せどり探偵の事件

崎田毅駿

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 とにもかくにも、小笠原さんに連絡する。携帯電話の短縮ボタンを押した。
 すぐに出た相手は、いつもの調子で「お宝写真集が並んでたか?」と聞いてきた。その声におっ被せるようにして、僕は入札がたった今あったことを伝えた。
「ほう。いきなり十万か。もう動かんだろうな。入札者は何か言ってきてるか。受け取りの条件とか」
「いえ、まだ落札を決定していないので。というか、即決システムを選ばなかったので。あと四日ありますけど、早期終了させます?」
「無名アマチュア作家の本に十万円の入札なら、誰も文句は言わないだろ。念のため、今日いっぱいまで待って、終了させちまえ。で、相手の出方を見るんだ」
「思ったんですけど、犯人がいるとして、そいつは月田さんの持っていた本を回収し損なったんじゃないですかね。もしも自費出版した部数分全てが手元にあるのなら、こんな気の急いた入札をする訳がないような。普通、もっと本の情報を知ろうとするはずです」
「俺もそんな気がしてきた。『透き通る風の剣』は川の流れに飲まれ……いやいや、待てよ。鞄の中に入れていたなら、本だけが流されちまうなんてあり得ない」
「あ、犯人が月田優さんを呼び止め、穏便に本を取り返そうとしたのかもしれませんよ。『不都合が見つかったので、本を返してもらいたい』とか。言われた月田さんは一応、本を鞄から出した。そのとき、早々と読み始めたことまで犯人に伝えた。それで犯人はまずいと思い、命を奪おうと凶行に出た……」
「おまえまで推理を始めるとは、何だかお株を奪われたな。そういう経緯があって殺人に発展したという線は、ありそうな気がするぜ。ただ、そこまでして本を読まれないようにする理由ってのが、いまいちぴんと来ない」
「正体がはっきりするまで、用心するに越したことはないですよ、小笠原さん」
「分かってる。おまえの方も念のため、注意をしておけよ。じゃ、さっき言ったように、早期終了させて落札者にコンタクトしてみてくれ」
「了解」
 まるで興信所の所長と所員にでもなった気分だ。そう感じながら電話を終えた。

 日付が変わるのを待って、十万円の入札をしてきたユーザーに、落札決定の報せを送った。
 すると早朝になって、拍子抜けするような“お詫びとご相談”の返事が届いた。一万円と入札したつもりが桁を一つ多く間違えてしまったという。ついては、落札自体をなかったものとして、再度出品していただけないでしょうか云々と低姿勢でお願いする文章が続く。力の抜けた僕は、即座に相手のお願いを承諾する返事を書こうとしたが、思いとどまった。念には念を入れて、小笠原さんの判断を仰ごう。それまでは返事の保留を決めた。この成り行きを説明するメールを小笠原さんに送り、そこからあとはいつも通り、せどりに精を出す一日の始まりだ。

           *           *

 鬼門貞一は、息子・真澄の突然の死からしばらく経つと、息子の生きた証を世に残してやりたいと考えるようになった。だが、事業に力を注いできた鬼門に、息子のことはさっぱり分かっていなかった。何が好きで、どんな趣味があって、どういった知り合いがいるのか……どれ一つ取っても、まるで把握していないと気付き、愕然となった。せいぜい、英語が得意でだということぐらいしか知らない。それにしたって覚えていたのは、同学年でトップクラスの力を持っていると教師にお墨付きをもらったその事実が父親として、社長として誇らしかったからである。
 ともかく、とっかかりを得るため、買い与えた真澄専用のパソコンを起動してみた。パスワード入力を要求されて頭を抱えたが、思い付くままいくつか試したところ、意外に単純な言葉が当たりだった。名前をローマ字に直したMASUMI、これをひっくり返したIMUSAMをパスワードにしていた。
 真澄はこのパスワードを共通の物にしていたらしく、ファイルを開くにしてもメールソフトやパソコン通信のログインをするにしても同じパスワードで軽軽と通れた。やはり中学生だなと少しばかりのほほえましさを覚えつつ、ファイルをチェックしていく。NOVと名付けられたフォルダにテキストファイルが大量にあることに気付き、ワープロソフトで中身を見てみる。小説だった。
 正直言って、鬼門は小説の善し悪しを判断する能力を持ち合わせていない。薦められて読んだベストセラーに感心することはたまにあったが、仕事に追われているせいか、内容なんてすぐに忘れてしまう。
 だが、息子が自作したと思しき小説からは、何かしら熱のようなものを感じ取った。現実と幻想とが綯い交ぜになった、不思議な世界観の物語で、鬼門にとって特に縁の薄いジャンルだったが、その触りを読んだだけでも、引き込まれる気がした。親の欲目かもしれない。それでも、息子が一生懸命打ち込んだのは間違いない。よし、これを本の形にして残してやろう。鬼門が気持ちを固めるのに時間は掛からなかった。
 鬼門は社長の権限を活かして、社内で文学、それも娯楽小説に造詣が深いとされる数人をピックアップし、そこからさらに口の堅い者を二名選んだ。この二名に鬼門真澄のパソコンにあった小説全てを読ませ、一番の傑作を決めるように命じた。社長の息子の書いた作品だと遠慮が出るかもしれぬと考え、作者については伏せておいた。一冊の単行本とするには分量が足りない場合は、短い話を付け足せばよいと考えていた。
 約三週間後、“選考結果”が上がってきた。二人の社員が一致して推したのは、『透き通る剣の風』なる長編小説であった。社員達の感想は、「この作品がずば抜けてよい。他の作品は習作レベルがほとんどで、破綻のある物も多かった。『透き通る剣の風』は表現に幼い点はあるが、堂々とした娯楽小説で、手直しすれば新人賞に応募しても結構いいところまで行くかもしれない」というものであった。
 気をよくした鬼門だったが、手を加えるつもりは毛頭なかった。真澄の書いた作品をそのままの形で世に出してやるのが、真澄のためになる。そう考えていたのだから、当然である。直すのは誤字脱字ぐらいにとどめる。
 鬼門が悩んだのは、筆名である。父親としては、息子の本名そのままで出してやりたい。一方、鬼門真澄はいくつもの筆名を使い分けていた。中学一年頃に書いたと思われる初期の物は本名を多用していたのが、あとに行くにつれて、五つ六つのペンネームを使ようになっていた。『透き通る剣の風』は美幕志文というペンネームで書かれていた。この美幕志文は最後に考えついた名前らしく、まだ一作にしか使われていないようだった。
 息子にとって思い入れのある筆名なら、これでもよいが、まだ一作しか使っていないというのは引っ掛かる。本名にすべきか……。仕事の最中でも思い悩むようになった鬼門を決断させたのは、息子の創作メモらしきファイルだった。その一部に、美幕志文なる名前を捻り出した経緯らしきメモ書きがあったのだ。

 美幕志文 → みまくしもん → MIMAKU・SIMON → 
  MASUMI・KIMON → 鬼門真澄!!

 この箇所を読み、鬼門は決めた。美幕志文で行こうと。
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