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第5話:視聴率(シェア)の呪縛
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その夜、呪いは「配信」という目に見えない無数の触手を得て、防波堤を越えた。 白石瑞希という一人のクリエイターが解き放った狂気は、もはや閉鎖的な編集室や廃工場のセットに収まる規模ではなかった。光回線の網を伝い、無機質な0と1の羅列に変質した怨念が、液晶モニターの青白い光となって、無防備な一般家庭の平穏を音もなく侵食し始めていたのである。
都内の安アパートに住む大学生、悠真は、深夜の自室でひとり、ノートパソコンの淡い光に顔を照らされていた。 締め切り間近のレポート作成に行き詰まり、現実逃避のために動画サイトを開く。それが、彼の人生という物語の「最終カット」への引き金になるとは、夢にも思っていなかった。 急上昇ランキングの最上段。そこにはタイトルも、サムネイルも、投稿者名すら設定されていない「真っ黒な四角」の動画が居座っていた。不気味なのは、その異常な再生数だ。数百万の数字が、呼吸するように一秒ごとに跳ね上がっている。コメント欄は、文字化けしたような意味不明の文字列が、滝のように高速で流れ続けていた。
「……バグか? それとも、新手のプロモーションか何かか?」
好奇心という名の、もっとも無責任で低俗な本能に従い、悠真は再生ボタンをクリックした。 その瞬間、部屋のシーリングライトが激しく明滅し、バチバチという不快な放電音がスピーカーから溢れ出した。画面に映し出されたのは、ひどく粒子(グレイン)の荒い、暗鬱なモノクロの映像だった。 見覚えのある廃工場。埃が舞う空気の中に、一台のディレクターズ・チェアが置かれている。そこに座っているのは、ニュースで連日報じられている行方不明の天才監督・白石瑞希だった。
映像の中の彼女は、レンズを――いや、画面越しに今この動画を再生している「悠真自身」を、瞬き一つせずに、まるで網膜を焼き切るような鋭さで凝視していた。
『……ねえ。視てるんでしょ? 安全な場所で、スナック菓子でも食べながら』
瑞希の唇が、不自然なコマ落ちを伴って動く。声はスピーカーからではなく、悠真の脳髄の奥底、記憶を司る領域へ、編集用の鋭いクリック音と共に直接書き込まれた。 悠真は心臓を冷たい氷で撫でられたような悪寒を覚え、震える手でマウスを動かしてブラウザを閉じようとした。しかし、カーソルが動かない。それどころか、パソコンの液晶画面の端から、黒い「走査線」が触手のように物理的に這い出し、悠真の手首を締め上げた。
「うわあぁっ! なんだこれ、離せ! 誰か!」
絶叫して椅子から転げ落ちた悠真が、這いずりながら部屋を見渡すと、そこはもはや彼の知る自室ではなかった。 クローゼットの僅かな隙間、ベッドの下の暗闇、半分開いたドアの陰――部屋中のあらゆる「死角」に、いつの間にか三脚が立てられ、無機質なレンズが彼を包囲するように向けられていた。 カシャ、カシャ、カシャ。 無数のシャッター音が、連射ライフルを浴びせるように悠真の鼓膜を叩く。
『視ている者は、撮られている者でもある。それが、私が完成させたシステム「ライブ・エディット」の絶対ルールよ』
瑞希の声に応えるように、壁に掛けられたテレビが勝手に点灯した。机の上のスマホも、タブレットも、窓ガラスの反射ですらもがモニターへと変質していく。すべての画面に映し出されているのは、今の悠真の姿だ。 床を這い回り、鼻水を流して許しを乞う無様な姿が、プロのカメラワークによって「被害者の絶望」として劇的に演出され、全世界へリアルタイム配信されていた。
ふと、部屋の隅に、二人の人影が立っていることに悠真は気づいた。 失踪した助手の夏帆と、後輩の志穂だった。 だが、彼女たちの姿はもはや人間としての尊厳を無惨に剥ぎ取られていた。夏帆は背骨から巨大なブームマイクが生え、皮膚は灰色の防音スポンジに覆われて固まっている。志穂の眼球は、目を奪うほど強力なLED照明(ストロボ)と化し、彼女たちが動くたびに、悠真の影が不自然に長く伸び、壁にベッタリと張り付いた。 彼女たちは感情を失った機械のように、悠真を「最高の画」で撮るために、黙々とライティングの角度を調整し、死神の鎌のようなマイクを彼の口元へと突き出した。
「やめろ……撮るな! くるな、あっちへ行け!」
悠真が近くにあったスタンドライトを投げつけようとした瞬間、彼の視界の右隅に、警告音と共に赤いシステムメッセージが割り込んだ。
