せどり探偵の事件

崎田毅駿

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 男は土間に入り込むと後ろ手で戸を閉めた。微笑を浮かべた顔が獲物を狙う獣風にいやらしく豹変し、いきなり身体ごと僕にぶつかってきた。あっという間に押さえ込まれ、口を厚手の布で塞がれる。
「『透き通る剣の風』はどこだ。おとなしく差し出せば、危害は加えない」
 押し殺した声で脅してきた。
 偽物ならある。けれども、あんな物を渡してもすぐにばれて、ひどい目に遭わされそうだ。
 第一、こう、制圧された姿勢では、どこにブツがあるか示しようがないのだけれど。
「言っておくが、俺は本気だ。妙な真似をした場合、これで喉を掻ききってやる」
 器用に片手で僕の両手を固定した男は、空いているもう片方の手でバタフライナイフを取り出し、開き、僕の首筋に近付けてきた。
「これから布を取るが、わめくんじゃないぞ。もし逆らったら、命はないと思え」
 僕は仕方なく頷いた。実際、息苦しかったのもある。新たな空気を、金魚みたいに口をぱくぱくさせて取り込む。
「さて、言ってもらおう。どこだ?」
「……怒らないで聞いてください。ここには比較的安値の物しか置かないんだ。だってこんながたの来たアパートじゃ、不用心だから。高く売れそうな物は、知り合いの倉庫で保管してもらっている」
「……本当だな? そいつの住所を、いや待て。まさか、その倉庫とやらは頑丈な作りじゃあるまいな」
「高価な物を保管するところだから、相当に頑丈ですが……」
 僕が首を横に振りながら答えると、相手の男は「ちっ」と舌打ちを高くした。
「仕方ない。一緒に来い。おまえは案内役だ。知り合いのところに行って、倉庫から『透き通る剣の風』を出させろ」
「そ、それはかまいませんが、あの、いきなり行くと向こうもびっくりしちゃうと思うんです」
「ネットとは言え、客商売やってるんだろうが。あの本を三十万で買う客が訪ねてきた、とでも言えば問題あるまい?」
 この男、こっちのことをあれこれ調べて知っているらしい。でもどうやってここの住所を? ――ああ、そうか。客として何か安い物を購入し、互いの住所を明らかにする形で取り引きすれば、簡単に分かるじゃないか。
 ということは、もしかすると、こいつこそが“一万円のつもりが間違って十万円の入札をしてしまった”ユーザーかもしれない。『透き通る剣の風』が他者に買われるのを防ぐため、手を尽くしたと考えれば辻褄が合う。
「おまえ、車は持っていないようだな。しょうがないから、俺の車で行こうか。何度も警告するが、妙な真似はするな」
 男は僕を立たせると、後ろに回り、刃物を突き付けた(と思う。そんな気配を感じただけで、振り返る勇気はなかった)。
「格好はそのままでいいな。よし、行け」
 刃先でつつかれるような感触を背中に受け、僕は足を踏み出した。後頭部で両手を組まされ、ホールドアップの姿勢をさせられ、脇がすーすーする。
 ドアを開け、僕と男が二人とも外に出たところで――パトロールカーのサイレンが聞こえた。
 間に合ってくれたようだ。
 うろたえる男の前で、僕は希望が持てた。まだ安堵するのは早いが、小笠原さんには感謝しないといけない。
 この男の姿から感じた妙な雰囲気に対し、僕は咄嗟の判断で短縮ボタンを押し、小笠原さんの携帯電話につなぎっぱなしにしておいたのだ。小笠原さんには、男と僕のやり取りが、断片的にでも聞こえたのであろう。警察に通報してくれたに違いない。割と近所に住んでいるくせに、自ら助けに来ようとしない辺りは、自分というものを理解していらっしゃる。

