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関連子会社のトップに思惑を打ち明け、立派な本を作れるとの返答を得た鬼門は、本格的に計画を始動させた。関連グループ内だけで全てを作るため、カバーデザインなど、いくつかの点で不慣れさ故の手間取りはあったが、亡き息子のための本作りはほぼ順調に進んだと言えよう。
やがて完成を見、親馬鹿なところを発揮してのお披露目パーティの算段まで整ったところで――落とし穴が待っていた。
自費出版の計画を決めてからは、あまり起動させることのなかった息子のパソコンをその日開いてみたのは、翌日に控えたパーティにおける挨拶で、気の利いた(できれば少し感動を呼ぶような)スピーチをやりたいとの思いからだった。そのヒントを、息子の書き残した文章から探すつもりだった。
だが、このときはいつもと違い、息子宛のメールが一通あった。息子の死が知れ渡ってからはぱたりと来なくなったのに、今になって何だろう。怪訝に思いつつ、それでもなお、深く考えることなく、メールを開いた。
送信者名は彩紋久万美と表示されていた。さいもんくまみとでも読むのだろう。そしてタイトルは、「ただいまとありがとう」。
他人から礼を言われるようなことをしていたのか。それもパソコン通信程度のつながりしかない他人から。鬼門は興味をかき立てられ、続く長くはない文面に目を通した。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
送信日時:****/**/** **:**:**
タイトル:ただいまとありがとう
送信者:彩紋久万美
ハロー、真澄。元気にしてた? 私は元気にしてたよ。
私の日本語の文章力もそれなりに上達したでしょう。ワードプロセッサの助けを借りたら、これぐらい簡単簡単。
今日は日本に戻ってきたばかりで時間がないため、急いで用件だけ伝えるね。
真澄が翻訳してくれた『透き通る剣の風』が、**賞の最終選考まで残ったよ。惜しむらく、受賞ならなかったけれども、編集の人が手紙をくれたのね。
「少し直せば本にして出せるかもしれない。一度会いたい。ただし、貴方が日本に定着することが条件」とか書いてあった。どう思う? 私はずっと日本にいられるけれども、今の文章力じゃまだまだだし、だいたい応募作品も真澄との合作みたいな物ではないかしらと思うのね。
そこで相談。真澄は合作の作者としてこの話を受ける気があるかないか。じっくり考えて欲しいよ。余裕は十日間ぐらい。その頃またメールを出すからね。
その他のよもやまばなしはまた今度しようね。
じゃあ、ばい。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
読み終える前に、鬼門貞一はパソコンやテーブルに添えた両拳を強く握りしめていた。自らの肉に、爪が食い込むほどに。じきに震え出し、パソコンを載せたラックがカタカタと音を立て始める。その音を止めるべく、鬼門は慌てて机から離れた。
「何ということだ」
知らず、呟く鬼門。
(この彩紋久万美は、帰国子女か何かか。ともかく、海外生活が長く、少なくとも日本語を書く分には不安がある。パソコン通信で知り合った真澄が英語が得意だと知り、英語あるいは片言の日本語で書いた小説を訳して欲しいと、メールで頼んだのか。そういえば、パソコン通信には同好の士の者が集まって楽しむグループのようなものが設置されているんだったな。文学グループで知り合ったに違いない。彩紋久万美もそこのメンバーに自作の小説を読んでもらいたくて、真澄に頼んだだけなんだろう。最初から投稿を考えていたのなら、顔も知らない相手に頼む訳がない)
鬼門はそこまで直感的に悟った。そして彩紋久万美という名前からも大きな閃きを得た。
(――そうか! 彩紋じゃなくてサイモンか。英名で綴ればSIMON。久万美の方は後ろから読めば、みまく、美幕になるじゃないか。くそ、何という偶然だっ。てっきり、息子の名前の並べ替えと信じていたあの筆名が)
歯ぎしりの音がした。次いで、胃袋の底に鉛の塊でも押し込まれたかのような、嫌な重さを感じる。吐き気も催してきた。
今までにない失態をやらかしてしまった。これまでミスをほとんど犯さず、また犯したとしても小さなミス故、無事切り抜けてきた鬼門貞一にとり、初めて味わう屈辱的なミス。その感覚に身体がまた震え始めた。
(このまま出版する線は絶対にない。パーティも中止だ。彩紋久万美に事情を伝え、改めて共著の形を取って出版にこぎ着ける、これならありかもしれない。だが、それよりも何よりも――私は私が犯したこのばかげた失敗が許せん! ああ、できることなら、私は彩紋久万美と賞の選考委員と編集者を葬ってでも、計画通りに進めたいぐらいだ!)
