6 / 19
怪しんでませんという態度が怪しくて
しおりを挟む
「あの、少しだけお時間をください。先日、ご利用くださってお帰りになったあと、お客様のテーブルに眼鏡があったのですが、お客様の物ではありませんか」
「え、はい、丸いレンズの? でしたら僕のです」
返事を聞いて、保管場所へと急いだ。札を付けた輪ゴムを外し、お客さんのテーブルへ戻る。
「こちらです。お確かめください」
男性は念のためという風に眼鏡を手に取り、一度レンズを覗いてから、弦を見た。そこにあの文字を見付けたのだろう、笑みをなしてうなずいた。
「間違いありません。僕が使った物です」
「よかった。お返しできてほっとしました。お気を付けください」
そうして私も笑顔で終えようとしたのだけれども、最後の「お気を付けください」がお客さんに余計なことを思い出させてしまったらしい。
「そうだ、マスクのときもお手数をお掛けしました。申し訳ないです」
そして座ったまま、太ももに手をつき、こうべを垂れる。
「いえ、そんな」
「眼鏡をなくしたことにはもちろん気付いてたんですが、同じ場所で二度も忘れ物をするはずがないと思い込んでいたもので……こちらに足を運ばずに済ませていた次第です。面目ない。ああ、眼鏡ケースはお返ししなくては」
ケースの蓋を閉じ、男性はすっと差し出してきた。
受け取った私の頭の中を、この際だから色々聞いてみようかしらという思いがよぎった。
その一方で、いや、この方は一人で過ごす時間を味わうために来られたのかもしれない。それを邪魔するのは必要最小限にすべきだという思いがちらつく。
しばしの間、二つの思いがせめぎ合った。それはちょっと長引いてしまったようだ。
「あの。注文、もう言いましたよね」
男性に確認され、はたと思い出した。
「も申し訳ありませんっ」
逃げるようにカウンターに引っ込むと、ほてりを感じる頬に手を当てた。
「気にしないでください。あなたは忘れ物がまだ一つで、僕は忘れ物二つ。まだ一つ、忘れても大丈夫ですよ」
「すみません」
お気を遣わせてしまってという言葉は飲み込んだ。こんな風に話し掛けてくれるのであれば、多少は踏み込んだ会話をしても大丈夫なんじゃないかという考えが甦った。
でも。アルバイトに入っている子達には、お客さんと個人的な会話は極力しないように、それがたとえお友達であっても、無駄に喋ってはだめよと、普段から注意を喚起している。
でもでも。それ他にもお客さんがいる場合を想定していて、迷惑を掛けないようにするのが狙いなわけで、今このお店にいるのは私とあの男性だけなのだから、他人に迷惑を掛けることは絶対にない。
でもでもでも。あの人自身の迷惑になるかもしれないっていうのが、非常に困るわ。
等と思い悩みながらでも、よくしたもので、紅茶とクッキーの用意はちゃんとできた。身体が覚えてしまっているのかもしれない。
「お待たせしました」
「どうも」
声を出して応じてもらったのは、今日が初めての気がする。いつもなら、オーダーされた物を運ぶと、ただ目礼をするだけだった。
これは向こうからの、ちょっとお話しましょうというサインなのでは。こういったボディランゲージ込みのコミュニケーションがあまり得意でない私にとって、難しすぎる。最終判断を下せないでいた。
「ひょっとして、僕のこと怪しんでいますか?」
そんなときに唐突に話し掛けられ、その場で跳び上がりそうになった。実際、小さな悲鳴を上げたかもしれない。
「な、何をおっしゃっているのか、怪しむだなんて」
つづく
「え、はい、丸いレンズの? でしたら僕のです」
返事を聞いて、保管場所へと急いだ。札を付けた輪ゴムを外し、お客さんのテーブルへ戻る。
「こちらです。お確かめください」
男性は念のためという風に眼鏡を手に取り、一度レンズを覗いてから、弦を見た。そこにあの文字を見付けたのだろう、笑みをなしてうなずいた。
「間違いありません。僕が使った物です」
「よかった。お返しできてほっとしました。お気を付けください」
そうして私も笑顔で終えようとしたのだけれども、最後の「お気を付けください」がお客さんに余計なことを思い出させてしまったらしい。
「そうだ、マスクのときもお手数をお掛けしました。申し訳ないです」
そして座ったまま、太ももに手をつき、こうべを垂れる。
「いえ、そんな」
「眼鏡をなくしたことにはもちろん気付いてたんですが、同じ場所で二度も忘れ物をするはずがないと思い込んでいたもので……こちらに足を運ばずに済ませていた次第です。面目ない。ああ、眼鏡ケースはお返ししなくては」
ケースの蓋を閉じ、男性はすっと差し出してきた。
受け取った私の頭の中を、この際だから色々聞いてみようかしらという思いがよぎった。
その一方で、いや、この方は一人で過ごす時間を味わうために来られたのかもしれない。それを邪魔するのは必要最小限にすべきだという思いがちらつく。
しばしの間、二つの思いがせめぎ合った。それはちょっと長引いてしまったようだ。
