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思わぬ再会
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「ところでさ」
出川が腕時計を見ながら言った。携帯端末を持つのが当たり前のご時世に、珍しいほど大ぶりでごついのを右手首に着けている。
「午後からの授業、休講で、完全に暇になったんだけど、大崎は」
「僕もない」
「それなら早く帰らないか」
どこかに繰り出して遊ぼう、と言い出さないのが出川らしい。
ただまあ、僕も遊びたい気分ではないし、早く帰れるに越したことはない。普段通りに講義を受けていたら、帰宅ラッシュに巻き込まれる時間帯になるのだ。
「ああ、帰ってもいいけど、その前に生協寄ってく」
「そう? じゃ、下で待ってるよ」
学生食堂の二階が、生協になっている。希に学食が大混雑して、中で食事を摂れそうにないときなんかは、生協で惣菜パンと飲み物を買って、何とか切り抜けるのだ。
今日これからの用事は、そういうのとは全く違って、出川とは別の友達から頼まれた過去問のコピーをするためだ。昼からの授業で会った際に手渡す心積もりでいたが、潰れたので明日でいいとのメッセージが、三時間目頃に入った。
出川を置いて学食を出ると、建物に外付けの階段を上がる。中は十人ぐらいの利用者がいたが、幸いにもコピー機の前は空いているようだ。
「さてと」
店内にまだ入る前から、いかにもこれからコピー機を使いますよという雰囲気を出しつつ、ショルダーバッグ(もちろん男物だ)のベロ型の蓋を開けに掛かる。
ところがそうした僕の勝手な思惑をあっさりはね除け、後ろから来た人が追い越して入店、コピー機の前に立ってしまった。
(急いでる人には通じないか。ま、こっちは暇だし、後ろに立たれてプレッシャーを掛けられるよりは追い抜いてくれて正解だったかも)
などと考え、距離を取って後ろに立つ。
肩甲骨の辺りまで隠すほど長いソバージュに、ひだがアクセントになった白いシャツ、ルージーンズはスリムタイプ。こんな格好の男性も珍しくはないご時世だけれども、今目の前にいる人は女性に違いない。
その後ろ姿を見るともなしに見ていると、ふと、ある感情を呼び起こされた。
視界がぐらっと揺れて、思い出と現在の光景とが切り出された二枚のフィルムのように重なり、そのずれが修正されるとぴたりと一致する。
懐かしさが大半を占める中、痛みをちょっぴり伴うその記憶は、小学生の頃のものに違いなかった。
「――小仲さん?」
気が付いたときには、声を出して名を呼んでいた。
わずかなタイムラグのあと、目の前の女性は動きを止め、こちらを振り返った。
「……」
かしゃんかしゃんと音を立てるコピー機の前で、彼女は眼鏡をずらした。ほんのり色の付いたサングラスで、恐らく度付きなのだろう。
化粧をしているが、眼鏡を外してくれただけでも充分だ。この人は小仲富美だ。
「その名字を知っているということは、小学校……大崎君?」
「あ、当たり」
このときの僕はどんな表情をしていただろう。多分、ほとんど満面の笑みだったろうけど、少し恐れが混じっていたかもしれない。過去にしたことを掘り起こされ、突き止められるかもしれないという予感から。
果たして、小仲さんは。
「懐かしい! ていうか、何でここに」
「もちろん、この春からここの学生になったから」
「そうなんだ。私もよ。何学部?」
彼女が笑顔でその質問を発してすぐ、午後の授業の予鈴が鳴った。
「あー、ごめん! もう時間ない」
いつの間にか停まっていたコピー機から、用紙を取り出し、ホルダーに挟んでから行こうとする。
「――あ、元のを忘れてるよ!」
つづく
出川が腕時計を見ながら言った。携帯端末を持つのが当たり前のご時世に、珍しいほど大ぶりでごついのを右手首に着けている。
「午後からの授業、休講で、完全に暇になったんだけど、大崎は」
「僕もない」
「それなら早く帰らないか」
どこかに繰り出して遊ぼう、と言い出さないのが出川らしい。
ただまあ、僕も遊びたい気分ではないし、早く帰れるに越したことはない。普段通りに講義を受けていたら、帰宅ラッシュに巻き込まれる時間帯になるのだ。
「ああ、帰ってもいいけど、その前に生協寄ってく」
「そう? じゃ、下で待ってるよ」
学生食堂の二階が、生協になっている。希に学食が大混雑して、中で食事を摂れそうにないときなんかは、生協で惣菜パンと飲み物を買って、何とか切り抜けるのだ。
今日これからの用事は、そういうのとは全く違って、出川とは別の友達から頼まれた過去問のコピーをするためだ。昼からの授業で会った際に手渡す心積もりでいたが、潰れたので明日でいいとのメッセージが、三時間目頃に入った。
出川を置いて学食を出ると、建物に外付けの階段を上がる。中は十人ぐらいの利用者がいたが、幸いにもコピー機の前は空いているようだ。
「さてと」
店内にまだ入る前から、いかにもこれからコピー機を使いますよという雰囲気を出しつつ、ショルダーバッグ(もちろん男物だ)のベロ型の蓋を開けに掛かる。
ところがそうした僕の勝手な思惑をあっさりはね除け、後ろから来た人が追い越して入店、コピー機の前に立ってしまった。
(急いでる人には通じないか。ま、こっちは暇だし、後ろに立たれてプレッシャーを掛けられるよりは追い抜いてくれて正解だったかも)
などと考え、距離を取って後ろに立つ。
肩甲骨の辺りまで隠すほど長いソバージュに、ひだがアクセントになった白いシャツ、ルージーンズはスリムタイプ。こんな格好の男性も珍しくはないご時世だけれども、今目の前にいる人は女性に違いない。
その後ろ姿を見るともなしに見ていると、ふと、ある感情を呼び起こされた。
視界がぐらっと揺れて、思い出と現在の光景とが切り出された二枚のフィルムのように重なり、そのずれが修正されるとぴたりと一致する。
懐かしさが大半を占める中、痛みをちょっぴり伴うその記憶は、小学生の頃のものに違いなかった。
「――小仲さん?」
気が付いたときには、声を出して名を呼んでいた。
わずかなタイムラグのあと、目の前の女性は動きを止め、こちらを振り返った。
「……」
かしゃんかしゃんと音を立てるコピー機の前で、彼女は眼鏡をずらした。ほんのり色の付いたサングラスで、恐らく度付きなのだろう。
化粧をしているが、眼鏡を外してくれただけでも充分だ。この人は小仲富美だ。
「その名字を知っているということは、小学校……大崎君?」
「あ、当たり」
このときの僕はどんな表情をしていただろう。多分、ほとんど満面の笑みだったろうけど、少し恐れが混じっていたかもしれない。過去にしたことを掘り起こされ、突き止められるかもしれないという予感から。
果たして、小仲さんは。
「懐かしい! ていうか、何でここに」
「もちろん、この春からここの学生になったから」
「そうなんだ。私もよ。何学部?」
彼女が笑顔でその質問を発してすぐ、午後の授業の予鈴が鳴った。
「あー、ごめん! もう時間ない」
いつの間にか停まっていたコピー機から、用紙を取り出し、ホルダーに挟んでから行こうとする。
「――あ、元のを忘れてるよ!」
つづく
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