私を騙したあなたへ ―― 記憶を盗んだのは、あなたでした。

108

文字の大きさ
21 / 33

21話【偽りの友情、真実の盾 ―― 消された灯台への導き】

しおりを挟む
「桐谷蓮は、お前の父親を死に追いやった実行犯だ」  謎の男から突きつけられたその宣告は、鋭利な氷の刃となって彩花の思考を凍りつかせていた。父の死の夜、あの冷たい廊下で響いていた不気味な旋律を、なぜ電話の主は知っているのか。  彩花は、目の前で古い詩集を繰る蓮の横顔を直視することができなかった。信じたいという祈りにも似た願いと、すべてを疑わなければならないという防衛本能。二人の間には、昨日までの温かな情熱を塗りつぶすような、一触即発の「ヒリついた信頼関係」が横たわっていた。それでも、父の残した謎を解き明かすには、この男の驚異的な知性に頼るしかないという残酷な逆説が、彩花の喉元を締め上げた。

 彩花は、蓮に示された詩へ目を落とした。言葉は美しく、どこか祈りのようだったが、同時に不可解な影を潜ませていた。

「――深紅の海に沈む太陽よ、我が魂を照らしたまえ」

 彩花はその一節を、疑念を押し殺すようにゆっくりと口にした。 「これは場所を示している」  蓮は、彩花の瞳の奥に潜む「不信」を感じ取りながらも、即座に、そして努めて冷静に断言した。 「深紅の海に沈む太陽……つまり、西向きの海岸だ。そして“我が魂を照らす”とは……航路を導く灯台のことだろう」

 蓮の推理は、まるで暗闇に差す光のように鮮やかで、ひとつ、またひとつとピースが嵌っていく。その知性は今や、彩花にとって救いであると同時に、正体の見えない恐怖でもあった。

「灯台……? 西向きの海岸に建つ灯台なんて、この町に……?」 「あるはずだ。そしてそこに、お父様が残した“次の手がかり”がある。父上は、この灯台の場所を示すために、これらの暗号を残した」

 蓮は窓の外へ視線を向けた。夕暮れの海は赤く染まり、まるで詩の一節そのもののようだった。彩花も同じ方向を見つめた。二人の視線の先には、真実へと続く細い道が、薄い霧の中で静かに延びているように思えた。

「町の歴史を調べれば、隠された灯台の存在がわかるかもしれないわね」  彩花が言うと、蓮も深く頷いた。 「そうだ。ただし時間がない。《ネメシス》の発売までにもう猶予はない。できるだけ早く、あの灯台へ辿り着かなければ」

 彩花の声は震えていたが、その奥に真実を掴むという確かな決意が宿っていた。父の愛と蓮の知性が今、ひとつの目標に向かって走り始めた。

 ***

 その夜、彩花は自宅の書斎へ戻り、父の分厚い日記を広げた。ページをめくるたびに、紙の匂いと共に父の切実な気配がこぼれ落ちてくるようだった。旅の記録、研究のメモ、生涯の思索――しかし、灯台に関する記述は一つもない。  蓮は日記を読みながら眉を寄せ、ふいに鋭く息を呑んだ。

「……この町には、灯台がいくつもあるが……」  言葉がそこで途切れた。 「どうしたの、蓮さん?」  彩花が不安をにじませて覗き込む。蓮は、最終ページの見落としそうな余白を指差した。

「ここに……“かつて存在したが、今は地図から消されている灯台”のことが書いてある。だが、場所の記述が意図的に曖昧だ」  彩花は指先でその文字をそっとなぞった。「失われた灯台」……。 「もしそれが手がかりだとすれば――父上が最後の真実を隠した場所だ」 「どうやって、存在しない場所を探せばいいのかしら……?」  不安を押し隠せない彩花に、蓮は彼女の恐れを打ち消すように、柔らかく、しかし揺るぎない確信を込めた笑みを浮かべた。

「方法は二つある。一つは古地図だ。町の図書館に、消された時代の地図が保管されているはずだ。もう一つは、町の歴史に深く詳しい人物に話を聞くこと。必ず手がかりを掴める」

 蓮は彩花の瞳をまっすぐに見つめた。その眼差しは優しく、そして揺るぎない、知性による自信に満ちていた。彩花は強く頷いた。蓮と共に進む未来へ、迷いなく足を踏み出すという決意が宿っていた。

 ***

 しかし――その一方で。  クロノス・コーポレーションの地下にある、完全な静寂に包まれた会議室。薄暗い照明の下、幹部たちは無表情で、バルコニーの二人の姿を映すモニターを見つめていた。  

 黒崎剛一郎は椅子にもたれ、獲物を見定めたかのような、冷ややかな笑みを浮かべた。

「ようやく、遺された地図の解読を始めたか……。ならば、こちらも“次の手”を打つとしよう」  指先で机を軽く、だが明確に叩き、冷酷に命令を下す。 「二人の動きを完全に封じろ。邪魔者は――速やかに、永久に排除しろ」

 その言葉と同時に、部下たちは音もなく、感情のない殺意と共に動き始めた。クロノスの闇は、底が見えないほど深い。そしてその闇は、確実に、静かに、二人の覚悟を試すための刃となって、背後へ迫っていた。

 ***

 数ヶ月前、入社式の朝。硬いスーツの襟が首に触れただけで、彩花の心臓は少し跳ねた。会場には新社会人特有の緊張が満ち、薄いガラスの膜のようにざわめきが張り詰めている。その中央で、彩花はひとり立ち尽くしていた。  そこへ――ふっと影が差す。振り向くと、柔らかい金色の光をまとったような女性が、まぶしいほどの笑顔で立っていた。

「一人でいるの?よかったら一緒に話さない?」  その声は、冷え固まっていた彩花の緊張を優しく溶かす、春の風のようだった。 「ありがとう。私、彩花っていうの」 「私は理沙。よろしくね、彩花」

 その瞬間――距離は一気に縮まった。お互いの趣味、学生時代の話、他愛ない笑い。たった数十分で、理沙は彩花にとって“初めての会社の友達”となり、やがてその存在は、心の支えとなった。  だが、彩花は知らない。この出会いそのものが、クロノス・コーポレーションが仕掛けた、緻密に計画された「任務」だったということを。

 理沙はクロノスが送り込んだ優秀なスパイ。目的は彩花を監視し、彼女の日常や交友関係のすべてを精査して、組織が求める情報を吸い上げることだった。彩花の純粋さは、理沙にとって情報の宝庫であり、容易く操れるはずの「ターゲット」に過ぎなかった。

 ……それでも。彩花と過ごす時間は、冷酷な任務の遂行としてではなく、一人の「本当の友達」との時間として、理沙の鋼鉄の心を激しく揺らし始めた。向けられる屈託のない笑顔、自分のために流してくれた涙、そして温かな手のぬくもり。それらすべてが、組織という機械の一部として生きてきた理沙の空虚な魂に、初めて「痛み」という名の人間らしい感情を刻み込んでいったのだ。

 ある日、理沙はついに知る。彩花が、クロノスが追う最重要人物・桐谷蓮と親密な関係にあることを。この瞬間、偽りの友情のタイムリミットが発動した。理沙は上司・鬼塚に報告し、彩花の監視強化を命じられる。  その夜。ベッドに横たわっても、理沙は眠れなかった。彩花の笑顔が浮かぶたび、胸がひどく痛んだ。  友情という初めて知った温かさと、命を懸けた任務。理沙は、薄い唇を噛み、黒崎から発された「排除しろ」という冷酷な命令を思い出した。その排除対象には、彩花だけでなく、任務に失敗した自分自身も含まれていることを悟る。

「……私は、もう、引き返せない」  理沙はそう呟き、クロノスへの忠誠を破り、彩花を守るための裏切り者となる覚悟を決めた。彼女は、任務の妨害ではなく、彩花を救うための「最後の優しさ」を仕掛けるため、静かに、そして涙と共に、キーボードを叩き始めた。

 彼女が選んだのは、組織のメインサーバーへの「自爆覚悟」の侵入だった。  理沙は自身のスパイIDを使い、クロノスの監視網に重大なバックドアを仕掛けた。それと同時に、暗殺部隊の出撃命令を物理的に数分間遅延させるシステムエラーを誘発させる。さらに、自分の端末に彩花の安全を確保するための「脱出ルート」を送信し、最後には、自分というスパイの存在記録をサーバーから消去し始めた。それは、理沙という存在が組織から「処理」されることを意味していたが、彼女の指に迷いはなかった。


【第21話:あとがき】
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!

「逃げて、彩花! あなたの後ろに……死神が来てる!」 かつてランチを共にし、無邪気に笑い合っていた親友・理沙。その温かな日々の裏側で、彼女が冷徹に蓮の情報を引き出していたという衝撃の事実が明かされました。しかし、彼女が最後に選んだのは組織への忠誠ではなく、自らを犠牲にしてでも彩花を守るという「真実の友情」でした。

そして、父・奥野博士が遺したメッセージが導いた終着点――『深紅の絆(あかいつながり)灯台』。 真っ赤な夕陽に照らされたその場所で、二人の前に立ちはだかったのは、蓮の記憶に消えない傷を刻んだ地獄の管理者・鬼塚でした。

「彼女には指一本触れさせない」

過去の支配に震えながらも、愛する彩花を守るために立ち上がる蓮。すべての伏線が、この逃げ場のない灯台の頂上で一本に繋がり、物語はついに最初の直接対決へと突入します!