「あの。注文、もう言いましたよね」
男性に確認され、はたと思い出した。
「も申し訳ありませんっ」
逃げるようにカウンターに引っ込むと、ほてりを感じる頬に手を当てた。
「気にしないでください。あなたは忘れ物がまだ一つで、僕は忘れ物二つ。まだ一つ、忘れても大丈夫ですよ」
「すみません」
お気を遣わせてしまってという言葉は飲み込んだ。こんな風に話し掛けてくれるのであれば、多少は踏み込んだ会話をしても大丈夫なんじゃないかという考えが甦った。
でも。アルバイトに入っている子達には、お客さんと個人的な会話は極力しないように、それがたとえお友達であっても、無駄に喋ってはだめよと、普段から注意を喚起している。
でもでも。それ他にもお客さんがいる場合を想定していて、迷惑を掛けないようにするのが狙いなわけで、今このお店にいるのは私とあの男性だけなのだから、他人に迷惑を掛けることは絶対にない。
でもでもでも。あの人自身の迷惑になるかもしれないっていうのが、非常に困るわ。
等と思い悩みながらでも、よくしたもので、紅茶とクッキーの用意はちゃんとできた。身体が覚えてしまっているのかもしれない。
「お待たせしました」
「どうも」
声を出して応じてもらったのは、今日が初めての気がする。いつもなら、オーダーされた物を運ぶと、ただ目礼をするだけだった。
これは向こうからの、ちょっとお話しましょうというサインなのでは。こういったボディランゲージ込みのコミュニケーションがあまり得意でない私にとって、難しすぎる。最終判断を下せないでいた。
「ひょっとして、僕のこと怪しんでいますか?」
そんなときに唐突に話し掛けられ、その場で跳び上がりそうになった。実際、小さな悲鳴を上げたかもしれない。
「な、何をおっしゃっているのか、怪しむだなんて」
つづく
0
あなたにおすすめの小説
サウンド&サイレンス
崎田毅駿
青春
女子小学生の倉越正美は勉強も運動もでき、いわゆる“優等生”で“いい子”。特に音楽が好き。あるとき音楽の歌のテストを翌日に控え、自宅で練習を重ねていたが、風邪をひきかけなのか喉の調子が悪い。ふと、「喉は一週間あれば治るはず。明日、先生が交通事故にでも遭ってテストが延期されないかな」なんてことを願ったが、すぐに打ち消した。翌朝、登校してしばらくすると、先生が出勤途中、事故に遭ったことがクラスに伝えられる。「昨日、私があんなことを願ったせい?」まさかと思いならがらも、自分のせいだという考えが頭から離れなくなった正美は、心理的ショックからか、声を出せなくなった――。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
観察者たち
崎田毅駿
ライト文芸
夏休みの半ば、中学一年生の女子・盛川真麻が行方不明となり、やがて遺体となって発見される。程なくして、彼女が直近に電話していた、幼馴染みで同じ学校の同級生男子・保志朝郎もまた行方が分からなくなっていることが判明。一体何が起こったのか?
――事件からおよそ二年が経過し、探偵の流次郎のもとを一人の男性が訪ねる。盛川真麻の父親だった。彼の依頼は、子供に浴びせられた誹謗中傷をどうにかして晴らして欲しい、というものだった。
籠の鳥はそれでも鳴き続ける
崎田毅駿
ミステリー
あまり流行っているとは言えない、熱心でもない探偵・相原克のもとを、珍しく依頼人が訪れた。きっちりした身なりのその男は長辺と名乗り、芸能事務所でタレントのマネージャーをやっているという。依頼内容は、お抱えタレントの一人でアイドル・杠葉達也の警護。「芸能の仕事から身を退かねば命の保証はしない」との脅迫文が繰り返し送り付けられ、念のための措置らしい。引き受けた相原は比較的楽な仕事だと思っていたが、そんな彼を嘲笑うかのように杠葉の身辺に危機が迫る。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
神の威を借る狐
崎田毅駿
ライト文芸
大学一年の春、“僕”と桜は出逢った。少しずつステップを上がって、やがて結ばれる、それは運命だと思っていたが、親や親戚からは結婚を強く反対されてしまう。やむを得ず、駆け落ちのような形を取ったが、後悔はなかった。そうして暮らしが安定してきた頃、自分達の子供がほしいとの思いが高まり、僕らはお医者さんを訪ねた。そうする必要があった。
江戸の検屍ばか
崎田毅駿
歴史・時代
江戸時代半ばに、中国から日本に一冊の法医学書が入って来た。『無冤録述』と訳題の付いたその書物の知識・知見に、奉行所同心の堀馬佐鹿は魅了され、瞬く間に身に付けた。今や江戸で一、二を争う検屍の名手として、その名前から検屍馬鹿と言われるほど。そんな堀馬は人の死が絡む事件をいかにして解き明かしていくのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる