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2.適当な依頼には適任な探偵

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 俺は脅迫状をひらひらさせながら、話を進める。
「どうだったでしょうか。事務所だけに来ていたのではないので……。少なくとも十通以上、来ています」
「その数は多い方で?」
「は?」
「芸能界の裏側では、この手のいざこざが多いと聞いた記憶がある。単なるいたずらで脅迫状めいた物を送りつけてくるような例もあるでしょう? そんな場合と今回とを比べて、十通以上とは多いのか少ないのか、という意味合いです」
「ああ。いや、数だけならもっと凄いのも経験してますよ、うちは。百通ちょうどが記録ですね」
「百通?」
 俺はらしくもなく、驚いてしまった。
「もっとも、それは脅迫状なんかの類でなく、ファンレター――電子メールではなく、リアルな紙のでしたけど。でも、ファンレターとは言え、百通も立て続けに来ると、ちょっと不気味なもんがあります」
「なるほど、ね。さて、そろそろ本題に入りたい。まず、聞きましょうか。この脅迫状の差出人が本気だと、あなたは考えているんですね?」
「はい。私だけでなく、事務所の者はほとんど」
「そう判断した理由は? この他にも似たようなケースはいくらでもあったと思うんだが」
「うーん、具体的には何もされていないんですけど……これまでのいわゆるいたずらの手紙は、粘着質なんです。ねちねちとあることないこと悪口を書き立てた、陰湿な内容です。ふざけたイラスト付きのもありました。ですが、今度のはご覧の通り、いたって簡潔。乾いた感じさえします」
「それだけの理由? それでしたら警察に頼んでも……」
「はい、相手にされないでしょう。本当のところ、実際に警察に頼もうとしたんですが、知り合いの知り合いに刑事弁護士がいまして、その人から『警察はその程度のことでは動かない』と言われたのです」
 眼鏡をずり上げながら、長辺は続けた。
「だからこそ、探偵の相原さん、あなたに頼もうと」
「ほほう。まるでこの私でなければならないかのような言い種に聞こえますが? そんなことはないでしょうねえ。想像するに大方、お抱えタレントの番組収録が延びているもんで、空いた時間を利用して手近な探偵事務所に飛び込んだってとこじゃないんですかね」
「……その通りです、すみません」
 長辺はテーブルに鼻をすり付けんばかりに頭を下げた。なに、どうせ頭を下げ慣れた人間のすることだ、気にするまい。
「まあ、引き受けた依頼には全力を尽くしますがね。で、何を求められているんです、あなた方は」
「ですから、杠葉の身を護っていただきたいと」
「ボディガードということですか? それだったら元々、ふさわしい人を雇っているもんじゃないんですか?」
「欧米の大スターならいざ知らず、日本の一タレントに過ぎませんから、杠葉は」
「ならば、いわゆる暴力団とのつながりはないんで? 護ってもらうなら最適だ」
 その分、見返りを要求されて面倒になるとも聞くが。
「とんでもない! うちはそんなところじゃありませんよ」
 さすがにこのときばかりは、長辺も顔を真っ赤にして声を張り上げた。が、すぐに、元の顔色に戻る。瞬間湯沸かし器兼瞬間冷却器みたいだな。
「狙われる心当たりは?」
「ないです。杠葉にも聞きましたが、きっぱり、ありませんと」
「じゃあ、犯人の奴はただの有名人嫌いかな。仮にそうだとして、そちらの杠葉達也がターゲットにされる理由、何かありませんかね」
「やはり……人気が上昇中ということじゃないでしょうか。この三月からコマーシャルに出て、一気に売れましたからね」
「ふん。では、もう一つ考えられる犯人像、つまりライバルによるけ落としだとも考えられる。殺すのどうのは本気でないということです。そうとしたら、思い当たるのは?」
「ライバルのプロダクションとなりますと、そりゃあ、他の芸能プロ全てと言ってもいいでしょう。もちろん、杠葉とは系統の違うタレントばかりを抱えている芸能プロもないことないですが」
「特別に関係がうまくいっていない芸能プロの事務所ってのは存在しないんですね?」
「そのつもりです」
 やや自信なさそうになる長辺。
 俺は最初、この態度を何かを隠しているせいかと考えたが、そうではないらしい。事務所の社長じゃないと分からないという意味なのだ。
「おっと、聞き忘れていた。その脅迫状、郵送されて届いたんですか?」
「いえ、違います。事務所宛に来るのも杠葉の家に来るのも、直接、郵便受けに入れられたようなんです」
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