理沙が命懸けで繋いだこの数分間。その先に待っているのは、父が隠した希望か、それともクロノスが仕掛けた絶望か……。

次回、第22話『失われた灯台 ―― 裏切りの代償と愛の鎖』。 鬼塚の銃口を前に、蓮の覚醒した知性が火を噴きます。そして、彩花の決死の問いかけが、思わぬ真実を暴き出すことに――!

理沙の警告に鳥肌が立った!蓮、絶対に彩花を守り抜いて!と思った方は、 ぜひ【お気に入り登録】と【応援ポイント】をお願いいたします! 皆様の応援が、闇に包まれる灯台を照らす、一筋の光となります!
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

看病しに行ったら、当主の“眠り”になってしまった

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全36話⭐︎ 倒れた当主を看病する役目を振られた使用人リィナは、彼の部屋へ通うことになる。 栄養、灯り、静かな時間、話し相手――“眠れる夜”を整えていく。そして、回復していく当主アレクシス。けれど彼は、ある夜そっと手を握り返し、低い声で囁く。 「責任、取って?」 噂が燃える屋敷で、ふたりが守るのは“枠(ルール)”。 手だけ、時間だけ、理由にしない――鍵はリィナが握ったまま。 けれど、守ろうとするほど情は育ち、合図の灯りはいつしか「帰る」ではなく「眠る」へ変わっていく。 看病から始まった優しい夜は、静かな執着に捕まっていく。 それでも、捕獲の鍵は彼ではなく――彼女の手にある。

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。

ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。 ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。 対面した婚約者は、 「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」 ……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。 「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」 今の私はあなたを愛していません。 気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。 ☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。 ☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

壊れた心はそのままで ~騙したのは貴方?それとも私?~

志波 連
恋愛
バージル王国の公爵令嬢として、優しい両親と兄に慈しまれ美しい淑女に育ったリリア・サザーランドは、貴族女子学園を卒業してすぐに、ジェラルド・パーシモン侯爵令息と結婚した。 政略結婚ではあったものの、二人はお互いを信頼し愛を深めていった。 社交界でも仲睦まじい夫婦として有名だった二人は、マーガレットという娘も授かり、順風満帆な生活を送っていた。 ある日、学生時代の友人と旅行に行った先でリリアは夫が自分でない女性と、夫にそっくりな男の子、そして娘のマーガレットと仲よく食事をしている場面に遭遇する。 ショックを受けて立ち去るリリアと、追いすがるジェラルド。 一緒にいた子供は確かにジェラルドの子供だったが、これには深い事情があるようで……。 リリアの心をなんとか取り戻そうと友人に相談していた時、リリアがバルコニーから転落したという知らせが飛び込んだ。 ジェラルドとマーガレットは、リリアの心を取り戻す決心をする。 そして関係者が頭を寄せ合って、ある破天荒な計画を遂行するのだった。 王家までも巻き込んだその作戦とは……。 他サイトでも掲載中です。 コメントありがとうございます。 タグのコメディに反対意見が多かったので修正しました。 必ず完結させますので、よろしくお願いします。

離婚した彼女は死ぬことにした

はるかわ 美穂
恋愛
事故で命を落とす瞬間、政略結婚で結ばれた夫のアルバートを愛していたことに気づいたエレノア。 もう一度彼との結婚生活をやり直したいと願うと、四年前に巻き戻っていた。 今度こそ彼に相応しい妻になりたいと、これまでの臆病な自分を脱ぎ捨て奮闘するエレノア。しかし、 「前にも言ったけど、君は妻としての役目を果たさなくていいんだよ」 返ってくるのは拒絶を含んだ鉄壁の笑みと、表面的で義務的な優しさ。 それでも夫に想いを捧げ続けていたある日のこと、アルバートの大事にしている弟妹が原因不明の体調不良に襲われた。 神官から、二人の体調不良はエレノアの体内に宿る瘴気が原因だと告げられる。 大切な人を守るために離婚して彼らから離れることをエレノアは決意するが──。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

忙しい男

菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。 「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」 「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」 すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。 ※ハッピーエンドです かなりやきもきさせてしまうと思います。 どうか温かい目でみてやってくださいね。 ※本編完結しました(2019/07/15) スピンオフ &番外編 【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19) 改稿 (2020/01/01) 本編のみカクヨムさんでも公開しました。

処理中です...