私を騙したあなたへ ―― 記憶を盗んだのは、あなたでした。

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26話【砕かれた偽りの鎖 ―― 影武者の告白と戦慄の血脈】

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 ──夏の終わり、黒雲に覆われた荒れ狂う海。  親友・隆二と二人で過ごした、あの運命の日。

 悠斗から手渡された一冊の古びたノート。それは、先ほどまで読んでいたDr.ZEROによる冷酷な報告書の間に、隠されるように挟み込まれていたものだった。 「……これは、俺が最近この灯台の隠し棚で見つけたものだ。蓮さん、君自身が、記憶を消される直前に、自らの魂を刻むように書き残した『本物の記録』だよ」  悠斗の沈痛な言葉に、蓮は震える指先でその表紙を撫でた。

 日記をめくった瞬間、鮮明な記憶の断片が、蓮の意識を深くえぐり取る。そこに記されていたのは、大人たちの都合で塗り替えられる前の、少年としての生々しい叫びだった。彼の目に映るのは、偽りの罪悪感に苛まれる今の自分に対する、過去の自分からの容赦のない断罪の光景だった。

『8月25日。最悪の日だ。あんなことが起きるなんて、信じられない。僕と隆二は、あいつらのヤバい実験をうっかり見ちまった。そしたら、いきなり海にデカい渦ができて、隆二がそれに吸い込まれていったんだ。隆二は「たすけて!」って僕の名前を必死に叫んでた。なのに、僕は足がガクガク震えて、一歩も動けなかった。

 バカだ、僕! 隆二の手をちょっとでも掴めてたら……。でも、何もできなくて、隆二は目の前で渦の中に消えちゃった。

 あれは事故なんかじゃない。全部、クロノスが仕組んだウソの事故だったんだ。隆二の死を事故ってことにして、僕の記憶もぜんぶ消そうとしてる。絶対に許せない。僕はここに本当のことを全部書く。これが証拠だ。いつか絶対、いつか絶対、クロノスに復讐してやる』

 蓮の手から生命力が抜けたように力が抜け、日記は乾いた音を立てて床に落ちた。  自分はただ「見殺しにした」のではない。あの日、幼いなりに真相を理解し、復讐を誓っていたのだ。その高潔な意志すらも、Dr.ZEROという怪物の手によって、「惨めな加害者の記憶」へと書き換えられ、心を縛り付ける冷たい鎖に変えられていた。

 だが、蓮の衝撃はそれだけでは終わらなかった。床に落ちた日記の隣、先ほど読んでいた報告書の冒頭に並ぶ文字が、今さらになって彼の脳を激しく殴りつけた。

『──桐谷博士、申し訳ない。しかし、これは全て計画のために必要な犠牲だ……』

「……桐谷、博士……?」

 蓮の喉が、引き攣った音を立てる。桐谷エミ。今は亡き、自分の最愛の母親の名だ。 「僕の、母さんを……母さんに向かって、計画の犠牲だって言ったのか……!? 僕の記憶だけじゃない、母さんまで、あいつらは、道具みたいに……!」

 絶望と怒りが混ざり合い、視界が真っ赤に染まる。 「隆二が……海で……僕のせいで……」  声はかすれ、喉の奥で悲鳴を上げたまま嗚咽に変わった。膝から崩れ落ちる彼の身体を、激しい震えが貫く。

「……僕が……隆二を……殺した……」

 震える声は自責の念に塗れた嗚咽になり、床を打つ手のひらには力が入りきらない。その瞬間、蓮は本当に魂が壊れてしまうのではないかという極限の孤独に苛まれた。だが、その絶望の淵で、彼は自らの存在意義さえも見失いかけていた。

 そんな彼の肩に、温かな、しかし力強い手が置かれた。

「蓮。もう自分を責めるのはやめてくれ」

 悠斗の声には、自身の出生にまつわる重い覚悟が宿っていた。 「日記には、隆二の死が事故ではないという真相が、克明に書かれている。あれは、単なる偶然の事故じゃない──クロノスによって計画され、実行された『殺害』だ。兄は、クロノスの非人道的な記憶操作実験を暴こうとしていた。だが、正義を貫く直前に……Dr.ZEROの手によって完璧な事故に見せかけて、組織に命を奪われたんだ」