[Notice: Role Assigned] [Current Status: Audience → Victim #402] [Action: Trimming Start]
「ロール割り当て……? トリミング……? 何を言って……」
その文字を認識した直後、悠真の右足から「存在の重み」が消滅した。 見下ろすと、足首から下が、粗いドット絵のようなノイズに変わり、煙のように霧散していた。痛みはない。ただ、そこにあったはずの自分の肉体が、データの一部として「不要」と判断され、切り捨てられたのだ。
画面の中の瑞希が、タブレットのタッチペンを空中で無慈悲に走らせる。 彼女が虚空を「切り抜く」ジェスチャーをするたびに、悠真の身体が現実の座標から削り取られていく。不要な余白をカットするように、彼の腕が、胴体が、ピクセル単位で削除(デリート)されていく。
『あなたは、ただ安全な場所から消費するだけの「観客」でいたかっただけよね? でも、あなたの「好奇心」という視線こそが、この地獄を駆動させる唯一の電力なの。見てくれてありがとう、悠真くん。お礼に、あなたが人生で一番美しく絶望する瞬間を、永遠のアーカイブに保存してあげる』
瑞希が画面越しに、悠真の喉元に向かって、冷たいマウスのポインターを合わせた。 悠真の背後の壁が、急激に毒々しいグリーンバックへと塗り替えられる。現実のアパートの壁紙が剥がれ落ち、そこには第1話で莉央が刺し殺された「あの廃工場」の背景データが、完璧なパースでリアルタイム合成された。
「助けて……誰か、止めてくれ! 俺はただ、動画を見ただけなんだ……!」
悠真が最後に見たのは、画面の中の瑞希が、至福の表情で「録画終了(STOP)」のアイコンをクリックする指先だった。 次の瞬間、悠真の肉体は100ギガバイトの情報の奔流となって、Wi-Fiの電波と共に虚空へと霧散した。
翌朝。 連絡の取れない悠真を心配して訪れた友人は、鍵の開いたままの部屋で、一台のノートパソコンが「静止画」を表示し続けているのを見つけた。 そこには、絶叫を上げたまま時間が停止した悠真が、一枚の美しい、あまりにも美しい高解像度のポスター画像として保存されていた。
画面の隅には、小さなフォントで不気味な数字が刻まれていた。
[Current Viewers: 2,410,580,221] [Next Casting: Now Loading...]
呪いの「視聴率」は、今この瞬間も、全世界のデバイスを通じて次の生贄を求めて上がり続けている。そして、そのカウントは今、この文章を読んでいるあなたの画面の裏側でも、静かに始まっているのかもしれない。
都内の安アパートに住む大学生、悠真は、深夜の自室でひとり、ノートパソコンの淡い光に顔を照らされていた。 締め切り間近のレポート作成に行き詰まり、現実逃避のために動画サイトを開く。それが、彼の人生という物語の「最終カット」への引き金になるとは、夢にも思っていなかった。 急上昇ランキングの最上段。そこにはタイトルも、サムネイルも、投稿者名すら設定されていない「真っ黒な四角」の動画が居座っていた。不気味なのは、その異常な再生数だ。数百万の数字が、呼吸するように一秒ごとに跳ね上がっている。コメント欄は、文字化けしたような意味不明の文字列が、滝のように高速で流れ続けていた。
「……バグか? それとも、新手のプロモーションか何かか?」
好奇心という名の、もっとも無責任で低俗な本能に従い、悠真は再生ボタンをクリックした。 その瞬間、部屋のシーリングライトが激しく明滅し、バチバチという不快な放電音がスピーカーから溢れ出した。画面に映し出されたのは、ひどく粒子(グレイン)の荒い、暗鬱なモノクロの映像だった。 見覚えのある廃工場。埃が舞う空気の中に、一台のディレクターズ・チェアが置かれている。そこに座っているのは、ニュースで連日報じられている行方不明の天才監督・白石瑞希だった。
映像の中の彼女は、レンズを――いや、画面越しに今この動画を再生している「悠真自身」を、瞬き一つせずに、まるで網膜を焼き切るような鋭さで凝視していた。
『……ねえ。視てるんでしょ? 安全な場所で、スナック菓子でも食べながら』
瑞希の唇が、不自然なコマ落ちを伴って動く。声はスピーカーからではなく、悠真の脳髄の奥底、記憶を司る領域へ、編集用の鋭いクリック音と共に直接書き込まれた。 悠真は心臓を冷たい氷で撫でられたような悪寒を覚え、震える手でマウスを動かしてブラウザを閉じようとした。しかし、カーソルが動かない。それどころか、パソコンの液晶画面の端から、黒い「走査線」が触手のように物理的に這い出し、悠真の手首を締め上げた。
「うわあぁっ! なんだこれ、離せ! 誰か!」
