)させたかったのよ』

 瑞希が虚空に指を走らせると、志穂の目の前に新しいウィンドウが開いた。  そこには、瑞希が脳内の秘密フォルダに隠し持っていた、秘蔵の未公開ファイルがあった。  タイトルは [TRUTH_UNEDITED](加工なしの真実)。

 再生された映像の中で、莉央が息絶える直前、瑞希は崩れ落ちる彼女の耳元で、恋人に囁くような熱量でこう呟いていた。

『莉央。死ぬ瞬間のその絶望、最高の「素材」よ。……ありがとう、これで私の映画は完成するわ』

 志穂は、膝の震えが止まらなかった。瑞希を支配していたのは、莉央の呪いなどではなかった。それは、「完璧な完成のためなら、生身の現実すら編集の犠牲にしていい」という、創造者としての傲慢な怪物だった。莉央の怨念は、瑞希のその歪んだ欲望を、より鮮明に「レンダリング」するためのフィルターに過ぎなかったのだ。

「瑞希さん……あなたは、もう人間じゃない。ただの、冷たい機械だよ……!」

『そうね。私は今、最高の「編集環境」を手に入れたの。ここでは、誰の命も、どんな忌まわしい過去も、私の指一つで自由自在。シホちゃん、あなたも協力してくれるわよね? ちょうど、次のシーンには「信頼していた者に裏切られた絶望」というエッセンスが必要だったの』

 瑞希が冷酷な笑みを浮かべ、志穂の心臓の位置に向かって、マウスのポインターのような赤い光を合わせた。  志穂の足元が、急激に熱を帯び、電子レンジの中に放り込まれたような不快な振動が全身を走る。  見下ろすと、床のプレビュー画面に [RENDERING IN PROGRESS](書き出し中) という進行状況を示すプログレスバーが表示され、志穂の脚が、テクスチャの剥がれた粗いポリゴンへと書き換えられ始めていた。

「嫌……っ! 来ないで! 私を素材にしないで!」

 志穂は必死に手を伸ばしたが、彼女の指先は瑞希に触れる直前で、次元を失い、一枚の「低解像度なjpeg画像」のように薄く、平面的に固まった。

 瑞希は慈愛に満ちた、しかし完璧に狂った手つきで、志穂の頬――もはやただのドットの集合体となった箇所――を撫でようとした。

『大丈夫よ、痛くないわ。ただのデータになるだけ。あなたのその美しい悲鳴も、最高音質でサンプリングして、永遠のループに入れてあげる』

 志穂の肉体が、眩い光の粒子となって瑞希のシステムに取り込まれていく。  志穂が消失する直前、最後に見たのは、瑞希の背後に立つ、真っ黒なノイズの塊のような莉央の影が、瑞希の首に優しく、しかし絞め殺すように腕を回している姿だった。

 編集室に、最後の一撃となる冷たい「クリック音」が響いた。

 [FILE SAVED: 志穂_Final_Take.mp4]

 瑞希は一人、誰もいなくなったフレームの中で、満足そうにモニターを眺めていた。だが、彼女自身の輪郭もまた、ゆっくりと、しかし確実に崩壊(ピクセルアウト)し始めていた。彼女は自分が監督だと思っていたが、実際には彼女自身もまた、より巨大な「何か」に編集されるための素材に過ぎなかったのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

屋上の合鍵

守 秀斗
恋愛
夫と家庭内離婚状態の進藤理央。二十五才。ある日、満たされない肉体を職場のビルの地下倉庫で慰めていると、それを同僚の鈴木哲也に見られてしまうのだが……。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

妻の遺品を整理していたら

家紋武範
恋愛
妻の遺品整理。 片づけていくとそこには彼女の名前が記入済みの離婚届があった。

処理中です...