 悠斗の低く、決然と震える声が静寂を切り裂き、蓮と彩花は思わず戦慄して息を呑む。その言葉の先に浮かび上がるのは、冷酷で、全てを支配する黒崎の影だった。

「蓮……実は、俺も真実を告白しなければならない。俺は長年、クロノスから渡された『偽りの日記』を信じ込まされていた。そこには、君が兄を見殺しにしたと書かれていたんだ。俺は、その偽りの記録を深く信じ込み、君を憎み、復讐を誓って、君の影武者になった……。

 そして、君の姿を借りて詐欺や非道な工作に手を染め、君の名に消えない汚点をかぶせ続けてきた。そのすべては、俺がやったことなんだ……」

 悠斗の顔には長年の苦しみが刻まれた影が落ち、その言葉には計り知れない葛藤と、利用されていたことへの激しい憤りが滲み出ていた。

「でも、この本物の日記を読んで知った。君は兄を救おうと必死だった。クロノスは、君と兄の関係を破壊し、君を陥れ、記憶を奪ったんだ。僕から、親友を、過去を、未来を奪い、俺たちを戦わせようとしたクロノスだけは……絶対に許さない──」

 蓮は衝撃の事実に息を呑み、硬直した。長年、親友を見殺しにしたという罪悪感に苛まれていた心が、一瞬で、激しく解き放たれる。 「……僕は、隆二の意志を継いでいたんだ。逃げたんじゃない。あの日、僕はあいつらに牙を剥いたんだ……!」  冷たい鎖が砕け散るような解放感。それと同時に、自分たちの人生を駒のように弄んだ黒崎への、底知れぬ怒りが蓮の瞳に宿った。

「悠斗……!」

 蓮は言葉にならないほどの感謝と、共に進む決意を込め、悠斗の手を強く、迷いなく握った。悠斗もまた、その手を渾身の力で握り返す。長年の憎しみを乗り越えた連帯と、揺るぎない信頼の光が灯った。

 そんな彼の隣に、彩花が何も言わず、ただ静かに寄り添った。言葉は一切不要だった。  ただ、彼の震える肩に手を添え、背中をゆっくりと、優しくさすり続けた。その柔らかな、生きたぬくもりだけが、冷え切って硬直した蓮の心に、消え入りそうな小さな光を灯す。彩花の手のひらから伝わる確かな温もりは、彼がまだ一人ではない、愛されているという絶対的な真実を教えていた。

 三人の絆が確固たるものとなったその瞬間、悠斗はさらに静かに、しかし魂を絞り出すように力強く告げた。その言葉は、灯台の重い空気を一瞬で切り裂いた。

「蓮。君の母……桐谷博士への誓いを踏みにじり、君の記憶を地獄へ突き落としたのは、俺の父……黒崎剛一郎だ。……蓮、彩花さん。実は俺は、クロノス創設者の息子だ。本名は──黒崎悠斗」

 蓮と彩花は、その言葉の重みに、息を止めたまま目を見開いた。地下室に満ちていた湿った空気が、一瞬で絶対零度まで凍りついたかのように重くなった。

 彩花は、驚愕の中で日記を指差し、震える声で尋ねた。 「まさか……隆二さんを殺し、私のお父さんを――あんなに優しかったお父さんを裏切った裏切り者の名前も……黒崎……。この次のページに、すべてが書かれているの……!?」
 悠斗は答えを押し殺すように静かに頷いた。彼の表情には、父の罪と、自分の血に流れる宿命に対する、深い苦悩が刻まれていた。

 長年の謎とすべての悲劇の根源が一気に解ける衝撃が、三人の胸を電流のように貫いた。嵐が近づく海のように、運命の歯車が激しくきしみ始めたのだった。この地下室に眠る真実は、彼らをさらなる闇へと誘うのか、それとも希望への道標となるのか。三人の覚悟は、この衝撃的な真実を前に、さらに強く、深く結ばれた。
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