絶叫して椅子から転げ落ちた悠真が、這いずりながら部屋を見渡すと、そこはもはや彼の知る自室ではなかった。 クローゼットの僅かな隙間、ベッドの下の暗闇、半分開いたドアの陰――部屋中のあらゆる「死角」に、いつの間にか三脚が立てられ、無機質なレンズが彼を包囲するように向けられていた。 カシャ、カシャ、カシャ。 無数のシャッター音が、連射ライフルを浴びせるように悠真の鼓膜を叩く。
『視ている者は、撮られている者でもある。それが、私が完成させたシステム「ライブ・エディット」の絶対ルールよ』
瑞希の声に応えるように、壁に掛けられたテレビが勝手に点灯した。机の上のスマホも、タブレットも、窓ガラスの反射ですらもがモニターへと変質していく。すべての画面に映し出されているのは、今の悠真の姿だ。 床を這い回り、鼻水を流して許しを乞う無様な姿が、プロのカメラワークによって「被害者の絶望」として劇的に演出され、全世界へリアルタイム配信されていた。
ふと、部屋の隅に、二人の人影が立っていることに悠真は気づいた。 失踪した助手の夏帆と、後輩の志穂だった。 だが、彼女たちの姿はもはや人間としての尊厳を無惨に剥ぎ取られていた。夏帆は背骨から巨大なブームマイクが生え、皮膚は灰色の防音スポンジに覆われて固まっている。志穂の眼球は、目を奪うほど強力なLED照明(ストロボ)と化し、彼女たちが動くたびに、悠真の影が不自然に長く伸び、壁にベッタリと張り付いた。 彼女たちは感情を失った機械のように、悠真を「最高の画」で撮るために、黙々とライティングの角度を調整し、死神の鎌のようなマイクを彼の口元へと突き出した。
「やめろ……撮るな! くるな、あっちへ行け!」
悠真が近くにあったスタンドライトを投げつけようとした瞬間、彼の視界の右隅に、警告音と共に赤いシステムメッセージが割り込んだ。
[Notice: Role Assigned] [Current Status: Audience → Victim #402] [Action: Trimming Start]
「ロール割り当て……? トリミング……? 何を言って……」
その文字を認識した直後、悠真の右足から「存在の重み」が消滅した。 見下ろすと、足首から下が、粗いドット絵のようなノイズに変わり、煙のように霧散していた。痛みはない。ただ、そこにあったはずの自分の肉体が、データの一部として「不要」と判断され、切り捨てられたのだ。
画面の中の瑞希が、タブレットのタッチペンを空中で無慈悲に走らせる。 彼女が虚空を「切り抜く」ジェスチャーをするたびに、悠真の身体が現実の座標から削り取られていく。不要な余白をカットするように、彼の腕が、胴体が、ピクセル単位で削除(デリート)されていく。
『あなたは、ただ安全な場所から消費するだけの「観客」でいたかっただけよね? でも、あなたの「好奇心」という視線こそが、この地獄を駆動させる唯一の電力なの。見てくれてありがとう、悠真くん。お礼に、あなたが人生で一番美しく絶望する瞬間を、永遠のアーカイブに保存してあげる』
瑞希が画面越しに、悠真の喉元に向かって、冷たいマウスのポインターを合わせた。 悠真の背後の壁が、急激に毒々しいグリーンバックへと塗り替えられる。現実のアパートの壁紙が剥がれ落ち、そこには第1話で莉央が刺し殺された「あの廃工場」の背景データが、完璧なパースでリアルタイム合成された。
「助けて……誰か、止めてくれ! 俺はただ、動画を見ただけなんだ……!」
悠真が最後に見たのは、画面の中の瑞希が、至福の表情で「録画終了(STOP)」のアイコンをクリックする指先だった。 次の瞬間、悠真の肉体は100ギガバイトの情報の奔流となって、Wi-Fiの電波と共に虚空へと霧散した。
翌朝。 連絡の取れない悠真を心配して訪れた友人は、鍵の開いたままの部屋で、一台のノートパソコンが「静止画」を表示し続けているのを見つけた。 そこには、絶叫を上げたまま時間が停止した悠真が、一枚の美しい、あまりにも美しい高解像度のポスター画像として保存されていた。
画面の隅には、小さなフォントで不気味な数字が刻まれていた。
[Current Viewers: 2,410,580,221] [Next Casting: Now Loading...]
呪いの「視聴率」は、今この瞬間も、全世界のデバイスを通じて次の生贄を求めて上がり続けている。そして、そのカウントは今、この文章を読んでいるあなたの画面の裏側でも、静かに始まっているのかもしれない。
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