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「北川君だろ」
 背中を向けて行ってしまいそうな彼に近付くと、私は相手の肩にそっと触れた。
「あ……」
 振り返った表情には、驚きの色が出ている。やや口を開き、目も見開き加減だ。
「京極さん……ですよね」
「そうだよ。おお、大きくなったんだなあ。いくつになるんだっけか?」
 北川君の身長は、私と変わらぬほどになっていた。
「十九です。今年、二十歳になるけど……」
「あれ? まだ未成年なんだ。今、大学生かい?」
「ええ」
 彼はそれから、某私立大学の名を挙げた。この付近ではなかなかの難関とされている。
「こっちの大学に来たってことは、当然、越してきたんだ?」
「はい。去年の春先、一人で。両親は向こうに残っています」
 我々二人は落ち着いて話をするため、近くの喫茶店に入った。店内はやや暗く、決して感じのよい雰囲気ではなかったが、客が少ないのがいい。
「時間、いいのかい?」
 コーヒーを二つ注文してから、彼に念押しする。
「暇な学生ですから」
 彼は笑って、水を飲んだ。その笑顔は、以前とほとんど変わっていない。何だか安心できた。
「京極さんこそ、こんな時間に一人で街をぶらついていたんですか?」
「おかしいかねえ。超能力で、当ててくれないかな?」
「残念ながら、そっちの方は、さっぱり進歩していません」
 その表情には、少しばかりの影が差したように見えた。
「昔と同じ能力は、まだ残っていますが」
「へえ? そうなのかい!」
 つい、私は大声を出してしまった。客は少なくても、第三者には聞かれたくない話だ。すぐに声の音量を落とす。
「すまない。いや、それにしても、あの能力、まだ使えるのかい。他人の心に『はい』『いいえ』で答えられる類の質問をして、その返事を『心の声』として聞けるという……」
「ええ」
 はにかんだように答える北川君。相変わらずの笑顔だ。
 コーヒーが届いた。ウェイトレスが去るのを待って、私は持ちかけた。
「やってみてくれないか」
「え? ここでですか……」
「ああ、頼むよ」
「むやみやたらと使わないようにしてるんですけれど」
「それは結構な心がけだ。でも、今は特別。昔話でもするつもりで」
 戸惑いを表情に浮かべた北川君がまだ承知しない内に、準備を始めてやる。マッチ箱はなかったので、テーブルに立ててあるナプキン立てから三枚ほど抜取り、さらに爪楊枝を一本。それを細かく折り、ナプキン三枚の内の一枚で包む。他の二枚も、似た形になるよう丸めた。
「悪いけど、しばらく後ろを向いてくれないかな」
「はは……。分かりました」
 北川君がこちらに背を向けたのを確かめて、私はテーブルの上で、三つのナプキンの一を色々と入れ換えた。もちろん、爪楊枝が入った物はどれか、自分には分かるように。
「いいよ」
 北川君はのんびりした調子で向き直り、三つのナプキンを眺めている。
「さあ――」
 当ててみせてくれとこちらが言う前に、彼は私の左にあるナプキンをつまみ上げた。
「これです」
 彼の差し出すそれを受け取り、私は中身が分かるように開いた。開かなくても、結果は分かっていた。
「参ったな」
 ぽろぽろとこぼれた爪楊枝のかけらを拾い集め、灰皿に落としながら、私は苦笑した。それから黙って、コーヒーをブラックのまま、口に運んだ。薄かった。
「どうしてあのとき、失敗したのかなあ」
 不意に言ったのは、北川君の方だった。それも、私が口にしようかどうしようか、迷っていた話題だ。
「……不思議だったね。いや、私は不思議がっているどころじゃなかったな。君を連れてきた責任から、冷や汗たらたらになったよ」
 あのときのこととは、言うまでもなかろうが、北川君が小学生のとき、私の大学に来てもらって行った実験のことだ。
 超能力の実験を行うに当たって、最も問題となるのは、実験者効果と呼ばれるある種の障害である。
 超能力実験として、普通に考えられるのは、超能力を持つとされる人物を被験者としてある一室に一人にし、外部から観察する実験者がいる、というような状況だろう。他の実験ならこれでいいかもしれないが、超能力の場合はまずいことがある。実験者自身が超能力を持っている場合だ。実験者が実験の成功を念じる。被験者に超能力がなくても、実験者の念が影響を与え、実験結果を飛躍的によくする。これが実験者効果である。
 何を馬鹿なと思うかもしれない。しかし超能力なるものに科学的にアプローチするには、この厳密さが必要なのだ。実験を執り行う者が自身でも気付いていないが実は超能力者だった、なんていうありそうもない可能性を無視できない。そしてまた、実際にそのような例が報告されてもいる。つまり、ある特定の研究者が実験者となった実験だけが優れた結果を残し、他の研究者が同じ被験者相手に行った実験では大した成果を収めていない場合が存在するのだ。
 かといって、実験の様子を観察する人物は、絶対に必要である。実験の客観性を保つ意味から、被験者本人が記録するわけにもいくまい。絶対に超能力者ではない人物が、実験者になればいいのだ。が、その人物が超能力者でないと確認する方法がない。悪循環に陥ってしまう。
 現時点で考えられる方法としては……。実験者は実験プランを立てるだけ。いつ、どのような実験が行われるかも知らされない。これによって、念の力の影響をなくそうというわけだ。では、実際に実験を観察するのは誰か? 何も知らされていない人物が知らぬ間に実験者となり、起こったことをありのままに記録していけばいいだろう。
 しかし、これも否定される要素が残っている。超能力の中には、時間を越えて作用する類もあるとされている。つまり、実験者が実験の成功を一度念じれば、実験が行われたそのときに影響を与える、という考え方である。
 このままでは堂々巡りだ。仕方がないので、普通の実験――被験者がいて実験者が観察するという形態を踏むしかないのである。このような実験を、実験者を替えて、何度か繰り返せば、実験者効果による影響があるか否か、判定できるのではという考え方である。
 北川義治君を被験者とした実験も、以下のような形式で行った。
 被験者は北川義治。実験者は、現時点では京極雄嵩、真野奈津彦まのなつひこ、レオン=デウィーバーの三名が一人ずつ、この順序で実験を行い、記録する。三人の実験観察者が交代する間には三十分の休憩を挟むこととした。
 実験室で向かい合ったとき、北川君は緊張していた。少なくとも私にはそう見えた。これでうまくいくのだろうかと、最初に実験観察を担当した私は不安になったものだ。
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