左の手のひらを右拳できつく叩いた鬼門。ここまで思い詰めた彼を、辛うじて良識のライン内に踏みとどまらせたのは。
(――そんなことをして何になる? 真澄が書いたんじゃない作品を本にして、何の意味があるんだ)
やがて完成を見、親馬鹿なところを発揮してのお披露目パーティの算段まで整ったところで――落とし穴が待っていた。
自費出版の計画を決めてからは、あまり起動させることのなかった息子のパソコンをその日開いてみたのは、翌日に控えたパーティにおける挨拶で、気の利いた(できれば少し感動を呼ぶような)スピーチをやりたいとの思いからだった。そのヒントを、息子の書き残した文章から探すつもりだった。
だが、このときはいつもと違い、息子宛のメールが一通あった。息子の死が知れ渡ってからはぱたりと来なくなったのに、今になって何だろう。怪訝に思いつつ、それでもなお、深く考えることなく、メールを開いた。
送信者名は彩紋久万美と表示されていた。さいもんくまみとでも読むのだろう。そしてタイトルは、「ただいまとありがとう」。
他人から礼を言われるようなことをしていたのか。それもパソコン通信程度のつながりしかない他人から。鬼門は興味をかき立てられ、続く長くはない文面に目を通した。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
送信日時:****/**/** **:**:**
タイトル:ただいまとありがとう
送信者:彩紋久万美
ハロー、真澄。元気にしてた? 私は元気にしてたよ。
私の日本語の文章力もそれなりに上達したでしょう。ワードプロセッサの助けを借りたら、これぐらい簡単簡単。
今日は日本に戻ってきたばかりで時間がないため、急いで用件だけ伝えるね。
真澄が翻訳してくれた『透き通る剣の風』が、**賞の最終選考まで残ったよ。惜しむらく、受賞ならなかったけれども、編集の人が手紙をくれたのね。
「少し直せば本にして出せるかもしれない。一度会いたい。ただし、貴方が日本に定着することが条件」とか書いてあった。どう思う? 私はずっと日本にいられるけれども、今の文章力じゃまだまだだし、だいたい応募作品も真澄との合作みたいな物ではないかしらと思うのね。
そこで相談。真澄は合作の作者としてこの話を受ける気があるかないか。じっくり考えて欲しいよ。余裕は十日間ぐらい。その頃またメールを出すからね。
その他のよもやまばなしはまた今度しようね。
じゃあ、ばい。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
読み終える前に、鬼門貞一はパソコンやテーブルに添えた両拳を強く握りしめていた。自らの肉に、爪が食い込むほどに。じきに震え出し、パソコンを載せたラックがカタカタと音を立て始める。その音を止めるべく、鬼門は慌てて机から離れた。
「何ということだ」
知らず、呟く鬼門。
(この彩紋久万美は、帰国子女か何かか。ともかく、海外生活が長く、少なくとも日本語を書く分には不安がある。パソコン通信で知り合った真澄が英語が得意だと知り、英語あるいは片言の日本語で書いた小説を訳して欲しいと、メールで頼んだのか。そういえば、パソコン通信には同好の士の者が集まって楽しむグループのようなものが設置されているんだったな。文学グループで知り合ったに違いない。彩紋久万美もそこのメンバーに自作の小説を読んでもらいたくて、真澄に頼んだだけなんだろう。最初から投稿を考えていたのなら、顔も知らない相手に頼む訳がない)
鬼門はそこまで直感的に悟った。そして彩紋久万美という名前からも大きな閃きを得た。
(――そうか! 彩紋じゃなくてサイモンか。英名で綴ればSIMON。久万美の方は後ろから読めば、みまく、美幕になるじゃないか。くそ、何という偶然だっ。てっきり、息子の名前の並べ替えと信じていたあの筆名が)
歯ぎしりの音がした。次いで、胃袋の底に鉛の塊でも押し込まれたかのような、嫌な重さを感じる。吐き気も催してきた。
今までにない失態をやらかしてしまった。これまでミスをほとんど犯さず、また犯したとしても小さなミス故、無事切り抜けてきた鬼門貞一にとり、初めて味わう屈辱的なミス。その感覚に身体がまた震え始めた。
(このまま出版する線は絶対にない。パーティも中止だ。彩紋久万美に事情を伝え、改めて共著の形を取って出版にこぎ着ける、これならありかもしれない。だが、それよりも何よりも――私は私が犯したこのばかげた失敗が許せん! ああ、できることなら、私は彩紋久万美と賞の選考委員と編集者を葬ってでも、計画通りに進めたいぐらいだ!)
左の手のひらを右拳できつく叩いた鬼門。ここまで思い詰めた彼を、辛うじて良識のライン内に踏みとどまらせたのは。
(――そんなことをして何になる? 真澄が書いたんじゃない作品を本にして、何の意味があるんだ)
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