「――てことは、俺が金を引き出せる相手と踏んでいた鬼門社長は、全然全くさっぱり関与していなかったんだな、こりゃあ」
 焼き肉店で高い部位をぱくつきながら、小笠原さんは悪ぶった言い方をした。ビールとご飯をかきこみ(こんな飲み方食べ方をしても、小笠原さんは平気なのだ。文化会系なのに)、さらに続ける。
「おまえを襲った男が、社員ですらなかったなんて、想像もしなかったぞ」
「ええ。鬼門社長は自費出版を取り止めてしばらくしてから、『透き通る剣の風』の本当の作者には事実を伝え、和解――は変だな、お互いに理解し合ったそうです。ただ、鬼門社長の内では、息子さんの作品だと思い込み、本まで作ってしまった失敗を、恥と捉えたんでしょうか。それとも息子さんに合わせる顔がないと考えたのかな。とにかく、大きな心の傷になった。そのため、会社では一切がタブーに」
「なのに、俺と来たら勘違いして、余計なことをした挙げ句に、おまえを危険な目に遭わせちまうとは」
「無事だったんだし、もう気にしていませんよ。それに、偽の『透き通る剣の風』を出品するアイディアを出したのは、僕自身なんですから」
 程よく自分好みに焼けた肉を口に運ぶ。ちなみにこの焼き肉店での支払いは、お詫びを兼ねて小笠原さんのおごりになっている。ただし、僕は運転主役で酒を飲めないが。
 それはさておき、話題を事件に戻す。
「犯人の中村は、当時、月田優さんのバイト仲間だったんですね。刑事さんの話では、自費出版の企画が起ち上げられる以前から鬼門社長の関連会社に出入りししており、かなり信用を得ていたみたいです。パーティが中止になった日は、たまたま残務処理で遅くなり、たまたま鬼門社長のつぶやきを耳にした。そこでいきなりよからぬことを考えつくのが、僕には理解できません」
「脅迫のネタになると考えたことがか。俺は理解できるがな。実行するか否か、腕力にものを言わせるか否かは、また別だ。脅迫のネタを暴力や十万で仕入れ、より大金をせしめようとするのは、せどりと仕組みが似てる。が、似て非なるものだ。――油断してたら焦げちった」
 半分以上炭化したように見える肉を、小笠原さんは平気で口に放り込む。それをいつも以上によく噛んで飲み込むと、会話再開。小笠原さんは口調を変えてきた。
「ところで、瀬島。突然なんだが、古書店を手伝ってみる気はないか」
「……ほんとに掛け値なしに突然ですね」
「真面目な話なんだ。実は、月田優さんの両親宅へ、今度の件の報告を兼ねて再訪したんだ。そのときにお二人が言う訳よ。こう、独り言みたいにつぶやくようにして、『本好きだった娘のために、何かしてやれないかと前々から考えていたんですけれどね。儲け考えない古本屋なら私らでもできるんじゃないかなあって、最近、思うようになりました』とか」
 声色を使う小笠原さん。僕は月田夫婦の声をもちろん知らないが、彼らの人柄が目に浮かぶような気がした。
「知っての通り、儲けを度外視したとしても、古書店てのはただ開いただけじゃ、人は寄って来ねえ。月田さん達が娘さんのために始める店なら、本好きが集まる店にしたいじゃないか」
「そりゃ当然です」
「加えて、本を扱うってのは実は肉体労働だ。せどり専門ならまだしも、店を構えるとなると、若い労働力が必要。だからな、そういったサポート役におまえがならないか」
「小笠原さんじゃだめなんですか」
「前から何度も言ってるだろう? 俺は本を手放すのに、おまえほど躊躇はしないし、金を稼ぐための道具だと思い込める。おまえはそういうタイプじゃない。思い入れで本を仕入れて、値付けにも時間を掛ける。昔ながらの古書店向き人間だよ」
「月田さん夫婦の店をサポートするのは、現実主義の打算的な人の方いいのではないかと思うんですが」
「何だ何だ。やりたくない理由でもあるってか? 言っておくが、資金は全部向こう持ちだぞ。立地条件は期待できんが」
 顔をぐいと近付けられ、僕は苦笑を浮かべていたと思う。目を逸らし、ぼそりと答える。
「断る理由は特にありません。でもただ働きは嫌です。やるからには儲けも出したい」
「何だ。それなら自由にやればいい」
 小笠原さんの右手が僕の肩をばしばし叩いた。

――終わり
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